14 真夜中の饗宴(前)
あとがきに挿絵っぽいのがあります
苦手な方はご注意ください!
「……それで、どうだったんですか」
静かにそう問いかけると、次兄のマティアスがぼそりと呟く。
「どうやらあの二人は下っ端に過ぎなかったようだな。痛めつけたらすぐに洗いざらい吐いたが、その背後関係について有益な情報は得られなかった」
「どこの駄犬だろうね。ヴァイセンベルク家の庭先でこんな舐めた真似をするなんて」
長兄のジークベルトが冷え冷えとした声でそう吐き捨てた。
クリスを騙したあの女と、その協力者の男。
彼らは独断で動いていたわけでなく、なんらかの組織が背後にいるはずだが、どうやらあの二人はそこまでの情報を持っていなかったようだ。使い捨ての駒でしかなかったというわけか。
「……あの家、かすかに血の匂いがしたんです」
ヴォルフが小さくそうこぼすと、ジークベルトはやれやれといったように肩をすくめた。
「まあ世の中には死体を欲しがる奴らもいるからね。たぶんクリスちゃんだったら生身のまま出荷だったろうけど」
ジークベルトのあけすけのない言葉に、胸の奥からどろりと黒い感情が湧いてくる。
もう少しで、クリスを奪われるところだった。
できることならば、今すぐ自分の手であの二人に死よりも惨い仕打ちをしてやりたいほどだ。
なんとかその衝動を抑え、目の前の兄に問いかける。
「……奴隷売買は重罪では? 一般人を捕まえて売るなんてリスクが高すぎる」
「ヴァイセンベルクの影響下のこの辺りではね。南部の方はそういうのに緩いし、リッツェルなんかでは堂々と競売が行われてるって話だよ」
「あの自治都市か。胸糞悪いな……」
マティアスが侮蔑したように吐き捨てた。それにはヴォルフも同感だ。
ヴァイセンベルク家の領地やその影響が強いここユグランス帝国北部一帯では人身売買は禁止されているが、地域によってはそうでもない所もある。
クリスが他の人間に売られるところを想像しただけで、怒りよりも深い、どす黒い衝動が湧き上がってくる。
「城下の巡回に力を入れるようにしておいた。まぁしばらくは鳴りを潜めるだろう」
「引き続き調査の方もよろしく頼むよ」
「あぁ」
それだけ言うと、マティアスは速足で部屋を出て行った。
これはクリス一人だけの問題ではない。ヴァイセンベルク領すべての治安にかかる問題なのだ。
そういった意味では、クリスを守ったヴォルフよりも今後のことを考えなくてはならない兄たちの方がよほどやることは多いのだろう。
「クリスちゃんの様子はどう?」
「普段と変わりありません。なんだかんだであの人はああいう出来事に巻き込まれるのには慣れてますから。……今後見知らぬ相手には十分注意するように言っておきました」
「ははっ、僕もステラに注意しておかないとな」
ジークベルトは笑っていたが、おそらくその笑顔の裏では今後の対応に頭を巡らせていることだろう。
邪魔にならないように、ヴォルフは小さく声をかけて部屋を辞した。
◇◇◇
「うーん……」
針に糸を通し、今度は布に針を通していく。
教えられたとおりにやっているはずなのに、どうしても俺の縫い目は師匠と比べると、比べるのもおこがましいくらいにぐちゃぐちゃだった。
俺の行動が物珍しいのか、何やら難しそうな書類に目を通していたヴォルフが声をかけてきた。
「何をやってるんですか?」
「メイドたるもの裁縫も心得てなければ!……って師匠が言ってたから」
その言葉に感銘を受けて裁縫道具を借りてとりあえず初心者用の練習をしているけど、これが中々……というかめちゃくちゃ難しい。
神経を使うし。すぐに集中力がすり減ってしまう。
「あー! 今日はもうやめっ!!」
ぽいっと投げ出すと、ヴォルフは呆れたような笑みを浮かべて俺の方を見ていた。
……別にあきらめたわけじゃない。今日は疲れたからおしまいなだけだ!
