42 傍にいるから
「ジ、ジークベルト様……!」
ユリエが現れた時とは打って変わって、使用人たちは顔を引きつきつらせ震えている。
ジークベルトはゆっくりとこちらへ歩いてくると、青ざめる使用人たちの方へ視線をやる。
「随分楽しそうな話をしてるじゃないか。僕も混ぜてくれないか?」
「め、滅相もございません! これは、その……」
さすがにジークベルトに聞かれてはいけない話だという自覚はあったようだ。
……もう、遅いだろうが。
「……なるほどね。僕には言えないわけか。じゃあ…………」
ジークベルトは使用人たちの方へ近づき、思わず見惚れそうな笑みを浮かべた。
「今すぐに荷物をまとめて出て行った方がいい」
「…………ぇ?」
「聞こえなかったのか? 今すぐに出て行った方がいいといったんだ。あ、それと二度とヴァイセンベルク地方へは近づかない方がいい。まぁ、強制はしないけどね」
彼は地面に刺さった鎌を引き抜くと、器用にくるくると回し始めた。
……それだけで、脅しとしては十分だったのだろう。
「ひ、ひいぃぃぃ!!」
使用人たちは悲鳴を上げてその場から駆け出した。
ユリエは黙ってその行方を見送った。
「……使用人の質が落ちてるな。教育を徹底しないと」
ジークベルトは小さくそう呟くと、ユリエの方へと振り返る。
「ごめん、不快な思いをさせたね」
「……いいえ」
このくらいは、覚悟してしかるべきだったのだ。自分は少し甘えていたのかもしれない。
「……君は僕の妻だ。君を侮辱するのは、僕に喧嘩を売るってことなんだよ。そうだろう?」
どれだけ周りに口さがない噂を立てられようとも、彼だけはユリエの味方でいてくれる。
そう思っているからこそ、ユリエはそっと微笑んだ。
「ちょっとゆっくりティータイムでもしようか。……ほら、ヴォルフも!」
ジークベルトはそう言うと、騒動の最中ずっと我関せずと池の方を見て座っていた少年に近づき、ひょいとその体を持ち上げた。
「……放してください」
「お前が一緒に来てくれるならね」
にやにやと笑うジークベルトに、ヴォルフはしぶしぶといった様子で頷いた。
そのまま地面に降り、彼は仕方ないといった様子でジークベルトの後をついてくる。
「おーい、ラウラ! いるかい?」
ジークベルトが館に向かって呼びかけると、すぐに窓から一人の女性が顔をのぞかせた。
「まぁジークベルト様! いったいどうしたのです?」
「ちょっとティータイムがしたいと思って。頼むよ」
「えぇ。承知いたしましたとも!」
女性はにっこりと笑って中へ引っ込んだ。
「さぁ行こう」
ジークベルトはユリエとヴォルフにそう声を掛けると、館の扉を開き中へと入っていく。
ユリエもその後に続こうとして、背後から聞こえてきた声に足を止めた。
「その……ありがとう、ございます……」
振り向けば、視線を落としたヴォルフが気まずそうな顔で立っていた。
やっとさっきのことを言っているのだと気が付いて、ユリエは少し暖かな気持ちになって微笑む。
……彼は、ちゃんとユリエの言ったことを聞いていてくれたのだろう。
「いいえ、当然のことよ」
そのまま、そっとヴォルフの背を押してジークベルトの後に続く。
ティータイムの最中、べちゃくちゃと一人でうるさいジークベルトの話に相槌を打ちつつ、ユリエは考えていた。
いい年をした自分でも、まっすぐに悪意を向けられると身が竦んでしまう。
ヴォルフは、あの小さな少年は……ずっとそんな境遇で過ごしてきたのだろうか、と。
◇◇◇
「後でマティアスが言っていたの。あの時私がいなかったら、ジークベルトはその場で使用人の首を刎ねていたかもしれないって」
「ひいいぃぃ……」
ユリエさんが平然と言い放った言葉に俺は震えあがった。
……あながち冗談ではないかもしれないからだ。
でも、ユリエさんがしてくれた話は俺にとって色々な意味で衝撃的だった。
ヴォルフが、幼いころからそんな辛い境遇で過ごしていたなんて。
「私はあの子とそんなに交流があったわけじゃないんだけど……ずっと何もかも諦めたように、心を閉ざした子だったわ。ジークベルトは何とかあの子を笑わせようと頑張ってたけど……あまりうまくはいってなかったわね」
