35 無職と無職のシンパシー
結論。
当たり前だけど手錠を嵌めながらだと寝にくい。
「いたたた……髪にひっかかってやがる……」
起きた時から手錠の鎖に俺の髪の毛が引っ掛かっており、できるだけ痛くないように髪の毛を引っ張り出すのに一苦労した。
「なるほど、鎖はまずかったかもしれませんね。もっと素材を考えるべきでした」
ヴォルフは真剣な顔でそんなことを呟いていた。
いやいや、問題なのは素材とかそういうことじゃない気がするんだが……。
「ていうかさ、何で手錠なんか持ってたの?」
しかも寝室に。
……あまり考えない方がいいかもしれない。
「知りたいですか?」
「い、いや……やっぱいいや……」
ヴォルフはどこか意地の悪い顔でそんなことを言い出した。
気になるが、なんか聞いたら「じゃあ実際に使ってみましょうか」とか言い出しそうな気がする。
亡霊に襲われた翌朝に吸血鬼に襲われるなんて勘弁願いたい。
まぁ……あんまりひどいことしないならいいけど。
「安全を確認したらとりあえずはラウラとエーリクを呼び戻さないといけないですね」
「そうだな」
亡霊騒ぎは解決したけど、まだまだやることはたくさんあるだろう。
料理人であるエーリクさんがいないので簡単な朝食を用意する。
本職の人ほどじゃないけど、さすがにパンとサラダくらいなら俺にもなんとかなった。
いつもより質素な朝食を二人で口にする。
今この館にいるのは俺とヴォルフの二人だけだ。そう思うと、少し不思議な気分だった。
新婚夫婦ってこんな感じなのかな……とらしくもないことを考えてしまい、一人で赤面する。
「どうかしましたか?」
「う、ううん、なんでもない!」
勢いよくパンを飲み込むとのどに詰まってしまい、ヴォルフが慌てたように俺の背を叩いてくれた。
ヴォルフと二人で館の中を見回ったが、特に異常はないようだった。もう昨夜感じた嫌な気配もない。
二人を呼び戻し、いつも通りの日常が帰ってくる。
……これで一安心、かな。
◇◇◇
「うーん……」
久々に神聖魔法の教本を引っ張り出し、見様見真似で館の浄化を進めていく。
「これで、いいのか……?」
水に一掴みの塩を投入し、祈りの句を唱える。これでたぶん聖水の完成だ。
とりあえず聖水っぽいものあちこちに撒き、一緒に作った護符っぽいものをあちこちに吊るす。
するとなんとなく静謐な空気に満たされた……ような気がしないでもない。気のせいかもしれないけど。
「なんか、怪しい儀式でもやってるみたいですね」
「怪しくないし……」
ヴォルフの部屋のドアノブに護符を吊るすと、奴はそんな失礼なことを言ってきた。
一応お前の安全を考えてやってるのに、なんだその言い方は……!
「ふーん……」
ヴォルフは護符を手に取りしげしげと眺めている。
そのままがちゃりと扉を開けて、再び閉めていた。
「どう?」
「いや……特に今までと変わりはないようです」
まあそりゃそうか。これは何か邪悪なものがやってきた時に効果を発揮するみたいだし、今は何もなくて当たり前だな。
「効き目ないかもしれないけど、一応つけといてくれよ」
「……はい、問題ないようですしね」
「……?」
意味はよくわからなかったが、ヴォルフは満足そうな顔をしていた。
まぁ、いいか。
◇◇◇
「……返します」
借りた剣を手渡すと、ジークベルトはじっとその件を眺め、鞘から抜いた。
まぶしいほどの白い刃が、月明かりにきらりときらめく。
「へぇ、入ってる入ってる。濁った魂だ」
ジークベルトはその刃を見て、にやりと恐ろしい笑みを浮かべた。
ヴォルフにはなんとなく禍々しい気配しか感じられないが、長兄にはこの中に吸い込んだ罪人の魂までもを見て取れるようだ。
──使い手を、そして傷つけた者の魂を喰らう吸魔の剣。
幽霊退治に有効な武器を貸してほしいと頼むと、ジークベルトは簡単な逸話と共にこの剣を貸してくれた。
果たしてこんな危険なものが城の宝物庫に入っていて大丈夫なのかと思わないでもないが、役に立ったのでよしとしよう。
「どんな奴だった? この中に入ってるの」
「執拗に女を狙う魔物化した悪霊……ヨエルはうちで処刑した罪人ではないかと言ってました」
「ふぅん……死んでからもヴァイセンベルクに牙をむくなんて、いい度胸じゃないか」
ジークベルトが冷たく目を細めた。
おそらくユリエやステラ……彼に近しいものにはこういった魔術、霊障に対しても厳重な護りを敷いているのだろうが、やはりいい気はしないだろう。
ジークベルトがつぅ、と指先で刃先をなぞる。
剣がびくりと震えたように見えたのは、気のせいだろうか。
「……どうするんですか、その魂」
おそらくクリスを襲った悪霊の魂は今も剣に捕らわれている。
まさか解放するなどとは言わないと思うが、その始末方法によっては再びクリスが危険に晒される可能性もある。
ヴォルフの言葉にジークベルトは振り返り、笑った。
「どうすると思う?」
……あまり、考えない方がいいのかもしれない。
これ以上はヴォルフの関与するところではない。
剣を貸してくれた礼を言い、ヴォルフは足早に部屋を後にした。
◇◇◇
それからしばらくは何事もなく過ぎた。
メイド仲間のレアに再び話を聞きに行ったが、俺が「影の亡霊」の話を本気にしたのを笑われただけだった。もちろん、レアはそんな話は信じていなかったようだ。
くそっ、ちょっと恥ずかしいな……!
