45 勇者様はお仕事中です
忘れもしない、あれは俺が17歳の時だった。
ごく普通の田舎の少年だった俺は、勇者に選ばれ大喜びで王都に向かった。
そこで出会った少女が二人の人間の体と魂を入れ替えるなんてとんでもない術を使ってくれたせいで、俺の運命は大きく狂いだしたんだ。
そう、目の前の勇者──俺の今の体の元の持ち主の手によって……。
「やあ、久しぶり」
「な、な…………」
言葉を失う俺の前で、勇者──レーテは軽く手を振って見せた。
いやいや、なんでそんな普通なんだよ!!
お前、見つかったらやばい人間だって自覚はあるのか!!?
「ななな、何やってんだよお前! こんなところで!!」
「何ってバイトだけど」
「バイトぉ!?」
「…………おい、こいつはお前の知り合いか」
しびれを切らしたのかヨエルが俺の肩を掴んで問いかけてきた。
「あ、うん」
「これ以上なくお互いのことを知り合った深い仲だね」
「変な言い方やめてくんない!?」
ヨエルがちょっと白い目で俺を見ている。
むかついたのでレーテを殴ろうとしたが、軽くかわされてしまった。
「大丈夫ですか!?」
騒ぎを聞きつけたのかヴォルフが走ってくる。そして、レーテを見て固まった。
「…………は? なんでここに?」
レーテが何か言おうと口を開く。
だが、それよりも先に俺たちの元へ高らかな声が響いた。
「あら、通行の邪魔よ。積もる話は中でしなさい」
コツコツという足元と共に、ぱっと人垣が割れる。
そしてその向こうから、小柄な人影が姿を現した。
つややかな栗色の髪に、エルフの血筋であることを現すような尖った耳。
身に着けたドレスは洗練されており、誰が見ても一目で高貴な者だとわかるだろう。
心なしか、思わず跪きたくなるようなオーラが放たれているような気すらしてくる。
「あなたは……フィオナ姫!?」
やってきたユリエさんが驚いたように口に手を当てる。
現れた少女はユリエさんを振り返り、自信たっぷりの笑みを浮かべた。
「御機嫌よう、レディ・ヴァイセンベルク。ようこそフリジア王国へ、歓迎するわ」
幼い外見に見合わない大人っぽい笑みを浮かべて少女──ここフリジア王国の王族の一人……フィオナ姫は優雅に礼をしてみせた。
◇◇◇
ちょっと周囲がざわつき始めたので、俺たちは場所を移動することにした。
フィオナさんがその辺の使用人を捕まえて話をすると、すぐに空いた部屋が用意される。
さすがは王女様。顔パスかよ。
「……ふふ、こんな風に会うとわね。まぁ、ヴァイセンベルク家の名前を見た時からもしかしたらこうなるかもしれないと思ってはいたけれど」
ヴォルフと俺を見て、フィオナさんが懐かしそうに笑う。
俺も、ぎゅっと胸が詰まるようだった。
かつて、世界を救うためにあちこち旅していた頃……俺たちは偶然このお姫様に出会い、行動を共にしていた時期があった。
彼女には本当に世話になった。どれだけ感謝してもし尽せないくらいだ。
フィオナさんは王族でありながら、魔術師としても研究者としても日々努力を怠らない立派な人だ。彼女の人脈を考えると今日招待されていても何もおかしくはない。
でも、まさかこんなところで会えるとは思わなかったので、喜びもひとしおだ。
「でも驚きましたわ。ヴォルフと王女殿下がお知り合いだったなんて」
「えぇ、あなたの弟君には何度も危機を救っていただいた恩があります。……ねぇ?」
少し驚いたように話すユリエさんにフィオナさんが意味ありげに笑うと、ヴォルフは気まずそうな顔をしていた。
最初にフィオナさんに会った時ヴォルフはヴァイセンベルク家の人間だってことを隠していたし、ユリエさんには知られたくないようなことだって結構あるはずだ。
……それは、俺も同じか。
「……それで、お前はここで何してんだよ」
フィオナさんの後ろに控えていたレーテに問いかけると、レーテは呆れたようにため息をつく。
「だからさっきも言っただろ。バイトだって」
「私が雇ったのよ。ちょっとは腕の立つ護衛が欲しくてね。報酬をはずんだらホイホイ釣れたわ」
……事情は分かったけど、いいんだろうか、それで。
高額報酬目当てにバイトに精を出す勇者……純粋に勇者に憧れてる人が知ったらショック受けるだろうな……。
ちょっと複雑な気分になっていると、フィオナさんが何かに気づいたようにレーテを振り返った。
「そういえば、あの子は?」
「あれ、姫様と一緒にいませんでしたっけ」
「……まずい、はぐれたわ」
フィオナさんが慌てたように立ち上がる。
その途端、部屋の扉が遠慮がちに開いた。
「フィオナさぁん……置いてくなんて酷いですよぉ……」
涙交じりの不安そうな声が聞こえる。
そして、小さく開いた扉の隙間からするりと小さな少女が姿を現した。
人目を引く桃色の髪に、良く映える淡い桃色のドレス。
すらりと伸びた細い手足に、人形のように整った顔立ち。
不安そうに涙のたまった瞳が、俺と視線が合った瞬間に見開かれる。
「…………リルカ?」
そこにいたのは、俺にとってもはや家族同然に大切な存在となった少女だった。
「……くーちゃんに、ヴォルフさん!?」
