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逃げ出した聖女、北の地で吸血鬼のメイドになる  作者: 柚子れもん
第1章 聖女と吸血鬼、もしくはメイドとご主人様
24/110

24 小さな疑念

 何度も礼を言う町長の元を辞し、俺たちは懐かしのシュヴァンハイムへの帰路へ着いた。

 道中ラルスは何か聞きたくてうずうずしたような顔をしていたが、そのたびにエルンストに小突かれていた。

 ……なんか、そうやって気を使われると逆に気まずいんだよな。


 なんてことを考えているうちに、進行方向に大きな街が見えてくる。

 俺たちの暮らすヴァイセンベルク家の城館がある街、シュヴァンハイムだ。

 その姿を見ると、たった数日しか離れてなかったはずなのにどうにも懐かしさが込み上げてくる。





「おかえり、大変だったみたいだね」


 四人で執務室へ向かうと、そこではジークベルトさんが待ち構えていた。

 リッチを倒したその日にヴォルフが簡単な便りを送ったということだったし、ある程度のことはもう知っているのだろう。

 それでも普段と変わらない爽やかな笑顔に、ヴォルフが大きくため息をつく。


「大変どころじゃないですよ。危うく僕たちも住人も全滅するところでした」

「でもそうならなかったじゃないか。お前に任せてよかったよ」


 ヴォルフが再び呆れたようにため息をつく。

 後の詳細な報告はヴォルフ一人で行うとのことだったので、俺たちは下がらせてもらうことになった。

 馬車での長旅で体が痛い。今はとにかくゆっくり風呂に入ってふかふかのベッドで寝たい気分だ。


「それではクリス殿、我々はここで失礼させていただきます。短い間でしたが、あなたにご同行できたことを光栄に思います」


 執務室を出たところで、エルンストがそう言って、うやうやしく頭を下げてきた。


「あっはい!」


 俺も慌てて背筋を伸ばし彼らに向き直る。

 なんとかリッチを倒せたのも、彼らが俺のことを守ってくれていたからだ。俺とヴォルフだけだったら危なかったかもしれない。

 今回の件は、彼らの活躍あっての成功だろう。

 あらためて二人に礼を言うと、意味深な笑みを浮かべたラルスが近づいてきた。


「いやー、それにしても神聖術に精通したメイドさんとは! ヴォルフリート様がご寵愛されるのもわかるというか……いてっ!」

「おおお前はまたそうやって無礼なことを……! クリス殿、誠に申し訳ありませんでした!!」


 エルンストは顔を赤らめてラルスにラリアットをきめ、そのまますごい勢いで彼を引きずっていった。

 ……二人の姿が見えなくなったところでそっと頬に触れる。思った通りに熱を持っていた。


「…………はぁ」


 ヴォルフはああ言ったけど、やっぱり使用人と恋仲なんて噂が流れればヴォルフにとってはよくはないだろう。

 ラルスは言いふらしたりするだろうか、エルンストが止めてくれるといいんだけどな……。



 ◇◇◇



「いてててて……お前強くやりすぎだっつーの」


 城の渡り廊下を歩きながら、痛む喉元を押さえて、ラルスは前を歩くの同僚を軽くにらむ。だが、彼は素知らぬ顔で振り返った。


「お前が余計なことを言うからだ。まったく……」

「別に事実だろ。お前も見ただろ、クリス嬢がヴォルフリート様の上に乗っかって……」

「うわああぁぁぁぁ! そういうことを言うのはやめろ!!」


 手加減なしで飛んできた拳に、ラルスはまたしてもダメージを受けた。

 エルンストのお堅い性格は知っていたが、さすがに慌てすぎではないのか。そんな非難を込めて睨み返す。


「まだ直接的なことは何も言ってないだろ。そうやって想像するお前の方がむっつり──」

「いい加減にしろ!!」


 またしても飛んできた拳はなんとか避けることができた。さすがにエルンストも平静を取り戻したのか、こほんと誤魔化すように咳払いをしている。


「まったく……言葉に気をつけろ。いつだれが聞いているのかわからないんだ。ヴォルフリート様によからぬ噂が立つようなことになれば……」

「いや……もう感づいてるやつは結構いるぜ。俺も前に洗濯女中の子に聞いたし」


 そう言うと、エルンストは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

 その反応に苦笑いしつつ、ラルスは話を続ける。


「他国を遊学中のヴォルフリート様はそこで平民の娘を見初め、うまいこと言いくるめてヴァイセンベルクへと連れ帰ってきた。だがその身分差ゆえに交際を許されず、ヴォルフリート様も彼女に飽きてはいたが、行き場のなくなった彼女をせめてもの情けでメイドとして働かせている……ってな」

