34 真夜中の攻防
館の中はしんと静まり返っている。
それでも、ちりちりと肌を焦がすような嫌な空気が漂っているのははっきりとわかる。
「ビンビン殺気飛ばしてやがる……お前を逃がしたのがよっぽど悔しかったみてぇだな」
ヨエルがどこか軽い調子でそう口にする。
その軽い態度にちょっとむかっときたが、今はむしろ暗くなられるよりはいいのかもしれない。
「それで、作戦は?」
「ここで暴れると厄介だな。比較的広い場所……エントランスで決着をつける」
ヨエルは迷うことなく進んでいく。
廊下を進み、階段を降り……最初に俺が待機していたエントランスへとたどり着く。
「……準備はいいか、ヴォルフリート」
「いつでも問題ないありません」
「そうか……おい、馬鹿メイド」
「はぁ!? 俺はクリス! 馬鹿メイドってなんだよ!!」
「なんでもいい。とにかく、アレは一番にお前を狙ってくるだろうから……覚悟はしとけよ」
「お、おう……」
俺が頷いたのを確認すると、ヨエルはすぅ、と息を吸って、ぶつぶつと何事か呟き始めた。
「Giza、Kuunganisha、Imeondoka、Uchawi……」
聞いたことのない響きだったけど……呪文だということはわかった。
ヨエルが唱え始めてから、空気が大きく揺らいだような気がした。
「Vikwazo vyeupe dhidi ya wenye dhambi mbaya……!」
夜の闇が渦巻き、集約される。
そして、そこから何かが飛び出してきた。
「来るぞ、構えろ!!」
ヨエルの言葉と同時に、何かが俺の方へとすごい速さで向かってくる。
「っ、護れ! “熾光防壁!!”」
間一髪、光の壁を作り出す。
幾度も俺の命を守ってくれた光の壁は、今回も飛んできた黒い影を弾き飛ばした。
「貫け、“氷槍!!”」
ヨエルが叫び、何かを空中に振りまく。
次の瞬間、空中から半透明の槍が現れ黒い影へと飛翔する。
「イイィィィィィッ……!!」
黒い影はまるで蜘蛛のような槍を避けると、素早い動きで垂直に壁を伝うように上り始める。
そして、そのまま逆さに天井へと張り付いた。
「ちっ、叩き落すぞ! 馬鹿メイド!!」
「ク・リ・ス!!」
ヨエルがまた呪文を唱え、天井に張り付いた影へと命中させる。
「“聖気解放!!”」
俺も負けじと影へ魔法を放つ。
俺とヨエルの猛攻を受けた影は、不気味な叫びをあげながら天井から落下した。
そして、影が再び俺の方へと躍りかかってくる。
「シャアアァァァァ!!」
「っ、“熾光──!!”」
呪文を唱えようとした途端、すごい勢いで床から延びてきた手に首を絞められる。
やばい、と思った時にはもう目の前に影がした。
俺を丸呑みしようというかのように、もはや人の形を保っていない影が襲い掛かってくる。
だが、俺に触れる直前、白い刃が煌めいた。
影は真っ二つに引きちぎれ、霧散する。
「……まだだ。再生するぞ!!」
ヨエルの言葉と共に、黒い霧が集まり再び濃厚な影が現れた。
「ウゥゥ……女、女…………!」
人のような、獣のような、四つん這いになった影がたどたどしく言葉を発した。
「この人はお前ごときが触れられるような相手じゃない。……消えろ」
ヴォルフが冷たく言い放つと、影は激高したようにヴォルフに飛び掛かった。
それが、最後だった。
ヴォルフが飛び掛かってきた影を一刀両断する。
影は再び霧散して……そのまま剣に吸い込まれていった。
そして、あらかた黒い霧が吸い込まれると……その場に静寂が取り戻される。
「……消えたな」
ヨエルがぽつりと呟く。
俺もあたりを見回してみたが、あのぴりぴりするような空気は消え、いつもの館に戻っているようだった。
そこでやっと、安堵のため息をつくことができた。
「はあぁぁぁ……死ぬかと思った……」
思わずぺたんとその場に座り込んでしまう。
ヴォルフが心配そうにすぐ隣に腰を下ろした。
「まさかあんなのがうろついていたとは……無事でよかった」
「うん……」
あの夜中に彷徨った日、もしもヴォルフが俺を見つけるのがもう少し遅かったら、あの影に変な空間に引き込まれた時、二人が来てくれなかったら……そう思うと、今更ながらに恐ろしくなる。
「まぁ、あんなんは滅多にいないから安心しろよ。時間がたてば死の匂いも薄れる。だが、一度この館も清め直した方がいいかもな」
「ヨエル、頼めますか?」
「いや、俺は見様見真似でしかできねぇ。教会の奴を呼ぶか……そこのメイドの方が適任だろ」
「え、俺?」
ヨエルは俺の方を見て頷いた。
