16 メイドの休日
「明日から三日間の休みを与えます」
ある日突然、俺のご主人様はそんなことを言い出した。
「……遠回しな解雇宣言?」
「え、なんでそうなるんですか」
ヴォルフは驚いたように目を瞬かせた。
よかった、解雇宣言じゃなかったみたいだ。
実は結構ビビった。すっと手足が冷たくなるような嫌な感覚を味わったが、どうやら安心してもいいようだ。
ほっと一息ついてソファに崩れ落ちる。すぐに、ヴォルフも隣に腰かけてきた。
「でも、いきなりなんで休み?」
「よく考えたらあなたがここに来てから一日も休みがないじゃないですか。そろそろ疲れもたまってるんじゃないかと思いまして」
「うーん……」
そう言われると、疲れているような気がしないでもない。
ここは言葉に甘えて、休みを取ってもいいのかもしれない。
「休みかぁ……」
「せっかくだから一度家に顔を見せに行ったらどうですか。ご両親も心配されてるでしょうし」
俺の両親が住む家はここシュヴァンハイム近郊の村の一つにある。
就職が決まった時と、他に一回近況報告の手紙を書いたが、返事は決まって「ドジ踏んでヴァイセンベルク家に迷惑かけるなよ!」というようなものだった。
心配しているとしたら、俺の体調よりも俺がヴォルフに迷惑をかけていないかどうかだろう。
……まぁ、一度直接報告に行ってもいいかもしれない。
「そうだな、そうするよ」
家族はなんだかんだで俺の無職状態のことを心配していただろうし、今はしっかり働いてるって教えてやらないとな!
◇◇◇
……というわけで帰省です。
シュヴァンハイムの街を出て、ちょっとしたハイキング気分で街道を進むと小綺麗な村が見えてくる。
そこが、俺の家のあるキルシェ村だ。
ヴァイセンベルク家に縁のある者たちが多数暮らしているこの村は、穏やかで暮らしやすいいい場所だと思う。
整備された道を進み、ついに家の前へとたどり着いた。
庭先には、所狭しと色とりどりの花が風に揺れている。ヴァイセンベルク家の屋敷に比べたら小さいけれど、懐かしい我が家だ。
そっと玄関の扉に手を掛けると、あっさりと開いてしまう。
よかった。今日は休息日だし、俺の家族も家にいるようだ。
鍵もかけないとかまったく不用心だな……と呆れつつも、中に向かって声を上げる。
「ただいまっ!!」
すぐに、中からばたばたとせわしない足音が聞こえてきた。
「え、クーちゃん!?」
真っ先に顔を見せたのは、俺の母さんだった。
母さんは俺の姿を見て驚いたように目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに笑う。そして、更に俺の背後を見て満面の笑みを浮かべた。
「それにヴォルフ君も、いらっしゃい!!」
その声に答えるようにして、俺の背後からも声が聞こえた。
「お久しぶりです。突然お邪魔してすみません」
「あら、いいのよぉ。ほら、二人とも入ってちょうだい!」
母さんに招かれて、俺と……何故か一緒についてきたご主人様はさっそく家の中へと足を踏み入れた。
いや、何故かというのはおかしいかもしれない。
こいつが一緒に来たのは、俺が普通に誘ったからだ。
色々あって、俺の両親はすごくヴォルフのことを気に入っている。
だから、今日も家に帰るときに軽い気持ちで「お前も一緒に来る?」と誘ったらヴォルフは普通についてきた。
ご主人様を連れて帰省するメイドというのもどうなんだろう、と思ったがまあ気にしないことにした。
今日は休日だし、細かいことは無視しよう!!
「ほらクリス。さっさとお茶の一つでも出さんか」
「えぇ、俺今日休みなんだけど……」
「まったく、お前はメイドとして働いているんじゃないのか? 済まんなぁ、ヴォルフ君。気の利かないメイドで困っているだろう」
「いえ、クリスさんにはいつも助けられてますよ」
ちょっと馬鹿にされつつも、穏やかなティータイムは進んでいく。
少し不安だったが、ヴォルフは父さん母さんの前で大げさなほど俺のことを褒めてくれた。
……よかった。これで役立たずだと思われずに済みそうだ!
