11 お嬢様も大変です!(後)
「つまり、腹から声を出すんです!」
「は、腹から……?」
「はい、やってみましょう! あー!」
「あー」
別館の一室、適当なレッスンを始めた俺とステラお嬢様を、ヴォルフはやれやれとでも言いたげな表情で眺めていた。
「……ステラ。念のため言っておくと、この人は歌についてはド素人だから」
「確かにそうかもしれません! でも、俺はアイドルだってやったことがあります!!」
「ア、アイドル……!?」
お嬢様はきらきらした瞳で俺を見つめている。
ふふっ、以前は仕方なくやったアイドルごっこがこんなところで役に立つとは!
なんとなくそれっぽいことを言って、俺はステラお嬢様の自信を取り戻そうと必死になった。
たぶん、技術的に見ればステラお嬢様は俺の遥か上を行くだろう。だが、今は自信を喪失した状態でうまく歌えなくなっている。
俺にできるのは、とにかくそれっぽいトレーニングを行ってお嬢様に自信を取り戻してもらうことだ!
「……ステラ、そろそろ時間だ」
しばらく練習を続けていると、時計を見たヴォルフがお嬢様にそう声をかける。
どうやらステラお嬢様はかなり緻密なスケジュールで動いているようだ。自由時間も終わりだということだろう。
「ねぇヴォルフにいさま! 明日も来ていいでしょ!?」
「僕は構わないけど……クリスさん、どうですか?」
「お待ちしております!」
そう答えると、お嬢様はぱっと明るい顔になった。
俺のなんちゃってトレーニングも、ちょっとは効果があったのかな。
別館を出ていく二人を見送って、そっと息を吐く。
どうやらお嬢様が歌を披露するガーデンパーティーはもう数日後のようだ。俺にできることは少ないかもしれない。でも、少しでもお嬢様の役に立てればいいな。
「ステラが喜んでましたよ。あなたは意外と教師の才能があるのかもしれませんね」
夕食の最中、ヴォルフがぽつりとそう口にした。
それはよかった。まあ教師の才能なんて俺にはないだろうけど。
「教える内容が伴ってないからな。たぶんすぐクビになる」
「それでも、今のステラに必要なのはあなたのように同じ目線で、親身になって応援してくれる人間です。それに関しては、きっとあなた以上の適任はいないでしょう」
思わずヴォルフを凝視すると、ヴォルフは俺を見て何か変なことを言っただろうか、とでも言いたげに首をかしげた。
「……もしかして、褒めてる?」
「もしかしなくても褒めてます」
「まじか」
こいつに褒められることなんて滅多にない。ちょっと照れてしまう。
「ふふ、優しいんだな。『ヴォルフにいさま』は!」
「……言っておきますけど、そう呼ばせ始めたのはジーク兄さんですからね!?」
ヴォルフは照れたようにそっぽを向いてしまった。
ふふ、これでお互い様だ!
◇◇◇
その後も、俺とお嬢様のレッスンは続いた。
お嬢様も少しずつ自信を取り戻してきている……と思いたい。
レッスンの合間には、お嬢様はいろいろと俺の話を聞きたがった。
巨大なドラゴン、獣人やドワーフの里、魔法使いの集まる島、優しい精霊の女の子……などなど、旅の合間に見た物事を脚色したり、やばそうなところを隠しつつ話すと、お嬢様は目を輝かせて聞いていた。
「すごいわ! クリスはものしりなのね!」
「えへへ、それほどでも……」
「ステラ。おだてすぎると調子に乗るからほどほどに」
「なんだよー!」
思わずつっかかると、ヴォルフはおかしそうに笑っていた。
その様子を、お嬢様はじっと見つめている。
「あ、あの……」
どこかもじもじとした様子で、お嬢様が切り出す。
一体どうしたんだろう。
「どうかしましたか?」
「その……ヴォルフにいさまと、クリスは……こいびと、なの……?」
顔を赤くしながら、お嬢様は小さな声でそう絞り出したのだ。
純真な子供にストレートにそんなことを聞かれ、俺も瞬時に赤くなってしまう。
ただ一人、ヴォルフだが余裕の笑みを浮かべていた。
「よくわかったねステラ。その通りだよ」
「ちょ! お前何言ってんの!!」
「え、事実じゃないですか」
いやいや、そんなこと言って大丈夫なのかよ!
