32 お化け退治は真夜中に
これから仕事があるというニルスと別れ、ヨエルを連れて別館へと戻る。
別館の手前の池のほとりまでやってくると、ヨエルはじっと立ち止まって建物を眺めていた。
「……どう?」
「まぁ、まったくいないってわけじゃねぇが、そこまでの異常は感じられないな。だがまだ昼間だ。夜はどうなるかわからない」
ヨエルは冷静にそう告げる。
なるほど、安心してもいいのだろうか。でも……まったくいないわけじゃないって……。
「もしかして……おばけ、いるの?」
「……お前が何を心配してるのかは知らないが、別にどこにでもいるぞ」
「えっ!?」
「普段は感知できねぇだけだ。別に気にすることじゃない」
「いやいやいや……」
どうしても気になるだろ!
思わず無意味にきょろきょろしてしまう。
「特にこういう場所ではおかしなことじゃない。貴族の城なんて血塗られた歴史とセットだからな」
「うひぃ……」
そうなのか。全然知らなかった……!
一人でビビっていると、ヴォルフが安心させるようにそっと肩を叩いてきた。
「大丈夫ですよ。きっと今回は悪条件が重なっただけです。すぐに平穏な生活に戻れます」
「うん……」
ヴォルフが付いていてくれるし、今はヨエルもいる。
きっと、大丈夫だろう。そう信じたい。
建物の中に入ると、すぐにヨエルはあちこちを調べていた。
だが、思ったような成果はがらなかったようだ。
彼は顔をしかめると、ぐしゃぐしゃと髪をかき回していた。
「建物の中に細工はないようだな」
「……ということは、不死者に接触したことと焦点具を身に着けたことが重なって、クリスさんが偶然悪霊に目をつけられてしまったと」
「まぁ……おそらくそんなところだろう」
ヴォルフはじっとヨエルを見つめて、口を開く。
「それで、これから取れる対策は」
「奴らが力を増すのは夜だ。仕掛けてくるとしたら夜だろうな。今は鳴りを潜めてやがる」
ヨエルは小さくため息をついた。
「人を惑わし飛び降りさせようとするなんてかなりの力を持っているはずだ。そいつを祓うか消すかすれば、とりあえずは大丈夫だろう。染みついた『死』の匂いもそのうち消えるはずだ」
俺は思わず自分の腕の匂いを嗅いでしまった。
それを見たヨエルが呆れたように目を細める。
「馬鹿、実際の匂いの話じゃねぇよ。例えみたいなものだ」
「そ、そうなんだ……」
ちょっと安心した。
会う人会う人に「こいつ死臭がするな……」なんて思われてたら立ち直れそうにない。
「……動くのは夜だ。俺が準備しとくから、お前は精々ぶっ倒れないように休んでろ」
ヨエルにそう言われ、俺は素直に頷いた。
きっと今夜が山場だ。不安で仕方がないけど、ヨエルの頑張りを無駄にしないためにもここは言うことを聞いておこう。
「準備って、何やんの?」
「奴らをおびき寄せ、仕留めるための罠を作る」
「へぇ……」
ヨエルは早くもぶつぶつ呟きながらあちこちを確認していた。
これは邪魔しない方がいいだろう。
「ほら、クリスさん。夜まで休んだ方がいいですよ」
「うん……でも、大丈夫かな」
寝ている間に操られてまた屋上から飛び降りかける、なんてことはないだろうか。
そんな俺の不安を感じ取ったかのように、ヴォルフが強く手を握ってくれた。
「大丈夫です、僕がついてます。相手が幽霊であれ何であれ、あなたを連れて行かせはしない」
「……うん」
見つめあうと、不思議と渦巻いていた不安が収まっていく。
そのままそっと唇を重ねようとした瞬間……
「いいからそういうのは部屋でやれ!!」
ヨエルに怒鳴られてしまった。ヨエルは苛立ったように壁を殴っている。
「……部屋、行きましょうか」
「そうだな……」
◇◇◇
そして夜がやってきてしまった。
昨夜寝不足だったこともあり、仮眠はとったがまだ眠い。
