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最終話 マリア・フローレンベルク

 その光景に、思わず目を丸くする。


 人々の健闘を称え合う声と、再会に喜ぶ声。

 染みる消毒に涙をこらえる戦士。互いに戦果や武勇伝を自慢しあう男たち。湯気の立ち上る大なべを必死に掻き回す給仕の少女と、そこに並び連なる人々。僕と母上は顔を見合わせ、笑い合う。


 あの部屋を後にし、リーズベルク城塞の広々とした中庭へ出た僕らを待っていたのは、ベスティアとリーズベルクに名を馳せる両国の英傑たち。


 三十年前の大戦で名を挙げた強者や、この三十年で生まれた新気鋭の天才たち。生きる伝説として名を残す者を始めとした傷だらけの戦士や魔術師たちが一同に集まり、配給された料理を囲んで宴会騒ぎをしているところであった。


「やぁ、遅かったじゃないか」


 聞き覚えのある声にハッとして振り返る。

 そこには、右手を包帯に覆ったチャーリーさんが微笑んでいた。


「チャーリーさん! よかった、ご無事で」

「この様子だと、無事に片付いたみたいね。あなたなら、やってくれると信じていたわ」

「君の方こそ、よくやってくれた。流石に君といえど無事じゃ済まないだろうと思っていたのだが……まさか、本当にやってのけるとはね。とにかく、大きな怪我がなくて良かった。念のため、後でソウジロウ君も一緒に向こうの救護班に見てもらうといい」

「は、はい」


 母上の顔と左手の傷は既に治癒されており、ほぼ無傷と言えるほどに治っている。流石に人ならざる姿が見え隠れしている状態で人間たちの前には出れないだろうと、地上に出る前に竜たちが治癒してくれたのである。おかげで、チャーリーさんにも余計な心配をかけずに済んだようだ。


「それにしても……本当に集めてくれるとは思ってなかったわ。チャーリー」

「はは、これくらいなら朝飯前さ。大量の魔物がいると分かれば、皆すぐに集まってくれたよ。地精が寄贈してくれた『デスサイズ』のおかげで、黒魔術協会の連中も呼ぶことが出来た。あぁ、そうそう、ルシル君も来てくれたよ。今は救護班で怪我人の手当をしているはずだ」

「なんだ、結局ルシルも来たのね」

「嫌がってはいたがね。それと、壊滅したリーズベルクの住民たちは地下のシェルターで無事に保護されたよ。彼らお得意の銃や兵器の類は倉庫ごと潰されてしまったらしくて、戦える者はほとんどいなかったようだが……唯一、破壊を免れた『機神』がシェルターに繋がる唯一の道で魔物を食い止め続けていたそうだ」

「それって、まさか」

「あぁ。かの煌金の機神(アウレア・マキナ)――シャルロッテ陛下さ。リーズベルクの地下には、地上のそれとは比べ物にならないほど強固な防護施設を密かに作っていたらしくてね。国中の民が集まっても数ヶ月食い繋げるほどの備蓄があったらしい。地上が制圧されてからも、陛下は戦い続けていたそうだ。たった一人で、ね。若くして勇猛果敢な名将と伺ってはいたが……いやはや、末恐ろしい御人だ」

「そ、それで、シャルロッテ様は……」

「心配はいらないよ。もはや生きているのが不思議なくらいの怪我を負っていたが……ご無事さ。軽く手当を受けてすぐに、逃げ遅れた住民を探しに行ってしまった。あれでいて、確か、年齢は君と同じくらいだったはずだがね」


 チャーリーさんは割れた眼鏡の位置をクイと直し、咳払いをする。


「ところでマリア。例の物は」

「えぇ、ちゃ~んと拾ってきたわよ。ほらっ」


 母上がぽんと手を合わせると、その手のひらに六つの美しい宝玉が現れた。きらりと輝く色とりどりの宝玉の中には、様々な色の渦が光を放っている。


「なるほど、これが」


 チャーリーさんは宝玉の一つをつまんで光に透かすと、優しげな目元を細めた。


「母上、それは……?」

「これはねぇ、魔将軍たちの魂を閉じ込めた宝玉よ。私はこれを手に入れるために、わざわざリーズベルクまでやって来たの。全ては、魔将軍たちを一網打尽にするため。これ、結構すごいお宝なのよ」