リルカが驚いたようにこちらへと駆けてくる。
俺も思わず立ち上がって、その小さな体を力いっぱい抱きしめていた。
「リルカ、会いたかった……!」
リルカはかつての世界を救う旅の中で、いつも俺を支えてくれた女の子で、俺だけじゃなく、ヴォルフにとっても妹のような存在だ。
辛いとき、悲しいとき、リルカはいつも俺を励ましてくれた。
小さな体で頑張っているリルカを見ると、俺はいつも勇気づけらていた。
「おいおい、時間かけて髪もドレスもセットしたんだぞ。無茶苦茶にするなよ」
レーテがそう言って苦笑した。
俺も慌ててリルカの体を離す。
「ご、ごめんっ!」
「ううん、いいの……」
リルカは顔を上げて、花が咲くように笑った。
なんだろう。話したいことはたくさんあるはずなのに、何を言えばいいのかわからないや……。
「……さて、私たちはそろそろあいさつ回りにでも行きましょうか」
フィオナさんがユリエさんにそう声をかける。
そのまま彼女はこちらを振り返った。
「後の段取りはレーテがよく知ってるはずだから、頼むわよ」
「えぇ、仰せのままに、姫君」
レーテがまるで騎士のように気取った礼をする。
フィオナさんはそれで満足したようだ。
「僕も行きます。ヨエル、少しいいですか」
立ち上がったヴォルフはヨエルを呼び寄せていた。
そのまま小声で何か話し、ヨエルが神妙な顔で頷いている。
「……頼みましたよ」
「あぁ、任せろ」
一緒に行くのかと思いきや、ヨエルは俺たちの方へと戻ってきた。
「それじゃあ、警備の方頼んだわよ。この部屋は自由に使っていいから、ゆっくり積もる話でもして頂戴」
最後にそう告げて、フィオナさん達は部屋を出て行った。
「……行かなくていいのか?」
「僕以外にも警備はわんさかいるからね。しばらくは大丈夫だろ」
レーテはやる気なさそうに豪華なソファにふんぞり返っている。
まったく、高額で雇われたにしては適当すぎないか……。
「……ていうか、君はここで何やってんだ? 遊びに来たのか?」
からかうような口調で、レーテはそんなことを言い出した。
むむっ、馬鹿にしやがって……!
「ふふん、俺はヴォルフの専属メイドやってるからな。これも仕事の一環なんだよ!」
「専属メイド……? 大声でそういうこと言うのはちょっと……」
「…………なに想像したか知らないけどな、いたって健全な仕事だからな!?」
なんかとんでもない誤解が生じているようなのでとりあえず訂正しておく。
メイドは健全な職業です! リルカが顔を赤らめる必要なんて全然ないんだ!!
「あ、そうだ。紹介するよ。こいつはヨエル。一緒にヴォルフのところで働いてるんだ」
二人はヨエルとは初対面のはずだ。まずは紹介しなきゃな。
「へぇ、君も専属メイドなのか?」
「んなわけねぇだろ! 俺は魔術師だ」
「ふーん、魔術師ねぇ……」
「ヨエルさんも魔法使いなんですね!」
レーテはどこか怪しむように、リルカは同じ魔法使いということで嬉しそうにしている。
「ヨエル。この偉そうな方がレーテで可愛い方がリルカ。二人ともお前と同じ魔術師なんだ」
「初めまして、ヨエルさん。リルカです」
「あ、あぁ……」
ヨエルはどこか照れたようにそっぽを向いた。
……なーんか、俺と初対面の時と全然違うな!?
まあいいや。思わぬところで仲間に再開できたのは嬉しい。細かいところは気にしないでおこう。
「二人はフィオナさんの護衛なのか?」
「まあね。あのお姫様、意外と潔癖症なのか見知った人間以外を自分の傍に近づけたがらないんだ」
レーテはやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。
……俺は元は男で、レーテと入れ替わって今は女の体だ。レーテはその逆なので、今は男だが元は女のはずだ。それにしては、こいつ全然戸惑いとかなさそうなんだよな……。
「何も、ないといいんだけど……」
「大丈夫だよ。警備の人もいっぱいいたし、無事に終わるよ」
不安そうな顔をしているリルカにそう言うと、リルカはやっと安心したように笑ってくれた。
「……そろそろ始まる時間だ。一応、様子でも見ておくか」
いつの間にか時間が経っていたようだ。レーテとリルカが顔を見合わせ立ち上がる。
「俺たちも行くか。……クリス、念のため言っとくがふらふらどっか行ったりすんなよ」
「なんだよそれ。そのくらいわかってるって!」
ヨエルはまるで小さな子供に言い聞かせるようにそんなことを言った。
くそっ、バカにしやがって……!
「ていうかお前ヴォルフのとこ行かなくていいのかよ」
「……あいつは、何よりもお前の傍についてろと言っていた。変な虫がつかないように見張ってろってな」
ヨエルはげんなりした顔で肩をすくめた。
思わぬ言葉にかっと頬が熱くなる。
……馬鹿、あいつは何を心配してるんだ! 恥ずかしいだろ……!
「……相変わらずだな、あいつは」
「じ、情熱的なんですよ……!」
呆れたようなレーテと必死にフォローしようとするリルカの声を聴きながら、俺も力なく立ち上がった。
久しぶリルカ。




