97.偽英雄の選択
書庫から廊下に出ても、そこにニーナの姿は無かった。
本気で隠れてしまったのだ。
だがこれで良かったと、リンドは思う。
これでリンドは、ニーナの「一番」で無くなる。彼女はきっと、新たな「一番」を見つけられるはずだ。
そうなれば、リンドがいなくなったとしても絶望することは無いだろう。
ニーナには、今回の旅で出会った様々な人がいる。
例えば、鍛冶屋マークスの面々。例えば、弟アニー・バリスタ。
それに共に旅してきた、フレア・クリストンもいる。
誰かが必ず、彼女の支えになるだろう。
サーシャだって、頼めばきっと彼女の面倒を見てくれるだろう。
ふと思い浮かんで、リンドは廊下沿いの一室の戸を見た。
ゼノの部屋だ。
そこへ歩んで行き、扉を開く。
すると、声がした。
「あっ―――、リンド様!?」
見れば、部屋のベッドの上で上体を起こしたサーシャが目を見開いていた。
「……サーシャ」
「入る合図くらい、して下さい……」
言いながら、彼女は掛け布を口元まで持ち上げる。
だがリンドは理解できずに、目を瞬く。
「着替えていたのか?」
「そうではありませんが、つい先ほど目が覚めたばかりで身嗜みが―――」
「何だ、そんなことか」
とリンドは、呆れ交じりの息を吐いた。
そして、彼女の元へ歩み寄る。
「そんなことは、どうでも良い」
「どうでも良くはありません。私も一応、年頃の女なんですか……ら?」
サーシャの声が、途切れる。
リンドが抱き締めた所為かもしれない。
「あ、の……。リンド様、駄目です。私ずっと、寝ていたんですよね? まだ身体拭いていないですし、臭いが―――」
「そうだな。サーシャの匂いがする」
「ち、違います……。私そんなに、臭くありません……」
サーシャの声は、いつになく不安定だ。
彼女とは十年来の付き合いだが、その十年の間でもあまり見たことが無い狼狽え様だった。
それでもリンドは、彼女から離れなかった。
「―――サーシャ。ルイスの酒場は残っていた。お前の母親が店主だ。足を悪くしているが、元気に働いている」
「えっ……、本当ですか!?」
「ああ」
驚くサーシャの耳元で答えると、彼女は「良かった……!」と声を漏らす。
しかしそれ故に、リンドの後悔はより大きかった。
「……悪かった。俺が旅立つ時に、ギルト王に許可されずとも強引に王都から連れ出すべきだった。そうすれば、こんなことには」
「聞かれてしまったのですね……」
リンドの謝罪に対して、サーシャがふっと息を漏らして言う。
それから、彼女の右手が彼の背を優しく摩った。
「リンド様の所為では、ありません。私が失敗してしまっただけです」
「だが、俺が解放してやれていれば、お前は―――」
「リンド様は、あなた様にできる最大限のことをして下さいました」
「違う。もっと他に、方法があったはずだ」
とリンドは、歯噛みする。
「俺の所為で、お前はこんな所に連れてこられたんだ。だから俺には、お前を守る責任があった……!」
「責任、ですか。―――そうですよね」
サーシャが呟いた。
淡々とした声音だった。
その後に彼女は、ぽんと優しくリンドの頭を叩く。
「リンド様、離れて下さい。いつまで私に甘えているつもりですか?」
「いや、そういうつもりでは……」
言いながら離れるリンドに、サーシャは微笑んで声を向けてくる。
「もうリンド様は、子供じゃ無いんですから。こういうことは、大事な人にだけしてあげて下さい」
「……大事な人」
とリンドは繰り返す。無論、その意味は分かっている。
故に彼は、その目を彼女に真っ直ぐ向けた。
「サーシャ」
「はい」
彼女もまた、こちらを真っ直ぐに見返してくる。
そんな彼女に、リンドは告げた。
「サーシャ、俺はお前を―――」
*
部屋を出る時も、サーシャは優しげな笑みを浮かべていた。
その内心は、想像することしかできない。
サーシャには、アリアが立てた計画について話さなかった。
リンドの心の内は伝えたし、思い残すことは無い。
閉じた扉を背にふうと息を吐いていると、視界の端に人影が映った。
「サーシャとの面会は済んだ?」
声がした方へ目を向けると、そこにはフレアがいた。
意外にも柔和な表情で、頬が少し赤らんでいるように見えた。
「ああ。目を覚ましていた」
とリンドが返すと、フレアは「良かったぁ」と安堵した様子で笑む。
それから、リンドの袖を引いた。
「ねぇ、来て。私もアリアとの話は済んだから、あんたとじっくり話ができるわ」
言って彼女は、応えを聞く前にリンドを半ば引き摺るようにして連れていく。
彼女が向かった先は、レイドの部屋だ。今はフレアが使っていた。
フレアが部屋の戸を開き、中へ入る。
