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逃げ出した聖女、北の地で吸血鬼のメイドになる  作者: 柚子れもん
第1章 聖女と吸血鬼、もしくはメイドとご主人様
13/110

13 はじめてのおつかい(後)

 ヴォルフの尾行は続く。

 ニルスはいたたまれない気分を味わいつつも、しかたなくクリスの動向を視線で追っていた。


「えっと……リンゴ、葡萄酒、砂糖、羽ペン、羊皮紙……こんなところか」


 風に乗ってぶつぶつとつぶやく声が聞こえてくる。

 その内容を聞く限りはもう買い出しも終わりかけているのだろう。

 ニルスはほっとした。このばかばかしい尾行も、もうそろそろ終わりを迎えてくれるだろう。


「よいしょ、と」


 もともと頼まれた量が多かったのか、それともさきほどの店主のように「おまけ」で手に入れたものが多いのか、クリスは両手で大きな袋を抱えていた。


「危なっかしいな……」

「声かけて持ってあげたらどうですか?」

「……ダメだ。尾行がばれる」


 ばれて困るようなことすんな、と言ってやりたかったが、もちろんニルスにそんな勇気はない。

 心配そうにクリスの後姿を見つめるヴォルフを、少し冷めた目で眺めるのが精一杯だ。

 クリスはゆっくりと歩みを進めている。方向から見て、このまま屋敷に帰るようだ。

 だが、ふとクリスが立ち止まった。

 まさか、ばれたか!?とニルスは焦ったが、クリスは自分たちの隠れている背後ではなく、傍らの商店に視線をやっているようだった。

 つられてニルスもそちらに視線を向ける。店先をきれいな花で彩ったその店は、女性向けの雑貨屋のようだった。ちょっと男としては入りにくい場所かもしれない。

 クリスはいつになく真剣な顔をしてその店を見つめている。そしてきょろきょろとあたりを見回し(間一髪尾行はばれなかった)、そっとその中へと入っていった。


「へぇ、クリスさんもこういう店に行くんですね」

「……いや、今まであまりこういう店に入ったところは見たことがない」


 別にそんなにおかしなことでもないとは思うが、ヴォルフは何かを思案するように穴が開きそうなほどその店を見つめていた。


「よし、ニルス。中を探ってきてくれ」

「えぇ、嫌ですよ!」


 こんなところで偶然鉢合わせるなんてわざとらしすぎるし、そもそも男一人であの店に入るのはかなりハードルが高い。

 まったく、なんてことを言い出すんだこの人は!!


「怪しい店にクリスさんが引っ掛かったかもしれない」

「どうみても普通の店じゃないですか!」


 先ほどから出入りするのは親子連れかカップルか女性客という、少なくとも見た目はいたって健全な人たちだった。人は見た目で判断できないというが、いくらなんでもこんなに堂々と闇商売をしているわけがないだろう。


「これもシュヴァンハイムの治安維持のためだ」

「嘘つけ! あんたクリスさんが気になるだけでしょーが!!」

「しっ!」


 突如ヴォルフに掌で口を押えられる。その理由はすぐに分かった。ちょうどクリスが店から出てくるところだったのだ。

 クリスはどこか緊張したような、嬉しそうな表情を浮かべている。その手には先ほどの大きな袋のほかに、小さな可愛らしい袋が下げられていた。おそらくあの店で何か買ったのだろう。


「なんだ、何を買った……?」

「……もう直接聞いたらどうですか」


 だんだんと馬鹿らしくなってきた。

 なぜ自分がこんなバカップルの茶番に巻き込まれなければならんのか……!

