26 お嬢様のティータイム
爽やかな風が吹き抜ける午後、俺はステラお嬢様のティータイムへと呼ばれていた。
ヴァイセンベルク邸の広い広い庭園の一角、薔薇の迷路を通り抜けた先に小さな温室があり、そこがお嬢様お気に入りのお茶会の会場だ。
ここにいるのは俺とお嬢様、それにお嬢様付きの使用人だけなのでそこまで気を使う必要もない。
温室の中には様々な花が咲き誇り、あまり詳しくない俺にも丁寧に手入れされているのが見て取れた。
聞けば、お嬢様の母親であるユリエさんが庭師と共に自ら手入れをしているそうだ。
手に取ったティーカップは白地に金色を基調とした細かな装飾が施されており、これ一つでとんでもなく高価なんだろうな、とどこか緊張してしまう。
この城で生活を始めてそれなりに時間が過ぎた。それでも、庶民として田舎で育った俺はこうやって上流階級の暮らしに触れるたびに、いまだにドキドキしてしまうのだ。
口にした紅茶は口当たりの良い甘みがあって、じんわりと舌に染み込んでいくように味わい深いだった。
……なんていうか、俺が普通に淹れる紅茶とはまさに格が違うって感じだ。
そのことをお嬢様に告げると、彼女はにっこり笑って控えていたお嬢様付きのメイドへと声をかけた。
「聞いた? サーラ。やっぱりあなたの腕は一流ね!」
俺より少し年上であろう品の良いメイドは、優雅にお辞儀をした。その表情はどこか誇らしげに見える。
ぐぬぬ……俺みたいななんちゃってメイドとは違う、本物のメイドって感じだ。
俺も負けてられないな!
「そうだ! 見てみてクリス。素敵でしょ!!」
お嬢様が何かを取り出し俺の方に見せてくれた。
小さなてのひらの上に乗せられていたのは、不思議な色の宝石があしらわれた精巧なブローチだった。
端の方は夕焼けのような茜色、しかしやがて茜色に新緑のような翡翠色が混じり、湖のような青に変わり、反対側の端は夜空のような濃紺色だ。
こんな宝石を見るのは初めてだ。興味深げにしげしげと眺めていると、お嬢様は得意気に笑った。
「西方大陸からの輸入品でね、今すっごく流行ってるのよ!!」
「わぁ……綺麗ですね!」
宝石は温室に降り注ぐ日の光浴びてきらきらと輝いている。
様々な色を内包するその宝石は、見る角度によっても色が変わるようだった。
これなら見ていて飽きないかもしれない。
その後もお嬢様の話を聞きながらアップルパイをつまむ。
ヴィーダスの町の不死者退治の話をしようかと思ったがやめておいた。
少なくとも、まだ幼い女の子相手にお茶会でする話じゃないしな……。
やがてお嬢様の算術の勉強の時間がやってきたので、お嬢様は使用人に連れられて手を振りながら戻っていった。
俺も別館へ帰ろうとして……見事に迷った。
気が付いたら見たことのない場所にいた。ちょっと待て、ここはどこだ……!
整備された庭園が途切れ、開けた場所だ。少し向こうにはまばらに木が生えており、見たことのない建物があった。
やばい、全然わからない。まさか敷地内で遭難するとは思わなかったぞ……!
慌てる俺のもとに、何やら騒がしい声が聞こえてくる。
「って……あぁっ!!」
なんだなんだと視線を向けると、びゅう、と強い風と共に白い布が空を舞っているのが見えた。
やがてその布を追いかけるようにして、俺と同じくメイド服を身に着けた黒髪の少女が現れる。
「そこのあなた! 捕まえて!!」
少女は必至な顔でそう叫んだ。
布はちょうど風に乗って俺の方へと流れてくる。
「よっと」
軽くジャンプして手を伸ばす。なんなく布を掴むことができた。
少女は俺の前まで走ってくると、はぁはぁと荒く息をついている。
「よかった……ありがとう。落としたらまた洗濯のやり直しだったわ」
少女が安心したように微笑む。どうやらかなり厳しいルールがあるようだ。
俺も洗濯物を落とすことはよくあるけど、よっぽど汚れてなければ洗濯のやり直しなんてしないからな。
なるほど、俺はまだメイドとしての認識が甘かったのかもしれない。
「それはよかったよ」
手に取った布も手触りだけで上等なものだとわかる。
慎重に手渡すと、彼女はほっとしたような顔をした。
「どうもありがとう。あなた……見ない顔ね。最近入ったの?」
少女は不思議そうに首をかしげている。
まあ最近と言えば最近か。俺はまだまだ新米メイドなのかもしれない。
ここは後輩として自己紹介しとくべきだろうな。
「クリスって言うんだ。ちょっと前から森の近くの別館で働いてる」
そう言うと、彼女は驚いたように目を見開いた。
そして……布がひらりと彼女の手から舞い落ちる。
「おっと……!」
慌てて地面に落ちる前に拾い上げると、彼女ははっとしたように慌てて布を受け取った。
「ひゃっ……! ごめんなさい、助かったわ」
「危なかったよ」
「ふぅ……そう、クリスね。私はレア。城の洗濯仕事を受け持つメイドの一人よ」
そう言って少女──レアはにっこりと笑った。
だが、すぐにまじめな顔つきを取り戻す。
「それで……聞きたいんだけど」
ただならない雰囲気に、俺もごくりとつばを飲み込む。
「別館って……ヴォルフリート様のいらっしゃる?」
「う、うん……」
「やっぱり! 噂はほんとだったのね!!」
レアは興奮したように目を輝かせている。戸惑う俺に、彼女はとんでもないことを告げた。
「ヴォルフリート様が他国から連れてきた愛人を使用人として働かせてるって!」
「……ぇぇぇえええ!!?」
なんてことを言い出すんだ! まったくの誤解……でもないかもしれないけど、まさかそんな風に思われてるなんて!
