知ることは 2
コトリと僅かな音を立てて机の上に注文した飲み物が置かれる。
BGMが心地良い程度の音量でかかった静かな店内には、俺達を含めても客は10人もいない。現実ならこの環境で声を潜めて喋ったとしても、周りに声が漏れるだろう。ゲーム内であれば、専用のアイテムを使えば声を周りに聞こえないようにすることができるので机の上にそれを置いて起動させる。
「いい店だな」
「それほど大きくない町の、さらに大通りから外れた場所にあるからね。これもゲーム内だからできること」
たしかにこれを現実でやろうとすれば、利益なんて全く出ずにすぐに潰れてしまうだろう。こういう場所で店を開くなら、もっと客を呼べる何かを用意しないといけないが、そうすればこの静かで落ち着いた環境は無くなってしまう。
ORDEALでならば、赤字だったとしても適当に魔物を狩れば金は稼げるし、現実と違って破産したところでニューゲームでリセットできる。
金持ちの道楽のようなことを、強さを捨てることで楽しめるのだから、それはそれで現実とは違う第二の世界の楽しみ方でもあると言える。
俺も攻略組としてトップを走り金を稼ごうなんて考えずに、純粋にこのゲームを開始していたならこういうことをしていたかもしれない。
「この世界は現実ではないから、GMに警告されるような犯罪行為以外ならなんでもできる」
それもORDEALの売りの一つなのは間違いない。これだけ多彩化された、本当に一つの世界を作り上げたかのような内容のゲームで、これが正解という遊び方はないだろう。
「ただ、この世界が本当に単なるゲームだと思う?」
これだけ作り込まれた世界。これが単なるゲームかと問われれば頷くことはできない。
ただ、これが現実かと問われれば、それもまた首を横に振るだろう。現実ではありえないことも多くありすぎる。
「理屈にこだわり過ぎず、感覚と経験を織り交ぜた力を持つあなたならわかるはず」
「この世界は現実と仮想の狭間にある」
「そう。この世界は出来すぎている。しっかりとした文明があり、ただそれが外部からの力で捻じ曲げられ隠されている」
サディがウィンドウを操作して写真を目の前に映し出した。地面から掘り出された石碑のような一つの石には、表面に文字のような記号が彫られている。
「これは少し前に見つかったもの。この世界の古い文字で書かれていて全ては解読できなかったようだけれど、解読できた部分と風化具合から数百年前に作られたものだと予想されている」
ある程度の裏設定はあったとしても、こんな見つけられるかわからない場所に、解読できるかわからない文字まで使って用意するとは思えない。馬鹿みたいに変な部分にこだわる製作者は少なからずいるが、これだけ全てのことにこだわったゲームを作り出すには人が、時間が足りなさすぎる。
「何世代かぶっ飛ばした技術でこれだけの作り込みがされたゲームが作り出された。不可能ではないけれども、奇跡と言ってもいい」
「追従したゲームやソフトウェアが出てこないことも一つの証拠となるか」
「あと、それに対してなんの疑問も抱かずに、フルダイブ型のVRマシンが受け入れられたことも」
発売されたのがあと10年も遅ければ話は違ってくるが、視界制御型のVR機から現実拡張型のAR機、そして現実とネットワーク連結型のAR機と進化してきて、たった数年でフルダイブ型のVR機に飛躍するとは思えない。
「全ては仮定の話に過ぎないけれど、可能性が高い説が一つある」
「明言する者が出ない限りは仮説から抜け出すのは難しいからな。こんなファンタジーな話を証明するにはなにが必要になるやら」
「そう。だから憶測に過ぎない。この世界が別の世界をモデルとして作られたということも、現実の何かを変えるために作り出されたものだということも」
これだけの馬鹿みたいな作り込まれた世界を作り出すなら、存在する別の世界を持ってきていじる方が早い。ゼロから全てを作り込むよりは、世界をゲーム風に変える方が手っ取り早いだろう。それができるかどうかは別としてだが。
そして、わざわざこんなものを用意した理由を考えるならば、浮かぶ答えとしてはこの世界を利用して何か現実に影響を与えたかったからというのが一番だろう。そんな大層な信念を持ち、これだけのことをやり遂げたのが同じ人間だとは思えないが。
