25 ご主人様といっしょ!
あとがきに挿絵っぽいのがあります。
苦手な方はご注意ください!
たっぷりと熱いお湯につかって、ふかふかのベッドでゆっくり寝て、翌朝すっきりと目が覚めた。
爽やかな朝の空気の中もはや着慣れたメイド服に袖を通し、自室を後にする。
向かうのは、ご主人様の元だ。
こんこん、と軽く扉をノックすると、すぐに入室を促す返事が返ってくる。
はやる気持ちを押さえそっと扉を開け、部屋の中へと足を踏み入れる。
ゆったりとソファに腰かけるご主人様の姿が目に入り、自然と頬が緩んでいた。
「おはよう、ヴォルフ!」
久々の城での朝食をかみしめる。
お気に入りのブルーベリーのジャムをつけたパンを齧ると、やっと帰ってきたという気分になる。
「今日は休んでてもよかったのに」
「そうもいかないだろ! 不在にしてた分も取り戻さないとな!!」
勢いよくそう言うと、正面に座るヴォルフは苦笑した。
「ヴィーダスの町ですが、近々調査隊の派遣を行うそうです。僕も行かないかと兄さんに勧められました」
「えっ、また行くの!?」
「まさか。今度は古代遺跡での不死者退治なんてこりごりですよ」
確かに、あれだけの数の不死者と戦った後なんだ。しばらくはいいかなって気分にもなるだろう。
ヴォルフにばれないように、そっと自分の肌の匂いを嗅いでみる。昨日念入りに洗ったけど、やっぱりまだあの不死者独特の腐臭が染みついてるような気がしてならない。
「どうかしましたか?」
「えっ!? いやなんでもない!」
俺も肌から香るのはあの以前買った花の石鹸の匂いだった。
うん、たぶん大丈夫……のはず、だ!
朝食を終え、食器を片付ける。
ヴォルフはまた仕事の話があるとかで、ジークベルトさんたちのところへ向かうようだ。
「クリスさん、少しいいですか?」
食器を厨房へ運ぼうとしていた俺は、唐突にヴォルフに呼び止められた。
「どうかした?」
そう問いかけると、ヴォルフがゆっくりと近づいてくる。
「昼食が終わって時間があったら……またこの部屋に来てもらってもいいですか?」
「いいけど……っ!?」
言葉の途中で、チョーカーの上からつぅっと首筋を指先でなぞられる。
吸血痕が残るはずの、その場所を。
その意図を理解して、途端に顔が熱くなるのを感じた。
「……忘れないでくださいね」
それだけ言うと、ヴォルフは部屋を出て行った。
残された俺は、しばらくその場で固まっていた。
「はぁ…………」
そういえば出発前に軽い吸血をしたきりだったっけ。
帰ってきたらまた吸うみたいなこと言ってたな、と今更ながらに思い出す。
「…………ふふ」
その時のことを考えると、何故だか頬が緩んでしまう。
◇◇◇
「はっ……ふぅ、ぁ……」
深く牙を差し込まれると、たまらず声が漏れてしまう。
どろどろに溶かされ、供物として主に捧げられ血を吸われていく。
痛みか、それとも他の何かか、自然と視界に涙がにじむ。
思わず縋るように伸ばした手は、すぐに捕まえられ指と指を絡めるように握られる。
思考が解けてしまったかのようにぼんやりとする。まるですべてを奪いつくそうとするかのような吸血に、一瞬このまま死ぬんじゃないかという思いがよぎる。
でも、不思議と怖くはなかった。
俺の血が、俺の一部がヴォルフの中に取り込まれていく。
それはとても、幸せなことなんだって。
そんなふわふわした思考の中で、愛しい捕食者を抱きしめた。
「……もういいの?」
永遠に続くかと思われた吸血は、唐突に終わりを迎えた。
重い体を起こし立ち上がろうとするとふらつきバランスを崩してしまったが、すぐに支えられ事なきを得た。
そのまま、身を預けるようにしてベッドに腰かける。
「吸いすぎて辛いのはあなたの方ですよ」
