43 寵姫テレーゼ
順調に馬車は進み、関所を超えて遂にフリジア王国の領土へと入ったようだ。
しかし、目的の街まではまだ数日かかるらしい。
「次、フリジアの風土の特徴は? 何でもいいから一つ答えろ」
……この、ヨエルの勉強会という名の尋問も数日は続くということだ。
気が重くなってしまう。
「えぇっと……」
悩んでいると、ヴォルフがそっと耳元で囁いてくれた。
「ほら、いろいろあるじゃないですか。例えばエルフが多いとか」
「そこっ、甘やかすな!」
ヨエルの叱責が飛んで、俺とヴォルフは首をすくめた。
確かに、馬車は深い森の中を進んでいるようだ。この森の奥にも、エルフの集落なんかがあるのかな。
「それじゃあこいつのためになんねーだろ」
「すみません、つい」
「ついじゃねーよ」
ヨエルは不貞腐れたように足を組んでいる。
狭い馬車の中で険悪な空気になると面倒だ。何か一つくらいは答えようと俺も頭を巡らせた。
「えーっと……あっ、この大陸で一番大きい湖がある! それで、その中の島に魔術師たちの集まる街がある!」
湖の中に浮かぶ島。そこに栄える魔術師たちの街には、俺も何度か行ったことがある。
大きな大学もあって、魔法の道具とかが売ってて、なかなかおもしろい場所だった。
仲間たちの何人かは今もそこに住んでいるはずだ。
「……まぁ、正解にしてやってもいい」
俺の答えにヨエルはぷい、とそっぽを向いた。
こういう仕草をするときは本当に怒ってるわけじゃない。俺も何となくわかってきた。
「ちなみに、なんでそんなところに魔術師の集まる街ができたかわかるか」
「んー? なんとなく?」
「んなわけあるか。よく考えろ。あんな辺鄙な孤島に町ができた訳を」
確かに、不便だとは思っていた。どうして、彼らはあんな場所に町を作ったのだろう。
街ができるのは、人が集まるからだ。どうして人が集まった? 開拓するなら他にもよさそうな場所はありそうなのに。
わざわざ人が来ないような場所に行く理由。それは……
「何かから、逃げてきた……?」
「正解」
ヨエルはにやりと笑った。
「昔は、魔術全般が邪悪な技だとみなされ忌み嫌われていた時代があったんだ。今も場所や種類によっちゃそうだな。異端者と追われた魔術師たちはその島にたどり着き、魔術師の集落を作った。湖の孤島なんで攻めにくく守りやすい。攻めあぐねてる間に外では魔術師の地位が向上して、今では国きっての名門大学なんて呼ばれてるわけだ」
「そっか、そんなことが……」
あのにぎやかな島に、そんな歴史があったとは。
「……フリジアは魔術師の国、ユグランスは戦士の国と呼ばれている。昔から、よく衝突はあったんだ。そのあたりは覚えとけ」
「……うん」
ヨエルの言ってることは難しくてよくわからない部分も多いけど、とりあえずは気を付けておこう。
「……難しい話はそろそろやめにしませんか? ほらクリスさん、今夜泊まる予定の町はアップルパイが有名みたいですよ」」
「えっ、ほんとに!?」
空気を切り替えようとするようにヴォルフが明るい声を出す。
我ながら単純だな、と思いつつ、俺の意識は一瞬でアップルパイへと引きずられていくのであった。
◇◇◇
何日も何日も馬車に揺られそろそろ尻の痛みがやばくなってきた頃、やっと目的地であるヴィルエールの街へと到着した。
「うわぁ……!」
馬車の窓から顔を出すと、色とりどりの花に彩られた綺麗な街並みが目に入る。
中々活気のある大きな街だった。
「祝賀会が催されるのは明日の夜です。今日はこの街に宿泊ですね」
「じ、自由時間とかは……」
「……義姉さんとも話してみますが、おそらく大丈夫でしょう」
ヴォルフはそう言って笑った。
よかった、これで観光の下調べが無駄にならずに済みそうだ。
とりあえずは長旅の疲れを癒すために、街の中心部にあるホテルへと向かう。
「ふぅ……なんとか予定通りに到着することができたわ。みんな、お疲れ様」
やっと落ち着くことができて、少し疲れた様子のユリエさんがそう口にする。
確かに疲れたけど、道中は特にトラブルもなく順調に来ることができた。
このまま何事もなければ万事OKだ。
もう日も暮れかけていたので今日はこのまま夕食となった。
この辺りは香辛料をたっぷり使った煮込み料理が美味いらしい、その味を想像して一人でにやにやしていると、ホテルの入り口の方がにわかに騒がしくなった。
どうやらまたどこかの一団が到着したようだ。なんとなくそちらへ目を向ける。
