15 真夜中の饗宴(後)
「ふんふんふふーん。あっ、じゃがいもはっけーん!!」
皆が眠りにつく真夜中、俺とご主人様は厨房へと侵入を果たした。
あの後、ヴォルフは仕方ないといった様子で俺の願いを聞いてくれた。
「お腹すいたからなんか腹ごしらえしたい」という願いを。
「はぁ……。だからちゃんと食べろって言ったのに……」
ヴォルフは食材を探す俺を眺めながら、呆れたようにぶちぶち言っている。
確かに今日の夕食のときに、食べる量をかなり減らしたら注意されたっけ。
「体調悪いのかと思えば……なんですかダイエットって」
「べ、別にいいだろ!」
朝まじまじと鏡を見て、俺は以前よりちょっと太ったことに気が付いて大いなるショックを受けた。
そういえばスコルとハティにも太ったって言われたし、これはまずいかもしれない。
とりあえず食べる量を減らすことを試みたのだが、案の定この時間になって腹が減ってどうしようもない状態になってしまったのだ。
「結局夜食するなら逆効果じゃないですか。食べる量を減らすよりも、運動を心掛けるべきです」
「そうはいってもさぁ……」
とりあえず簡単な方法から試そうとするのはおかしくはないはずだ。
失敗は成功のもと。次にもっとうまくいく方法を探せばいいだけだ!
「ジャガイモ、玉ねぎ、ベーコン……こんな所か」
エーリクさん一人でもっているこの厨房は、食材の管理が結構適当だ。
エーリクさんに頼まれた時や何か足りない時に俺や師匠が買い足していく感じなので、これから使う分もまた買い足しておけばいい。
最初は自室にためてあるお菓子でも摘まもうかと思ったが、どうせならがっつり食べたいということで夜食を作ることにした。
自分でも思ったよりお腹が空いていたようで、具材を見るだけで涎が出そうになる。
玉ねぎの皮をむき始めると、ヴォルフが近づいてきた。
「手伝います」
「お、ありがと」
そのままするするとジャガイモの皮をむき始める。
手先器用だなー。まぁ前の旅ではいつもナイフで敵をぐさぐさやってたし、刃物扱いについてはお手の物なのかもしれない。
……などと思いつつ、俺も自分の手元に視線を落とした。玉ねぎを切るのは涙が出るので苦手だが、ここは我慢するしかない。
「……終わりましたよ。って大丈夫ですか」
「だいじょばない……」
思った通り目に鼻につーんときた。涙目で玉ねぎを切り続ける俺を、ヴォルフは困ったような顔で見ていた。
「前にエーリクが言ってたんですけど、大きく口を開けて口で呼吸しながら切ると防げるそうです」
「……次からそうする」
あぁご主人様、できればもっと早くそう言って欲しかったです……。
ちょっとした惨事になりつつも、なんとか玉ねぎを切り終えた。
手早くベーコンを一口大に切り、これで具材は揃った。
苦労しながら火をおこし、フライパンを温める。
「火の精霊とかいればこういう時に便利なんじゃない?」
「ヴァイセンベルク家は氷の精霊と相性がいいですからね。たぶん火の精霊は嫌がるんじゃないでしょうか」
「なるほどなー」
そういうものなのか。ちょっと残念な気はするな。
でも、火の魔術だったら俺も頑張れば使えるかもしれない。今度練習してみよう。
熱したフライパンにバターを落とすと、じゅう、と食欲をそそる音が聞こえてくる。
そのままフライパンを傾けまんべんなくバターがいきわたるようにすると、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
十分にバターが温まったところでいよいよ具材を投入する。ジュージューと具材が焼ける気持ちのいい音と匂いに、俺の腹がまた鳴った。
ヴォルフが厨房から続く氷室へと入っていく。それを横目で見つつ、焦がさないように具材を炒める。
徐々に玉ねぎがしんなりと透き通り、ジャガイモも柔らかくなってきた。
塩コショウ、ローズマリーで味付けすると、いよいよ食欲をそそる匂いが立ち昇った。
味見と称して一口ぱくっと口に放り込む。
……うん、ちょうどいい感じに効いてるな!
お腹が空いていたからか、普段の三割り増しくらいでおいしく感じられた。
よし、これで焼きジャガの完成だ!