「でも……」
服越しにそっとまだ傷跡が残るはずの肩に触れる。
こいつだって怪我で随分と自分の血を失ったはずだ。その分補給みたいなのは……大丈夫なんだろうか。
「しばらく無理しなければ問題なくよくなります」
「うん……」
ヴォルフは努めて何でもないようにそう言ったが、俺の心は晴れなかった。
これは俺を庇って負った傷だ。だったら、ヴォルフの為に血でも何でも捧げたいのに。
「……ごめん」
もう一度謝ると、ヴォルフは不思議そうな顔をした。
「どうかしたんですか。また食器でも割ったんですか」
「き、今日は割ってない! そうじゃなくて、その……俺のせいで、怪我、させちゃったから……」
口にした言葉はどんどん小さくなっていく。
自分が情けなくて涙が出そうだ。ぎゅっとエプロンを握り締めると、その手にそっと手を重ねられた。
「何度も言ったじゃないですか。全然大したことないし、あなたが無事でなによりだって」
優しく肩を抱き寄せられ、遂にぽろりと涙が零れた。
「結局……足手まといに、なっちゃったし……」
あらためてそう口にすると、また気分が落ち込む。
すぐ傍で大きなため息が聞こえ、思わず体が強張る。
今度こそ見放されるんじゃないかって……そんな恐怖で体が震える。
「……そんなこと考えてたんですか」
聞こえてきた声は、思ったよりも何倍も優しかった。
思わず視線を向けると、そっと涙を拭うように目元を撫でられる。
「クリスさんって変なところで悲観的ですよね」
「変なってなんだよ……」
「確かにこの傷はあなたを庇ってできたものです。でも、この程度で済んだのもあなたがいたからです」
一言一言言い聞かせるように、ヴォルフはゆっくりとそう告げた。
「あなたがいなければあれだけの被害でリッチを葬ることはできなかった。僕たちの誰かが帰らぬ人になっていたかもしれないし、一旦撤退している間に町が襲われ多くの人が犠牲になったかもしれない」
ヴォルフは淡々とそう口にする。
「あなたのおかげで、皆無事に不死者の脅威から解放されたんです。……あなたがいてくれてよかった」
こらえきれずに目の前の相手にしがみつく。すぐに、しっかりと抱き返された。
「俺……役に立ってた?」
「当り前じゃないですか」
「……えへへ」
ぎゅっと肩口に顔を押し付ける。自分でも単純だと思うけど、さっきまでの鬱々としたな気分は晴れ、ぽかぽかとした暖かな感覚に支配される。
「……最初は、あなたを同行させることを迷ってたんです。でも、あなたがついてきてくれてよかった」
「そんなに褒めると調子に乗るぞ」
「今日一日くらいはいいですよ」
ご主人様からのお許しも出た。今日一日は盛大に調子に乗ってやろう!
「もっと褒めてもいいぞ」
「……はぁ。すぐにそうやって……まあいいですよ」
ヴォルフは呆れたようにため息をついた後、ぐっと強く俺の体を抱き寄せた。
そしてたった一言、耳元で囁かれる。
「あなたが、僕の専属メイドでよかった」
誰かに、大切な人に、求められ必要とされること。
今の俺が一番欲しいものを、こいつはちゃんと理解してくれてるんだ。
「俺……もっと頑張るよ。お前の『専属メイド』として、恥ずかしくないように」
食器を割ったり、汲んだ水をぶちまけたり、日々失敗することはある。ありすぎるほどにある。
今の俺はお世辞にも一流メイドだなんて言えないだろう。それでも、ヴォルフは俺を傍に置いてくれている。
だから、それに恥じないように頑張らないといけない。
今回のリッチ退治のように、きっと俺にしかできないこともあるはずだ。
ただのメイドじゃなく、目の前のご主人様の「専属メイド」として、もっともっと頑張らないとな!
決意を新たにして、ぎゅっと抱き着く腕に力を込めた。




