番外編(1000PVお礼):百味袋 ~アイルルクッキーを召し上がれ~ (後)
「なるほど。じゃあ、コマはさっきの二枚の番号を見ていたのか」
「ううん、食べれば分かるよ。僕、全味制覇してるもの」
驚いてコマを見下ろすと、得意げに胸を張ってみせる。
「これは普通の大袋だから番号と名前が一致しているけど、名前と番号がランダムになっているものもあってね、それで利き味大会とかも各地で開催されているんだよ」
「100種類、全部暗記しているのか!?」
「ううん。今のところ、全部で163種類だよ。期間限定の作者もいるんだ。これからまたもっと増えていくと思うけど」
つまり、163種類の味すべてとその作者の名前を暗記しているのか。
冗談のようなこのクッキー163枚分の味と作者名。
本気で覚えようとすれば覚えられなくはないだろうが、全部食べながら覚えていかなければならないことを考えると、かなり無理そうな気がする。
コマの食への執念を見た気がして、思わず遠い目になるイリキを気にせず、コマはイリキの手の中に残ったクッキーの番号を確認すると、こっそり、にんまりと笑った。
「ミラ味は僕も大好きな味なんだ。半分ちょうだい」
言われるまま、半分に割って渡すとコマは味わうように少しずつかじる。それを真似て同じように少しかじると、海鮮と肉と野菜のもつ旨みが全て溶けあったような、なんともいえない旨みが広がった。
「これは、うまい」
目が覚めるような衝撃的な旨みというよりも、じわじわと舌に浸透してくるような旨みだ。これ一枚で、いろいろな料理を楽しんだような満足感がある。
「ミラ味は人気なんだよ。料理に混ぜてもおいしいから、肉とか魚とかがないときは隠し味としてもよく使われるんだ」
「クッキーが調味料っていうのは違和感があるんだが、確かにこれだけ濃厚な旨みや甘みがあれば、料理にも使えるだろうな」
そう。たとえば食事にこだわっていられない事態が起きたとき、非常食としてもこの百味袋が役に立つのではないか。
それこそ、リリアント味やミラ味はもってこいだろう。
そうコマに言ってみると、きょとん、と目を丸くしたあとに無理無理、と首をふった。
「確かに、非常食として使うのはありかもだけど、それなら別売りされてる一味袋か十味袋じゃないと。それに、味で騙されるけど、結局のところアイルルクッキーとしての栄養価しかないから、気付かないうちに栄養失調ってこともなりかねないし」
「ということは、その中には“外れ”の味も入ってるってことか?」
「ご名答」
にんまり、とイリキの手元を見て笑うコマに嫌な予感がして、手の中に残っている二枚のクッキーを見る。
「ま、何事も経験だからさ。食べてみてよ」
いや、明らかに“外れ”だろう。
出来ればこのまま食べずに済ませたいところだが、コマがそれを許してくれそうにもない。
まぁ、少なくとも百味全て暗記しているということは、コマもそれを食べたことがあるはずだし、あまりにも強烈な味なら、ほかの味と入れ替わるだろう。
イリキは意を決して、まずは83番のクー味をごくごく小さく割って口に入れた。
その瞬間、楽観視していた自分の首を絞めてやりたくなった。
「・・・・・・なんというか。ひどく人を落ち込ませる味だな」
混沌としすぎて、何味といっていいのか分からない。
吐き出しそうになるほどまずいわけではないのに、何でこんなものを食べているんだと、どーんと落ち込んでしまう。
確かにこんなものを非常事態時に食べたら、自殺者が出てしてしうかもしれない。
「それはクー味だね。じゃ、これも食べてみて」
無情にもコマは最後に残ったクッキーを指差して勧めてくる。
エリス味は、確か反則だとかなんだとか言っていなかったか。
もうここまで来たら、毒くらわば皿まで、という気持ちになってくる。
小さく割ることもせずに、一枚そのまま口に放り込むと、コマが慌てて止めようとするのが視界の隅でみえた。
