22 聖なる力
ぼろぼろの黒い衣を纏うリッチは、俺たちに背を向けて立っているようだった。
だが、唐突にその衣が翻り、その化け物はこちらを向いた。
「ひっ……!」
……酷くゆがんだ骸骨。最初の印象はそれだ。
おぞましさしか感じられないその存在に、一瞬で体が竦む。
限りなく、「死」を身近に感じる。
リッチが緩慢なしぐさ腕を上げる。
その途端、激しく地面が振動し、すぐに土を突き破って大量の不死者が地上へと姿を現した。
先ほど浄化した比じゃない。ここに来る前に危惧したような、不死者の集団が現れたのだ!
「ちっ、分が悪いな!」
「ここは一度退きましょう!」
エルンストの言葉につられて俺も逃げ出そうと背後に視線をやる。
そして、思わず固まってしまった。
先ほど俺たちがやってきた森の入り口。その向こうが、漆黒の闇に包まれていた。
「なっ……!」
明らかに夜の闇とは違う。
一度足を踏み入れれば二度と出ることは叶わない。そんな禍々しい闇だった。
「なるほど、逃がすつもりはないというわけか」
「勘弁してくれよ……なんでこんな片田舎のちっさい町にリッチがいるんだよ!」
ラルスがぶちぶち言いつつも向かってきた不死者を斬り捨てた。
「すみませんね、クリス嬢。こうなったらどんな手使ってでも生き延びさせてもらうんで」
「……うん」
こんな状況になってしまったら、もう悠長に浄化なんて言ってられないだろう。
最優先なのは、俺たちが無事に生き残ることだ。
エルンストが斬りかかって来た骸骨の首を跳ね飛ばす。
だが、骸骨は頭部が分離してもなお動きを緩めることはなかった。
「なるほど、頭部をつぶしても意味がないということか」
「めんどくせぇけど手足をやって動けなくするのが一番だな!」
数は多いが、一体一体の力は大したことはない。
エルンストとラルスは怖気づくこともなく不死者を斬り捨てていく。
俺を守るように前に立つヴォルフが、そっと呟いた。
「……僕から離れないようにしてください」
「作戦は……?」
「朝日が昇れば不死者は弱体化するはずです。最悪それまでの持久戦ですね……!」
リッチは先ほどの場所から動いていない。だが、不死者は次々と地面の下から這い出てくる。
それどころか、斬り捨てた不死者もまた立ち上がり、次から次へと襲い掛かってくるのだ。
持久戦……このまま耐えるってことか!
「フェンリル!」
ヴォルフの呼びかけに答えて、白銀の毛並みを持つ美しい狼が姿を現す。
スコルとハティが足元でキャンキャンと嬉しそうな鳴き声を上げた。
ヴォルフの契約精霊──フェンリル。その凛とした姿を目にすると、不思議と頭が冴えてくるような気がした。
俺だってただぼさっと突っ立ってはいられない。こんなところでくたばれないからな!
「“聖気解放!!”」
呪文を唱えると、一条の光が向かってくる不死者を貫いた。
不死者はその場に倒れ伏し、動かなくなる。
穢れを帯びた不死者は神の力を借りる神聖魔法には弱い。
大丈夫、俺だって負けられない!
ひどく気の長い戦いだった。
小さな町の墓地なのに、どこにいたのかと思うほどぽこぽこと不死者が湧いてくるのだ。
相手は疲れ知らずだが、俺たちには疲労がたまる。
三人ができるだけ俺の方に不死者を近づけないようにはしてくれているが、何度か危ない場面もあった。
まったく、リッチてのはどんだけやばいんだよ、とその化け物の方に視線をやり……俺は目を疑った。
先ほどまで同じ場所で微動だにしていなかったリッチが、忽然と消えていたのだ。
「え……?」
一体どこに……と慌てた途端、背後からおぞましい笑い声のような音が聞こえた。
反射的に振り返る。
いつのまにか俺の背後、数歩分の距離に……その化け物はいた。
歪んだ頭蓋骨が、確かに笑っているように見えた。
骨の手が鋭い鎌を振り上げている。
逃げなきゃ、応戦しなきゃ、そう思考は叫んでいるのに、体が動かない。
まるで全身を磔にされたかのように、指一本動かすことはできなかった。
エルンストとラルスの叫ぶような声が聞こえる。
鎌が振り下ろされる動きが、何故だかとても緩やかに感じられた。
冷たい死の指先が迫ってくる。
────死ぬ
「っ──!」
鎌が振り下ろされ、血が噴き出す。
俺ではなく、とっさに俺をかばったヴォルフの体から。
「っ、ヴォルフ!」
リッチが再び鎌を振り上げる。だが、次の瞬間フェンリルがリッチに飛び掛かり、リッチは衣を翻し姿を消した。
「ヴォルフ、ヴォルフ!」
「……大丈夫」
ヴォルフは切り裂かれた肩を庇うようにして素早く体勢を立て直した。
慌てて支えようと体に手を回すと、べっとりと赤い血が俺の手を染めた。
「ぁ、ああ……」
どうしよう、早く手当てしないと……
慌てて治癒魔法を唱えようとしたが、ヴォルフに制止された。
ヴォルフは俺の手を振り払うようにして、少し離れた場所へ姿を現したリッチへと向き直る。
「……少し、離れていてください。エルンストとラルスも一緒に」
「え?」
ヴォルフはそれ以上語らなかった。
でも、その背中から感じることはできた。
……こいつは、とてつもなく危ないことをやろうとしていると。
不安で胸がざわめく。
駄目だ、行かせちゃいけない。止めないといけない。
止めないと、ヴォルフを守れない。
だったら、どうすればいい?