 そう空虚感を覚えた時、前方を歩くクリスに声をかける者がいた。

 ニルスは慌てて物陰に隠れつつ、様子をうかがう。

 ……若く、美しい女性だ。さすがのヴォルフも彼女には脅威を感じないのか、じっとその様子を見守っているようだった。

 女性はにこやかな顔で何事かクリスに話しかけている。この距離では会話の内容までは聞こえてこなかった。

 クリスはしばしの間何かを考えていたようだが、やがて小さく頷いた。

 そのまま二人は連れ立って歩きだす。


「知り合いでしょうか」

「いや、見たことないな……」


 てっきりクリスの知り合いかと思ったが、ヴォルフは訝しげな顔をして前を行く二人を見ていた。

 そのまま、つかず離れずの距離を保ちつつ二人を尾行する。

 やがて、路地裏を抜けたところにある小綺麗な家が見えてきた。

 女性が扉を開け、クリスを中へと促す。

 少し間をおいて。ニルスとヴォルフもそっとその家へと近づいた。

 玄関先には綺麗な花やハーブの植木鉢が並び、花の香りが漂っていた。さっきの女性の家なんだろうな、とニルスは慣れない雰囲気に少しどぎまぎしてしまう。


「やっぱりクリスさんのお友達だったんじゃ……ヴォルフリート様!?」


 真剣な顔をしてそっと玄関の扉へと体を近づけたヴォルフが、その途端驚いたように目を見開いていた。


「……血の匂い」

「え?」


 ニルスが止める間もなく、ヴォルフが玄関の扉に手をかける。だが、中から鍵がかかっているようで、ガチャガチャと嫌な音がしただけだった。

 ヴォルフが舌打ちする。次の瞬間、彼は勢いをつけて玄関の扉を蹴り破ったのだ。あたりに大きな音が響き渡る。


「ええぇぇぇ!!?」

「行くぞ」


 ヴォルフはニルスの返事も待たずそのまま家の中へと走りこんでいった。

 さすがに何か異変が起こったのだとニルスも理解する。

 ヴォルフは脇目もふらず家の中を進んでいく。


「うわっ、なんだこいつら!」


 奥の部屋からキャンキャンという犬の鳴き声と共に、驚いたような男の声が聞こえてくる。

 ヴォルフはそのまま勢いをつけて廊下の突き当りの部屋の扉を蹴り開けた。その向こうの光景が目に入り、ニルスは思わずひゅっと息をのんだ。


 部屋の中で、クリスが倒れていた。


 彼女の持っていた荷物が床に散乱している。

 そして、その傍らで先ほどの女と見知らぬ男が驚いたようにこちらを凝視していたのだ。足元ではたまにクリスが連れている子犬がしきりに吠えていた。


「なっ、おまえらどこから入……ぐふっ!!」


 言葉の途中で、ヴォルフが男に飛び蹴りを食らわせた。

 こんな状況でなければ、見惚れてしまうほど見事な決まり方だった。男は吹っ飛び壁に衝突し、動かなくなる。


「ヒィッ!」


 それを見た女が悲鳴を上げて逃げ出そうとする。

「足長いなー」と感心していたニルスを押しのけて外に出ようとしたところで、やっとニルスは我に返った。


「おっと」


 だが、ここで逃がすわけにはいかない。

 ニルスが軽く足を引っかけただけで、慌てていた女性はバランスを崩しその場で転倒した。


「悪く思わないでくださいねー」


 背中から膝で体重をかけ制圧する。女は暴れていたが、さすがにニルスのほうが力は上だ。

 何かなかったか、とポケットを探ると作業用の紐が見つかった。荷物を縛る要領で手早く拘束すると、女も観念したのか黙ってなすがままになっていた。


「ふぅ、とんでもないことになりましたね」


 振り返ると、ヴォルフがクリスを抱き上げていた。

 ぐったりと力を抜き微動だにしないその様子に、ニルスの背筋がすっと寒くなる。


「その、クリスさんは……」

「……大丈夫、気を失っているだけだ」


 そっと近づくと胸がわずかに上下しているのが見え、ニルスはほっと一息ついた。


「いったいなんだったんでしょうか……」

「誘拐、人身売買、そんなところだろうな。それに……」

「それに?」


 ニルスは聞き返したが、ヴォルフは黙って首を振ると顔を上げてニルスに視線を向けた。


「済まないが、衛兵を呼んでくれるか」

「は、はいっ!」


 とりあえず詰所へ向かおうと、ニルスは慌てて家の外へ飛び出した。入ってきた時と同じように、植木鉢の花が風に揺れている。


「あ……」


 そういえば、ヴォルフはここに来た時に血の匂いがするというようなことを言っていた。

 しかし、先ほど見たクリスは血を流しているようには見えなかった。

 意識してみたが、ニルスにはやはり花の香りしか感じ取れなかった。まるで何かを隠すかのように、並べられた植物は強い香りを放っている。


「…………」


 ……掻き消された血の匂い。

 もしも自分たちが気づかなかったらクリスは…………。


 嫌な想像を振り払うように、ニルスは地面を蹴って駆けだした。




 駆け付けた衛兵は、ヴォルフがヴァイセンベルク家の者だとわかると恐縮したように頭を下げっぱなしだった。

 とりあえず伸びていた男と拘束した女を衛兵に引き渡し、ニルスはクリスを抱えたままだったヴォルフに向き直る。


「とりあえず今日の事情説明は僕がしとくんで、お二人は先に屋敷に戻っていてください」

「……済まない、助かる」


 ほどなくして、屋敷から迎えの馬車が到着した。

 大事そうにクリスを抱えたヴォルフが乗り込んだのを見届けて、ニルスは床に散らばったままだった荷物をまとめて手渡してやる。