一段落すると、ヴォルフがそっとカップを置く。
そして、そのまま立ち上がった。
「すみません、どうもありがとうございました。今日はこのあたりで失礼させていただきます」
「え、もう戻るの?」
「はい。でもあなたは十分ゆっくりしてください」
できれば夕食も、との母さんの誘いも固辞し、ヴォルフは俺の両親に頭を下げて家を後にした。
……もしかして、結構忙しかったんだろうか。
「お貴族様ってのも大変なんだなぁ」
「クリスちゃん、大変なところで働いてるのねぇ」
「うん……」
俺も一緒に戻ろうかと思ったが、わざわざ休みをくれたあいつの厚意を無視するのも失礼な気がした。
その日は、久々に母さんの手料理を食べて、随分ゆっくりすることができたように思う。
今頃城のみんなはどうしてるんだろう。そんなことを考えつつ、久々に自分の部屋で眠りにつく。
お休み二日目。俺はとりあえず部屋の整理をすることにした。
仕事を探しにヴァイセンベルク家を訪れて、そのまま住み込みでメイドとして働くことになったので、急いでいて必要最低限のものしか持っていけなかった。
服、日用品、雑貨、各地で買った記念品……は置いておこう。
ごそごそと荷物あさっていると、俺の手はとあるものを探り当てた。
前の旅で愛用していた、先端に花の意匠があしらわれた杖だ。
握ってみると、掃除に使う箒よりは手に馴染んでいる気がする。
「……持ってくか」
メイドの仕事としては、この杖を使うような機会はないだろう。
でも、なんとなく持って行った方がいいような気がした。
できれば……この杖を使う機会なんてない方がいいんだけど。
その後もいろいろ荷物を詰めていると、いつのまにか結構な量になってしまった。
これは歩いて持っていくのは大変そうだ。
帰りは辻馬車にでも乗ってくか。
「……帰り、かぁ」
浮かんだ思考にちょっと驚いてしまう。
ここが俺の家なんだし、本来なら城からここに帰ってくる、という意識が正しいはずだ。実際に、ここに来るときはそう思っていた。
なのに、今は城に「帰る」なんて考えてしまった。俺はただの使用人でしかないのに。
いつの間にか、そんな風に今の生活に馴染んでしまっていたようだ。
「ま、いっかぁ……」
ヴォルフに話したらなんて言うかな。
そんなことを考えながら、俺は荷造りで疲れた体でごろんとベッドに転がった。
ヴォルフは俺がいなくて大丈夫かな……いや、大丈夫に決まってるか。
なんとなく寂しくなって、ぎゅっと枕を抱きしめる。
お休み三日目。今日が与えられた休暇の最終日だ。
朝食を食べたら城に戻ると伝えると、両親はにこにこ笑って頷いてくれた。
「だらけてヴォルフ君に迷惑かけるんじゃないぞ」
「そうだ。よかったらこれ持って行ってちょうだい。あとこれも……」
母さんは茶葉やら手作りのお菓子やら様々なものを持たせてくれた。
別にシュヴァンハイムに戻れば何でも手に入る、と言おうとしてやめた。
きっと、価値とかじゃなくて、気持ちが大事なんだ。
ヴォルフなら、なんだって喜んでくれるだろう。
「じゃあ、行ってきます!」
大荷物を背負って玄関を出て、見送る二人に手を振る。
「しっかりやれよ!」
「みなさんによろしくねぇ」
こうして、俺の初めての休暇は終わりを告げた。
まぁたまには……家に帰るのも悪くないかな。
重い荷物を背負って、見慣れた城館に戻ってくる。
たった二日しか離れていないのに、随分と懐かしい気がした。
「あっ! クリスさん、お帰りなさい。重そうですね、持ちますよ」
ちょうどその辺をぶらぶらしていたニルスが、俺の姿を見てそう申し出てくれた。
ちょっと疲れていたので、ありがたくその申し出を受けることにする。
「どこかに行かれてたんですか?」
「お休み貰ったから、家に帰ってたんだ」
「へぇ、それでこんな大荷物ですか……」
ニルスと共に別館に足を踏み入れると、すぐに師匠がやってきた。
「あらあらクリスさん。お休みはどうでしたか?」
「しっかり休みました! またご教授をお願いします!」
そう言って勢いよく頭を下げると、師匠はくすくすと笑う。
「すぐに坊ちゃんも戻られるでしょう。きっとクリスさんのお顔を見ればお喜びになられますよ」
「そ、そんなことないですよ……!」
師匠にまでそんなことを言われ、意識せず頬が熱くなる。
……でも、そうだったら嬉しいな。
とりあえず自室に荷物を置き、いつものメイド服に着替える。
鏡で姿を確認すると、やっぱりどこかしっくりくる気がした。
「……よしっ!」
頬を叩いて気合を入れる。
休暇終了! またメイドとして頑張らないとな!!
ごそごそと荷物の整理をしていると、階下から声が聞こえてきた。
これは師匠と……ヴォルフの声だ!