皿を用意し、フライパンから移し盛り付ける。
そうしたところで、やっとヴォルフが戻ってきた。
「なんかいいのあった?」
「あなたの口に合うかはわかりませんが……これを」
「わぁ! 林檎酒だ!!」
ヴォルフが持ってきたのは、俺の大好きな林檎酒だった。
俺はあまり強い酒は得意じゃないが、甘い果実酒は大好きだ。
「前にフリジアに行ったときに買っておいたんです」
「へぇ、用意いいじゃん!」
これは幸いとグラスを用意する。
ゆっくりと注ぐと、しゅわしゅわと泡が立ち上る。
そわそわしつつ席に着くと、ヴォルフがくすりと笑った。
「よし、乾杯しよう!」
「何に?」
「えぇっと……俺の就職記念!」
「今更ですか……」
ヴォルフは呆れたように笑ったが、そのままグラスを持ち上げた。
グラス同士が触れ合う小気味よい音が響き、顔を見合わせて笑う。
ぐいっと林檎酒を煽り焼きジャガを頬張ると、ゆっくりと空腹が満たされていくような気がした。
うーん、やっぱり食事の量を減らすのはよくないな!!
「……そういえば、もうあなたがここで働きだしてから数週間経ちましたね」
「あ、もうそんなに経ったんだ」
思い返せばカブトムシ捕りでイノシシに襲われ、お嬢様と歌のレッスンをして、買い出しで騙され……あれ、メイドの役割としてはどうなんだろう。
相変わらずヴォルフは一人で何でもできるし、師匠はスーパーメイドだし、俺はトラブルばっかり引き起こしてる気がする。
……もしかして、俺って全然役に立ってない?
ゆっくりとフォークを置いた俺を見て、ヴォルフは怪訝そうな顔をした。
「……? もういいんですか?」
「うん……」
「……なにか、あったんですか?」
心配そうな声に、心が揺らぐ。
お前はこんなによくしてくれてるのに、俺は全然お前の役に立ててないんだな。
「俺ってさ……役立たずだと思って」
小さくそうこぼすと、ヴォルフは驚いたように目を見開いた。そして、大きくため息をつく。
「いきなり何を言うかと思えば……」
「だってそうじゃん……。お前だって、俺がいなくたって別に困らないだろ」
図らずとも拗ねたような言い方になってしまう。……駄目だ、こんなんじゃますます鬱陶しがられてしまう。
そうわかっていても、もう止まらなかった。
ヴォルフの顔が見られずにうつむいていると、また大きなため息が聞こえた。
……いよいよ呆れられたかもしれない。
思わず泣きそうになってぎゅっと拳を握りしめると、ぎぃ、と椅子が引かれる音がした。
こんな面倒なメイドに愛想をつかして、部屋に帰るつもりなんだろうか。その光景を見たくなくて固く目をつむると、数秒後……優しく肩に手が置かれた。
「まったく、そんなことで悩んでるんですか」
「そ、そんなことって……! 俺にとっては、重要なことで……」
ついにこらえきれず涙が溢れ出してしまう。
すると、なだめるように目元に口づけられた。
「……誰が何と言おうが、僕にはあなたが必要です」
まっすぐに視線を合わせ、真剣な顔でそう告げられる。
その言葉を聞いた途端、胸の奥がじぃんと熱くなった。
「それに、ラウラはいつもあなたを褒めてますよ。やる気があるし、色々と助かると」
「ほんとに!?」
思わず身を乗り出した。師匠、そんな風に思っていてくれたのか!
「ステラもよく兄さんや義姉さんにあなたの話をしているようですよ。僕たちは男兄弟ばかりですし、他の使用人はやはり一線を引いてます。姉のように親身に接してくれるあなたがあの子には嬉しいんでしょう」
「お嬢様……」
……よかった。ちょっとはみんなの役に立ててると思っていいのかな。
「僕も、あなたが傍にいることで助かってますよ」
「例えば?」
「……まぁ、それはいいじゃないですか」
ヴォルフははぐらかしつつ、そっと俺の頭を撫でた。
「もっと自信を持ってください。あなたは……」
優しい言葉が、頭を撫でる手が、とても心地よく感じる。
どこかふわふわとした気分になって、俺はそっと目を瞑った。
◇◇◇
「…………まじか」
クリスはヴォルフの手に頭を預けるようにして、小さく寝息を立てている。
揺り起こそうかとも思ったが、やめておいた。少し精神的に不安定だったようだし、それに……いくらクリスが酒に弱いといっても普段ならこのくらいの量で寝落ちするほど酔うことはない。
……本人に自覚があったのかどうかはわからないが、きっと疲れていたのだろう。
慣れない場所で働き始めて、短い期間に様々なことがあった。
元気が取り柄のクリスでも、さすがに疲労がたまっていたのだろう。
……今は、ゆっくりと寝かせておこう。
起こさないように慎重に、クリスの体を抱き上げる。
本人は太っただのダイエットだの気にしているようだが、ヴォルフから見れば十分細く見える。むしろ、もっと肉をつけた方がいいとすら思える。
