第35節 歪の唄:狂
暑い季節がやってきた。
なのに……ここ最近の記憶がない。
自室にある研究資料はすべて破かれ、壁には穴と血痕が無数にある。
鏡に映る人間はひどく痩せ、その拳からは血が垂れていた。
(そういえばさっき……指折ったんだった )
曲がった指を見ても現実感がない。
それよりも肩が重い。
ひどく憂鬱だ。
(……毒がほしい )
ぼんやりと外に出た。
壁がないと歩けない。
朝日が肌を焼くようだ。
「ヒッ!? 」
「なにあいつ!? 」
すれ違う人間どもはなにかに怯えていた。
バケモノがなにに怯えているか分からなかった。
「……ここか 」
久しぶりに自分の研究室にはいる。
かろうじておぼえてる薬品棚を見つけ、ガラスを割って毒を手にとった。
死にたい訳じゃない。
でも……いつでも死ねるようにしたかった。
「なにしてるの? それは毒だよ 」
腕を……掴まれた。
「だれだ? 」
「私はミュル。この研究室を使わせてもらってるゲシュペンストだよ。それで君は? クマは凄いし、指は折れてるけど…… 」
「……ひかげ 」
「ヒカゲ……もしかしてあのヒカゲ・ルミル!? 」
見慣れない黒髪をした背の高い女。
そいつは黒い瞳を輝かせると、急に抱きついてきた。
「会えて嬉しいよヒカゲ! 君の研究は素晴らしいものだった!! 私が十度造り変えられてもあそこまでたどり着けないほどだよ 」
「っ!? 」
全力で女を押しのけ、吐き気がする口を抑える。
「その話はやめてくれ……頼むから…… 」
「……天才と言われるヒカゲ・ルミルが、ゲシュペンストに同情してる。そういう噂は本当だったんだね 」
「……いま何時だ? 」
なにか言われた気がした。
そんなことよりも時計をさがす。
見つけた時計は……二時を指している。
「行かなきゃ 」
「どこに? 」
毒を捨て、椅子にかかった自分の白衣を羽織る。
二時から行われる、コンファレンスに出るために。
そうだった。
あれからゲシュペンストの不必要性を説いてきたんだった。
ゲシュペンストなんてこの世にいらない、製作を停止すべきだと。
でも……そんな考えがまかり通るわけなかった。
「ゲシュペンストの製作を停止だと? そんなのできるわけ無いだろう。もはやこの技術は我々人間に絡みすぎている、文明レベルを上げても下げることはできん 」
そうだろうな。
とつぜん服やら火を使うなと言われても、誰だって納得しないのと同じだ。
「ゲシュペンストの枷についての問題? たしかにこれは万全と言い難い。だが運用するメリットの方が多いのだ。戦争であれば安全性を加味して我々が動くより、ゲシュペンスト一匹にリスクを押し付けた方がコストが少ない。かりに遺産が暴走したとしても、『天陸宇下』に任せればこと足りる 」
だろうな。
危険な任務を人間に任せるより、ゲシュペンストに任せた方がリスクは少ない。
捕虜にされようと遠隔で自害させればいいし、ゴミが死んでも……誰も気にしない。
「ゲシュペンストによる実験停止か……たしかにこれは非人道的な行為として見えるかもしれん。だがその有効性は君が示しただろう? 君の実験データはじつに素晴らしいものだった、よって奴らには人間が進歩する上での犠牲になってもらう。もっとも、死んだとして造り直せば済むことだしな 」
知っていたさ。
人と同じように造れば……いくらでも実験データが取れるってことくらい。
「うぷっ」
こみ上がる胃液をトイレで吐いた。
俺の案を呑まない老人どもを殺したくなった。
…………違う。
殺したいのは俺だ。
アイツらと同じ……ゲシュペンストを何度も殺し、それを気にかけずのうのうと生きてきた自分を。
……もう殺してしまいたい。
「おや、廊下に転がる人間とは珍しい 」
「……ぁっ? 」
廊下で丸まっていると、黒髪の女が目の前でしゃがみ込んだ。
……ミュルだ。
「コンファレンスを見てたけどさ、君って人間が嫌いなのかい? 」
「…………ぅん 」
「だったらさ……私の計画に付き合ってくれないかい? 」
「けい……かく? 」
「そっ。この世すべてのゲシュペンストを暴走させ、人類を滅ぼす計画 」
急にそんな計画を話された。
バカげている……けれどそんな話に興味がわくほど、心は限界だったらしい。
「きかせて 」
「なら研究所に行こうか 」
二人で研究所にもどると、ミュルから資料を渡された。
それにはゲシュペンストの解体図が描かれている。
「まずは説明ね。まずはゲシュペンストの枷を外し、自己矛盾を起こさせて人の形を保てなくする。するとどうなる? 」