ぷんすかしつつ別館へと戻ってくる。
池の周りでおしりをふりふりしながら歩くアヒルに和みつつ視線を上げると、見覚えのある人影が目に入り、俺は驚いた。
「あれ、ヨエル……?」
別館の目の前でどこか躊躇したように立ち止まっていたのは、少し前に俺を助けてくれた青年──ヨエルだったのだ。
「うぉっ!? なんだ馬鹿メイドか……」
「だからその呼び方はやめろって!」
こいつに感謝はしてるけど……やっぱりむかつくな!
ヨエルはうろうろと視線を彷徨わせると、小声で俺に問いかけてきた。
「ヴォルフリートはいるか?」
「ん? いるんじゃない?」
確か今日は普通にここにいたはずだ。
ヴォルフに用があるってことは、この前の報酬でも貰いに来たんだろうか。
「ほら、案内してやるから来いよ」
そう言うと、ヨエルは素直に俺の後をついてきた。
ヴォルフの部屋の前へと進み、扉を叩き声をかける。
すると、すぐに入室の許可があった。
「……あぁ、やっぱり」
ヴォルフは俺と一緒にいたヨエルを見ても驚かなかった。
その手にはどこからかの手紙が握られている。
それを見て、ヨエルは大ききため息をついた。
「……もう話はいってるようだな」
「えぇ、ちょうど今」
「……そういうことだ。不本意だが、こうなったら仕方ねぇ」
「……? 何の話してんの?」
ヴォルフとヨエルの間では通じているようだが、俺にはさっぱりわからなかった。
ヨエルは気まずそうに視線を落とした後、どこか拗ねたように口を開く。
「……俺もヴォルフリートの元で働くことになった。今日からここで暮らす」
「…………ええぇぇぇ!!?」
どういう心変わりなんだ!?
静かな場所が好きで、あんな不便そうな森の中で引きこもってたヨエルが何で!?
「とりあえず、案内はラウラに頼みます」
ヴォルフがベルを鳴らすと、すぐに師匠が現れる。
ヨエルを案内するように頼まれた師匠は、まったく動揺することなくヨエルを伴って部屋を出て行った。
……やばい、全然ついていけない。
「……いやいやいや、なんで!?」
戸惑う俺に、ヴォルフは手にしていた手紙を差し出してきた。
どうやら、読んでもいいのだろう。
「それ、ヨエルの父親からジーク兄さんの元に宛てられたものなんです」
ヨエルの父親はヴァイセンベルク家に仕える高位の魔術師だと聞いたことがある。
その人が、いったい何なんだろう。
はやる気持ちを抑え、記された文字に目を通す。
どうやらヨエルの父親はジークベルトさんからの連絡で先の亡霊事件の顛末を知ったらしい。
勇敢なお方だとかヴォルフを褒めたたえる語句が並び、次にヨエルについて書いてあった。
『それに比べてうちの馬鹿息子はいつまでも引きこもってダラダラと……誠にお恥ずかしい限りです。私も父親としてあれの教育を間違えたのかと悩む日々を送っております』
あれ、なんか心が痛い……。
ちょっと前まで無職だった俺の心にぐさぐさと来る感じだ。
『しかし、うちの馬鹿息子でも少しはヴォルフリート様のお役に立てたようで僥倖です。これを機に少しは考えを改めてくれれば……そうだ、もしよろしければヴォルフリート様のところであの馬鹿息子を鍛えてやって頂けないでしょうか。ヨエルに少しでも世間の厳しさを教えてやってください!』
その後も、回りくどくヴォルフを褒める言葉と、なんとかヨエルを働かせてやってくれ、という部分が続く。
まぁ、要約すると「引きこもり息子に手を焼いてるからそっちでなんとかしてください」という感じだった。
「…………」
「……まぁ、そういうことなので、仲良くしてくださいよ」
ヴォルフはどこかひきつった顔でそう口にした。
俺は、なんとか頷くのが精一杯だった。
……こうして、ここ別館の住人に新たに陰険魔術士が加わったのだ!
ヨエルの奴、なんか理由があって引きこもってるのかと思ったら、ただダラダラしてただけなのかよ……!
と、少し前まで無職だった俺は……なんとなくその気持ちはわからないでもない、と思いを馳せるのだった。