「すごいどころじゃあないよ。この一つ一つに魔将軍の魂が入ってるんだ。極端に強い力を持って生まれた個体は、それだけで複数の群れを統べるボスになりえる。こいつらを野放しにしては、遠からず再び人類が脅かされてしまうだろうね」


 宝玉の一つ一つを光に透かすチャーリーさんの言葉に、思わず唖然としてしまう。あまり意識していなかったが、僕らは伝説と語り継がれる全ての魔将軍たちと顔を合わせたことになるのか。よく無事でいられたなと息を吐き、母上の手のひらで輝く宝玉の価値を想像して唾を飲む。


「これは僕の方で責任を持って預かるよ。それより、マリア。あの子は……」

「ふふ、心配いらないわ」


 母上は微笑み、ちらりと上空を見上げる。

 僕とチャーリーさんが視線を向けると、太陽の光を遮る影が視界に映り込む。すらりとした長い尻尾と、しなやかな体に羽ばたく翼。僕があっと声を上げると同時に、近くにいた戦士や魔術師たちがざわついた。


「おい、あれは」

「竜だ! さっきの竜が戻ってきたぞ!」


 声を上げた者たちは慌てて立ち上がり、その場から退いて着地に十分な場所を開ける。

 やがて、空を見上げる人々の視線を浴びながら地上に降り立ったそれは、淡い桃色の鱗に覆われた美しい竜。体格からして、恐らくはまだ未成熟な子竜であろう。四肢の先端や翼の先に掛けてその鱗は白く染まっており、あくびをするように開いた口元には氷柱のような牙が並んでいる。吐き出された冷気に地面の草が凍りついた。


「ソウジロウ!」


 一瞬遅れて、頭上に輝く光。

 顔を上げるや否や稲妻の如き衝撃が大地を凹ませ、飛び込んできた恵体に抱きしめられる。土埃に汚れてもなお美しい黄緑の髪と、ボロボロになったエプロンドレス。周りの目も気にせず僕を抱きしめる力は強く、その肩は震えていた。


「……ぺトラさん」

「良かった……無事で、本当に……」


 今にも泣き出しそうな声と共に、抱きしめる力が強くなる。母上よりは小柄であるが、やはり僕より大きな体は、温かい。ボロボロになりながらも背の翅を光らせるその人は紛れもなく、ぺトラさんであった。


「……心配、していたのですよ。もし、万が一に何かの間違いでもあったらと思うと……」

「ぺトラさんこそ、よくご無事で」

「私は何ともありません。あの一撃も、痛みは全くありませんでした。奥様は初めから乗っ取られてなどいなかったのです」

「うふふ。ぺトラってば、私がヘマするとでも思ってたの~?」


 ぺトラさんの服の土埃を払いながら、くすりと微笑む母上。ぺトラさんは何か言いたげに口を開けたが、やがて諦めたように言葉を噛み潰す。文句の一つでも言おうとしたのかもしれないが、それが無駄なことであると察したのだろう。ぺトラさんは僕に額にそっと唇を寄せ、ため息をつきながら改めて僕を抱きしめた。


「…………驚いたな。君も、戦っていたのか……」


 ぽつりと呟いたチャーリーさんは桃色の竜に歩み寄り、喉を鳴らす竜の顎を撫でる。子竜とはいえ人間よりよほど大きな竜はどこか優しい眼を細め、伸ばされたその手を舐めた。そういえば、と僕はハッと目を見開く。ぺトラさんと一緒に居たであろうこの竜は、まさか。


