37 六家の伝承
遠い昔、この地に「国」はなく、人々はいくつかもの小さな集落に別れて平和に暮らしていた。
しかし、ある時巨大な大蛇が現れ人々を襲い始める。
人々は逃げまどい、困り果てていたが……そこに救世主が現れた。
並外れた強い力を持つ、六人の勇士たちである。
勇士たちは幾度も大蛇と戦い、ついに長い時間をかけこれを討ち果たした。
人々は喜び、六人の勇士たちをそれぞれ「王」とし六つの国が生まれ、末永く幸せに暮らしましたとさ……。
……ヨエルの見せてくれた本は、そんな感じの内容だった。
「ほんとにあったの? これが?」
「脚色はされてるだろうが……大筋では、間違ってないだろうって言われてるな」
「へぇ……」
いつの時代にも平和を乱す困ったやつはいるんだな。
絵本に描かれた大蛇は人間三人くらいは余裕で飲み込めそうな大きさだった。誇張されているかもしれないけど、もしこんな大きさの蛇がいたらたまらないだろう。
だがその蛇も六人の勇士に倒され、六つの国が生まれた……。
「六つ……六貴族?」
「そうだ。察しがいい……ってほどでもねぇか。昔は帝国じゃなく六つの独立した国に分かれてたんだ」
「じゃあヴォルフたちはすごい王様の末裔なんだ……!」
先ほどよりも真剣に挿絵を見つめる。
残念ながら、六人の勇士はかろうじて人間だということがわかるようなタッチで描かれていたので、ヴァイセンベルク家の人たちに似ているかどうかはわからなかった。
「もっと先を読んでみろ」
ヨエルに促され、ページをめくる。
幸せに暮らしました……の後にもまだ続きのページがあるようだ。
その先には、いくつかの風景画と短い詩のような言葉が綴られていた。
『──炎の国を治めるは、紅の守護者ローゼンクランツ
──森の国を治めるは、緑の守護者グリューネヴァルト
──泉の国を治めるは、蒼の守護者ブラウゼー
──岩の国を治めるは、琥珀の守護者ベルンシュタイン
──雪の国を治めるは、白き守護者ヴァイセンベルク
──影の国を治めるは、黒き守護者シュヴァルツシルト
──崇め、称えよ。偉大なる守護者を』
「……そうだ。ブラウゼーとベルンシュタインだ!」
やっと残りの二家を思い出すことができた。
喉に引っかかってた魚の小骨が取れた気分だ。
「雪の国……ヴァイセンベルク……」
ヴァイセンベルク家について書かれたページには、雪に覆われた白い山が描かれている。
なるほど、確かにヴァイセンベルク領の北の方はこんな感じだ。
「六貴族が今でも並外れた権力や名声を持ち続けてるのはこの伝承のおかげでもある。王ではないとはいえ、実質地方の総督みたいなもんだからな。この辺りでヴァイセンベルク家に逆らえる奴なんていない」
「うわぁ……すごいんだ」
「そうだ。そのおかげで六家にとってかわりたい新興貴族なんかはいつもギリギリしてるぜ」
かつて先祖たちの危機を救ってくれた偉大な勇士の末裔。
この伝承が語り継がれている限り、六家の地位は揺るがないのかもしれない。
俺は、思ったよりもすごいところで働いてるんだな……。
「最低限六家の名前、領地、特色くらいは覚えとけ。ここだと一般常識だ」
「はーい……」
ヨエルは俺の目の前の机にどん、と重そうな本を置いた。
おそるおそる開くと、先ほどの絵本とは違いびっしり文字が並んでいる。
「じゃあ始めるぞ。まずは一章を開け」
「うぅ……」
すでに頭がパンクしそうだがここでへばってはいられない。
ヨエル先生のスパルタ教育に耐えつつ、俺は精一杯頭を回転させた。
◇◇◇
「……大丈夫ですか」
やっとヨエルの勉強会から解放されたころ、俺はすっかりくたくたになっていた。
ソファの上で死んだように伸びていた俺を、やってきたヴォルフが心配そうにのぞき込んでくる。
「……ベルンシュタイン家の本拠地を答えよ」
「シュペルリング」
「紅茶の産地ノイハールはどこの所領か」
「グリューネヴァルト。正確にはその縁戚のハルトリーゲル家」
「フィルノイ鉱山はどの地方に存在するか」
「シュヴァルツシルト地方」
当然のようにご主人様は即答した。
大きくため息をついた俺を見て、ヴォルフは苦笑している。
「ヨエルから聞きましたよ。大変そうですね」
「……頭爆発しそう」
「僕も昔嫌々叩き込まれましたよ。こんな知識役に立たないと思ってたけど、意外と役に立つ場面もあります」
ヴォルフは笑いながら俺の頭を撫でてくる。
それだけで、少し落ち着いた気がした。
「はぁ……今更だけどさ、俺って、何も知らないんだなって」
いろいろな場所を旅した。たくさんの物を目にした。
それで色々知った気になっていたけどとんでもない。
まだまだ、世の中には知らないことがたくさあるんだ。
「別に今まで必要のない知識だったんだからいいんじゃないですか」
「でも、これからは必要になるかもしれないし」
俺のせいでヴォルフが馬鹿にされたりするのは嫌だから、目指せ博識メイドだ。
「よし、復習するか!」
ヨエルは明日ちゃんと覚えたかどうかテストをすると言っていた。
がばっと起き上がり本をめくると、ヴォルフはまた小さく笑った。
◇◇◇
翌日、テストの結果はうまくいったとは言い難いけど、ヨエルは俺を見捨てずにいてくれた。
また爆発しそうな頭に知識を詰め込み、今は一旦休憩中だ。
茶と菓子を用意すると、ヨエルは素直にもぐもぐと摘まんでいた。
甘いものなんて食べる気しない、とか言いそうなのに意外だ。
……ていうか、俺の勉強に付き合ってくれてること自体がかなり意外かもしれない。
「ヨエルってさ、結構面倒見いいとこあるんだな」
「……別に、そういうわけじゃない」
照れたようにそっぽを向くヨエルにちょっと笑えてくる。
ふふ、意外とかわいいとこあるんだな……。
「あ、それともあれか。暇で暇でしょうがないのか! あたっ」
「……よっぽど殴られてぇようだな」
ヨエルは手にした分厚い本で俺の頭をはたいてきた。
まったく、せっかく詰め込んだ知識が出てっちゃうじゃないか!
