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逃げ出した聖女、北の地で吸血鬼のメイドになる  作者: 柚子れもん
第1章 聖女と吸血鬼、もしくはメイドとご主人様
18/110

18 出発準備は入念に

 ヴォルフの後をついて城の中を進む。たどり着いたのは、視界を埋め尽くすほどの棚が立ち並ぶ部屋だった。

 古いもの、新しいもの、所狭しとびっしり棚に書物が詰められており、その光景に思わず圧倒されてしまうほどだ。部屋全体にどこか埃っぽい匂いがする気がした。まあ、これだけ本があれば当然なのかな。

 きょろきょろ見回すと、窓際の椅子に腰かけた御老人がうとうとと舟をこいでいるのが見えて、ちょっと微笑ましい気分になる。


「城の資料室になります。ヴィダースは僕も行ったことがないので、事前にある程度の情報は頭に入れておいた方がいいかと」

「なるほど、下調べね……」


 ヴォルフはゆっくりと棚に目を走らせながら進み、とある地点で立ち止まった。


「このあたりに……あった」


 ヴォルフが分厚い書物を棚から引き抜く。

 横からのぞき込むと、びっしりと文字や図が書き込まれているのが見える。


「僕たちが向かう予定のヴィダースの町を含めた一帯の資料になります。あなたにやってほしいのはこの資料を紐解いて、役に立ちそうな部分をまとめて欲しいんです」

「わ、わかった……」


 なんか難しそうだけど……任されたからには頑張らねば!


