17 生者の憂い
「というわけでよろしくね。不死者の始末」
「…………は?」
冗談かと思ったが、ヴォルフの目の前で兄──ジークベルトはにこにこと食えない笑みを浮かべていた。
……まさか本気なのだろうか。
今すぐ執務室を出ていきたい気持ちを押さえ、ヴォルフは努めて冷静に聞き直した。
「……もう一回言ってください」
「北のヴィダースの町で住民が不死者に襲われたとの話がある。怖くて眠れないからなんとかしてくれって陳情が来たんだよ」
「そんなの教会の仕事じゃないですか!」
どうやらヴォルフは不死者退治の仕事を押し付けられているようだ。
生死の理から外れ、彷徨う哀れな存在──不死者
迷える死者を神の御許へ導くのは教会の聖職者の仕事のはずではないか。
「それがさぁ、教会から回ってきた仕事なんだよね」
「はあ?」
「なんとも人手不足で対応できかねるので、こっちで何とかしてくださいって」
「なんですかそれ……」
聖職者というものはもっと熱い信念を持っている者の集まりかと思っていたが、そんな他力本願で大丈夫なのだろうか……。
ジークベルトも苦笑していた。
「まあ色々ごたついてるんだよ。それに……教会に恩を売っておくのも悪くないだろう?」
ジークベルトが意味ありげな視線を寄こしたので、ヴォルフは思わず俯いてしまった。
不死者が忌避されるのと同じように、魔族──吸血鬼も人を襲う化け物だと考えられ、広く恐れられている。
特に教会では討伐対象となっているはずだ。
ヴォルフの正体が吸血鬼だということは、ごくわずかな近しい者以外は知りえない秘密となっている。
ここで教会に貸しを作り、いざという時に見逃せということなんだろうか。
……ヴォルフは、そこまで楽観的にはなれなかった。
「……僕の正体が露見すれば、ヴァイセンベルク家とてただではすまないでしょう」
「そのために恩を売っとくんだよ。それに、知られたらまずいことがあるのはどこも同じだ」
ジークベルトは笑みを崩すことなくそう言い放つ。
まったく、嫌な世界だとヴォルフは内心舌打ちした。
「向こうからは不死者を何とかして住民の憂いを取り除いてくれとしか言われてない。……不死者の始末の方法までは指定されてない」
「……いいんですか、それで」
迷える死者を導くのは聖職者の仕事だ。そう、聖職者にしかできない仕事なのだ。
単に不死者を始末するだけなら、もっと別の方法もある。
「ここに回してきたってことは了承済みだろ。つまり、お前は迷える死者を浄化し神の御許に送ってあげてもいいし、逆に木っ端微塵に破壊してやってもいい。不死者がうろうろすることがなくなればなんでもいいんだよ」
「……僕は不死者の浄化なんてできない」
「お前はね。でも、いるだろ? できる子が」
ジークベルトは見透かすような笑みを浮かべてそう言った。
その途端、思わず息をのんでしまう。
……誰のことを言っているのかなんて、考えなくてもわかる。
「クリスさんに、やれっていうんですか……」
クリスは神聖魔法の使い手だ。
それも、おそらく本人に自覚はないがかなりの才能を秘めている。
ヴォルフも、以前の旅で何度もクリスが不死者を浄化する場面に居合わせていた。
迷える死者を導くのに必要なのは、彼らを救いたいという純粋な慈悲の心だ。心優しいクリスは神に祈り、何度も哀れな死者を救っている。
だが、その度にクリスは傷つき、涙を流していたことをヴォルフは知っている。
確かにクリスならば適任だろう。だが、ヴォルフはクリスを向かわせたくはなかった。
クリスを危険に晒したくないというのもある。それに、あまりそういう方面でクリスを目立たせたくはない。
意図せずトラブルを呼び寄せるクリスのことだ。今度は何を引き寄せるかもわからない。