「神は死んだ。世界は何れ壊れゆく」
「それは?」
「なんとか解読できたものに書かれていた内容。他にもいくつか見つかったけれど解読できた部分は少ないし合っているかもわからないけど」
地球にあるものと全く違う文明だとすれば、どれだけ専門家がいようとも未知から情報を得るには時間が足りない。むしろ発売から二ヶ月ほどでこれだけの情報がでているだけでも凄いことだ。
「他に解読できた文で意味がありそうなのは二つ。
人は目指した、されどそれには届かない。
使いは言う、最後の壁は越えられない」
「よくわからないな。断片的過ぎて、推測で埋めようにも絞れない。その三つの順番が違うだけでも変わってくる。わかるのはこの世界の神が死んだということくらいか」
神が死んだことによって世界が滅びる。滅びる世界を救うために人は何かを目指した。だが、最後の壁は越えられない。
そう考えるのがスムーズに思えるが、それは俺達の推測と希望であって、本当がどうかなのかはわからない。もう少し情報が多ければ絞れる可能性はあっても、たったこれだけでは都合の良いように解釈してしまうのが人間だ。
「全部推測に過ぎないけれど、一つ言えるのはイクスは変化を求めている。特にこの世界ではなく現実での」
解読自体100パーセントの精度ではないのだから推測の域を抜け出すことはできないのは仕方がない。
イクスに関しては実際に対峙したのだから、ある程度わかることはある。確かに変化を求めていた。自分の限界と感じる壁を越えた先に到達することを求めているのはイクスの言葉からわかった。
「あれは言ったの。現実の世界を捨てた私では意味がないと。だから、この世界ではなく現実側で行動を起こす必要があるということ」
「それは……」
「ああ、別に現実の私が死んだとかそんなんじゃないわよ。ただ、生まれつき本気で走ったりできない体だったってだけ。だから、この速さも動きも全てこの世界のものってわけ」
現実ではできないことができる。それはファンタジーな戦闘や道具だけでなく、障害などで他の人にできることができない人にも当てはまる。
だから、サディはこの世界での最速にこだわったのか。現実ではできないからこそ、この世界ではトップに立ちたいという願いなのだろう。
その体故の限界に縛られていたせいで、人本来の努力した先の限界を知らないからこそ、この世界でその先に到達できたわけだ。普段との違いから無意識のうちに制御してしまうことがない。この世界への順応という点ではすんなりとできたわけだ。
「現実を捨てたというよりは、捨てざるを得ないというわけか」
「そう。この世界でなら私を縛る枷はない。だからこの世界に出会えたことは不幸ではなく幸運だったってこと」
一つの世界として、一つのゲームとして楽しんでいる。それはサディの表情を見ればわかる。少し執着している感じもあるが。
現実では無理だと捨て切っているからこそ、一つ目の壁は越えられた。
現実では無理だからと無意識のうちにセーブしてしまう体を無理やり動かすことで、システムアシストの一時的な上限は抜けられるわけか。
サディは限界を知らない。俺は無意識すら捨て去ろうとする。それに対して、凛花は理で限界まで引き出そうとする。限界そのものを書き換えてしまえば変わってくるが、それは一度全てを捨てるくらいのことが必要だ。だからこそ、実力では一番上の凛花が、壁を越えるには一番遠い。
「変化を求めるには犠牲が必要。よく言われることだけれど、今回のことに関しては失敗の代償が大きすぎる上に、成功が何かもわからないからやめといた方がいい」
「興味本位で試すのはやめておくよ。まあ、気がついたら越えていたなんてことはあり得そうだけれど」
「あなたならしれっと終わらせそうな気もするけれど、ここぞと言う時にしなさい」
しっかり制御しないと本当にやらかしそうで怖いな。
これ以上は互いに推測をより広げていくことしかできないので話はやめて注文した飲み物を堪能する。ふわっと漂うココアのような香り。五感の全てが再現されたこのゲームは、もしさっきまでの話の全てが嘘だったとしても、もうここは一つの世界だと言ってもいいように思う。