「ちちちち違うって!」
「え、違うの?」
「た、確かに最近ミルターナから来たばっかだけど、愛人とかじゃ、ないし……」
否定する声はだんだんと小さくなっていった。うぅ、恥ずかしい……。
レアは怪しむように俺を見ている。やばい、怪しまれてるー!!
「ほんとに?」
「そ、そうだよ……ヴォルフ、リート様には……よくしては、もらってるけど……」
「ほんとのほんとに?」
「う……うん」
ヴォルフは恋人であることを隠すことはないと言っていたけど、やっぱり会ったばかりの相手に堂々と公言するのは憚られる。
もじもじと下を向いた俺に、レアはふぅ、とため息をついた。
「なーんだ。ちょっと素敵だと思ったのに」
「素敵?」
「だってそうじゃない。ご主人様とメイド、禁断の愛! 引き裂かれるほどに燃え上がる二人!……ってね」
レアはきらきらした目でそんな恥ずかしいことを口にしたのだ。
「私はヴォルフリート様を見たことないけど……きっとジークベルト様やマティアス様みたいに素敵な方なんでしょ? あーん、羨ましい……」
「だったら今度連れてこよっか?」
「そ、そんなの恐れ多いわ!!」
レアはばたばたと手を振って慌てている。
その様子がなんだかおかしくて、俺は笑ってしまった。
そうしてるうちに、向こうの建物の方からレアを呼ぶ声が聞こえてきた。
「やばっ、またさぼってるって怒られちゃう」
「大変なんだな」
「まぁね。……ありがと、クリス。助かったわ。私はしがない下っ端使用人だけど、わからないことがあったら何でも聞いて。いつもはあそこで働いてるから」
レアはそう言って木々の向こうの建物を指差した。
おっと、それなら遠慮なく聞いておこう!
「じゃあ別館の方向教えて!」
「……迷ったのね。庭園を外周沿いにあっちに進むとたどり着くはずよ」
レアは呆れたようにそう言うと、大きく手を振って走っていった。
彼女の姿が見えなくなるまで見送って、俺も踵を返す。
レアに聞いた通りに進むと、問題なく見覚えのある場所にたどり着いた。
よし、これで一安心だ。
◇◇◇
「どうでした? ステラのお茶会は」
「素晴らしいおもてなしでした……なんかメイドとしての格の違いを思い知ったって感じ」
「まぁ、ステラについてるのは使用人の中でも選りすぐりの者ですからね」
夕食も終わって、ヴォルフは仕事、俺は裁縫の練習をしていた。
だが、たまに休憩をはさみたいのはどちらも同じだったんだろう。
こうして、時折他愛ない会話を繰り返している。
そんな時、ふと昼間のレアとの会話を思い出した。
禁断の愛……引き裂かれる二人……。
その時はレアの妄言だと思って特に気にしなかった。でも、よく考えればその通りだ。
貴族と使用人が恋仲になるのがよろしくないことだというのは、俺にもわかっている。
たとえメイドじゃなかったとしても、俺は田舎育ちの平民。とてもヴァイセンベルク家の人間に釣り合うような相手じゃない。
いつ引き離されたっておかしくないのに、ジークベルトさんやマティアスさんは俺をここに置いてくれている。
……でも、他の人はどうなんだろう。
詳しく聞いたことはないけど、ヴォルフたちの父親──ヴァイセンベルク公は宮廷で重要な役目があり、領地のことは息子と家臣に任せ一年のほとんどを王都で過ごしているということだった。
そして、奥方も彼に同行しているとも。
彼らの耳にも、俺とヴォルフのことは届いているのだろうか。
そう考えると、急に不安になった。
「あの、さ……」
小さく声を掛けると、書類に目を通していたヴォルフが顔を上げる。
「お前の、父さんって……」
そう呟いた途端、思わず体が強張る。
ヴォルフは、めったに見せないような冷たい視線を俺に向けていた。
指先まで凍り付いてしまったかのように、体が動かない。
「……クリスさん」
静かな声が聞こえる。
「あなたが、そんなことを気にする必要はない」
ヴォルフは笑みを浮かべていた。
どこか、うすら寒さを感じさせる笑みを。
そこで、俺はやっと触れてはいけないことに触れてしまったことを悟った。
なんとか体を動かし、小さく頷く。
その途端、ふっと体が軽くなった。
ヴォルフはすぐに普段通りにどうでもいいことを話し始めた。俺も何とか相槌を打つ。
……ヴォルフは自分の生まれを、妾の子だということを気にしている。きっと、俺には想像もつかないような嫌なことだってあったんだろう。
だから、きっと親の話には触れられたくないんだ……。
その気持ちはわかるけど、少し寂しかった。
ヴォルフの抱えているものを、少しは俺にも分けて欲しい。俺ばっかりが頼るんじゃなくて、ヴォルフに頼られるような存在になりたい。
きっと、今の俺では力不足なんだろう。
「……よし! すぐに裁縫の名人になってやるから待ってろよ!!」
「え? まぁよくわかりませんが頑張ってください」
いつまでもうじうじしてはいられない。
まずはできることから始めていこうと、俺は刺繍を再開した。