「お前、神聖魔法の使い手だろ。場を清めることくらいできんだろ」
「うーん、やったことはないけど……」
似たような魔法はいくつか思い付くけど、聖職者がやるような本格的な清めはやったことがない。
たしか簡単なやり方は以前買った神聖魔法の教本に書いてあったっけ……と記憶を掘り起こした。
「覚えておいて損はねぇはずだ。できれば自分でやる方がいい」
「うん、そうするよ」
教会の人を呼ぶ方が早いかもしれないけど、できればヴォルフに聖職者を近づけたくはない。
吸血鬼は教会の者にとっては人を襲う化け物だとみなされ、討伐すべき対象となっている。
大丈夫だとは思うけど、万が一のことを考えると俺が自分で覚えた方がいいだろう。
「いろいろありがとう、ヨエル。助かったよ」
最初はとんでもないひきこもり野郎だと思ったけど、なかなかいい奴なのかもしれない。
そう思って素直に礼を言うと、ヨエルは照れたようにぷい、と顔をそむけた。
「別にお前のためにやったわけじゃない。ヴァイセンベルク家の命で仕方なく来ただけだ」
「でも助かりました。君の働きに見合った代価は用意するつもりです。欲しいものがあれば言ってください」
ヴォルフがそう言うと、ヨエルは小さく呟いた。
「一人でいられる静かな場所」
「……もうあるじゃん」
「だから邪魔すんなってことだよ」
「……ヨエルってさ、あそこでいつも何やってんの?」
「別に、なんでもいいだろ……」
ヨエルはどこか気まずそうに目を逸らした。
ヴォルフがそれ以上は突っ込むなと視線を送ってくる。
……なるほど、なんとなくわかったぞ。
こいつは、ちょっと前の俺と同じく無職で、更には引きこもりなんだ!!
遅いから泊ってけと勧めたが、ヨエルは頑なに拒否して暗い森へと帰っていった。
その後姿を見送り、小さくため息をつく。
「あいつ、なんで無職なんだろな……」
「単に怠けたいのか、働けない事情があるのか……まぁ僕たちが首を突っ込むことじゃないでしょう。彼の父親はヴァイセンベルク家に仕える高位の魔術師です。ヨエルをそのままにしているということは何か理由があるんでしょう」
少し気になったが……まぁ別にいいか。
ヨエルにはヨエルの考え方があるんだろう。
ぼんやりとそんなことを考えてると、ヴォルフがそっと俺の肩に手を置いた。
「僕たちもそろそろ休みましょう。疲れてるんじゃないですか」
「うん……」
夕方に少し休んだとはいえ、いろいろなことの積み重ねで体も心もくたくただ。思い出すと、どっと脱力するような疲れが襲い掛かってきた。
今は、とにかくゆっくり眠りたい。
ヴォルフに手を引かれるようにして、ぼんやりしたまま館の中を歩く。
そしてたどり着いたのはヴォルフの部屋だった。
「あれ?」
「ヨエルは大丈夫だと言ってましたが一応念のため、今日は二人で寝ましょう。あなたが一人の時に狙われないように」
「うん……」
なんかもう着替えるのも億劫で、メイド服のままベッドに倒れこむ。
「つかれたぁ……」
「着替えないんですか、クリスさん」
「むり……」
しわになるだろうな……というのはわかっていたがもう起き上がれない。
うとうととしていると、ヴォルフが苦笑しながら隣に入ってきたのがわかった。
優しく手を取られたかと思うと、ガチャ、と聞きなれない音がと共に、手首に冷たい感触があった。
「ん?」
今のはなんだろう、と思い瞼を開けて、俺は仰天した。
先ほどヴォルフに触れられた方の手首に、銀色に輝く手錠が嵌められていたのだ!
「……はぁ!? なにこれ!!」
「手錠です」
「見ればわかるっ……! じゃなくてなんで手錠!?」
ヴォルフは答えるように自らの手首を上げて見せた。
そこには、俺と同じように手錠が嵌められている。
よく見ると、二つの手錠は長い鎖で繋がれているようだった。
「大丈夫だとは思いますけどまたふらふら夜中に出歩かれたら困りますから。こうしておけば僕が気が付くじゃないですか」
「あ、うん……」
ヴォルフは得意気にそう言った。
言いたいことはわかる。わかるけど……なんでこんなの持ってんの、とか、そもそも片方ずつはめるとかどうなの、とか、手錠を嵌めようという発想がおかしいとか、言いたいことはいろいろある。
……でも、眠すぎてなんかどうでもよくなってきたんだ。
そっと手錠が嵌まった手同士を繋ぐ。
何があっても、離れないように。
そうすると、どこか安心して一気に眠気が襲ってきた。
……大丈夫、たとえ寝ている間に恐ろしい化け物がやってきても、今の俺は一人じゃないから。