「……不敬だ」

「まったくだぜ」


 エルンストは額を押さえ大きくため息をついた。

 好奇心と断片的な情報から膨らんだ噂話だろうが、仮にも使用人として主を貶めるような話を広めるのはいかがなものか。

 エルンストがその場に居合わせたなら、そんな根も葉もない噂を流すのはやめろと注意したものを。


「まぁ、でも完全に的外れってわけでもないだろ?」

「はぁ?」

「平民の娘を見初めてメイドとして働かせてる……あたりは当たってるんじゃねぇの?」

「それ……俺以外の前では言うなよ?」


 たるんでいるのは下級使用人だけではなく、目の前の同僚もなのかもしれない。

 エルンストは痛む頭を押さえた。

 そんな彼を見つつ、ラルスはぽつりと呟いた。


「平民の娘……かどうかは知らないけどな」

「……? クリス殿が言っていただろう。ミルターナの故郷が危なくなったのでこちらへ避難してきたと」

「お前、あれ全部信じたのか」


 ラルスがすっと目を細める。エルンストは思わず言葉に詰まってしまった。

 確かに、最初に彼女の生い立ち話を聞いた時にはその話を信じた。だが……今は、少し疑念を抱いているのも間違いではない。


「ちょっと神聖魔法をかじった村娘? あれが?」


 ラルスの言葉に、ごくりと唾を飲み込む。

 確かに、リッチを葬った時のクリスの活躍をエルンストも間近で目にしている。

 あれは、どうみても……


「高位の聖職者だってあんなことできねぇだろ。あれ見て普通の村娘だなんて言ってるようじゃお前の目もとんだ節穴だな」

「訳あって身分を隠している修道女、もしくは高位聖職者の娘……あたりか?」

「それにしては随分大胆な気はするんだけどなぁ。主人の上に乗って服脱がすとか」

「っ……!」


 思わず睨みつけたが、ラルスはどこか冷めた目を向けてきた。


「……何が言いたい」


 負けじと睨み返し、エルンストは静かに声を発した。

 いつの間にか、城の片隅、めったに誰も来ないような一角にたどり着いていた。

 気配を探ったが、ここにいるのはエルンストとラルスの二人だけのようだ。

 今ならどんな話をしても、誰かに聞かれる可能性は薄いだろう。


「……彼女にどんな目的があるのかはわからないが、あまり油断はするなよ」


 ラルスは珍しく真剣な顔で、そんなことを口にした。


「ヴォルフリート様はもう彼女に魅了されてる。いざとなったら俺たちだって消しに来るだろ」

「……何をそんなに心配しているんだ」


 ラルスは能天気なように見えて、その実エルンストよりもよほど心配症なのかもしれない。

 ラルスはまっすぐにエルンストを見つめると、ゆっくりと口を開いた。


「邪神戦争が終結し、ヴォルフリート様が戻ってきた。そして、その後にクリス嬢が現れた。……何かが、変わったような気がするんだ。俺は、二人の存在が……氷姫の再来になるんじゃないかと思っている」


 ──氷姫

 その名前は、エルンストも知っていた。


「『災いを呼ぶ氷姫』……か?」

「古代のリッチが目覚めたのも、無関係ではないとしたら……」

「……アホか」


 馬鹿らしくなって軽く頭をはたくと、ラルスは恨めしそうな視線をエルンストに向けてきた。

 エルンストは大きくため息をつき、彼に向き直る。


「お前、そんな迷信を信じるタイプだったのか」

「だから迷信じゃないって! 実際氷姫が現れてから次々に不吉なことが起こってやばかったんだって!!」


 「災いを呼ぶ氷姫」……それは、ヴァイセンベルク家に仕える者の中でまことしやかにささやかれている噂のようなものだった。

 エルンストの父がヴァイセンベルク家に仕え始め、エルンストがこの城で騎士を目指し始めたのは十年ほど前のことだ。

 それより前のことは、正直言ってよくわからなかった。

 だが、どうやら短い期間に連続してよくないことが起こり、それが「氷姫」とやらのせいだと考えられているということは知っていた。

 今では過去のことを知る多くの者が「氷姫」の存在をタブー視し、口に出すことすら憚っているようだった。

 実際に、エルンストも彼女の息子であるヴォルフがこの城に現れるまでは、半ば伝承のような存在だと思っていたのだ。

 まさかラルスのようなお気楽な者でさえ、氷姫の存在をまるで悪魔か何かのように恐れているとは!


「俺はその『氷姫』とやらのことはよくわからん。だが、クリス殿はそんな禍々しい存在ではないだろう。神聖魔法の使い手ということは神に認められた者ということだぞ?」


 クリスが何か隠しているのは事実だろう。だが、エルンストには彼女がそんな不吉な存在だとは思えなかった。


「ヴォルフリート様とのことも……おそらくは、本当に想いあった者同士なんだろう」


 クリスが倒れた後、クリスを町長の家まで運んだのはヴォルフだった。

 エルンストは何度も変わると申し出たが、ヴォルフは頑として譲らなかった。切り裂かれた肩から血を流しながら、それでも彼は決してクリスの体を離そうとはしなかったのだ。

 気まぐれで連れてきた娘ならば、そこまで執着することもないだろう。


「お前もあまり茶化したり馬鹿馬鹿しい話を吹聴したりするなよ。……少なくとも、マティアス様が静観しているということは彼女はヴァイセンベルクにとって害をなす存在ではないのだろう」


 ラルスの言うとおりにクリスが何かを企んでいたり、災禍をまき散らすような存在だったとしたら。マティアスやジークベルトが黙っているはずがない。

 そう言うと、ラルスはやっとおとなしくなった。


「……何も、なければそれでいいんだ」

「お前も瘴気にやられたんじゃないのか? 酒でも飲んで忘れろ」


 そう言うと、ラルスは先ほどの態度がウソのように顔を輝かせた。


「あっ! じゃああそこ行こうぜ! ギーゼラちゃんの店!」

「……俺はああいう店は好かん。ひとりで行け」

「なんだよ、仕方ねぇな。じゃあいつものとこ行こーぜ。まったく、あんなしかめっ面の親父の顔見ながら酒飲んで楽しいのかね……」


 ぶつぶつ言いつつも、ラルスは歩みを進めている。

 その様子に苦笑しつつ、エルンストも後を追った。

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