……そう考えると、途端に手に腕に感じる太ももの感触を意識してしまう。
「…………はぁ」
食事で腹を満たして、いい塩梅で酒に酔って大胆になったところで、恋人同士の戯れを再開させるつもりだった。
だが、クリスがこうなってしまっては今夜はお預けだろう。
小さくため息をついて、ヴォルフはクリスを抱き上げたまま厨房を出た。
クリスの部屋に運ぼうかとも思ったが、やめておいた。
どうせなら自分の部屋へ連れて行こう。
そっとベッドに寝かせると、クリスは小さく身じろいで何やらむにゃむにゃと声を発したが、目覚めることはなかった。
ゆったりとしたネグリジェから覗く手足が、酒のせいか普段よりもうっすらと赤く色づいている。
まるで今すぐ食べてくださいとでも言わんばかりの、ヴォルフを誘っているのではないかとすら思えるその姿に、理性がぐらりと揺らぐ。
「んー……」
クリスがごろりと寝返りを打つと、ヴォルフの目の前に無防備な首筋がさらけ出される。
──白い首筋に残る、小さな赤い痕。
そこには、確かな吸血痕が残っている。
昼間は隠されて見えないその証が明らかになったことで、ヴォルフは知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。
まるでクリスが自分のものだという証に思えて、魂が高揚するようだった。
そっと首筋に顔を近づけ、柔らかな肌に鼻先を近づける。
その途端、ふわりと花の香りが漂ってくる。
「…………」
クリスは石鹸を変えたとかなんとか言っていた。
確かにいい香りだろうが……ヴォルフの求めているのはこれではない。
肌をたどるようにして、鎖骨のあたりに鼻を押し付ける。すると、先ほどとは別の匂いがかすかに鼻をくすぐった。
……そうだ、これだ。
求めていたものに、ヴォルフはゆるりと笑みを深くした。
調整された人工的な花の香りなどよりも、よほどヴォルフを昂らせる匂い。
クリスそのものが放つ、ヴォルフを引き付けてやまない匂い。
その匂いを嗅ぐと、もう抑えられなかった。
駄目だと思いつつも、その首筋に口づける。
そして細心の注意を払い、牙を伸ばしほんのわずかに皮膚を裂く。
「ん、ぁ……」
クリスが小さく声を漏らす。
だが、それは苦痛の声ではなかった。
甘く溶けた、誘うように媚びた声だ。
わずかにあふれた赤い玉を舌先で舐めとる。
本格的な食事ではない、味見程度の吸血だ。
このまま本能に従って牙を突き立てたい衝動を抑え、そっとクリスから体を離す。
見下ろしたクリスはいまだ目覚めてはいないようで、目は閉じられたままだ。
だが、その頬は先ほどよりもわずかに紅潮していた。
その事実に、ますます気分が高揚する。
だが、今日の戯れはもうおしまいだ。
「……おやすみ、良い夢を」
小さく頭を撫でて、風邪をひかないようにと毛布を掛ける。
とりあえずは厨房に残してきた料理の残りを片付けなければならない。
クリスと違って、ヴォルフの方はしばらくは眠れそうもない。
今宵は恋人の手料理と寝顔を肴に、一人で晩酌を楽しむのも悪くないだろう。
まったく手のかかるメイドだと小さく笑い、ヴォルフは厨房へと足を向けた。
◇◇◇
「…………!!?」
翌朝、目覚めたらヴォルフのベッドだった。俺は大いに混乱した。
確か昨夜は、お腹が空いて厨房に間食を探しに行って、焼きジャガを作って食べて……それからどうなったんだろう。
……やばい、覚えてない!
「あぁ、起きたんですか。おはようございます」
「……おはよ」
俺が目覚めたのに気が付いたのか、先に起きていたらしいヴォルフが近づいてくる。
なんとなく直視できずに視線を落とすと、くすりと笑われた。
「調子はどうですか?」
「大丈夫……だと思う」
頭はすっきりしてるし、体もだるくない。
でも、俺はなんでこいつの部屋で寝てたんだ……!?
ま、まさか俺が覚えてない間にあーんなことやこーんなことが……
「あ、あの……昨日の夜のことなんだけど……」
意を決してそう口に出すと、ヴォルフはきょとん、とした顔で俺を見下ろしていた。
「俺……何があったか覚えてなくて……確か焼きジャガを食べたあたりまではわかるんだけど……」
そう告げると、ヴォルフは笑った。
何かを思い出すような、妖しげな笑みで。
「あぁ、昨夜のあなたは……とても、かわいらしかったですよ?」
「!!!!?!?!?」
とんでもない言葉に、思わず再び頭から毛布をかぶってしまう。
なんだ。俺が寝てる間に何があったんだ……!!?
こいつは何しやがったんだー!!!??
毛布越しにヴォルフの笑い声が聞こえる。
顔が熱い。俺はまだしばらく、毛布から出ることはできそうもなかった。




