悩みは
もうすっかり慣れてしまった。ORDEALにログインする時の現実との感覚の違いから起こる気持ち悪さにも。
人間の適応力というのも存外凄いものだなと思う。もし、こちらの世界にどっぷりと浸かりきってしまえば、現実の方が違和感だらけになってしまうなんてことがあるのだろうか。
システムアシストに慣れきった感覚では、現実の世界はさぞ生きにくいだろう。世界そのものが改変すれば話は違ってくるし、システムアシストに頼りきらない細かな部分や感覚的な部分は現実にも活かせる。
VRの世界がどこまで広がるのかはわからないが、使い方次第では人はさらなる一歩を踏み出すことができるだろう。
「お疲れ様です、ツキヤさん。早いですね」
「家にいてもやることないからな。こっちにいて感覚を慣らしておく方が有意義だし」
かなり慣れてきたとはいえ、半日以上現実で普通の生活をしていれば、些細な部分に違和感が生じる。
戦闘中にその違和感によりミスをすれば、そこから負けにつながることだってあり得るのだから、できることはしておかないと。
「ナナカはずっと見てたのか?」
「はい。私にはこれくらいしかできないので」
30層のボスである炎虎のリィブルトの映像を何度も繰り返し見ているようで、手元にはメモまで出している。
俺も隣に座って一緒にその映像を見る。ナナカに教えてもらった予備動作と照らし合わせながら、次の行動を予測してどう動くかイメージする。
ナナカも同じようにイメージしているようで、ヒールの詠唱の初めの部分を呟いては途中でキャンセルというのを繰り返していた。
「今回は範囲攻撃も直線状だし、タゲに向くのが救いだな」
「そうですね。フィルちゃんのスキルで炎ダメージを軽減すれば、ヒールで回復は問題なく間に合いそうですし」
リィブルトのブレスは直線状の炎ダメージだ。フィルには盾スキルで属性攻撃軽減のスキルがあるので、通常の重戦士のタンクよりもダメージは抑えられる。オルムで被ダメージは最大HPの半分ほど。オルムよりも最大HPが低いが、スキルで属性ダメージを30%軽減できるフィルならば、最大HPの半分も削られないだろう。
フィルのHPはナナカのヒール四回で全回復する。ブレスの予備動作も少し長く、最初の動作からは10秒ほどある。ブレスだと確定する動作からは3秒しかないが、ヒールが一発無駄になるくらい問題ないので、連続でこようと二発目をくらう前にヒールを使えるので問題ないだろう。
「動きが速いから、大きなミスには気をつけないとな」
スピードタイプのボスなので、一撃をもらうくらいはいいが、逃げきれないのでカバーできないと畳み掛けられてしまう。俺とナナカがタゲをとらないように気をつけつつ、回復を切らさないようにすればいいので、俺達がヒールをできないようなミスをしなければ大丈夫だ。
サディがリィブルトと併走しながら攻撃を加えHPを削り切り、映像の中でリィブルトは倒れた。
サディのスピードならば、リィブルトの隣にくっついて攻撃をし続けることができたが、凛花では厳しいだろう。
近接アタッカーのダメージ効率が落ちる分をミナトが魔法でどこまでカバーできるか。
長期戦になれば、疲れがでてくるからな。できるだけ早く倒したいものだ。
動画の再生が終わり静かになる部屋。
静かな状況というのは嫌なわけではないが、それは相手も同じように静かな環境で黙っていられる場合だ。そわそわとして何か言いたげなナナカを横にして無視して寛いでいられるほど図太いメンタルは持ってやいない。
「何かあったのか?」
「いっ! いえ! 別に何かあったわけではないんですが」
俺達がいない間にフィルかミナトと何かあったのかと思ったが、そうではないようだ。
俺とは普通に話していたし、凛花と何かあるような感じはない。掲示板の書き込みなんかではここまで気を落としはしないだろうし、俺に隠したりもしないだろう。
ということは、今なにかがあったわけではなく、ここ最近ナナカが気にしていたものか。
ミナトだな。最近ミナトのことをいつもより見ていた気がする。その割には積極的に話しかけたりもしていなかったので、お得意の観察かと思っていたが、そうではなかったようだ。
「ミナトのことでも思い出したのか?」
「っ!? そうです。よくわかりましたね」
「俺もナナカと同じで人の観察をするのは得意なんだ」
ナナカとは違って抽象的に捉えるから、行動パターンの分析とかは得意ではないけれど。パターンを分析して、それを人に説明できるようにするというのも一種の才能だ。どうしても、直感的な感覚の部分が強くなってしまうのが人であって、そこからさらに踏み込むというのは一つの壁がある。
「誰かわかったのなら言えばいいんじゃないか?」
ミナトはナナカのことを少し見ただけで誰かわかったようだが、逆にナナカはミナトのことをずっと思い出せないでいた。