「素材になった遺産が……暴走する 」
「そう、でも一匹や二匹が暴走しても問題はない。だから国中のゲシュペンストがいっせいに暴走させる。そうすればいかに『天陸宇下』がいようと莫大な被害は避けられない。でも…… 」
「でも? 」
「これはただの空論だね。そもそも私は枷を外す手立てをもっていない。だからヒカゲ、キミに協力してほしい 」
「なんで……おれが? 」
「枷というのはね、神経に外付けするものなんだ。いわば独立している神経……そこだけをピンポイントで麻痺させる毒か薬を作ってほしい 」
なぜ声をかけられたのか。
それはなんとなく理解した。
だがミュルがこんな計画を考える理由がわからない。
「……なんでこんなことをするんだ? そんなことしたら……お前も巻き込まれるだろ 」
「うん、だから? 」
ミュルはニヤニヤと笑う。
でも瞳は笑っていない。
「ゲシュペンストはね、産まれたことが間違いな生き物さ。だから人間かゲシュペンスト、どちらが滅びるべきかと聞かれれば私はゲシュペンストだと答える。でも納得いかないだろう? 間違いを産んだ人間がのうのうと生きてるなんて。だから全部ぶっ壊したいんだよ、人間も……私たちもね 」
「それは…………いいな 」
ゲシュペンストの製造を止めたとしても、それはコイツらを滅ぼすことと同意義だ。
今さらゲシュペンストを救ったとしても、モモカは生き返らない。
だからそれに頷いた。
この世界なんてもう……どうだって良かったから。
「薬と遺産の調合はどうだろう? それなら操作も簡単だと思うけど 」
「けど量産はできないな。あんまり遺産を使ってると、不審に思われる 」
「うーん、なら薬と魔具でなんとかしないとね。あとは実験を繰り返さないと…… 」
「そうだな 」
ミュルと二人で研究資料を読み漁る。
自分たちを……世界を壊すために。
「そもそも枷のメカニズムすら不確定だ。そこら辺を確定させねぇとな 」
「だねぇ。じゃあ私はゲシュペンストを解体してくるよ 」
「あぁ 」
雪が降った。
「薬は作れそうかい? 」
「たぶんいける、けど摂取方法が難しい。経口摂取だと全身に回っちまうし、脳に直接打とうものなら一斉暴走なんてできねぇ 」
「うーん、なら打ったあとに時間差で機能するってのは? 」
「出来なくもねぇけど……そもそも自己矛盾を起こすこと自体に個体差があるからな 」
「現実的じゃないねぇ…… 」
暑い季節がまたやってきた。
「君は寝たかい? クマがヒドイけど 」
「お前もな。女がしていい顔じゃねぇぞ 」
「アハハっ……ふぅ、ちょっとハイになって来たからさ、仮眠させてもらうよ 」
「あぁ、おやすみ 」
また……暑い季節がやってきた。
「メカニズムは解明したし、薬も作れた。でも問題は散布方法だね 」
「……知識はどうにか出来ても二人じゃ人員不足か 」
「適当にゲシュペンストを造ってそいつらに命令させるのはどうかな? 」
「造られたゲシュペンストの情報は上と共有されるからな。リスクが多すぎる 」
「うーん……ここまで来て手詰まりかぁ 」
寒い季節がやってきた。
その日は……炎が掻き消えるほど寒かった。
「いやー君は暖かいねぇ 」
「寒くなるから動くな 」
一枚の毛布に包まり、ランプの灯りで研究資料を読み漁っていると、急に頭の匂いを嗅がれた。
「どうした? 」
「……キミに聞きたいんだけど、自分を許せない物はどう生きればいいのかな? 」
「……? 」
急にそんなことを聞かれた。
「どうすれば……自分を許せるのかな? それが分からないんだ 」
「たぶん……何をしても自分を許せねぇと思う 」
「じゃあ……どうしたら? 」
「俺だってわからない。俺も……これからもずっと、自分を許せないから 」
「……… 」
「でもさ、アンタなら許せる 」
「……えっ? 」
「アンタがなにをしてようと、なにをしたとしても、俺は許す。自分に死ぬべきだと言い聞かせても、俺は生きてていいって死ぬまで叫ぶ 」
「……どうして? 」
「あんたのおかげで、今日まで生きててこれたんだ。あの日俺を、こんな計画に誘ってくれたから 」
「……… 」
「だから俺はそうしたい。これからすべて壊すとしても、あんたが少しでも楽になるように努力する……自分を許せない苦しさはよく知ってるからな 」
「……かなり恥ずかしいことを言ったね 」
「ハハッ……一度なにもかも失ったら、恥ずかしいなんて感じなくなるんだよ。生きてるうちに……自分のすべてを伝えたいじゃねぇか 」
「……うん 」
頭の上に熱い液体が落ちた。
