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103 満月の夜に

 ……目の前の相手は、自分の正体に気がついている。


 ヴォルフはすっと立ち上がり、クリスを守るような位置を意識して、ラグナルに対峙した。


「……そこまでわかっていながら、僕が寝ている間に息の根を止めなかった理由は?」

「クリスの必死な態度見てたらそんなことできねぇよ。だから……まずは確かめたかった」


 ラグナルは感情の読めない瞳で、じっとヴォルフを見つめている。

 どうやら今すぐヴォルフを殺そうとする意志はなさそうだが、まだ安心はできない。

 警戒を解かずに、ヴォルフはラグナルを睨み返す。


「それで、何故僕が吸血鬼だと?」

「そりゃあ……クリスが寝てるお前に何度も血飲ませてたからな。あいつは気づかれてないと思ってたみたいだけど」


 ラグナルがちらりと眠ったままのクリスに視線を落とし、くすりと笑う。

 ヴォルフはため息をつきたくなるのをなんとか堪えた。


 先ほどクリスの体を見聞した際に、腕に自分でつけたような傷があるのには気がついていた。

 クリスは崖から落ちた時に傷つけた、などと誤魔化していたが、やはり自分でつけたものだったのだろう。

 しかし、まさかその血を与える現場をばっちりラグナルに見られていたとは……


「随分な忠誠心と思ってな。……強い力を持つ吸血鬼は配下の者を好きなように操れる。そうだろ?」


 ラグナルがにやりと笑ってみせる。

 だが、その目だけは笑っていなかった。


「……信じてもらえないとは思いますが、僕はクリスを操っているわけではありません」

「へぇ、じゃあわざわざ自傷してまでお前を生かそうとしたのは、純粋にクリスの意志だと?」

「そういうことになりますね」


 そう言うと、ラグナルは大きな声をあげて笑った。

 ヴォルフはじっと黙って、その様子を見つめる。


「ははっ! 面白いこと言うなお前!!…………人間がそんなことするわけねぇだろ」


 ひやりと冷たい声でそう言われ、ヴォルフは目を細める。

 笑うのをやめたラグナルは、今やはっきりとヴォルフを睨みつけていたのだ。


「お前、自覚がないのか? だとしたら重症だな。現に、お前はそいつの血を吸って生きながらえてるんだろ。だったら影響がないわけがない」


 ラグナルが放ったその言葉に、ヴォルフは激しく動揺した。


 ……事実としては、そう理解はしていた。

 ヴォルフはクリスを支配下に置いているつもりはない。だが、そのつもりがないだけで、確実にクリスはヴォルフの眷属へと変化しつつある。

 無意識に主を生かそうと、主の望む行動を取ろうとしている可能性だって、十分に考えられるのだ。


「お前だって、ほんとにクリスのこと好きなのか? 単に手直に食える女がいるから、支配下に置いてるだけじゃねぇか」


 ……違う、そんなはずはない。

 ヴォルフは吸血鬼としての特性に目覚めるずっと前から、クリスのことが好きだったのだから。


 だが、二人が近づくきっかけとなったのは、間違いなくヴォルフが吸血鬼として目覚めた、その事件だ。

 クリスは自分の血ならいくらでも吸っていいと言ってくれた。その言葉に甘えるようにして、ヴォルフは今でも定期的にクリスから血を補給している状態だ。

 きっとクリスがいなくなれば、ヴォルフは自分を保てなくなるだろう。


 ずっとクリスのことが好きだった。だが、仄かな恋心はやがて重い執着へと変化し、クリスの血を吸ったことで……クリスを縛る鎖のようになってしまった。


 ヴォルフはクリスのことが好きで、クリスもヴォルフのことを好きだと言ってくれる。

 だが、それが純粋な愛情と呼べるのかどうかは……ヴォルフには、もうわからなかった。


「……魔族と人間が、共存できるわけがない」


 ラグナルがぽつりとそう呟く。

 その言葉は重く……何故か、少し悲しげに聞こえた。

 ヴォルフはぐっと拳を握り締めて、ラグナルを睨み返す。


「所詮お前は奪う側なんだ。クリスのことが好きなら、さっさと解放してやれよ。じゃな、い、と…………」


 言葉の途中で、ラグナルは苦しげに胸を押さえた。

 はぁはぁと息を荒げ、洞窟の壁に手をついている。


「……ラグナル?」

「…………なぁ、ヴォルフ」


 ラグナルが顔を上げる。その表情は先ほどまでとは違い、まるで縋るような、どこか焦ったような顔をしていた。


「……月、どうなってる」

「はぁ?」

「月の状態。……教えてくれ」

「月……?」


 意味が分からなかったが、ラグナルはひたすら「月を見ろ」と繰り返していた。

 仕方なく、ヴォルフはラグナルの背後の洞窟の外へと視線をやった。

 既に夕日はほとんど沈み、うっすらとした月が空に昇りかけている。


「月の状態って……普通に出てるだけだ」

「形は……?」

「形?」


 ヴォルフは目を細めてじっくりと月を観察してみた。

 どうやら今日は満月のようだ。空に浮かぶ月は、綺麗な円形になっている。


「満月だけど、それがなにか……」


 そう告げた途端、ラグナルが大きく目を見開く。そして、がばりと顔を上げた。


「っ……逃げろ! 早く!!」

「はぁ? 何言って……」

「いいから! クリス連れて早くここから離れろ!!」


 いきなりの急変に、ヴォルフは戸惑った。

 まったく意味が分からない。目の前の青年は、いったい何がしたいのか?


「んー……、ヴォルフ……?」


 ラグナルが騒ぐ声が聞こえたのか、寝ていたクリスまでもが、起きだしてしまったようだ。


「え、なになに……?」


 クリスはぼんやりしていたようだが、苦しそうなラグナルと、戸惑うヴォルフを見て、慌てたように立ち上がった。


「クリスも! 早く逃げろって!!」

「え? 逃げるって……」

「いいから、ここから……俺から離れてくれ!!」


 必死に表情でそう叫んだ途端、ラグナルに変化が起こった。


 ぼこり、とまるで筋肉が盛り上がるように、彼の腕が膨張したのだ。


「ぇ…………」


 クリスが怯えたようにヴォルフの背中にしがみつく。

 そんなクリスを庇いながら、ヴォルフは信じられない思いでラグナルの変貌を見ていることしかできなかった。


「う、あああぁぁぁぁ……!」


 ラグナルは苦しそうに胸を掻きむしりながら、洞窟の床をのたうち回っている。

 彼の体はぼこぼこと変形し、まるで獣のような体毛まで生え始めている。

 そしてある程度変化したところで……ヴォルフはやっとラグナルの言葉の意味を理解した。


 彼が、月の状態を確認しろといった意味。

 空に昇る満月。

 満月の夜にラグナルは変貌した。

 この、まるで獣のような、この姿は……



「まさか……人狼ウェアウルフ…………?」



 完全に姿が変わり、むくりと起き上がったその姿を見て……ヴォルフはすぐにラグナルの言葉に従わなかったことを後悔した。


 ぎらり、と獣のような瞳がヴォルフとクリスを捕らえている。

 今のラグナルは吸血鬼と同じ魔族の一種――人狼ウェアウルフに変化していたのだ。


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