湿地帯の魔物
廃坑から帰還してエルフの秘薬を作った翌日、アリシアとミューアは宿を発って町の外に出ていた。ミューアの発案でエルフの雷に関する情報を集めるため、王都に向かうことになったのである。
「あれ? 今日はお馬さんには乗らないのですか?」
「あの馬は馬宿からの借り物だからね。ここから先は遠方の王都を目指すわけで、返しに戻って来られないから借りられないのさ。もし借りる事ができても相当な期間となると借料がトンデモないことになっちゃうし、懐具合的にも不可能だ……」
レンタル品には当然ながら返却義務がある。アリシア達はスティッグミから遠くにある王都に向かうので、借り馬を返そうにも容易には戻ってこられず、となれば馬宿だってレンタルを拒否するだろう。
「ふむふむ。そういえば、お金はあまり持っていないのですか?」
「常に金欠さ……儲けた分は宿代やサバイバル道具類、そして酒に……」
「せ、節約しないとですね。私の持っている分もミューアさんに預けますよ」
「いやいや、アリシアのお金はアリシアの物だよ。依頼をこなして稼いだわけで、それはアリシアの命懸けの努力の結晶なんだしさ」
「でも、私はミューアさんのためなら何でもしますよ。困っているなら助けたいんです」
「気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとな」
共に旅をするのだから金品を共有財産とするのは悪くないアイデアだ。
しかし、お世辞にもミューアはお金の使い方が上手いとは言えず、どちらかというと散財するタイプである。その自覚があるため、キチンと分けておいた方が良いとミューアは考えたのだ。
そもそも自覚があるなら改善しようとするべきだが。
「てなわけで、ここからは徒歩での移動になるよ。王都までの間には幾つかの町や村があるので、そこに立ち寄って休息を取るなり食料などを仕入れるから、一直線に王都まで向かうわけじゃないけどね」
「はい。私、ワクワクしてきました。エルフ村の外の世界の広さを体験できるのですから」
「気持ちは分かる。でも楽しい事ばかりじゃないってのは忘れないで。善良な者だけでなく、悪意を持っている者も少なくない」
「ピオニエーレのような悪い考えを持つ方もいらっしゃるんですね……」
エルフ村においては、掟を破ったり罪を犯したエルフは追放処分とされる。そのために村の中には罪人がのさばる余地は無く、善良な一般エルフのみが生活していた。秩序を乱す存在は徹底的に排除していたのである。
しかし、人間族は人口が多いこともあり統治が全体に及んでいない。つまり、悪人が捕まらず、社会の影に身を潜めて悪事を続けている事例も少なくないのだ。
「出来る限りはアタシが守ってあげるけど、一人で行動しなくてはいけない時もあるし、そういう時にはアリシア自身で切り抜けないといけない」
「が、頑張ります」
「アリシアは可愛くて、ほんわかしてるから心配だよ。悪い奴に目を付けられて、手を出されるんじゃないかって」
アリシアは純真さを失っておらず、簡単に騙されそうな雰囲気がある。社会の荒波の前には、あまりにも無防備過ぎるのだ。
だからこそ、ミューアはアリシアを自らの手で絶対に守るという決意を密かに固めていた。
「町に着いたら改めて色々教えるよ。それより、目下の脅威は魔物だね」
「また魔物と遭遇するのでしょうか?」
「エルフ族に伝わる伝承にある通り、魔物はエルフ族によって一度駆逐され、協力関係にあったビロウレイ王国もひと時の平和を手に入れた。けど、再び魔物は勢力を盛り返して侵略を開始し、今やビロウレイ王国のアチコチに魔物が蔓延ってるんだ。人間族も対応に追われて大変みたいだよ」
「では、常に魔物との戦闘に陥る危険があるのですね。気を付けないと」
現時点のビロウレイ王国は正式な宣戦布告を受けたわけではないが、魔物との戦争状態に陥っている。だからこそ、ミューアのような傭兵が稼げる余地があるのだ。
「まっ、アリシアはアタシが守る。だから、そんなに心配しなくても大丈夫」
「私だってミューアさんを守ります! へっぽこですが、やる気はあるので!」
両手をグーにして気合を入れるアリシア。
二人の王都を目指す旅が、今始まった。
暫くの間拠点としていた人間族の町”スティッグミ”を出発した二人のエルフは、平原を超えて湿地の広がるエリアへと差し掛かっていた。湿った土の上に草などの植物が生えているが、多くの面積は泥に覆われている。更には沼のような濁った泥水の水域があるなど、その環境は少々ジメジメとしていた。