ユリエさんは少し寂しそうにそう言った。
俺も思わず黙り込んでしまう。
ヴォルフはあまり自分の過去を、特に親のことは話したがらない。
それだけ、辛い状況で過ごしていたからなんだろう。
「そのうちにあの子が行方不明になったと知らせが来て、ジークは随分と落ち込んでいたわ。……私も後悔した。もっと、何かできたんじゃないかって」
「でも、ヴォルフは……」
「えぇ、生きていてくれた。戻ってきてくれた。それだけで救われた気がしたわ。それに……」
ユリエさんは俺の方へと振り向くと、優しく笑った。
「あの子、すごく変わったの。……きっと、あなたのおかげね。ジークが言ってたのよ。ヴォルフがあなたのことをジークに頼んだ時、『あんなに真剣なあいつは初めて見た』って。あの子が必死になるのは、いつだってあなたに関することよ」
ユリエさんの言葉に、ぐっと胸が一杯になる。
「……お、私だけじゃないんです。色々な人と出会って、あいつは変わったんだと思います」
色々な場所へ行って……俺だけじゃなく、きっとたくさんの人に出会ってヴォルフは変わったんだ。
「でも、きっと一番心の支えになっているのはあなたよ。……私が言えたことじゃないけれど、お願いしたいの」
ユリエさんはそっと俺の手を取った。
顔を上げると、真剣な瞳と視線が合う。
「これからも、あの子の傍にいて欲しいの」
彼女の手はかすかに震えていた。
その白魚のような手を、そっと握る。
「……はい」
あいつは偉い貴族の一員で、俺は男か女かもわからないような微妙な存在。
俺があいつの枷になるんじゃないかって、いつも心のどこかで怯えている。
でも、それでも……
「ずっと、一緒にいます」
好きだから。たぶん、愛だと言えるくらいに好きだから。
……一緒にいたい。支えたい。
先のことはわからない。不安なことだってたくさんある。
それでも、どんな形でも、あいつの傍にいたかった。
「……ありがとう」
ユリエさんがそっと手を握り返してくれる。
そのまま目が合って、俺たちは自然と笑っていた。
「……そろそろ戻りましょうか、まだ先は長いわ」
「はい!」
いつの間にか結構時間がたっていたようだ。
そろそろ寝ないと、明日に響くよな。
大丈夫だというユリエさんを部屋まで送って、俺も自分の部屋へと戻る。
ベッドに横になると不思議とすぐに眠気がやってきた。
ユリエさん……思ったよりも話しやすい人だったな。
以前、ヴォルフはヴァイセンベルク家では嫌なことばっかりだったと言っていたけど、ちゃんとあいつのことを心配してくれてる人がいる。
それだけで、心が温まるような気がした。
翌朝、俺は寝坊してヴォルフに起こされてしまった。
眠い眼をこすり、皆が集まる食堂へと向かう。
「ったく……主人に起こされる使用人ってなんだよ」
「し、仕方ないだろ……」
「気合がたんねーな」
ヨエルは俺が寝坊したことを知るとにやにやしながら馬鹿にしてきた。
くそっ、嫌な奴め……。
「まぁ、昨晩は遅くまでお疲れでしたからね」
通りすがりのアストリッドがぽつりとそう呟く。
まさか、と思って振り返ると、彼女は意味深に笑った。
「……見てたの?」
「奥様の御身に何かがあってはいけませんので」
アストリッドはにこりと笑って何でもないようにそう言った。
なるほど、アストリッドはユリエさんの護衛として来ているのだ。
どうやら昨晩俺たちが話し込んでいた時も、悟られないように近くにいたらしい。
「……なにかあったんですか?」
正面に座っていたヴォルフが不思議そうにそう呟く。
じっとその顔を見つめ返す。
……一緒に旅して、一緒に暮らすようになって、だいぶこいつのことをわかったつもりでいたけど、きっとまだまだ俺も知らないことはたくさんあるんだろう。
楽しかったこと、嬉しかったこと。
辛かったこと、悲しかったこと。
……少しずつでも、知っていけたらいいな。
「その、あのさ……」
何か言おうと思ったけど、なんて言っていいのかわからずに言葉に詰まってしまう。
そのまま見つめあう俺たちに、ヨエルは盛大なため息をついた。
「……朝っぱらからうっぜーんだよ!!」
……お前の大声の方が迷惑だと思うんだけどな。




