28 影の亡霊
「はぁ、だからたまにはこう息抜きしないとやってらんないのよ!」
「はは、大変なんだな」
うららかな昼下がり、以前メイド仲間のレアと出会ったあたりをうろうろしていたら、またひょっこり彼女が姿を現した。
どうやら休憩中の息抜きにぶらぶらしていたらしい。
……よかった。この前のお礼に持ってきた菓子も渡せそうだ。
レアと二人で芝生に腰を下ろし、適当に持っていた菓子をつまむ。
次から次へとくりだされるレアの愚痴を聞きながら苦笑していると、彼女は大きくため息をついてじっと俺を見つめた。
「あんたはいいわね、気楽そうで」
「そうでもないんだけどなぁ……」
これでもたくさん悩みはあるんだ。
……まぁ、話せないことも多いんだけど。
「それでどうなの? ヴォルフリート様は」
「どうって……別にどうもないけど」
「なーんだつまんない。胸キュンなロマンスとかないの?」
「ないです」
ほんとはきゅんきゅんしたりドキドキしたりすることもある……というかありすぎるけど、ここで話すわけにはいかないよな。
それでも自然と照れてしまう。そんな俺を、レアは疑うような目でじっと見ていた。
「……まぁいいわ。今日の追及はこのくらいにしてあげる」
「追及って……」
「それと……いいこと教えてあげるわ」
「いいこと?」
聞き返すと、レアはにやりと笑った。
◇◇◇
西日さす部屋の中に、カリカリと羽ペンを動かす音が響く。
何やら忙しそうに書きつけているヴォルフを、俺は邪魔しないようにちらちら横目で眺めていた。
……そろそろ、切り出すべきだ。夜になってから急用とか言われたら困るし。
「ヴォルフ、あのさ……」
小さく呼びかけると、ヴォルフは手を止めて顔を上げた。
続きを促すその視線になんとか口を開くが、なかなか言葉は出てこなかった。
「なにか、あったんですか?」
「ううん、その……」
心配そうな声色に申し訳なくなる。
くだらないことだって、馬鹿にされるかもしれない。
それでも、もう我慢できなかった。
「あの、今日の夜……なんだけど」
勇気を振り絞り、何とか残りの言葉を口に出す。
「い、一緒に寝てもいい!?」
ヴォルフは何も言わなかった。
思わず視線を床に落とすとすぐに椅子を引く音と立ち上がる気配がする。
そして、一瞬でこちらへ近寄ったかと思うといきなり手を握られた。
「まさか……あなたからそう言ってもらえるとは思いませんでした……!」
え、と思って顔を上げると、やけに嬉しそうな表情のヴォルフがいた。
そのまま腰を抱き寄せられたあたりで、俺はやっと言い方がまずかったと言うことに思い当たる。
「なんなら夜まで待たずに今すぐにでも」
「ば、ばか! そういう意味じゃない!!」
なんとか絡みつく腕を引きはがし距離を取ると、ヴォルフは不満げな顔で俺の方を睨んだ。
「なんなんですか、じらしてるんですか」
「お前はそういう考えから離れろよ!!」
まぁでも、さっきのは俺も誤解を与える言い方だったのかもしれない。
ここは、ちゃんと事情を説明するべきだろう。
「……それで、おばけが怖いから一緒に寝て欲しいと」
事情を説明すると、ヴォルフは心底呆れたような顔をしていた。
ちょっと恥ずかしいけど仕方ない。
だって、怖いものは怖いんだから!
「だだだだって……ほんとに来たら怖いじゃん!!」
昼間、レアは「いいこと教えてあげる」などと言って、俺にある話をした。
今この街で噂になっている、『影の亡霊』の話を。
かつて、理不尽に悲惨な殺され方をした男がいた。彼は深い恨みを抱いたまま死に、やがて人々を襲う悪霊へとなり果ててしまった。それが「影の亡霊」だ。
更に、大事なのはここからだ。
「影の亡霊」は今も夜な夜な次の犠牲者を探して夜の闇を彷徨っている。
そして、この話を知った者を次の犠牲者としてを襲いに来るという……!
「夜の闇より深い闇があって、そこから影の亡霊が出てくるんだって……」
「……それでこの話を聞いたものを殺しに来るって? よくある与太話じゃないですか、馬鹿馬鹿しい」
「で、でも本当に来たら……」
「言っておくと、シュヴァンハイムの街でそんな不審死があったという報告はあがってません」
「証拠を残さないように自然に殺すのかも……!」
「…………はぁ」
ヴォルフはまた大きくため息をつくと、俺の肩を掴んで言い聞かせように口を開く。
「だいたい、その話をあなたにしたメイドも生きてるじゃないですか」
「運がよかったのかも……」
「はぁ、付き合ってられない」
呆れたように部屋を出ていこうとするヴォルフに必死でしがみつく。
「お願いお願い! こんなこと頼めるのお前くらいなんだからぁ!!」
こうなったら泣き落としだ! 恥ずかしいけど俺の命には代えられない!!