「資料を持ち出すときは彼に声をかけてください。この部屋の管理人です」


 ヴォルフはそう言って、窓際でうとうとしている老人を指差した。

 そっと彼に近づき、おそるおそる声をかける。


「あのー、すみません」

「……? おやおや、随分とかわらいいお客さんだのう」


 はっと目を覚ましたお爺さんは、俺を見ると分厚いメガネの奥の目を細めて笑った。

 その優しげな表情に俺もほっとする。

 ひとまとめに縛れそうなほどの見事な白髭を持つそのお爺さんは、大きなあくびをして興味深そうに俺の姿を眺めているようだった。


「この資料を借りたいんですけど」

「これはこれは……勉強熱心なメイドさんじゃのう。ほれ、ここに記入してくだされ」


 お爺さんはにこやかに笑うと近くの机から貸出簿らしきものを引っ張り出し、俺の目の前に持ってきた。

 日付、名前……緊張しつつ必要事項を記入していく。


「それにしてもメイドさんが資料を探しにここに来るとは珍しいのぉ。お前さんどこの所属だね?」

「えっと、別館の……ヴォルフリート様のところで働いてます」


 そういう答え方でいいんだよな……?と不安になりつつ口にすると、老人は驚いたように目を丸くした。


「氷姫の坊か? それはまた……」

「えっ?」


 聞きなれない響きに思わず聞き返そうとすると、背後から落ち着いた声が聞こえた。


「……クリス。済んだら戻りましょう」


 振り返ると、棚の影からヴォルフが姿を現した所だった。

 その途端、老人はほぅ、と息をのんだ。


「すみません、お借りします。必ず返しますので」


 そう言って頭を下げたヴォルフに、老人は慌てたように手を振る。


「いえ……お好きなようにしてくだされ」


 少し戸惑った様子の老人から視線を外すと、ヴォルフは俺に向かって部屋の外へ出るようにと目配せし踵を返した。

 俺も慌ててぺこりと頭を下げて資料を手にし、ヴォルフの後に続く。



「……なるほど、よく似ている」


 部屋の扉を閉める瞬間、小さくつぶやく声が聞こえた。



 ◇◇◇



「紛失しないように気を付けてくださいね。うっかりなくしたりしたらマティアス兄さんが怒り狂いますから」

「……絶対失くさない」


 別館に戻る道すがら、ヴォルフはそんな恐ろしいことを口にした。

 ぎゅっと書物を抱え、俺は固くそう誓った。

 怒り狂ったマティアスさん……頭が想像を拒否するほどに恐ろしい。


 それにしても……と俺はちらりと隣を歩くヴォルフの横顔に視線をやる。

 どこか、いつもと様子が違うような気がする。その理由はなんとなく想像がつくけど。


「あの、さ……」


 別館に近づき人気がなくなったあたりで、そっと呼びかける。

 ヴォルフも俺が何を言いたいかなんとなくわかったのだろう。ぴたりと足を止め、ゆっくりとこちらを振り返った。


「さっきの、氷姫って……」


 おそるおそるそう口にすると、ヴォルフは俺から視線を外して近くにある池の方を見やった。

 ……何かを、思い出しているかのように。


「僕の母を……そう呼ぶ者がいるようですね。意味はよくわかりませんが」


 どこか抑揚のない、感情のこもらない声だった。

 いや……感情を、押し殺そうとしているのかもしれない。


「そっか……」


 それ以上は聞けなかった。

 なんとなく今のヴォルフの雰囲気が、触れてほしくないと言っている気がしたからだ。


 ヴォルフの母親はヴァイセンベルク家当主の妾で……吸血鬼だったらしい。

 なんで吸血鬼が大貴族の当主の妾になったのか、彼女がどうして亡くなったのか……俺は知らない。

 ただ、うかつに触れてはいけないような、ヴォルフにとって大事な領域の話だということは分かる。


 妾の子、吸血鬼の血を引く者ということで、幼いころのヴォルフは随分苦労したようだ。

 その素性ゆえに小さい頃から家族と引き離され、周囲と隔絶された過酷な環境で育ち、今でもどこか影を引きずっているように見える。

 お兄さんたちとは仲がよさそうに見えるけど、どこか距離感を感じることも……ないわけじゃない。

 ヴォルフと一緒に城の中を歩くと、好奇の視線を向けられたり、あからさまにひそひそされることもあった。

 事情をよく知らない俺でも、なんとなく複雑な立場なんだな……ということはわかっているつもりだ。


 まだ池に視線を向けたままのヴォルフに近づき、そっとその腕に触れる。


「戻ろう。お菓子食べて紅茶飲んで……ちょっと休憩しようよ」

「……そうですね」


 ヴォルフは小さく笑うと、俺の手を引くようにして歩き出した。

 絡めた手に、きゅっと力を籠める。

 頼りにならないだろうけど、俺はいつでも傍にいるよ……と伝わるように。



 ◇◇◇



「うーん……」


 破かないように丁重に書物をめくる。

 慣れない作業は精神的にも疲れるが、ヴォルフが俺に任せてくれた仕事だ。手を抜くわけにはいかないよな!


 書かれている内容に目を走らせ、目的のヴィダースの情報を書き出していく。


 帝国北部のヴァイセンベルク領の中でも特に北に位置する小さな町──ヴィダース。

 目立った産業はなく、人々は農耕や山仕事に精を出し慎ましやかな生活を送っているようだ。

 記録を見ても、特に不死者アンデッドが暴れたりするという報告はなかった。だが、熊や狼などの獣害、冷害による凶作……特に15年ほど前の記録的な大寒波では、餓死者や凍死者も後を絶たなかった……、と気が重くなるような内容が記されている。

 ……なるほど、一応不死者が生まれる土壌ではあるようだ。


 不死者は未練を残したまま、死してなおこの世界に留まる人たちのことだ。

 特に短い期間に大量の人が亡くなった場合は、その土地自体が穢れを帯び不死者が生まれやすくなると以前聞いたことがある。

 なんで今になってなのかはわからないが、迷える死者の魂を導くとともに、土地の浄化も必要になってくるだろう。


「……まぁ、それは教会の仕事か」


 俺一人でどこまでできるのかはわからない。

 気を抜くつもりはないが、あまり無理をすると逆にヴォルフに迷惑がかかってしまうかもしれない。

 気分を切り替えるようにそっと立ち上がり、自室へと足を向ける。



「……よし!」


 つい先日家から持ってきたばかりの荷物を探り、お目当ての物を取り出す。

 先端にまるで生花のような大輪の花をがあしらわれた、美しい杖だ。

 前の旅ではいつもこの杖の世話になっていた。握りしめると、まるで体の一部のように馴染む気がする。

 ……旅が終わってからはこの杖を使う機会もほとんどなかったので、どこか懐かしいような……少し不安な気分に陥ってしまう。


 大地を覆う闇を払い、光を取り戻した──「光の聖女」


 俺の故郷、ミルターナ聖王国の教会本部では、今も行方をくらませたその聖女……俺のことを探しているらしい。今のところ、その正体が俺だということはばれてはいないようだ。

