Tire102 脇腹
サーっと冷たい風が傍若無人に顔に当たる。
北風だろうか。
街路樹に青々と茂った葉っぱが騒がしく揺れている。
最近は気温が上がってきたこともあり、冷気を孕んだ北風がやけに心地いい。
俺の右側を通り過ぎて行く車の音が一種の風の音のように聞こえる。
「……いつの間にか、俺は外に出ていたんだな」
今更ながら、俺は行く当てもなく外をフラフラと歩いていることに気がついた。
スクランブル交差点の映像を見て、何者からのメッセージがあって、それから……俺は……
駄目だ。
上手く思い出せない。
たぶん、伊瀬達に何かを言われたような……
それで……俺は……何かを言って……
その後は……
外にいた。
さっきまでは何も考えずに、何も感じずに、ただただ歩いていた。
どこへ?
何の目的で?
俺は歩いている?
どうして俺はここにいる?
「わからない」
戻ろう。
どこに?
戻れない。
歩みは止まらない。
引き返せない。
進むしかない。
俺はもう……
進み続けるしか――
『グイッ』
突然、背中を引っ張られるような感じがした。
その直後、ワイシャツの第二ボタン辺りが首元まで上がってきて息苦しくなる。
歩き続けようにも後ろを何かに掴まれているせいで進みようがない。
それを振り払う気力は今の俺にはなかった。
心もとない足取りは簡単に止まってしまう。
「アンタ、勝手にどこ行くのよ!」
俺はボーっとした頭で無意識に自分の後ろを振り返った。
そこにはなぜか、必死な顔をした美結……如月が俺のワイシャツの裾をちょこんと掴んで立っていた。
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「アンタ、勝手にどこ行くのよ!」
アタシがそう呼び止めると、アイツはゆっくりとアタシに振り返った。
やっぱり、六課を出た時と同じような虚ろな目をしている。
人や物事を見透かすような鋭い目は完全に消え失せている。
「……なんだ、お前か……」
アタシの顔を見てもアイツは……マノは驚くこともなく、表情一つ変えないでボソリと呟いた。
本当、心ここにあらずって感じだ。
「悪かったわね! アタシで!」
「……」
何も言わない。
いつもだったら皮肉めいた軽口が返ってくるはずなのに……
今は虚ろな目でアタシを黙って見続けてくるだけ。
アタシを見ているはずなのに、アタシを見ていない。
そんな感じがしてしまう。
ううん。
それは今に限ったことじゃないよね。
マイグレーターじゃないアタシは、どこかでマノや日菜っちとは決定的に違うんだよね。
結局、アタシは何もできないのかな。
一番大切な人を支えてあげることさえも……
「少し歩かないか?」
「え?」
ずっと黙っているものと思っていたアイツが急に喋ったから、アタシはびっくりして素っ頓狂な声を出してしまった。
「えっと……う、うん……」
しどろもどろになりながらもアタシはぎこちなくコクンと頷いた。
「……」
自分から歩こうだなんて提案して来たくせにマノは全然歩きだそうとする気配を見せない。
ジーッと振り返ったまま、こっちを見てる。
「何して――」
そこまで言いかけて、アタシはマノが見つめる視線の先にある意味に気づいた。
「あ、ごめん」
アタシは慌ててちょこんと掴んでいたマノのワイシャツの裾をパッと離した。
すっかり、掴んでいたことを忘れてしまっていた。
これじゃ、マノが歩き出せなくて当たり前だよね。
アタシが裾から手を離したのを見て、マノは黙って前を向いて歩き出した。
アタシもすぐに一歩前に踏み出して、マノの背中をおいかけるように歩き出す。
けど、マノの背中はすぐに見えなくなった。
その代わりに、マノの横顔がアタシの右隣に見える。
そういえば、マノには昔からこういうとこがあった。
一人でいる時や普段の何気ない時、マノは自分のペースでカツカツと歩いて行ってしまうことが多い。
一緒にいる人を置いてけぼりにしてしまうことはないけれど、先頭きって一人で歩いているタイプだ。
でも、側にいて欲しい時にはいつの間にか相手の歩幅に合わせて隣を歩いてくれる。
マノのそういうところがアタシは……
アタシはもう一度、マノの横顔を見る。
なんとなくだけど、さっきよりは顔色がよくなっているように思う。
虚ろだった目にも少しだけ光が戻っている。
「あっ……」
マノの横顔を見ることに意識を向け過ぎてしまったせいか、アタシはマノの方にかなり近寄っていたみたい。
思わず、お互いの手と手が軽く触れあってしまった。
それなのにマノはなんの反応も示さない。
これだとアタシだけが変に反応しちゃってるみたいじゃん。
それに、人を誘っておいて一言も喋らないし、こっちを見向きもしない。
……なんか、ちょっとイライラしてきた。
アタシだけマノにいいように振り回されるとかあり得ない!
『ちょんちょん』
アタシはマノの脇腹をつついてみた。
マノは昔から、脇腹を触られるのが苦手だった。
ほんの少し触られただけでも、すぐに体をよじってくすぐったいのを耐えるように顔をしかめる。
それは今のマノでも変わってはいないと思う。
たぶんだけど……
『ちょんちょん』
アタシは再び、マノの脇腹をつついてみる。
若干の放心状態のせいか、あまりくすぐったそうな反応は見せない。
やっぱり、今のマノだとくすぐったくないのかな?
『ちょんちょん』
アタシはさらに、マノの脇腹をつついてみる。
うん?
今、少しだけアタシに脇腹をつつかれるのを避けたような。
『ちょんちょん』
あっ、今度は間違いない。
絶対に避けた。
なんなら、アタシから少しだけ距離取ったもん。
効いてるんだ。
アタシはずいっとマノに近づく。
なんだか、ちょっと楽しくなってきた。
『ちょんちょん、ちょんちょん、ちょんちょん』
アタシはマノの脇腹に連続攻撃を仕掛ける。
すると、とうとう耐え切れなくなったのかマノは自分の脇腹を守るように手で押さえた。
「……くすぐったいからやめろ。知ってるだろ……俺が昔から脇腹弱いの……」
そう言って、マノはやっとこっちを見てくれた。
虚ろだった目はどこかに消えていて、その瞳にはちゃんとアタシが映っていた。
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