そう意識した瞬間、すっと頭がクリアになる。
どうすればいいのか、手に取るようにわかった。
「待って」
そう呼びかけ。ヴォルフの腕をつかむ。ヴォルフは振り払おうとしたが、俺は決して離さなかった。
「俺にやらせてくれ。勝機はある」
そう言うと、ヴォルフは驚いたように振り返った。そして、目が合うと何かを悟ったかのように頷いてくれる。
「一分……いや、三十秒でいい。集中して呪文を唱えるから、守ってほしい」
次から次へと敵が襲い来る状況では、集中して長い時間呪文を唱えることはできなかった。
でも、それができれば勝機は見えるはずだ。
ヴォルフも俺の言いたいことがわかったのだろう。そっと手を握られた。
「……必ず、守ります」
ヴォルフが手を離したのを合図に、詠唱体勢に入る。
ヴォルフがエルンストとラルスに呼びかけるのを聞きながら、集中して呪文を紡ぐ。
「……罪には罰を」
俺が何かしようとしたのを悟ったのだろう。リッチが大きく手を振り上げると、不死者たちが一斉に俺の方へ向かって襲い掛かってきた。
今までのじわじわと追いつめるような動きじゃない。一気に追いつめ亡き者にしようとするような、激しい襲撃だった。
だが、ヴォルフたちがその猛攻を防いでくれている。
「大地を穢すものに報いを」
天の、地の、清浄な力を呼び集める。
少しずつ、掲げた杖先に力が集まっていくのを感じる。
元々ここに眠っていたのは、不運にも命を落とし、この世界に留まり続けていたこの町の住人だ。
きっとゆっくり時間をかけて、神の御許へと行くはずだったのに。
その眠りを邪魔するものがいる。
しっかりと目を開いて、不死者たちを操るリッチを見据える。
あれが、今回の元凶だ。
だったら、その報いを受けさせてやる。
「…………撃ち砕け!“裁きの雷よ!!”」
一層強く杖を掲げる。
そこから強い光の柱が空へと突き抜ける。
そして次の瞬間……白い稲妻がリッチを真上から撃ち抜いた。
それまではひらりひらりと身を躱していたリッチも、聖なる雷は避けられなかったのだろう。
激しく身を捩じらせのたうち回っている。
その光景を捕らえつつ、間髪入れずに次の詠唱を始める。
「……集え、満ちよ。あまねく光、罪を清め、闇の残滓を振り払え……!」
リッチが苦しんでいるからか、周囲の不死者の攻撃の手が緩んでいる。
できれば、彼らは救いたい。
その思いを、祈りあげる。
「“魂の浄化を!!”」
唱えた途端、あたりに暖かな光が満ちる。柔らかな光が不死者を包み、導いていく。
不死者たちはすっとおとなしくなり、光へと近づいていく。
そして、光に包まれ動かなくなる。
いくつもの魂が、天へと昇っていく。
やがて光が消え去ると、あれだけいた不死者は皆糸が切れたように崩れ落ち、動かなくなっていた。
残っているのは、いまだにのたうち回っているリッチだけだ。
大丈夫、あと少しだから。
「女神の息吹よ。大地を取り戻し、久遠の楽土に祝福を……」
穢れてしまった大地を清め、一時的に祝福を取り戻す。
きっと、できるはずだ。
「“禊祓結界……!”」
この場を満たしていた瘴気が、よどんでいた空気が、どんどんと澄んでいくのを感じる。
きっと、これが本来のこの場所の空気なんだろう。
リッチはもうほとんど動いていなかった。
ヴォルフがゆっくりとリッチに近づき、真上から剣でその体を刺し貫いた。
その途端、白い灰のようなものがさらさらと舞い、あとに残されたのはぼろぼろの黒い衣だけだった。
……これで、大丈夫だろう。
「……一件落着、ですね」
ヴォルフが俺の方へと近づいてくる。その背後に、わずかに朝日が差し込んできたのが見えた。
いつのまにか、夜が明けるような時間になっていたらしい。
この場を覆っていた黒い闇は消え去り、美しい森が、山々が姿を現している。
その光景を見て、すっと張りつめていた緊張が解けてしまった。
体から力が抜け、ふらりと倒れこんでしまう。
ヴォルフが慌てたようにこちらへと走ってくるのが見えたかと思うと、優しい腕に抱きとめられる。
その感覚に安心したのを最後に、俺の意識は途切れた。