「……ヴォルフ、方法はお前に任せる。一番に考えるべきなのは『生きている』領民の安寧だ」
ジークベルトは言外に、死者はどうなっても構わないと告げた。
「一応護衛もつけるから心配しないでもいいよ。それじゃあ、よろしくね」
気軽にそう言った兄の元を辞し、ヴォルフは憂鬱な気分のまま歩き出す。
……このまま、クリスには詳細を告げず仕事が入ったと言ってしまえば、きっとクリスは何も知らずに済むだろう。
そうして哀れな死者を地獄へと堕とし、輪廻の輪から、望まれた救済から引き離す。
そうすれば、少なくとも生きている領民は穏やかな生活を取り戻すことができる。
……それで、いいのだろうか。
そう悩むなんて、クリスの甘さが、優しさが移ったのかもしれない。
そんなことを考えつつ、ヴォルフは見慣れた別館の扉を開いた。
◇◇◇
「なんか気分悪そうだぞ、大丈夫か?」
普段通り振舞っていたつもりだったが、クリスは妙なところで鋭さを発揮してきた。
まったく、この人にはかなわないな……とヴォルフは苦笑した。
どうせ隠しても不審がられ、うっかりクリスが予測できない行動を起こさないとも限らない。
少しは説明しておくべきだろう。
「その……少々やっかいな仕事が入りまして……」
ヴォルフは心配そうにこちらを見つめるクリスへと視線をやった。
綺麗な蒼い瞳が不安げに揺れている。
「あ、あのさ……俺にできることがあったら何でも言ってくれよ。俺だって……お前の役に立ちたいし……」
消え入りそうな声でクリスがそう口にする。
その様子を、愛しく思った。
心優しく、どんな相手でも必死に救おうとする人だ。先ほどの話を聞けば、きっとクリスは不死者を救いに行くと言うだろう。
ヴォルフだって、何も不死者を苦しめたいわけではない。彼らの魂を浄化し、救ってやることができるのならばそれが一番だと思っている。
そう思ったら自然と、口をついて言葉が出ていた。
簡潔に先ほど聞いた話を説明すると、クリスはじっと考え込んでいるようだった。
「不死者の浄化……って、誰か教会の人でも一緒に行くのか?」
「いえ、その予定はありません。だから……僕たちでは、本当の意味で不死者を救うことはできない」
そんな言い方をすれば、クリスがどんな行動を起こすかは目に見えている。
思った通り、クリスは必死な表情でヴォルフの腕をつかんだ。
「そんなの……あんまりだよ。ヴォルフ、俺も一緒に行く!」
平静を装いつつも、ヴォルフの内心は歓喜に満ちていた。
クリスを危険に晒したくない、こんな危ない仕事からは遠ざけて守りたいと思っているのは事実だ。
だが……本心では、こんな風に奮起する姿が見たかったのかもしれない。
誰とも知れぬ者のために立ち上がり、危険を顧みず救いの手を差し伸べようとする優しき聖女。
それこそ、ヴォルフの好きになったクリスの姿なのだから。
「危ない目に合うかもしれませんよ」
「そんなの平気だって! いきなりドラゴンとか出てこない限り余裕だろ!!」
「そうやってすぐ油断するのはあなたの悪い癖です。まぁでも……無理だけはしないようにしてくださいね」
そう言って遠回しに同行許可を与えると、クリスは満面の笑みを浮かべて頷いた。
まったく、自分はいつもこの笑顔に絆されてしまう。ヴォルフはそんな自分に苦笑した。
クリスを連れていく以上、少しの油断も許されない。備えは万全にしておくべきだろうと立ち上がる。
「とりあえず下調べだけはしておくべきでしょうね……行きますよ」
「あ、うん!」
ふんふんと鼻歌を歌うクリスの能天気さが少し心配にはなったが、ヴォルフは曇っていた心が晴れていくのをはっきりと感じていた。
ヴォルフから見たクリスは200%くらい美化されてます(笑)