今の俺って、一応この家に雇われたメイドなんだけど!!
「や、やっぱりそうなのね……」
お嬢様は真っ赤な頬を抑えながら、そっと俺を見上げた。
「メイドでこいびとなんて……クリスはすごいのね……!」
うーん、俺がすごいというか、それを許してるヴァイセンベルク家の人たちがすごいというかちょっとおかしいんじゃないですかね。……なんてことは口にはできない。
俺はあいまいに頷くことしかできなかった。
「ほら。もう時間もないんだし練習しないと」
ヴォルフにせかされて、ステラお嬢様がはっとした表情を浮かべる。
俺も慌ててレッスンを再開した。
◇◇◇
そして、ガーデンパーティー当日がやってきた。
「うぅ、大丈夫かな……」
「あなたがそんな状態でどうするんですか」
朝からそわそわと歩き回る俺を見て、ヴォルフは苦笑していた。
できることはやった。昨日の時点ではお嬢様もだいぶ自信を取り戻して、かわいらしい歌声を聞かせてくれていた。でも、やっぱり心配になってしまう。
「始まるの何時だっけ……!」
「……そんなに心配なら、見に行きますか?」
「えっ?」
思わず振り返ると、ヴォルフがちょうど椅子から立ち上がったところだった。
「いい方法がありますよ」
ヴォルフに連れてこられたのは、本館のとある部屋だった。
中には誰もいない。ヴォルフは部屋の中へと足を踏み入れると、そのままテラスへと続く扉を開く。
「ほら、来てください」
招かれるままに、俺も足を進める。テラスに出ると、下のほうからにぎやかな声が聞こえてきた。
「うわぁ……」
テラスの下には、見事に手入れされた庭園が広がっている。
そして、今日はその場所にいくつものテーブルや椅子が用意されており、食器や料理が並べられていた。
どうやらここがガーデンパーティーの会場らしい。給仕が忙しそうに行き交い、着飾った人々が楽しそうに談笑に興じている。
その中にはジークベルトさんやユリエさん、それにステラお嬢様の姿もある。
お嬢様はどこか浮かない顔をしていた。やはり緊張して、不安になっているのだろう。
「ステラも優秀な子なんですけどね。繊細なところは義姉さん譲りのようで」
そっと下を見下ろしながら、ヴォルフがぽつりと呟く。
……確かに、ヴォルフたち兄弟はなかなかいい性格をしていると思う。転んでもただでは起きない。何かされたら百倍にして返すタイプだ。それに対してステラお嬢様はけっこう気弱で心配性なところがあるのかもしれない。
「ジーク兄さんのずぶとさの十分の一も受け継がなかったようですね。喜ぶべきかもったいないと思うべきか……」
「喜ぶべきだと思うけど……こういう時はそうでもないのかもな」
庭園では次々と人々が楽器を演奏したりとそれぞれの特技を披露しており、あちこちから拍手が起こっている。
そして、ついにステラお嬢様の番が来たようだ。
ユリエさんに促され、お嬢様がぎこちない足取りで皆の前へと歩み出る。
「まあガーデンパーティーなのでそこまで形式ばったものでもないし、そんなに気負うこともないとは思うんですが」
「じゃあ、失敗しても大丈夫なのか?」
「……嫌なうわさは立つでしょうね」
「だめじゃん」
貴族ってのも大変なんだな……。いつもパーティーばっかして楽なもんだと思っていたけど、なかなか気苦労が多そうだ。
皆の注目がお嬢様のほうへと集まっているようだ。お嬢様はぎゅっとスカートを握りしめて、唇を引き結んでいた。
……これは、まずいかもしれない。
俺もがんばれ、がんばれと必死に念を送る。驚いたことにその念が通じたのか、お嬢様が顔を上げる。
そして、俺と目があった。
俺は、ゆっくりと頷いた。あなたなら大丈夫です、と伝わるように。
お嬢様は驚いたように目を見開き、そしてそっと笑った。
途端に、空気が和らいだような気がした。
……やがて、美しく澄んだ歌声が響き始める。
「……クリス先生の特訓の成果ですね」
「…………うん」
「ちょっと、なに泣いてんですか」
俺は、感動のあまりずびずびと泣いてしまった。
よかった、本当によかった……!