 邪神がいなくなったとはいえ、今も混乱は続いている。教会は権威の回復と人々の信仰心を取り戻すために、象徴としての「聖女」を欲しているのだろう。


 ……本当に世のため、人のためを思うならば、俺は名乗り出るべきだったのかもしれない。

 そう考えたこともあるが、結局俺はそうしなかった。どうしても、怖かったからだ。

 俺は聖女だなんて呼ばれるほど清廉潔白な人間じゃない。そんな力もない。

 だから、そんな風に祀り上げられるのは耐えられない。それに教会にいいように利用されるんじゃないかという不安もあった。


 だから、俺は逃げた。

 故郷を離れ、ただの「クリス」としてヴォルフの傍にいることを選んだ。


 ……それで、よかったんだ。


 そっと首元に触れ、チョーカーの紐をほどく。首筋を指でなぞると、確かに吸血痕の感触があった。

 そう意識した途端、胸がじんわりと熱くなる。


 ヴォルフが牙を立てた証。

 ヴォルフに求められた証。

 ヴォルフのモノだという証。


 たった一人の相手を満たすことができるのが、何よりも嬉しく思える。

 吸血鬼に身も心も捧げ、今やすっかり虜にされてしまっている。


 ……やっぱり、俺は「聖女」なんて呼ばれるような人間じゃないや。

 


 ◇◇◇



「どうかな……?」

「……えぇ、十分ですよ。ありがとうございます」


 ヴィダースの町についてまとめた物を手渡すと、ヴォルフはじっくりと目を走らせた後そう言ってくれた。

 ほっと胸をなでおろす。自信はなかったけど、役に立ったようならよかった。


「護衛に騎士団の者が二人ほどつくそうです。あなたは不死者の浄化に集中してください」

「騎士が? そりゃすごいな……」

「それと……申し訳ありませんが、この仕事の間は『使用人』としての態度や言葉遣いにしてもらってもいいですか? 念のために」


 ヴォルフは少し眉を下げ、済まなさそうにそう言った。

 使用人の態度や言葉遣い……少し考えて、俺はやっとヴォルフが何を言いたいのかに気が付いた。


「……えぇ、重々承知しております。ヴォルフリート様」


 うやうやしくそう口にして礼をすると、ヴォルフは笑った。


「上手いじゃないですか。意外と演技の才能があるかもしれませんね」

「意外ってなんだよ……」


 たとえ仲間や恋人であっても、今の俺とヴォルフはご主人様と使用人でもあるのだ。

 使用人が主人に舐めた態度をとっていたら、ヴォルフが奇異の目に晒されるだけではなくヴァイセンベルク家の名前自体に傷がつくかもしれない。

 少なくともヴァイセンベルク家の仕事として赴く先では、そのあたりに気を付けないといけないんだろう。


「お任せくださいご主人様、私が必ずやご主人様をお支え致します」


 そう言って微笑むと、ヴォルフはいつになく真剣な顔で俺の方へと近づいてきた。

 そして、顎を掴まれたかと思うとそのまま少し強引に口付けられる。


「んっ……なにすっ……」

「演技」


 冷静な声でそう言われ、はっとした。

 もしかしたらこれも、非常事態でも使用人としての振る舞いを忘れるな、というヴォルフなりの試験なのかもしれない。


「い、いけませんご主人様……」


 こんな感じでいいのか……?と迷いつつもそう口にし、弱弱しく体を押し返す。


「……いいですね、それ」


 やけに楽しそうな声が聞こえる。どうやらヴォルフのお気に召したようだ。

 顔を上げると、どこか興奮したようにぎらついた瞳と視線が合う。その途端、体がぞくりと震えた。

 するりとチョーカーの紐を解くと、今度は首筋に口付けられる。


「あ、ゃ……!」


 押し返そうとした手は、いつの間にか縋るように服を掴んでいた。

 わずかな痛みを感じたかと思うと、首筋に軽く牙をたてられた。


「ふ、ぅあ……」


 求めていた感覚に、一気に体が熱くなる。

 だが、少し吸ったかと思うとすぐに牙は離れていった。


「ぇ……?」

「出発前に吸いすぎたらあなたが辛いでしょう。……続きは、仕事を終えてからということで」


 なだめるようにそう言われ、俺は知らず知らずのうちに頷いていた。

 確かに、出発はもう明日だ。当日使い物にならないようじゃ困るよな。


 俺が落ち着いたのを見計らって簡単な行程と注意事項を説明され、その日は早く寝るようにと念押しされた。

 ぼぉっとした頭のまま出発準備を整え、いつもよりも早めにベッドに入る。


「はぁ……」


 吐き出した吐息が熱い気がする。いつのまにか、もやもやとした不安は鳴りを潜めていた。

 これもヴォルフがそう仕向けたんだろうか。

 そう考えてちょっと恥ずかしくなりながらも、俺は明日に備えてそっと目を瞑った。


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