あえてそれに気がつかないフリをして、毛布の中にある手を力強く握りこんだ。
「…………ん? 」
「どうかした? 」
「いや……もしかしたらだけど……この薬と魔具を使えば…………ゲシュペンストを人間にできないか? 」
夜更け過ぎにたまたま見つけた誰かの書記。
その情報と今までの研究データを合わせれば、ゲシュペンストを人間に近づけられることに気がついた。
「……すごい発見だね。これを世界で見つけたの私たちが初めてじゃない? 」
「だよな。でもどうする……寿命も欲求の問題がなくなったとして、だれがこの薬を望む? 」
「…………人になりたいゲシュペンストを探すというのはどうだろう? そうすればゲシュペンストの問題は根本的に解決するし 」
「人間はそれを望まねぇだろうな。『天陸宇下』っていう軍事力がある以上、強行しても負けるし、最悪この技術を無かったことにされるのがオチだ 」
「なら『天陸宇下』に位置するゲシュペンストを人間にすればいい。それで足りないのなら、遺産のみを操作できる技術を造ればいい。私たちならそれができるはずだよ 」
確かに……それが出来れば種族問題を無くすことくらい簡単だ。
でも
「人類を滅ぼす計画はどうするんだ? ゲシュペンストを人間にしちまったら…… 」
「…………私はね、私たちを産んだくせに邪魔だという人間を殺したかったんだ。でもその問題は種族の壁がなくなれば解決する。だから私はいい、君はどうする? 」
「俺は…… 」
すぐに答えは出なかった。
死ぬために今まで生きてきたのに、その目的が急に無くなったから。
でも……
「俺はあんたに救われたんだ。だからさ……あんたが良いならそれでいい 」
救われた命をどう使うかなんて、もう決まっていた。
大切な者のそばに居たい。
「……そう。なら計画変更だ、ゲシュペンストを……救おう 」
「うん 」
朝日で輝くミュルの顔は……モモカと似ていた。
どこまでも綺麗で……どこまでも幸せにいて欲しい。
そう思えるほどに。
そこからしばらくして……だんだんと暖かな季節が近づいてきた。
遺産のみを操作させる魔具も、ゲシュペンストを人間にする薬の量産も成功した。
計画は順調。
けれどある日を境に……ミュルの姿を見なくなった。
そして数日後。
ミュルは国家反逆罪として指名手配された。
「はぁ……はぁ!! 」
探した。
心当たりのある場所を、ない場所を、手当り次第にがむしゃらに。
でも見つからなかった。
兵士たちも研究員たちも、誰もミュルを見つけられなかった。
「アイツどこに……アレ? 」
ふと……自分の白衣がないことに気がついた。
その中にはたしか……自室の鍵があったはず。
「…………そんな訳ない 」
そう呟きながらも、体は自室へと向かう。
「なんで……開いてる? 」
この先にミュルがいると分かっている。
けれど……吐きそうなほど嫌な予感がした。
つばを飲む。
ドアノブをひねる。
あばれる心臓を押さえつけ、ゆっくりと扉をひらく。
「っ……………… 」
その先でミュルは……悶え苦しむように死んでいた。
その背からは黒く巨大な翼が生え、あたりには大量の黒羽が散らばっている。
「……ミュル 」
おぼつかない足でミュルに近づく。
すると気がついた。
ミュルの歯がすべて抜かれ、その両手が……縛られていることに。
しかもその手には、左手の薬指以外ついていなかった。
「だれが……こん」
誰かがこんなことをした。
そう思ったが……崩れたミュルの足が、それを否定した。
欲求を押さえつけた時にみる症状。
壁に固定された指切り台。
ペンチを握ったような痕。
変わった縛り方はまるで……自分で自分を縛ったようなものだった。
「…………えっ? 」
黒羽の中に紙が落ちていた。
そこにはただ……短い文が記されている。
『私はキミを食べるために近づいた。あんな計画はぜんぶ真っ赤な嘘。けれどね、こんなバケモノにキミはもったいなかった。だからごめん、私はバケモノとして死ぬよ 』
「……そんな訳……ないだろ!! 」
自分をバケモノという奴が……欲求を抑えて死ぬわけが無い。
もったいないと言うなら……なんで俺の部屋で死んでいる!
なんで俺の白衣を抱えている!!
なんでこんなものを残した!!!
なんで紙に……頬に……涙のあとが残ってる……
「……ゲシュペンストを……救わなきゃ 」
握りこむ指は折れていた。
噛みしめる奥歯は砕けていた。
怒りのせいで鼻血が垂れた。
けれど頭は……燃えるように冷たかった。
ミュルの名の意味:『ゴミ』
けれどそのゴミは愛された