リンドがそれに続くと、甘い香りが鼻孔を擽った。
それもそのはず。
部屋には、果実酒の入った小さな樽が置かれていた。
その傍には使われた形跡のあるマグも見られる。
「お前、呑んだのか? 一体どこから持ってきて―――」
「部屋に置いてあったのを見つけたから、呑んだのよ。悪い?」
「悪いと言うか……」
彼女の酒癖の悪さは、既に経験済みだ。
今回も状況が状況だけに、手酷い目に遭わされそうだった。
思わず眉を顰めるリンドを余所に、フレアはベッドに腰掛けるとマグを取った。
「ほら来て。あんたも呑むでしょ」
「いや……。話をするんじゃ無かったのか」
言われるがままに彼女の右隣に座ったリンドは、やや困惑気味に言う。
「あんまり呑むと、話ができなくなるだろ」
「……馬鹿じゃないの?」
とフレアが言い返してくる。
早速始まったか―――と思われたが、違った。
「呑んでなきゃこんな話、真面にできるわけ無いじゃない」
「……」
思わず黙ったリンドを、フレアはじろと睨むように見る。
「ねぇ。私が何を言いたいか、分かる?」
「分かる」
「私も。あんたがどうしたいか、分かってる」
言って、フレアはくいと酒を呷る。
その艶やかな唇からつっと一筋酒の雫が流れて喉元を伝い、白い上衣の緩められた襟刳りにじわと染みを作った。
しかし彼女はそれを気にも留めずに、酔眼をどこか遠くへ向けた。
「だから、酔った勢いで良いから『行ってらっしゃい』って言おうと思ったのよ。―――でも、」
とそこで、彼女の言葉が止まる。
そしてその襟元に、またじわと雫が落ちた。
だがそれは、酒では無かった。
「やっぱり私には、無理……!」
目元に手を当て、フレアは呻くように言う。
そんな彼女に対して、リンドは何も言えなかった。
「それなら行かない」と意志を曲げることは言えないし、「心配しなくても大丈夫」と根拠の無い気休めも言えなかった。
彼が沈黙している内に、フレアはぐいと目元を拭う。
それから気を取り直すように息を吐いてから、右手をこちらへ突き出してきた。
「―――これ見て」
言いながら、フレアは右手に巻かれた布を解く。
露わになったその掌には、紅い龍の印がある。そしてその印の上には、傷跡が残っていた。
魔法王都で矢を受けたその時の傷跡だ。
「あんたの左手と同じ。私も『傷の魔法人』になっちゃった」
「……俺のは、少し事情が違うけどな」
とリンドは返す。
母シエナから聞いた話によると、彼の手の傷はギルトが付けたものらしい。
ギルトは生まれる前にリンドが自分の子で無いと分かっても、「生まれられたなら生かしてやろう」と言ったそうだ。
そしてリンドが無事生まれると、左手に傷を付けてアルバートの印を持たないことを隠したと言う。赤子に対して約束を果たす必要など、無かっただろうに。
結果として、ギルトは十八年後にその赤子に討たれることとなった。
生まれた時点で結末を知ったなら、ギルトは前言を撤回して赤子を殺しただろうか。
恐らくだが彼の行動は変わらなかっただろうと、リンドは思う。
それが、ギルト・アルバートと言う男だ。
血は繋がっていなくても、リンドは十八年間彼と相対してきたのだ。嫌でも、その人格は理解していた。
思いを馳せていると、目の前でフレアがはあと溜息を吐いた。
どうも余計なことを言ったらしい。
彼女はふいと顔を背けて、別のことを言った。
「……魔法王都で再会した時に、私が言ったこと覚えてる?」
「俺の隣に立つとか言う話か」
「うん」
フレアはこちらを見ないまま、言葉を継ぐ。
「私はここを発った時、あんたを憎んでた。あんたに会って『一緒に来い』って言われた時も不愉快で、鍛冶町の娼家で襲われかけた時も心底嫌だった」
「娼家の件に関しては誤解だと説明したはずだが―――」
指摘しようとした時、不意に左手に温もりを感じた。
フレアが右手を重ねてきたのだ。
「……でも、今は違う」
と彼女は言う。
そして漸く、こちらを遠慮がちに見た。
その目は弱々しく、縋るようだった。
「今なら私は、あんた……あなたのために何でもできると思う―――、思います。だから……じゃなくて、なので―――」
見た目だけは艶やかな彼女を前にして、リンドは思わずふっと吹き出してしまった。
するとフレアが、じろりと睨んでくる。
「ちょっと、何で今笑うのよ。旅の間に笑ったことなんてほぼ無かったのに……」
「その口調は、変だろ……」
「笑わないでよ! 私なりに頑張ってたんだから―――!」
「分かってる。可愛いと思った。引き留める効果は、あったと思う」
言うと彼女は顔を赤くして、また顔を逸らしてしまった。
そんな彼女と、もっと取り留めの無い話をしていたいとリンドは思う。