まるで自分のことのように嬉しい。安堵で力が抜けそうなくらいだ。
そんな俺を見て、ヴォルフは呆れたように笑っていた。
下から盛大な拍手が聞こえてくる。ジークベルトさんが嬉しそうにステラお嬢様を抱き上げていた。
それを、とても誇らしく思えた。
◇◇◇
「クリス! 聞いてくれた!?」
翌日、いつものようにヴォルフに連れられてステラお嬢様がやってきた。
お嬢様は俺の姿を見つけると、嬉しそうに走り寄ってくる。
「はい! とてもお上手でした!!」
「みんなにほめられたの! さすがはヴァイセンベルク家の子だって!!」
お嬢様は嬉しさが抑えきれない、といった様子で満面の笑みを浮かべている。
こうして見ると、初めて会ったとき裏庭でこっそり泣いていたのが嘘のようだ。
「ありがとう。クリスのおかげよ」
「いいえ、すべてお嬢様のお力です」
「……ううん、わたし、やっぱりきんちょうして、足がふるえて……泣きたかったの。でも、そんなときクリスの顔が見えて、元気が出てきて……」
……見に行ってよかった。
少しでもお嬢様の役に立ててよかった。
「だから、あなたのおかげよ。ありがとう、クリス」
お嬢様がそっと俺の服の裾を引っ張った。
なにかな、と思ってしゃがみこむと、お嬢様がそっと近づいてくる。
そして、頬に感じる柔らかな感触。
「本当にありがとう、クリス。私、あなたのこと好きよ」
「は、はい……」
「あの……また、ここにあそびにきてもいい?」
「いつでもおいで」
ヴォルフがお嬢様の頭をなでると、お嬢様は照れたようにはにかんだ。
「あっ! もうすぐバイオリンのレッスンだわ!」
「ラウラ、ステラを送って行ってもらえるか?」
「ええ、お任せください!」
素早く現れた師匠とともに、お嬢様は何度も手を振りながら別館を後にした。
俺はというと、放心したようにまだその場にしゃがみこんでいた。
……やばい。これはやばい!!
「はじめて……女の子に好きって言われて、ちゅーしてもらった……!!」
ほっぺとはいえ、あれは立派なキスだった。
俺は、初めて女の子にキスしてもらったんだ……!
「は? 全然初めてじゃないですよね」
「お、女の子とは初めてだし! うわー、どうしよう……!」
あの柔らかさが今も鮮明に残っている。触れた頬は、確かに熱くなっていた。
そっと頬を抑えながら、俺は感動に打ち震えていた。
そんな俺を、ヴォルフはどこか不機嫌そうに見下ろしていた。
「……キスなんて、何回もしてるじゃないですか」
「ばーか、女の子とは別なんだよ! あぁ、どうしよう。このまま俺とお嬢様の間でロマンスが生まれちゃったりしたら……!」
まぁ、それはほぼ冗談だった。俺はちょっと調子に乗りすぎていたのかもしれない。
そう気づいた時には、もう後の祭りだった。
ぐい、と腕をつかんで立たされたかと思うと、その直後噛みつくように口付けられた。
「んんっ!!?」
抗議しようと口を開いた途端、有無を言わせぬ勢いで舌をねじ込まれる。
ちょっと待て、ここ誰が来るかわからない玄関ホールなんだけど!!?……と抗議することもできなかった。
呼吸ごと奪いつくすように、荒々しく口内を探られる。
なんとか振りほどこうとするが、がっちりと抑え込まれてしまう。
弱い箇所を掠められると、こらえきれずに喉の奥からくぐもった悲鳴が漏れた。
「…………んっ、ぁ……ふ、ぅ……」
足に力が入らなくなった頃、やっと解放された。
二人の間を伝う銀糸を、ヴォルフがぺろりと舐めとる。
その淫靡な光景から思わず目をそらすと、ぐい、と強く顎を掴まれ視線が合う。
その瞳は、確かに嫉妬の色を宿していた。
「……お嬢様を誘惑するような不埒なメイドには、お仕置きが必要ですよね」
「ぇ……」
ごめんなさい冗談です、と撤回する暇もなかった。
哀れ調子に乗りすぎたメイドは、ご主人様からたっぷりとお仕置きをされてしまったのでした!!
……まったく、年齢一桁の幼女(しかも自分の姪)に嫉妬するとか、俺のご主人様の頭は大丈夫なのか!