ヴォルフは呆れたような顔を隠そうともしていなかったが、最後には一緒に寝るのを了承してくれた。
「まったく、あなた今いくつですか」
「お、お前だって前は幽霊怖がってたじゃん!」」
「何年前の話ですか」
確かに昔のヴォルフは俺と同じように幽霊にビビっていたはずなのに、いつから克服したんだろう。
なんだか置いていかれたような気分になって、思わずぎゅっとしがみつく。
「そんなに怖いんですか。どう考えてもただの作り話じゃないですか」
「……本当かもしれないじゃん。お前は、俺が影の亡霊に殺されてもいいのかよ……!!」
幽霊が怖い、それも確かに事実だ。
でも……俺が死んでしまうかもしれないのに、ヴォルフがどうでもよさそうな反応をしたのもショックだったのかもしれない。
震える手でしがみつくと、すぐに抱きしめられる。
そして、静かな声が聞こえる。
「……いいわけないじゃないですか。生者でも死者でも、誰であってもあなたを渡すつもりはない」
痛いくらいにきつく抱きしめられる。
その束縛に、どこか安心した。
「……そんなに怖いなら、風呂も一緒に入りますか」
「…………うん」
恥ずかしいけど、背に腹は代えられない。
小声で答えると、ヴォルフはしてやったりという顔で笑った。
◇◇◇
「なぁ、まだ寝てないよな? 先に寝るなよ……!?」
「……うるさいんですけど」
皆が寝静まる真夜中。俺はひたすらベッドの中で震えていた。
風呂の中で色々あってぽわぽわしていた気分もいつの間にか恐怖に塗りつぶされてしまっていた。
……だって、いつ影の亡霊が現れるのかわからないのだ。
怖くて寝るどころじゃない。
次の瞬間にでも夜の闇の中から影の亡霊が現れるんじゃないかと、無意味にあちこちを確認してしまう。
先に寝ようとするヴォルフを揺すって起こすこと数回。
さすがのヴォルフもイラついてきたようだ。
「さっさと寝てくださいよ」
「だって……怖くて寝れない」
「まったく、はぁ……」
ため息をついたヴォルフが俺の方へと視線を向けた。
「影の亡霊なんてただの迷信ですよ。このまま寝てしまえば何事もなく朝は来ます」
「そんなのわかんないじゃん……」
俺が寝た瞬間を見計らってサクッと殺しに来るかもしれない。そう思うと、どうにも寝れなかった。
「そうですか、じゃあ……」
背中に腕を回され抱き寄せられる。
そして、ヴォルフは笑った。
「眠くなるようなこと、しましょうか」
◇◇◇
何か異変を感じたような気がして、ヴォルフはそっと目を覚ます。
傍らではクリスがすぅすぅと穏やかな寝息を立てて眠っている。
少し気になって耳を澄ませてみたが、特におかしな物音はない。
……だが、どこかちりちりと空気が張りつめているような気がする。
もう一度クリスを確認する。散々怖がって騒いでいた割には深く寝入っているようだ。
……これなら、しばらく目を覚ますことはないだろう。
ヴォルフはもちろん「影の亡霊」とやらの話を信じていない。ただ話を聞いただけの相手を殺すなど、どんな魔術や呪術でも難しいだろう。
それに、クリスにも話した通り犠牲者が出たという報告は上がっていないうえに、クリスにその話をした張本人も生きている。信じる方がどうかしている。
影の亡霊とやらは心配いらないだろうが、他にも憂慮すべき事柄がないわけではない。
名門貴族は恨みを買うことも多い。ヴァイセンベルク家だけではないだろうが、とても表沙汰にはできないような案件も昔から抱えている。
裏切り、妨害、暗殺……そんなものも貴族社会では日常茶飯事だ。
ヴォルフも幼いころからそういったものに対抗できるように鍛えられてきた。以前預けられていた叔父の城では、何人もの侵入者を返り討ちにしてきた。
だからこそ、小さな違和感が気になって仕方がない。
この城ほど手厚く守られている場所はないだろうが、万が一ということもあり得る。
クリスを起こさないようにそっと起き上がり、ヴォルフはそっと窓の施錠を確認した。
ここにいる限り、クリスは安全だと思っていいだろう。
クリスに無駄な不安は与えたくない。
何もなければそれでいい。少し見回って、すぐに戻ってこよう。
そう決意して、ヴォルフはそっと部屋を後にした。
できるだけ音を立てないように扉を閉め、厳重に施錠する。
ここには何者も侵入できない。これで、クリスは安全だ。
真っ黒な廊下に人の気配はない。目を凝らしたが、動く者は確認できなかった。
吸血鬼は夜目が効く。特に明かりなどは持ってきていないが支障はない。
ヴォルフたちの暮らす別館は三階建ての構造になっている。ヴォルフやクリスの私室が位置するのは二階だ。
近くにある階段を上り三階へと足を進める。
気配を探りつつ歩いてみるが、やはり異常はなかった。そのまま三階、二階、と見回り一回へと降りる。
やはり、動く者の気配はない。料理人のエーリクの部屋の前を通った時にやかましいいびきが聞こえたくらいだ。
念のためエントランスの外に通じる扉も確認してみたが、問題なく施錠されており、誰かが侵入した形跡もない。
そっと扉を開き外を確認するが、ざわざわと遠くの森の木々が風に揺れる音以外は聞こえてこなかった。
更には外に出て小さな池の周りをぐるりと回ってみたが、池のほとりで寝ているアヒルの姿が微笑ましいだけだった。
……どうやら、自分の過剰反応だったようだ。
クリスの心配性が移ったのかもしれない。
小さな違和感など気にせず寝ていればよかったのだ。少し投げやりな気分になりつつ、ヴォルフは自室へと戻ることにした。
部屋の扉にカギを差し込み、そこで凍り付く。
確かに施錠したはずのカギが、開いていた。
「っ……!」
即座に扉を開き中を確認し、心臓が止まるかと思った。
部屋の中に、クリスの姿はなかったのだ。
夏らしくホラー展開です!




