第6話 思い出の味
『でも私は……人のように生きたい。人に操られていた時のように……もう自分を裏切りたくはないんです 』
こんな時になって、ライガの声を思い出した。
『……そっか。なら左手を出してくれ 』
これは自分の声だ。
コイツならもしかしてと思いながら、望みながら、俺はライガの手を噛んだんだ。
あの時、壁の上で。
こんな獣になるなと……戒めも込めて。
「ここは…… 」
気がつくと、何処かに居た。
あの世かと思ったが違う。
見覚えがある。
胎動音。
狭い肉の檻。
腹に繋がる赤紫色のへその緒。
これは遺産だ。
でも……いやそんなハズは
「ライ……ガ? 」
気配。
振り向く寸前、後ろから抱きしめられた。
それだけだのに、人でも無いのに、涙がこぼれてしまった。
「お久しぶりです……ヤマトさん 」
匂いも、声も、手の感触も。
有り得ない。
だけど、ライガの物だ。
「いや……なんで 」
「私の血を飲んだじゃないですか。壁の上で、指を噛んだ時。そして何度も増殖した、あなたの細胞とともに 」
「……魔法? 」
「えぇ。おかげで細胞はずっと生きてましたよ……ずっと見てました、あなたの事を 」
「ハハッ……じゃあ、笑っちまうだろ? あんな獣の最期は 」
「笑えませんよ。あんなの獣なんかじゃない……ヒカゲさんみたいな、ただの悲しい人間ですよ 」
「…………そう、だな。そうだよなぁ……クソが 」
髪をかきあげ、広げた手で顔を抑える。
もう手遅れなのに、イラついてきた。
あんな生き方しか出来なかった自分に。
無駄死にをした自分に。
クスミやヒカゲ、ライガの分も生きなきゃならなかったのに、死んでしまった自分に。
「ねぇヤマトさん 」
ポツリと、耳もとで囁かれた。
「私ですね、あなたに生きて欲しかったんです 」
「……なんでだよ 」
「壁の上で、私の夢を応援してくれた。それだけで……何も無い私にとって、この世に生まれて一番の幸せでしたから 」
「でも俺は……死んだんだよ。悪いな、その夢を叶えられなくて 」
「いいえ……まだ、帰れますよ 」
「はっ? 」
振り返る。
そこには淡く揺れる、金の丸い瞳があった。
「私を……食べてください。まだ向こうで、ヤマトさんの血肉は生きてます。だから栄養をとれば……再生できる 」
「……イヤだよ。俺はもう……疲れたんだよ 」
さっきまで、やり直したいと思ってた。
でも生き返れると知ったら死にたくなった。
「もう生きたくないんだ。苦しみたくないんだ。あそこには何もない。もう何も残ってない。俺が生き返った所で、何も……何も 」
「じゃあ……私たちの意思は、どうなりますか? 」
「知らねぇよ!! 俺は……もう、楽になりたい 」
顔をあげると同時に、涙がこぼれた。
人でも無いのに。
けれど熱い偽物の涙を、ライガは優しく、舐めとってくれた。
「私たちは、死にました 」
ゆらり……視界の端で、何かが揺れる。
それは見覚えのある腕だ。
「ヒカ……ゲ? 」
「死んだとき、何を思ったか分かります? 」
今度は反対側から、別の腕がやってくる。
「形は違えど、あなたに……生きて欲しいと願った。不思議ですよね。こんな世の中に、希望なんてないのに。そばに居たあなたに、幸せになって欲しかった 」
「なんで……なんでだよ。分からねぇよ、なんで……こんなバケモノなんかに 」
「私たちはみんな狂ってますから。自分が幸せになんかなれないって、分かってましたから 」
するり。
俺の首にライガの腕が巻きついてくる。
「だから、もしかしたらと願ったんですよ。あなたと同じです。自分に成せないことを、成して欲しかった。それだけです 」
「……ハハッ。本当に、俺と同じだな 」
「ねぇ……ヤマトさん 」
ゴロンと、ライガは横になった。
まるで喰ってくれと言いたげに。
誘うように。
「私たちは狂ってるんです。存在自体が異端で、生まれたことが間違いな存在。そんな私たちに……希望を見せてくれませんか? 生きててもいい事があったんだって。こんな自由に、生きれたんだって 」
「……… 」
「大丈夫ですよ。死んでも、生きてても、私たちはあなたの中で生き続けます……ずっと一緒ですよ 」
「なぁ、今の俺は……自由なのかな? 」
もうその誘惑に。
腹から湧き上がる欲に、身を任せたかった。
でもそこだけが気になった。
アイツの遺言なんだ。
誰よりも大事なアイツの。
それだけは絶対に……否定したくなかった。
「……えっ? 」
上から垂れ下がった一本の腕。
それが俺の頭を撫でた。
この感触は忘れたことがない。
クスミの物だ。
「大丈夫ですよ。あなたは今、選択できる。それはとっても……自由だと思いますよ 」
「…………そう、だな 」
ライガの柔らかな唇。
薄い桃色の唇。
それに口をつけ、歯を立て。
食いちぎる。
「ゆっくりで……良いですよ 」
首に歯を立て、目をすすり、自傷痕まみれの胸を歯でそいだ。
ドクドク、ドクドク。
剥かれた皮膚の下に熱いものが見えた。
それが筋肉と共に、動いている。
「いただき……ます 」
「召し上がれ 」
肉を喰い、骨を噛み、その奥にある心臓を喰らう。
噛むほどに、口いっぱいに血の味が広がる。
美味くはない。
人の肉じゃないから。
不味くはない。
ライガの肉だから。
(あぁ……懐かしいなぁ )
紐の臓物をかき分けた奥にある、血がこびりつく背骨。
腹に顔を突っ込み、それを噛み砕く。
ゴリゴリ、バキバキ。
ただ優しい、思い出の味がした。
「……… 」
そっと頭を撫でられる。
優しく、ライガから抱きしめられる。
胸を揺らすような。
腹を掻き回すような幸福感。
それを前にしたら、何を苦しんでたのかなんて、どうでも良くなった。
(あぁ、そうだ )
長くなっていく自分の白い髪を見て、思い出した。
(俺……昔は幸せだったんだ )
何も考えない、獣の時。
人の心なんて分からない、獣の時。
俺は何よりも誰よりも、幸せだった。
「あ〜 」
口を開け、ライガの頭を喰う。
腕を。足を。
爪から髪の一本まで。
ガツガツ、ボリボリ。
ヒカゲの腕を。
クスミの腕を。
ライガのすべてを。
喰った。
そして昔を思い出しながら、心の底から笑いながら、こう言った。
「行ってきます!! 」
『行ってらっしゃい 』
『『『ヤマト』』』
『『さん 』』
俺は獣だ。
バケモノだ。
バケモノはバケモノらしく。
バケモノを救うために。
肯定するために。
すべて殺す。
だって人じゃないんだからさ。
正しさに縛られる必要は、もう無い。
それはなんて……自由なんだろうな。