「はは、お疲れですね。今日はもうあがってもいいですよ」
「うん……」
大きく伸びをして、固まっていた体を解きほぐす。
裁縫道具を終い、挨拶をしようとしたところでヴォルフが俺の方へと近づいてきた。
「もう寝るんですか?」
「うん、そのつもりだけど」
まだ少し時間は早いが、寝ようと思えばすぐに寝られる。
すぐ近くまでやって来たヴォルフが俺の肩に手を置いた。なんだろう、と振り向こうとした途端、耳元に吐息を感じた。
「っ……!」
「もしよかったら……着替えて、またここに来てください」
「ぇ、ぅ……」
直球な夜のお誘いに、瞬時に顔が熱くなる。
……主人としての命令ではなく、これは恋人としてのお誘いだ。
ヴォルフは戸惑う俺の頬に唇を落とすと、そのまま手を引いて部屋を出た先の廊下まで連れてきてくれた。
「それでは、よい返事を期待してます」
くすりと笑ってそれだけ告げると、固まる俺の前でゆっくりと扉が閉められた。
「うぅぅぅ…………」
壁に背中を預け、両手で顔を覆う。
誰にも見られていないとは思うけど、こんなの恥ずかしくてたまらない!
あいつは俺の意思に任せるような言い方をしていた。返事はまだしてないし、このまま部屋に戻って寝てしまえばそれで済む。
でも、なんだかんだ言っても、もう心は決まっていた。
ぎこちない足取りで部屋に戻り、入浴の準備をする。
その途中で、小さな紙袋が目に入った。
「そっか、これがあったか……」
これは、師匠に頼まれた買い出しの途中で私用で買った物だ。
そっと紙袋を開き、中に入っていたものを取り出す。
ちょこんと俺の手のひらに載っているのは、小さな石鹸だ。うっすらと色づいた半透明な石鹸の中には、鮮やかなドライフラワーが透けて見えている。そっと鼻先に近づけると、甘い花の香りが漂ってくる。
これは少し前にステラお嬢様が得意気に俺に見せてくれたものだ。
これは、どうやら巷の女の子の間で最近流行っているものらしい。
ステラお嬢様が一緒に見せてくれた雑誌の記事には、「上流階級の貴婦人方も御愛用!」などと眉唾物の宣伝文句がうたわれていたが、実際にステラお嬢様が持っていたことから考えるとあながち嘘ではないのかもしれない。
……決して、「彼にいい匂いがするって褒められました!」なんていう体験談につられたわけじゃない。
俺はただ、ちょっと物珍しさに買ってみただけなんだ!!……などと心の中で誰に言うでもなく拙い言い訳を繰り返しつつ、石鹸を握りしめて浴室へと向かった。
◇◇◇
普段よりも念入りに身を清める。
ヴォルフは爽やかな見た目に反して、人の体をぺろぺろ嘗め回すのが大好きなド変態野郎なのだ。
文句を言われたことはないけど、やっぱり色々気を遣う。
「うーん……」
ふわっとしたレースが愛らしい裾の短いワンピース型の下着……のような寝衣を身に着け、鏡の前で確認する。
これは、以前仲間に貰ったものだ。その時はこんなの恥ずかしくて着れないと思っていたけど……まぁ、いいよな……。
……いつのまにか、あまり抵抗なくこういうのも着れるようになってしまった。
どうしよう、気合入れすぎとか思われないか……?
いや、でも適当な感じで行って幻滅されたら困るし……。
などとぐるぐる考えつつ、軽く身だしなみを整える。
そっと肌の匂いを嗅ぐと、ふわりと甘い花の香りがした。
……よし、これで大丈夫だ!
最後に気休め手程度に薄手のカーディガンを羽織り、高鳴る胸を押さえ、大きく息を吸って部屋を出る。
小さく扉を叩くと、すぐにヴォルフが顔をのぞかせた。
まさかこいつ、ずっと扉の傍で待機してたわけじゃないよな……!?