「……リリィちゃんよ」


 見計らったように耳元で囁かれるその言葉に、思わず間の抜けた声を上げる。


「えっ……」

「ぺトラと一緒に、皆の手伝いをするように言っておいたの。無事で良かったわ」


 桃色の竜は冷たいため息をつくと、翼を畳んで四肢を折り、蹲るように身を丸めてその姿を変えてゆく。未発達ながらも強靭な四肢は華奢な手足となり、全身を覆う桃色の鱗は白く滑らかな肌となり、鮮やかな鱗と同じ色の髪がふわりと広がる。


「……ふぁ……」


 リリィが大きくあくびをし、眠たげに目を擦った。

 柔らかな光に照らされる肢体に傷らしきものは見当たらないが、彼女なりに眠気を堪えて頑張ったのだろう。今にも眠りに落ちてしまいそうだ。


「……リリィ君。片付けが済んだら、またうちに遊びに来ておくれ」


 自らの肩を抱くリリィにローブを被せ、チャーリーさんは微笑む。リリィはどこかぼんやりとした目を細め、こくと頷いた。


「マリア~~~!!」


 聞き覚えのある声に振り返る。

 ぶんぶんと手を振りながら駆けてきたルシル様が取り押さえられ、治癒術師や学者と思わしき者たちに引き摺られてゆく。助けを求める泣き声すら聞こえない振りをする母上と哀れな天才を交互に見つめ、僕はチャーリーさんと顔を見合わせて笑う。



「うふふ。さぁ、皆でおうちに帰りましょ」



 三十年前の歴史を過去に、人類が新たな一歩を踏み出した今日この日。


 人類の勝利と安寧を祝した騒ぎの中で、英雄が身を翻して微笑む。

 何よりも強く、誰よりも優しい母の微笑みは、とてもとても眩しかった。







◆◆◆エピローグ◆◆◆




「そういえば……ルシウスって結局、僕に何をする気だったんでしょう」



 あれから、一週間。平穏で平和で、ちょっぴり退屈な昼下がり。

 山積みの書類を見なかったことにして、かれこれ三時間も休憩という名の現実逃避を続けている母上にお茶を淹れながら、僕は忘れかけていた疑問を吐き出した。うやむやのうちに消えかかっていたその疑問は、何故だか忘れてはいけないような気がしたのだ。


「何でもいいじゃない。悪魔の考えることなんてわからないわよぅ」

「はぐらかさないでください。あの時は何が何やらよくわからなかったんですけど、考えてみれば変じゃないですか。どうして、わざわざ僕なんかを……僕は魔力適正も何もない一般人なのに」


 母上はため息をつき、しなやかな指を絡めて微笑む。


「うふふ。じゃあソウジロウ、これ、手に持ってみてくれる?」


 にこにこと微笑みを浮かべたまま母上が差し出したそれは、僕が紅茶を注いだティーカップ。先ほど注いだばかりの紅茶は赤々と透き通り、白い湯気を立ち上らせている。


「手に持つって……こう、ですか?」

「手のひらの上に乗せるの。ちょっと熱いかもだけど、そのまま目を閉じて」


 ティーカップを受け取った僕は言われるままに、熱々のティーカップを手のひらに乗せて目を閉じてみる。暗く閉ざされた意識の中で、ただ手のひらに感じる熱が脳裏に浮かんだ。


「そうしたら、次は手のひらに氷があるのを思い浮かべてみて」

「どうして、そんな」

「いいからやってみて。大丈夫だから」


 僕は目を閉じたままため息をつき、手のひらの熱を堪えながら脳裏で氷に置き換える。こんなことをして何になるのかとぼんやり考えながらも意識を集中すると、手のひらがジンジンと痺れてきたように思えてくる。


「いい? ソウジロウ。あなたの手のひらには、かちかちの冷たぁい氷があるの」

「……母上」

「ほら、冷たくなってきた。もう目を開けていいわよ~」


 一体何のつもりかとため息を付きながら目を開けると同時に、僕の意識が凍りつく。手のひらの上に乗っていたそれが、熱々の紅茶入りティーカップが、手のひらごと凍りついていた。パキパキと音を立てながら、今まさに手首を飲み込もうとしている。のだが、全く冷たくない。何だこれは。何なんだこれは。これは、僕がやったのか?


