20 瘴気に包まれた町
「おそらくそろそろ……おっ、あそこじゃないですか?」
馬車に揺られること数日、前方を確認していたラルスが指差した先には、確かに小さく町の影が見え始めていた。
あそこが目的地のヴィダースの町だろう。
ヴィダースの町はヴァイセンベルク家の城館のあるシュヴァンハイムよりもかなり北に位置している。
大陸最北端に近いこの辺りでは、もうほとんど人の暮らす集落も少なくなっている。
背の高い針葉樹林に囲まれたその町は、どこか寂しげな空気を纏っているような気がした。
いや……違う。近づくにつれて、はっきりと感じる。
町全体から、寒く、暗く、重苦しい空気が漂ってきている。
体の芯から、魂ごと凍らせようとするかのような、嫌な寒気に襲われる。
「……なるほど、教会の奴らがビビって逃げ出すわけだ」
ラルスが苦笑する。チャラい雰囲気の奴だが、さすがは騎士といったところか。
怖気づいた様子はなかった。
「思ったよりも事態は深刻のようですね」
眉間にしわを寄せたエルンストの呟きに、ヴォルフも頷いて同意していた。
「あぁ、場合によっては出直す必要があるかもしれない。二人とも、あまり無理はしないように。……クリスも」
「……はい」
どこか距離のある言い方だったが、その言葉ですっと体が動くようになった。
胸に手を当て、大きく深呼吸をする。
……大丈夫。今までだって何度も危険を乗り越えてきたんんだ。
この中で不死者の浄化ができるのはおそらく俺だけだ。
だったら、ビビってなんていられない。もっとしっかりしないと……!
◇◇◇
俺の生まれ育った田舎の村よりはよほど発展しているように見えるが、比べ物にならないほど活気がない。
たどり着いたヴィダースはそんな町だった。
外を歩く人も少なく、数少ない出歩いている人は皆俯き加減で足早に通り過ぎていく。
「みんな不死者が怖いのか?」
「それもあるが……おそらくは瘴気の影響だろうな。この場所自体が負の気にやられている」
ラルスとエルンストはあたりを見回しそう話し合っていた。
二人が何やら話に熱中している間に、そっとヴォルフが近づいてきた。
そして、小声で話しかけられる。
「……大丈夫ですか?」
「ぇ?」
「あなたはこういうのに敏感でしょう。気分が悪かったり、体調が思わしくないようでしたらすぐに言ってください」
ヴォルフは心配そうな顔で、俺のことを気遣ってくれた。
その優しさに、じぃんと胸が熱くなる。確かにこの町に近づいてからずっと体が重いような、嫌な感覚が纏わりついていたが、ヴォルフが気遣ってくれたことで元気が出たような気がする。
「……大丈夫だよ、ありがと」
二人に聞こえないように小声で礼を言う。
「さっきも言いましたが、四人で対処するには事態が重くなりすぎている可能性もあります。あなたも無理だけはしないでください」
「でも……」
そうなったらここの人たちは……と聞こうとした時、エルンストがこちらを振り向いた。
ヴォルフは何事もなかったかのように俺から距離を取り、二人に近づいていく。
「とりあえずは町長から話を伺いましょう。町の中心部に館があるようです」
「あぁ、行こう」
そのまま、人気のない町を歩み始める。
前を歩くヴォルフとエルンストは何やら難しそうな会話を交わしている。
その背中をぼぉっと眺めていると、隣にラルスが並んできた。
「いやー、思ったよりも大変なことになりそうですね!」
「はい……」
俺は不安でたまらないのに、ラルスは最初に会った時と同じように笑みを絶やしていなかった。
その気楽さが少し羨ましい。
「大丈夫ですよ、何があろうとクリス嬢は俺がお守りしますから!」
「あ、ありがとうございます……!」
その後もラルスのどうでもいいような話を聞いていると、不思議と心が落ち着いてきた。
ちょっと騎士としてはどうなんだろうと思ったりもしたけれど、たぶん悪い人じゃないんだよな。
◇◇◇
しばらく歩くと、レンガ造りの大きな建物が目に入った。きっとこれが町長の家だろう。
戸を叩くと中年の女性が顔をのぞかせる。彼女は見慣れない者たちを見て驚いたような顔をしていたが、ヴォルフがヴァイセンベルク家からやってきた者だと名乗るとすぐに事情を察したのか中へと招かれた。
応接間で待つことしばし、初老の男性が恐縮したように俺たちの元へとやってきた。
