道程 ①
整備されきれていない道に合わせて、馬車が大きく揺れる。
荷物を並べて作った仮の椅子の上で跳ねながら、イリキはこの揺れをものともせず器用に分厚い書籍を読んでいる連れの子供に目を向ける。
先ほどまでは眉間に皺を寄せていたが、時にくるくると動かしながら瞳を輝かせて読書を楽しんでいる様子に、イリキはほっと、息をついた。
同行することになって、12日。
旅の道連れができると、気ままな一人旅と違って、色々と気を使うことが増えてくる。
普段は一人で旅をしているイリキにとって、この小さな同行者を得てからの旅は、驚きと反省を絶え間なく繰り返してる。
財布がなくなったことに気がついたあの時。
全財産をひとつの財布で管理していた自分の失態と、やっと見つけた“耳”の能力を持っているかもしれない子供と約束した資金の提供ができなることに、場合によってはこれから先の同行を拒絶されるかもしれない可能性に、血の気が引いた。
ただでさえでも、イリキに残された時間は多くない。
コマと共にセイランへ帰るためには、なんとしても財布を取り戻さなければならない。
取り戻す。そうだ、取り戻せばいい。
混乱しかけた頭が急速に冷えていく感覚。
目に見えない、しかしその存在を感じ取ることの出来る大気の狭間に向けて、“言”を発すると、望み通り、よりいっそう己の声を響かせる“場”が構築される。
盗られたものを取り戻すには?
自分の中に詰め込まれている膨大な“言”の中から、迷わず複数の“言”を選び出す。
“言”には特徴があり、単独で発することで威力を増す“言”があれば、複数の“言”と組み合わせることで溶け合い、馴染み、数倍の効果を引き出す“言”もある。
イリキが発しようとしていた“言”も組み合わせることによって効果を倍増させる“言”だった。
「『欲深く』」
場を構築したことで、声を張り上げずとも、辺りに響き渡る。目に見えぬ何かの気を引くことに成功した手ごたえを感じながら、さらに続く“言”を口にしようとしたとき。
「『望み多きヴィシ』っぐふっ!」
ここ数年、受けたことのない衝撃が鳩尾を襲い、“言”が途切れる。
耐え切れなくなって膝を突くと、かなり青ざめた顔をしたコマが胸倉を掴んで揺さぶりながら怒鳴ってきた。
なぜ、そんなに蒼白になって怒鳴るのか。
理解できないまま、さらに怒鳴られて、ようやく自分が発しようとしていた“言”が、どのような種類のものなのかに気付き、一気に血の気が引いた。
それと同時に激しい自己嫌悪に襲われる。
ありとあらゆる状況を想定して、その対処法をいくつも見出しておく。
それは、セイランの“耳”ならば誰でも当たり前の習慣として叩き込まれているものだ。
しかし。
物事には例外というものがあるもので。
徹底的に冷静にあることを叩き込まれていたにも関わらず、イリキは想定外の事態に対して、子供のころから情けなくなるほど非常に弱かった。
弱点を克服すべく、他の子供たちとは別の訓練も施されたが、あまり効果はなかった。
それでもここ数年は、日々の努力と師たちのスパルタによって悪癖が出てしまうことがなかったのだが。
まさか、財布ごときで自分を見失うなんて。
もう何度目になるかわからない自己嫌悪のため息をついた。