嬉しくなって急いで階段を駆け下りる。
「ただいまっ!……じゃなくておかえりっ!!」
そんな風に声を掛けると、ヴォルフが弾かれたようにこちらを振り返る。
そして、驚いたように目を見開いた。
「え、あ……戻ってたんですね」
「う、うん……」
ヴォルフはどこか戸惑ったように、視線を落としながらそう言った。
……あれ、思ってた反応と違う。
もしかして……戻ってこない方がよかったのか……?
「クリスさん、お戻りになられたばかりでお疲れでしょうが、坊ちゃんにお茶を入れていただけますか?」
「あ、はいっ!」
師匠に促され、やっと体が動いた。
不安な気持ちを振り払うように、足早にその場を離れる。
「……失礼します」
どこか緊張しつつヴォルフの私室の扉をたたくと、すぐに返事と共に扉が開いた。
「あぁ、ありがとうございます」
どこかぎこちない空気の中、紅茶を淹れる。
なんとなくどうしていいのかわからなくてそのままソファの傍に立っていると、ヴォルフがちらりと俺の方へ視線をやった。
「……座ったらどうですか」
「ぇう……失礼します」
いつもより少し距離を置いて、隣に腰かける。
ヴォルフは丁寧な手つきでカップを置くと、俺の方へと向き直った。
「……どうでしたか、休暇は」
「ゆっくりできたよ。ありがとう」
なんとかそれだけ口に出すと、ヴォルフはほっとしたように息を吐いた。
そして、俺に向かって優しく笑いかけてくれた。
「……それはよかった」
その笑顔を見ていると、胸がじんわりと熱くなる。
思わず、ポロリと言葉が出てしまう。
「戻ってきて、よかった……?」
「当り前じゃないですか。何言ってるんですか」
「だって、さっき……驚いてたから。てっきり戻ってきちゃダメだったのかと……」
俯いてそう口にすると、小さくため息が聞こえた。
思わず体がこわばる。だが、二人の間の距離を詰めてきたヴォルフが、そっと俺の体を引き寄せてきた。
「いや、さっきのはその……もしかしたら、あなたが戻ってこないんじゃないかと思ってたので……」
「なんで?」
「やっぱり家に戻ったら、僕の傍で働くのが嫌になったんじゃないかと。この三日間ひたすらそんなことを考えていて」
「えぇ!?」
そんなこと考えてたのかこいつは!
思わず顔を上げると、どこか不安そうな瞳と目が合った。
……そっか。不安なのは俺だけじゃなかったんだ。
「あのさ、俺は……お前が解雇しない限りここで働くつもりだよ」
「……別に、無理しなくてもいいんですよ」
「無理なんかしてないって!」
やっとありつけた仕事だし、なによりも……ヴォルフの傍で、支えられるようなメイドになりたい。
ぎゅっと腕をつかむと、ヴォルフはまっすぐに俺の方を見つめてきた。
そして、ゆっくりと顔が近づいてくる。
意図を察して、そっと目を閉じる。だが……濡れた感触を感じたのは、俺の唇ではなく首筋だった。
「えっ?」
あれ、と思って目を開ける。
その途端、首筋に痛みを感じた。
「ちょ、待っ……!」
引きはがそうとした手が掴まれる。そのまま、ソファの背に押し付けられるような体勢になってしまった。
そして、ちゅうちゅうと少し優しく血を吸われていく。
「そっちが目的か……!」
いつもよりは控えめな吸血だった。
その遠慮がちな態度が少しかわいく思えて、首筋にうずめられた後頭部をよしよしと撫でる。
その途端、先ほどよりも深く牙が差し込まれた。
「ひぅっ……!」
くそ、調子に乗りやがって……!
牙が抜かれるころには、俺はへとへとになってずるずるとソファに崩れ落ちた。
散々無体を強いてくれやがったご主人様は、そんな俺を見下ろしながら優雅に紅茶をすすっている。
「よく血吸った後に紅茶飲めるな……」
「意外といけますよ。あなたもやってみますか?」
「……遠慮しとく」
残念ながら、たぶん俺には理解できない世界だろう。
でも……よかった。俺が戻ってきたのが迷惑なのかと思ったけど、そんなことはなかったみたいだ。
「……これからも、ここで働いてもいい?」
「もちろんですよ。……傍にいてください、ずっと」
優しく頭を撫でられて、俺は思わず顔を隠すようにうつぶせになった。
だってそうじゃないと……にやけてるのがばれそうだったから。
次回からちょっと長めの話に入ります!