 混乱して言葉を失い、凍りつく手のひらを呆然と見つめる僕を横目に、指を絡める母上がくすりと笑った。



「それが答えよ。ソウジロウ」



 耳から脳裏に突き抜けるその言葉にハッとすると同時に、思い浮かべた氷のイメージがふっとかき消される。手のひらに凍りつく氷の塊に亀裂が走って割れ、すぐに溶けて無くなってしまう。ティーカップから溢れた冷たい紅茶が床に滴った。


「…………は、母上」

「うふふ。あなたは生まれつき、とても大きな器を持っていたのよ。でも適正が無かった……十五年前までは、ね」

「それは」


 緩む口元を抑えて含み笑いを零す母上に言い寄ろうとしたその瞬間、書斎の扉が開け放たれる。振り返ると、どこか神妙な表情を浮かべたぺトラさんが立っていた。


「失礼します。奥様。あの……」

「どうしたのよぅペトラ。変な顔して」

「いえ、その。お客様が……お見えでして……」


 口ごもりながらもそう言ったぺトラさんの言葉に、僕と母上は顔を見合わせる。


「確か、来客の予定は無かったはずだけど~……誰かしら」

「そ、それが……」

「私よ」


 ぺトラさんをぐいと押し退けて部屋に入ってきたのは、愛らしい義体の少女と鉄仮面の執事。もはや見慣れた漆黒のドレスと黒髪が揺れ、宝石の瞳がきらりと光る。不気味なほど美しく整ったその姿を目の当たりにした僕は思わずあっと声を上げ、数歩後ずさった。


「また会ったわね。ソウジロウ」

「……エヴァローズ……死んだはずじゃ」

「勝手に殺さないでくれるかしら」


 フンと顔を背けたエヴァローズは書斎のソファに腰掛け、指を絡める。母上が頬杖をついてため息をつき、開いていた本をパタと閉じた。


「何しに来たのよぅエヴァ。大人しくするって約束したでしょう」

「この街の外れに城を移したから、挨拶に来てあげたのよ。お茶の一つくらい出しなさいよ」

「何勝手なことしてるのよ。また余計な書類が増えちゃうじゃない」

「は、母上。何のんきな事言ってるんですか。こいつは」

「うふふ。エヴァはずっとあなたのこと守ってくれていたのよ。魔族の仲間のフリをして、私たちに魔族の動きを教えてくれてたんだから」


 エヴァローズは得意げに髪を流し、じろりと僕を睨む。僕が慌てて頭を下げると、ふんと顔を逸らした。


「そこのメイド。紅茶はまだなの」

「……生憎、茶葉を切らしておりまして」

「あらそう。役に立たないメイドね。殴ることしか能がないのかしら」

「…………ッ」

「申し訳ございません。皆様。お嬢様に代わり、無礼をお詫び申し上げます」

「あなたは確か、幻魔族の……指取っちゃって悪かったわね」

「いえ。すぐに生えてきますので」

「ちょっとスペクター。左の膝が緩いのだけれど。直して頂戴」

「はいお嬢様」

「んもう。エヴァのせいでせっかくの平和な休憩時間が台無しじゃない。どうしてくれるのよ」

「……それはそうと奥様。今朝と比べ、書類の量が減っていないように見えますが」

「そうだ。そろそろお茶の時間じゃない? ペトラ、セバスチャンとリリィちゃんも呼んで来て頂戴。皆でお茶にしましょ」

「奥様」

「エヴァには私の手作りクッキーを食べさせてあげるわ。ついでにお茶も淹れてあげちゃう」

「いらないわよ」

「これはこれは、お嬢様並みの料理上手でございますね」

「奥様!」



 賑やかになった書斎の隅で、僕はため息をつく。

 ふと目を向けた空はどこまでも青く、美しく透き通っていた。


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