「はい。たぶん起きた時にこれがなかったら、クリスさん落ち込むでしょうから」

「……そうだな、ありがとう」


 遠ざかる馬車を見送りつつ、散々な一日になったな……と、ニルスはそっとため息をついた。



 ◇◇◇



「ん……」


 なんだか頭が重いし、ちょっと痛むような気がする。

 そっと身じろぎすると、鈍い痛みが走った。


「っ……!」

「クリスさん!!」


 慌てたような声がして、そちらに視線を向ける。

 そこには、ヴォルフが必死な顔をして俺をのぞき込んでいた。


「あれ、ヴォルフ……?」


 そう呼びかけると、ヴォルフはほっとしたように表情を緩める。

 起き上がろうとしたが、すぐに肩を押えられ戻されてしまった。


「まだ寝ててください」

「え、でも……あれ…………」


 ここは見慣れたヴォルフの部屋だ。俺はヴォルフのベッドに寝かされていたようだった。

 ……あれ、俺は何でここにいるんだっけ。

 そう記憶を巡らせて、俺は目覚める前にあった出来事を思い出した。


「あっ……!」


 街中で奇麗なお姉さんに声をかけられて、彼女の自宅に誘われた。そこにいた男の人に挨拶しようとしたらいきなりすごい衝撃と痛みを感じて……


「いったぁ……」


 そっと手でさすると、後頭部の痛む部分が少しだけ盛り上がり熱を持っていた。

 なるほど、どうやら俺は背後から殴られ、気絶してしまったようだ。


「そうだ! 買い出し!!」


 あの時、俺は買い出しが終わって屋敷に帰る途中だった。その荷物はどうなった!?

 状況はよくわからないが、たぶんヴォルフがいるってことはこいつが助けてくれたんだろう。

 ……やっぱり、買い出し任務に失敗したのか?

 そう考えた途端情けなさで落ち込んでしまう。せっかく師匠が仕事を任せてくれたのに、買い出し一つもともにこなせないなんて……俺はメイド失格だ!!


「はぁ、真っ先に心配するのがそれですか……」


 ヴォルフが呆れたようにため息をつく。そして、テーブルの方を指さした。


「あっ!」


 そこには、俺が買った物を入れた大きな袋と、最後に私用で立ち寄った雑貨屋の小さな袋がどーんと鎮座していたのだ。


「あなたが持っていたメモと照らし合わせて、全てあるのは確認済みです」

「葡萄酒、割れてなかった?」

「えぇ、無事でした」


 それを聞いて、胸の奥から安堵感がこみ上げる。


「よかったぁ……」

「はぁ……全然よくないんですけど!!」

「あたっ!」


 咎めるように指で額をはじかれる。

 何するんだよ、と恨めし気な視線を向けたが、ヴォルフは臆することはなかった。


「まったく……自分がどういう状況だったかわかってるんですか!? 僕たちが見つけなかったらとんでもない目にあったいたかもしれないんですよ!」

「僕たち?」

「あぁ、僕とニルスであの家にいた二人を拘束しました」

「ニルスも? なんで?」

「……まぁ、それはどうでもいいじゃないですか」


 ヴォルフは俺から視線を外すと、また大きなため息をついた。


「……あの女性、知り合いだったんですか」

「ううん、初めて会った」

「はぁ? じゃあ何で家に行ったんですか!」

「だって……おいしいジャムができたから、おすそ分けするって……あたっ!」


 再び額をはじかれる。

 ヴォルフは怒ったような呆れたような、なんとも言えない表情を浮かべていた。


「いろいろ言いたいことはあるけど……まず、知らない人についていかない!! 子供でも守ってますよ! 物で釣って騙そうとするなんて常套手段じゃないですか!!」

「えぇ……」


 なるほど、都会ではそんな教えがあるのか。

 俺が生まれ育った田舎なんてみんな顔見知りだったから、おすそわけなんて日常茶番時だった。だから、今日もそういうノリだと思ったんだ。

 うぅ、都会怖いな……。


 落ち込む俺の頭をそっとヴォルフが撫でる。


「あまり、心配させないでください。もしあなたに何かあったら、僕は……」

「……ごめん」


 そっと頭を撫でる手に触れる。優しく繋がれて、じんわりと心が温かくなった。

 重い体を起こし、ヴォルフを抱き寄せ頭を撫でる。いつもだったら年上ぶるなとか子ども扱いするなとかうるさいヴォルフも、今は何も言わなかった。


 たぶん俺も、ヴォルフに何かあったら平常ではいられない。

 …………きっと、それはこいつも同じなんだろう。


「……もう、知らない人にはついて行かないでください」

「わかってるよ」

「お菓子あげるって言われても無視してくださいよ」

「お前なぁ、俺のこといくつだと思ってんだよ」


 見事につられた俺が言えたことじゃないが、そんな風に子供みたいに注意されるとちょっと恥ずかしい。


 そのままお互い無言でぎゅっと抱き合っていると、窓の外から師匠とエーリクさんのにぎやかな声が聞こえてきた。


「師匠、帰ってきたんだ!」

「ほら、報告してきたらどうですか」

「うん!!」


 予期せぬアクシデントはあったけど、俺はなんとか師匠に頼まれた仕事を完遂できた。

 とにかく、一秒でも早く師匠に報告したい。

 ヴォルフの手を借りベッドから降り、俺は部屋の外へと飛び出した。

合わせたわけではないのですが前作13話もストーカー回でした。

歴史は繰り返します!

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