できるなら、もうちょっと早く止めて欲しかった。
「・・・・・・」
「ど、どう?」
多分に大丈夫? という心配そうな響きを含んだ声に、淀んだ目を向ける。
「筆舌に尽くしがたい」
うまいとか、まずいとか、そういう次元の問題ではなく。
“口”たる自分ですら、その味を表現する言葉は持ち合わせていなかった。
いや、むしろ、表現すること自体を放棄したくなる。
“口”が語ることを拒否したくなるとは、ある意味危険な物質だ。
「・・・今度からエリス味を“口封じ”って呼ぼうかな」
同じことを思ったらしいコマが、ぽそり、とつぶやいたのを、聞きとがめて睨みつけると、コマは慌てように目をクルリ、と大きく回す。
「なんでこんな危険なものが入っているんだ」
不機嫌を隠さずに聞くと、ぱたぱたと小さな手を意味もなく振ってみせる。
「・・・いや、何でというか、多分ある意味罰ゲーム的な? まぁ、エリス味は最終兵器って呼ばれるくらい、特に例外だから! 食べるとしばらく味覚が可笑しくなって、嫌いなものでも食べれるようになるとか、エリス味に比べたらなんでもましって思えるようになるから、好き嫌いの多い子供の親は率先して買っているし」
罰ゲームで、最終兵器で、味覚を混乱させる“口封じ”。
食べる前なら、大げさな、と笑い飛ばすところだが、今は笑える気がしない。
「でも、それでもちゃんとしたアイルルクッキーだから、身体を壊したりしないんだよ?」
慌てたようにフォローを入れていたコマは、ふと、自分が持つ百味袋を見つめて、真剣な目になった。
「さっきも言ったけど、アイルルクッキーって、全部同じ材料を使っているんだ。だから、たとえば、病気で甘いものが食べられない人や、塩気を取れない人の料理に使えると思わない?」
「代替品にはなるだろうな」
コマはうん、と小さく頷く。
「食べたいものを、食べたいときに食べられないことほど辛いことはないから。僕は僕の用事が全部終わったら、アイルルクッキーの発案者に会いに行きたいんだ。協力すれば、きっともっといろいろなものが作れると思うんだよね」
目を輝かせて語る様子に、またひとつ、このコマという旅の道ずれのことを知ることが出来たような気がした。
これまで一緒にすごしてきた中でも、コマは自身の食への執念だけでなく、周り人々の食に対する思いにも敏感だった。それだけに、これまでにいくつもの食へ声を聞いていたのだろう。
そう考えたところで、イリキは頭を抱えたくなった。
また、食、か。
コマ自身のことは、実際には、ほとんど知らないような気がして、イリキは思わず遠い目をしてしまう。
だが、それならそれで、いいような気もしてくる。
コマを語る上で、食は切っても切れない間柄だ。
なら、食から知るというのもありだろう。
諦めにも似た気分でいたなら、イリキを見上げる黒い瞳がクルリ、と回った。
「セイランに行くのも楽しみにしてるんだよ?」
うっとりと想像しているコマを見て、もう予想がついた。
十中八九、シュリスンがらみだ。
「セイランでしか食べられないシュリスンが、どんな料理があるのか今からすごく楽しみ!」
予想的中。
言術士なら“口”の訓練法のほうに気を向けてもらいたいところなのだが。
「絶対セイランの美味しい物を制覇するんだ! まずは何よりもシュリスンに初挑戦して・・・・」
明るい表情で無邪気にセイランに向かったその後の予定を語るコマから、イリキは視線を外した。
「きっとコマにとって、セイランは魅力的な場所だと思うよ」
コマの食への熱意にとっても、言術士としても。
セイランはきっとコマの想像以上のものを与えるだろう。
ただそれ以上に、“耳”の能力者にとっては、辛い場所かもしれないが。
先の事は、誰にも分からないのだから。
せめてコマの食への熱意だけはそのままに。
言葉には出さず、イリキはそっと心の中だけでつぶやくと、もうほとんど味が分からなくなった残りのクッキーをゆっくりと口に運んだ。