この世界で、中の人間が誰かわかるなんて、それなりに相手をしっかりと知っていないと難しい。俺と凛花のことだって、リアルモジュールでそこまでいじっていないというのに、貝塚と凛花の家の人以外は気がついていない。
似ているとは思っても、確信がなければ否定してしまうのが普通であって、確信するためには相手のことを知っていないといけない。俺と凛花の関係性について学校の人間では、貝塚と月野先生以外は単なる幼馴染み程度にしか知らないだろう。だから、こうやって競っていても、背中を預けて戦っていても気づかれないのだ。
「多分あの子なんだろうなとは思います。でも、今更どう声をかけたらいいのかわからなくて」
「現実で何かあったのか?」
リアルのことを聞くのはどうかとも思ったが、この話に関しては知らないとどう言えばいいのかわからない。答えに関しては気にせず声をかけてみるしかないわけだが、どこまで押していいのかは背景がわからないとな。
「私、もともと引っ込み思案で、フィルちゃんの後ろにずっと隠れていたんです」
今は明るいし、俺や凛花にがつがつと来る時を思い出すと疑いたくもなるが、現実とネット上では全然違うことだってあり得るし、さらに昔のことなれば正反対の性格だったとしてもおかしくない。
「ミナトさんが私の思っている人で間違いなければ、ミナトさんは中学一年生の時に委員会で一緒になった隣のクラスの子で、フィルちゃん以外の初めての友達だったんです」
フィルを通じてではなく、自分自身で作った初めての友達。仲良くしていたのなら、互いに覚えていてもおかしくはないか。
「二年になって別々の委員会に入るまでは結構話したりもしていて、でもクラスも委員会も別だと話す機会も少しずつ減って」
仕方ないことだろう。仲良くなったと言っても、そもそも顔を合わせる機会が減れば、自然と消えてなくなる。学校の友達なんてのは殆どがそんなものだ。
「二年の終わり頃に引っ越すことになったと聞いて何度か話に行ったんです。それで最後の日にも会いに行くと約束したんですが」
「行けなかったのか」
「はい。家の用事と重なってしまって。その後連絡でもすればよかったんですが、怖気付いてしまって連絡もできなくて」
仕方がないと言えば仕方がない。引っ越し前の見送りも重要な用事と言えば重要な用事だが、家の用事ともなれば簡単に優先することはできない。
連絡できなかったのはナナカが悪いが、それ以外は仕方のないことだろう。タイミングを逃すと連絡しにくいのもわかるし、ミナトもそれくらいではずっと引きずるほど怒ったりはしないだろう。
「ミナトの態度を見る限りは今は怒ったりはしていないようだから、さっさとはっきりさせた方がいいんじゃないか? ずっと悩んでいるのも大変だろ」
「……そうですよね。一人で悩んでいても馬鹿みたいですよね」
悩むこと自体は悪いことではないが、悩んだところで解決しないものをただ引き延ばすためだけに考えている体を取ったところで、精神的にしんどくなるだけで意味がない。無駄に悩み続ければ、それこそこの環境が嫌になってしまう可能性だってあるのだから、早く解決するに越したことはない。
それに、今回のはナナカが勇気を出して声をかければすぐに解決することだろうから、俺としてはさっさとナナカの背中を押して終わらせるべきだ。
「どうせミナトのことだから、自分の部屋でアイテム作成でもしているんだろうから話してきなよ」
「そうですね。さくっと行ってきます! 失敗したら慰めてくださいね」
「失敗したらな。いってらっしゃい」
「はい! 行ってきます」
失敗なんてするはずないだろう。気合を入れて部屋をでていくナナカを見送って、少し前からこちらをうかがっていたフィルに声をかける。
「いつから気がついていたの?」
「ログインしたらフレンド欄でわかるからな。ナナカは気づいていなかったみたいだけど」
視界上に色々な情報が表示されているとごちゃごちゃして嫌がるプレイヤーも多いので、基本的にはそういった情報はメニューを開いてみるのが普通だ。今はボス戦前で誰がインしているのか見るために視界上にフレンド欄を表示していたのでフィルが入ってきたことに気がつけた。
「ありがとうね。私から言っても一人では動いてくれないから」
フィルに言われると一緒に来てもらえないかと頼ってしまうのだろうな。
「フィルもミナトのこと知っていたのか」
「私も友達だからね。一応、ナナカが連絡できずにうじうじしていたことはミナトに伝えてはいたから、ミナトはもともと怒ったりもしていないよ」
もともとナナカとミナトが友達だったのだから、ナナカの近くにいたフィルも友達になっていてもおかしくはない。ナナカは自分のことで悩んでいてそこまで頭が回っていなかったのだろう。
「それなら、これはこれで一件落着ってことか」
「そうね。私も面倒事が一つ減ってすっきりだわ」
そう言うフィルの顔は優しい笑みを浮かべているので、ナナカのことを心配していたのだろう。
二人の心配事が解決したので、ほとんど何もしていないが、話を聞いて良かった。