師匠とエーリクさんには一旦避難してもらっているので、今この館にいるのは俺たち三人だけだ。
しんと静まり返った別館のエントランスは、どこか昼間とは違う薄気味悪さを感じさせた。
宵闇の中で頼りないろうそくの明かりだけが、ぼうっとこの場の輪郭を照らし出している。
「いろいろ仕掛けをしておいた。いきなり狂暴化して襲い掛かってくることも考えられるから気をつけろよ」
「うん……」
ヨエルがお守りにもらった紐を手渡してくる。
ヨエルの作戦としては、俺を狙っているらしい悪霊をわざとおびき出し、そこで一気に祓うということだった。
この感応力をあげるらしいお守りをつければ、その悪霊が引き寄せられる……らしい。
「でも、なんで露店の人はこんなのくれたんだろう」
「お前が変なのを引き寄せただけで、本来なら良い精霊を呼び寄せるつもりだったんじゃねぇか。……まぁ、どんな意図があったのかはわからないが……」
ヨエルは顎に手を当てて何やら考え込んでいる。
やれやれ、ちょっとアクセサリーを買いに行っただけなのにとんでもない目にあったものだ。
「でもさ、祓うとってどうすんの?」
「……これ、宝物庫から借りてきました」
ヴォルフが俺の目の前に見慣れない剣を掲げて見せた。
鞘から抜くと、まぶしいほどの白い刀身が美しく輝く。どこか恐ろしささえ感じさせる剣だ。
「退魔の力を秘めているそうです。これなら悪霊にも対抗できるかと」
「へぇ、便利なものがあるんだな……」
「……暴走すれば、逆に使い手に襲い掛かってくるそうです。過去に幾人もの使い手がこの剣の餌食になったとか」
「はぁ!? 大丈夫なの!?」
ヴォルフが淡々と恐ろしすぎる逸話を告げた。
退魔の力を秘めてるって言っても……そんな魔剣みたいなの使っても大丈夫なのか!!
「大丈夫です。一晩くらいならなんとかなります」
「うーん……」
不安だけど、ここはヴォルフを信じるしかないだろう。
意を決してお守りにもらった紐を手首にはめる。
どきどきしたが、特に何かが起こるようなことはなかった。
「じゃあ俺たちは離れたところにいるから、ここにいろよ」
「えっ!?」
「俺たちが近くにいたら警戒するかもしれねぇだろ。いざとなったら助けに向かうから心配すんな」
ヨエルは涼しげな顔でとんでもないことを言った。
救いを求めるようにヴォルフを振り返ったが、ヴォルフもヨエルの言葉に同意するように頷くばかりだった。
「……不安でしょうが、耐えてください。これを乗り切れば今まで通りの生活が戻ってくるはずですから」
「うん……」
その俺に目を付けたらしい悪霊をなんとかしないと、ずっと怯えたまま暮らすことになる。そんなのは嫌だ。
……怖いけど、仕方ない。今夜一晩くらいは我慢しよう。
玄関の真正面に位置する階段に腰を下ろし、ふぅと息を吐く。
傍らでは小さなろうそくの頼りない火がゆらゆらと揺れている。
その悪霊とやらはどこから来るんだろうか、玄関か、もしくはもう屋敷の中にいるんだろうか……。
無意味に何度も背後を振り返ってしまう。そこには光の届かない闇が広がるばかりで、余計に怖くなるだけだった。
ヴォルフたちはどこにいるんだろう。大丈夫、きっとこの屋敷の中にいるはずだ。
何かが現れたら、すぐに大声を出せばいい。きっと来てくれるはずだから。
ぎゅっと膝を抱えて恐怖を押し殺す。
……どれだけ時間がたったのだろう。
まだ数分しかたっていない気もするし、もう何時間もこうしているような気もする。
だんだんぼぅっとしてきたところで、ふと風が吹いた。
その途端、揺らいでいたろうそくの炎が掻き消えてしまう。
「っ……!」
その途端意識がはっきりして恐怖心が蘇ってくる。
とりあえずもう一度火を灯そうと顔を上げて、俺は戦慄した。
エントランスの片隅、わずかな月明かりも届かない漆黒の闇に包まれたその場所から、何かが這い出ようとしていたのだ。