そう抗議すると、ヨエルは呆れたような目を俺の方へと向けてきた。
「お前、そんなんでよくヴォルフリートに追い出されねーな」
「……それは俺も思う」
ほんのり紅茶の味がするクッキーをつまみつつ、俺はヨエルの言葉に同意した。
メイドとして、恋人として、俺は及第点に達しているのだろうか。
……少なくとも、メイドとしては微妙な気がする。
「お前、あいつに惚れ薬でも盛ったんじゃないのか?」
「えっ!? なんでわかったの!?」
「……まじかよ」
はっ、引っかかってしまった!
で、でも俺が前に使ったのはあくまで一時性の薬だし、もう効果は切れてるはずだし。ヴォルフはその前から俺のこと好きって言ってくれてたし……。
あたふたと弁解すると、ヨエルは何と言えない微妙な表情で紅茶をすすった。
「……それ、俺以外の前では言うなよ。ただでさえ怪しまれてんのに、本気で消されかねないぞ」
「え、怪しまれてる……?」
小さく首をかしげると、ヨエルはカップを置いてため息をついた。
「なんで他国から来た馬鹿そうな女がでかい顔してヴォルフリートの恋人面してんのか、ってやっかむ奴も中にはいる」
「…………」
……そういう可能性も、考えなかったわけじゃない。
レアも言ってたし、俺の存在はこの城の人たちには奇妙に映るんだろう。
ヴォルフは女の子にもてるし、そういう嫉妬に晒されるのだって初めてじゃない。
「ただの嫉妬ならいいが……お前がなんかたくらんでんじゃねぇかって不審に思う奴もいるだろうさ」
「そんなの……」
「まだ若いお坊ちゃんを篭絡してヴァイセンベルクを破滅へ導くスパイなんじゃないか、なんて考える奴がいないとも限らない」
何も、言えなかった。
俺はヴォルフのことが好きで、ヴォルフも俺のことを好きだと言ってくれる。
好きあう二人が一緒にいるのは何もおかしくない。俺は……そんな風に簡単に考えていた。
でも……端から見たらそうは見えないのかもしれない。
「……忠告だ、クリス」
ヨエルは真剣な目で俺を見据えた。
思わずごくりとつばを飲み込む。
「お前は、自分が身をもって何もやましいことがない、潔白だと言えるか」
低い声で、そう問いかけられる。
俺は……ぎゅっと唇を噛んで下を向いてしまった。
……だって、潔白なんて、やましいことが何もないなんてとてもじゃないけど言えるわけがないんだ。
元は男で、今でもミルターナの教会が探している「光の聖女」の正体で、他にもいろいろ他人に言えないようなことはたくさんある。
……そんな俺が、ここにいてもいいんだろうか。
そう思うことも、あるけれど。
「……ヴァイセンベルク家を、貶めようとするスパイなんかじゃない」
結局、言えたのはそれだけだった。
それでもはっきり出て行けと言われるまでは、ここにいたかった。
ヨエルも俺の答えで何かを察したのだろう。
小さく息を吐いて再び紅茶に口をつけている。
「……そうか。ならいい」
「えっ、いいの?」
「お前、自分のこと『何一つやましいことがない潔白な人間です!』なんて言う奴がいると思ってんのか。そんな奴いたら余計怪しいだろ」
「うーん……」
そう言われると、そうかもしれない。
「誰だって人に知られたくない秘密の一つや二つくらいあるだろ。俺は別にお前をここから追い出そうとしてるんじゃねぇ。お前の正体に興味もねぇからな」
ヨエルはっさりとそう言った。
……その言葉が、胸に染みていく気がした。
正体を隠して、みんなを欺き続けるのはどうしても少しの罪悪感があった。だから、秘密を持つことを肯定されたのが、すごく嬉しかったんだ。
思わずほっと息を吐く。
ヨエルはぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜると、面倒くさそうに口を開いた。
「言っただろ、忠告だ。お前にその気がなくても、お前を利用しようとしたり、貶めようとする奴は山ほどいる」
「……うん」
「お前みたいなアホはすぐ付け入られそうだからな、自衛しろ。その方法の一つが知識だ。知識はあっても無駄にはならねぇ」
……昨日から散々言ってたのは、俺を心配してくれてたってのもあるのかな。
口に出すとまた怒られそうだから言わなかったけど、そんな気がした。
「うん、そうするよ。ありがとうヨエル」
「……お前は単純そうだからな。人を疑うってことを覚えろよ」
「でもヨエルはいい奴だよな!」
「だからそういう……はぁ……」
ヨエルはまた呆れたように大きなため息をついた。
馬鹿にされてるってことはわかるけど、それでも俺は嬉しかった。
もうちょっと柔らかい性格だったら、いい友達になれるかもしれないんだけどな……。
次回からはちょっと遠出です!