「暫くは湿地帯だ。足元に気を付けて。泥に足を踏み入れると軽く埋まるから」
「確かに歩きにくいですが、これくらいなら大丈…ほあーっ!?」
「ア、アリシア!?」
「足がズブッて沈み込みました……」
ミューアの注意を聞いたそばから足をとられるアリシア。右の足首までが泥に埋まっており、その感触が気持ち悪いのかアリシアは眉を下げている。
「ひーん……靴が汚れてしまいました……」
「こりゃ拭き取れないから、川とかを見つけて洗うしかないな。暫くの辛抱だ」
「はいぃ……」
テンションが下がって落ち込んでいるアリシアを先導し、ミューアが安全に進める地帯を進んで行く。
すると、前方から荷車を引く老婆がコチラに向かって歩いてきているのが目に入った。
「おや、オヌシ達、この先に行くのかい?」
老婆も二人に気がついたようで、そのように問いかけてきた。
「あ、はい。お婆ちゃんは湿地の向こうからいらっしゃったのですか?」
「いやぁ、わたしは引き返しているのですじゃ。わたしは行商人をしておりまして、スティッグミから王都方面に向かおうとしていたんですが……この湿地帯には、噂通りの魔物が住んでいるのを見ましてな。この老体には対処しようがないので」
「噂の魔物、ですか?」
「恐ろしい魔物ですわい。その名をルマーカスラグといいまして、人間の頭程の大きさのナメクジでな。最近、この湿地帯を縄張りとして支配しているんですわ。元々生息していた動物達は殺されるなど、被害は少なくなくてなぁ……」
「ルマーカスラグ……確かにナメクジとしては大きいようですが、さほど大したことはないように思えるのですが…?」
「いやいや。ヤツらは群体で生息しているんでさぁ、集団で獲物に襲い掛かるんです。獲物の体に取り付いて、魔力やら精力を吸収して死に至らしめる……ヤツらに嬲られた者は、干からびて地獄のような苦しみの後に命を奪われるんですわい」
「ひえー……」
ナメクジにたかられ、全身からイロイロと吸い出されて死ぬなど想像するだけで恐ろしい。単に致命的な技を受けて瞬殺されるのではなく、ジワジワと死が近づく感覚は村で瀕死に陥った時を想起させる。
行商人の老婆によると、この先にルマーカスラグが生息しているのは間違いなく、アリシアは正直なところ進みたくはなかった。
しかし、ピオニエーレという巨悪に対抗するためには我慢どころだ。
「オヌシ達がどうしても進むっちゅうなら、コイツを持って行くといい」
「魔結晶ですか?」
「ただの魔結晶ちゃうがね。コイツは魔結晶爆弾と言って、魔物にも通用する爆発物として加工された物なんね。ルマーカスラグは沢山いるからイチイチ相手にしては身が足りん。この爆弾で一気に吹き飛ばすのも手さ」
老婆の差し出した真紅の魔結晶には爆発機能が付与されているらしい。この魔力に反応する結晶体は、灯り用や秘薬用などの様々な用途に使用できると知ったが、そのバリエーションはアリシアの想像よりも多いようだ。
「でも、コレは商品なのではないですか? お金は持っているので払いますよ?」
「いんや、コイツはサービスとして渡すんじゃ。もしオヌシ達がルマーカスラグを殲滅すれば、わたしのような行商人も安心して湿地帯を抜けることが出来るようになる。いわば、そのための先行投資さ」
「では、お言葉に甘えさせて頂きます。頑張ってルマーカスラグは倒しますから!」
「ほっほっほ。若いモンは元気があってよろしい。じゃが無理をするでないぞ。オヌシ達のような若人こそが未来を作るんだから、命は大切に。危険と感じたら逃げる選択をすることも重要さ」
「はい。心に留め置きます」
老婆は頷いて、荷車を引いてゆっくりとスティッグミへと引き返していく。
その後ろ姿を見送りつつ、アリシアは魔結晶爆弾をミューアに差し出した。
「これはミューアさんにお任せします。私のような素人が扱うには危険なような気がしますので……」
「分かった。アタシが預かっておくよ。さ、気合を入れて行こう」
「ルマーカスラグという魔物、ミューアさんはご存じですか?」
「ああ。ブヨブヨとしてヌメリ気があって…はっきり言ってメチャキモな魔物だよ。前に別の場所で戦ったことがあるけど、もう二度と遭遇したくない相手だったんだけどね……まあ、やるしかない」
ミューアは預かった魔結晶爆弾を握りしめ、ルマーカスラグとの交戦を覚悟しながら先に進むのであった。
-続く-