「お待ちしてました」
ヴォルフは嬉しそうにそう言うと、ことさら優しく俺の手を引いて部屋の中へと誘った。
「仕事はもういいの?」
「えぇ、別に明日でも問題ありません」
いつもそんなこと言って後回しにしてるけど、結構ヴォルフがマティアスさんに叱られているのを俺は知っている。
でも、今は黙っておこう。
「今度、城下に旅芸人の一座が訪れるみたいです」
「へぇ、見てみたいな」
並んでベッドに腰かけ、とりとめのない会話を続ける。
やがて、一瞬沈黙が落ちたかと思うと引き寄せるように肩を抱かれる。
その時点で、すでに心臓がバクバクだ。
……いつまでたっても、こういう雰囲気は慣れないから困る。
ヴォルフがそっと俺の髪を撫でる。そして、指先がいたわるように後頭部をくすぐった。
「怪我は、もう大丈夫ですか……?」
どうやらこいつは、あの女の人に騙されて殴られた時のことを気にしているらしかった。
でも怪我って程大したものでもないし、後遺症らしきものもないしもうすっかり良くなっている。
「うん、全然大したことないよ」
「それはよかった」
するりと一房髪を掬い取ったかと思うと、その髪にそっと口づけられた。
「っぅ……!」
他人がこんなことしてる光景を見た時は「こいつ気取りやがって……」などと馬鹿にしていたが、実際にやられると中々に照れてしまう。
まったく、恥ずかしげもなくこうい気障な行為ができるあたり、こいつは意外とジークベルトさんに似ているのかもしれない。
彼にキャーキャー言う女性陣の気持ちがちょっとだけわかった気がした。
そっと顔を上げると、まっすぐにこちらを見ていた瞳と目が合う。
その目は、興奮からかわずかに金色に染まっていた。
ヴォルフは吸血鬼だ。
吸血鬼をはじめとする魔族は興奮したり、力を使ったりするときに瞳が金色に光るものらしい。
なんかそんなんで精神状態を悟られるのは恥ずかしくないのか、と疑問に思うこともあるけど、俺の知ってる魔族はだいたい自分が興奮してるのを隠さないような奴ばかりだ。
意外と、平気なのかもしれない。
ぎゅっと催促するように腕をつかむと、心得たように顔を近づけられる。
そのまま、唇が重なった。
「んっ…………」
角度を変えて、何度も口づけを繰り返す。
それと同時に、慈しむようにゆっくりと体を撫でられる。それだけで、思考がどろどろに溶かされていくようだった。
体を撫でる手が胸元にたどり着き、薄い布越しにわずかなふくらみを確かめるように探られる。。
ちょっと前に感度がどうとかからかわれたことを思い出してきゅっと唇を引き結んだが、弱い部分を掠められるとどうしても……自分のものとは思えないような甘い悲鳴が漏れてしまう。
……ヴォルフを直視できない、その瞳に映る俺は、きっとはしたない顔をしているだろうから。
やがて体から力が抜けそうになると、それを見計らったようにベッドへと押し倒された。
「ぁ……」
「……なんか、いつもと違う匂いがしますね」
首筋に鼻先をうずめていたヴォルフが、不思議そうにそう呟いた。
……来たっ!
「えっと……いつもと違う石鹸、使ったんだ……」
「……なるほど」
匂いを嗅がれている、と意識すると恥ずかしくてたまらない。
「どう……?」
「…………いい香りですね。あなたによく似あう」
そう微笑まれて、俺は爆発しそうになった。
うぅ、あのかわいらしい雑貨屋に入るのはちょっと恥ずかしかったし、実際に使うのもちょっと戸惑ったけど、やっぱり買ってよかった……!
ぎゅっと抱きしめられると、じんわりと心が熱くなる。
だが、そこで一つ問題点が発生した。
「ま、待って……!」
慌てて覆いかぶさる体を押し返すと、ヴォルフは不満げに眉をひそめた。
「なんですか、ここまで来て」
「あの、今日は中止に……」
「駄目です」
横暴すぎる……!
でもまぁ、この段階になってやっぱやめるはさすがにないというのは俺もわかってる。
でも、このまま続行するわけにはいかないんだ……!
「す、すぐ戻ってくるから……ちょっと部屋帰っていい?」
「別に変な柄の下着でも気にしませんよ」
「今日はちゃんとしてるから!」
「じゃあいいじゃないですか!」
ヴォルフがしびれを切らしたように寝衣の裾から手を入れようとしてきた。
やばっ、と思った瞬間注意がそれてしまう。
そして次の瞬間、盛大に俺の腹が鳴った。
その場の甘い雰囲気が一瞬で凍り付いたのが、はっきりと感じられた。
「う、ううぅぅぅぅ…………」
駄目だ、やっぱり空腹は我慢できなかった。
うぅ、これは恥ずかしい……!
ヴォルフはぽかんとした様子で俺の腹のあたりを眺めていた。
「お、お腹すいた……」
小さな声でそう主張すると、ご主人様は呆れたように大きなため息をついたのだった。