入ってきたのは、やたらと身なりの良い一団だった。
特に、その中でもひときわ目を引く美女がいた。
波打つ黒髪に、派手だが品の良い紫紺のドレス。歩き方、表情、髪のなびき方まで計算されたように優雅で、まるで舞台女優のようだ。
その場にいた人たちの視線が、自然と彼女に吸い寄せられていくのがはっきりとわかった。
彼女は従者たちに何か声をかけ、そしてあたりを見回している。
その視線がこちらを向いた瞬間、吸い込まれそうな漆黒の瞳が見開かれる。
そして、林檎のように紅く彩られた唇が開かれた。
「あら、レディ・ヴァイセンベルクではなくって?」
思わずユリエさんに視線をやる。
彼女は驚いたように硬直していたが、すぐににこやかな笑みを浮かべて立ち上がった。
……だが、その頬が一瞬強張っていたのを俺は見逃さなかった。
「お久しぶりです。レディ・イェーリス」
「ふふ、他人行儀はやめにしましょう、ユリエ。こんなところで会えるなんて嬉しいわ」
黒髪の美女は誰もが見惚れそうな笑みを浮かべている。
……ユリエさんの知り合いだし、なんか身なりもいいしお付きの人もいっぱいいるし、彼女も貴族なのかな。
「……また、とんでもない人が来てるもんだな」
「彼女は、魔術の才に優れていると聞いたことがあります。招待されていてもおかしくはない」
ヴォルフとヨエルは小声で話し合っている。
どうやら二人とも知っている人のようだ。
「……なぁ、あの人って」
「……ちょっと来い」
ヨエルが静かに立ち上がり、目配せした。
俺とヴォルフも立ち上がり、三人で人気のない廊下へと出る。
「そんな聞かれたらまずい話なの?」
「別にそういうわけじゃねぇが……本人やお供の奴らに聞かれたらいい気はしないだろうからな」
食堂からは楽しそうな笑い声が聞こえる。
今のところ、特におかしなことはなさそうだ。
「……先ほどの女性は、テレーゼ・イェーリス。六貴族ほどではないですが、なかなか高位の貴族の女性です」
「へぇ、それでユリエさんとも知り合いなんだ」
「ただ、少し厄介な立場の人でな……彼女、皇太子の寵姫の一人だ」
ヨエルは声を潜めてそう言った。
寵姫……寵姫って言うと……
「……愛人ってこと?」
「……そうです」
ヴォルフは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
……ヴォルフの母親も、ヴァイセンベルク公の愛人だった。
少し、複雑な思いがあるんだろう。
「皇太子は六家の一つ、ブラウゼーの姫と結婚している。だが、仮面夫婦っていうのは有名な話だ。あのテレーゼだけでなく、他にも何人もの愛人がいるって話だぜ」
「その中でも、彼女は特にお気に入りの一人だと言われています。いずれは、ブラウゼーの姫と離縁し彼女を正妻にするのではないかと噂されるほどに」
「……なんか、複雑なんだな」
俺は結婚って言うと、好きな人同士が家族になるものだと思っていた。
でも、そうでない場合も世の中にはたくさんあるのだろう。
「見たところここに来ているのは彼女だけのようだな。まぁ、俺たちはそんなに気にすることもないが……万が一彼女に無礼を働いて皇太子に報告されたりなんかしたら大変なことになるぜ。お前はあまり近づかない方がいい」
「……うん、わかった」
ヨエルは念を押すようにそう言ったけど、俺はたぶん言われなくてもそんな偉い人と接触するようなこともないんじゃないかな。
「……ヴォルフは大丈夫?」
「まぁ、僕よりも義姉さんの方が大変でしょうが、気を付けますよ」
ヴォルフは少し眉を寄せて苦笑した。
そのまま三人で食堂へ戻ると、ちょうどユリエさんとテレーゼの話が終わったのかユリエさんが戻ってくるところだった。
「……彼女も優れた魔術師の一人として招待されたようね」
ユリエさんはどこか疲れた顔でそう言って笑った。
ヴォルフがいたわるような言葉をかけている。
「なんか、貴族って大変なんだな……」
「笑って会話しながら頭の中ではいかに相手を陥れるかの策を巡らせている……そんな世界だからな」
ヨエルが周囲に聞こえないようにそんなことを言う。
……少しだけ、そんなものとは無縁ののどかな故郷が懐かしくなった。
お知らせってほどでもないですが第1話にキャラのイラストを掲載しました!
メイド服の丈はロングにしようかと思ったのですがクリスが転びそうなのでやめました(笑)