きっと彼がここの町長なのだろう。
随分と疲れた顔をしており、髪や口ひげがまだらに白くなっている。とてつもない心労を抱えていることは想像に難くない。
「このようなことでヴァイセンベルク家の手を煩わせるのは誠にに申し訳ないのですが……」
「いいえ、お気になさらないでください。領民を守るのも領主としての務めですから」
ヴォルフの答えに、町長はほっとしたように息を吐いた。
そして、ぽつりぽつりと話し始める。
初めて被害があったのは、数か月前のことだったらしい。
ヴィダースの町の東部の森へ薬草を摘みに行った住民の一人が不死者に襲われた。森を抜けたところに墓地があるので、そこで不死者が発生し森にまでやってきたのではないかと町長は見立て、すぐに教会に退治を依頼した。
それほど間を置かずに教会の人間がやってきた。住民は安心した。これでもう不死者に怯えずに済むのだと。
教会は墓地へ赴き、彷徨える不死者を浄化した。
だがそれで一件落着……とはいかなかったようだ。
その事件からしばらくした後、森へ入った木こりが再び不死者の姿を目にした。
町長はまたしても教会へ知らせ、再び教会の人間がやってきた。
だが、再び不死者の浄化に赴いた聖職者たちは、真っ青な顔で戻ってきた。そのうちの一人は、ひどい怪我を負っていたらしい。
聖職者たちは少してこずりそうなので援護を要請すると言い、町長に聖水や魔除けの護符などを渡し撤収した。
その頃から、どんどんと町の方まで侵食されるように様子がおかしくなっていったようだ。
住民は夜ごと森から怨嗟の呻き声が聞こえると怯え、家に閉じこもるようになった。森に入れば不死者に襲われ、猟師や木こりは職を失いかけている。
その後も一度だけ教会の討伐隊がやってきたが、やはりほうほうの体で撤退していったようだ。
……教会の人間でも手に負えないほどの事態。いったいどうしてこんなことになったんだろう。
「……住民の中には、気が狂ったような様相を見せる者もいます。あなた方も感じておられるでしょう。この町を包む異様な空気を」
そう言って、町長は項垂れた。
彼はほとんど諦めかけているようだった。その沈痛な様子に、心が痛む。
「こんな北の辺境に暮らす者には、新しい場所へ移るというのは容易なことではありません。無理なお願いとは承知でお頼み申し上げます……!」
町長は深々と頭を下げた。
ヴォルフはじっと黙って彼を見つめ、ふぅと小さく息を吐いた。
「……できる限りのことはさせていただきます」
ヴォルフははっきりとそう言った。その言葉を聞いて、町長の顔がぱっと輝く。
俺もぎゅっと拳を握り締める。
俺が城でのびのび暮らしていたころ、この町の人はそんなに大変な目にあっていたんだ。
できれば、なんとかしてあげたい。
その後もヴォルフやエルンストは町長にいくつか質問し、状況を整理しているようだった。
昼間も姿を見ないわけではないが、不死者の活動は主に夜間である。
ヴォルフはちらりと柱時計に目をやるとそのまま立ち上がった。
「それでは行きましょうか」
「い、今からですか!?」
町長が慌てたように立ち上がった。
今はまだ昼間といってもいいが、じきに日が暮れる。
森を抜け墓場まで行く頃には、夜になってしまうかもしれないだろう。一番危険な時間帯だ。
「あなた方はこちらでお待ちください。我々だけで参りますので」
「し、しかし……」
「問題ありません。手に負えないようでしたら一度撤退します。一番危険な時間帯を確認しないとどうにもならない」
ヴォルフの言葉に呼応するように、エルンストとラルスも立ち上がった。
はらはらと状況を見守っていた俺も慌てて立ち上がる。
そのまま玄関へ向かう俺たちを、町長は深く頭を下げて見守ってくれているようだった。
外へ出る直前、先ほど案内してくれた中年の女性に声を掛けられる。
「あら、あなたも行くの?」
「えっ?」
女性はまっすぐに俺を見て目を丸くしている。
そこで自分の姿を見直して、あぁなるほどと合点が行った。
今の俺は、城にいるときと同じようにメイド服を身に着けていたのだ。
メイドが不死者退治に行くなんて驚かれても仕方ないよな。
でも……これが俺の仕事なんだ!
「大丈夫です。メイドですから!」
女性はわけがわからないという顔をしていた。
……まぁ、そりゃそうだよな。