だが、そういうわけにもいかなかった。
「―――だが、」
と言って、リンドは真っ直ぐ前を見据える。
「それでも、俺は」
「……」
リンドの左手に重ねられたフレアの右手が、ぐっと強く握られた。
「……何でよ。私は、私にできることは何でもするって言ったのよ。それでも駄目って言われたら、もうどうしようも無いじゃない……!」
唇を噛み瞳を潤ませる彼女を前にしてリンドは、今度は自分の方から言葉を向けた。
「フレア」
「何よ」
「俺は、お前を選ぶ」
伝えると、彼女は驚いた様子でこちらを見上げた。
その拍子に、潤んだ目から涙の粒が零れ落ちる。
そんな彼女に、リンドはもう一度言った。
「俺は、お前を妻にしたい」
「……」
フレアは、暫く呆けた顔をしていた。
しかしやがて、その口から言葉が出てくる。
「ニーナ―――は、まだそういう年じゃないと思うけど……。でも、サーシャは……?」
「さっき、伝えた。フレアを選ぶと」
「でも、あんたあんなに彼女のこと―――」
「蒸し返さないでくれ」
とリンドは、眉を顰めながら言う。
「お前に言われるまでも無く、俺なりに考えて出した結論だ。この十年間サーシャに向けていた気持ちが何だったのか考えて、この数ヶ月お前に向けていた感情が何だったのか考えた。―――その結果だ」
そう話しても、しかしフレアはまだ納得していないようだった。
「でも、じゃあアリアは―――」
「同じことを言わせるな。あいつに対する思いも考えた」
「でもアリアは、私より頭良いし」
「お前は、人の気持ちを考えられる」
「アリアの方が、上品だし」
「お前の方が、快活だ」
「美人だし」
「……それは確かに」
言うと、ちろっと睨まれる。話を向けてきたのはフレアの方なのだが。
それに実際のところ、リンドはそう思っていない。
「冗談だ」
と返して、彼は彼女から視線を外した。
「お前も、劣っていないと思う」
「……」
フレアからは、言葉が返ってこなかった。
しかしリンドも気恥ずかしさから彼女の方を見られず、暫し沈黙の時が続いた。
だが、やがて彼女が言った。
「……何でよ」
「まだ納得していないのか……」
リンドは呆れ交じりの息を吐く。
「それとも、もしかしてお前は俺のことが嫌いなのか―――」
「どうして今言うのよッ!?」
強い口調で声を向けられ、リンドは驚いて彼女を見る。
すると、涙を流しながら怒るフレアの顔がそこにあった。
「あんたは『全部終わってから』って、言ってたじゃない! なのに、何で今言うのよ……!」
「……」
震える声で訴える彼女を前にして、リンドはふうと息を吐き出す。
それから「フレア」と彼女の名を呼んで引き寄せ、顔を近づけた。―――が、突き放される。
「やだっ……、やめて!」
フレアは潤んだ目で、リンドを睨んだ。
「これが最後みたいな顔で、私に近づかないで! そんなの、許さないわよッ!」
「……」
「絶対に帰ってくるから待ってろって! そう言いなさいよっ!」
フレアから語気荒く言葉を浴びせられて、しかしリンドは黙っていた。
そういう根拠の無い断定を口にできる男なら良かった。
だがリンドと言う人間に、そういう真似はできなかった。
どうなるかは、分からない。
行けるのか。帰れるのか。いずれも確証は無い。
ただそれでも進むのだと言う意志だけが、リンドの中にあった。
故にリンドは、「希望」を口にした。
「帰ってきたいと、思っている」
「言い切りなさいよ。意気地無し……」
フレアが、はあと深い溜息を吐く。
それから再び距離を詰めてきて、リンドを睨むように見た。
「いい、帰ってきたら息吐く暇無いくらい何度だって口付けしてあげる。子供だって作るわよ。それでニーナやサーシャやアリアが羨ましがるくらい、幸せな家庭を作るの。―――だから、」
と言って、フレアはリンドの肩に頭を押し付けた。
「だから……、帰ってきてよ。私を、置いて行かないでよ……!」
「……ああ」
リンドはそんな彼女を抱き締めるでも無く、ただ前を見据えながら短く返した。
*
朝がやってきた。
リンドはレイドの部屋の絨毯の上に座ってベッドに寄り掛かったまま、眠れない夜を過ごした。
小さな鎧戸の隙間に微かな日光を見て静かに立ち上がると、ベッドに寝かせたフレアの姿が目に入る。
安らかな顔ですうすう寝息を立てる彼女を見下ろして、リンドは小さな声で「行ってくる」と言った。
そしてそのまま、音を立てないように部屋を出た。
廊下へ出ると、リンドはすぐに書庫へ向かった。
そこの隠し扉から地下へ下りて研究室の扉を開くと、机上に顔を伏せているアリアの姿を見つけた。
「ずっとここにいたのか」
声を掛けると彼女は机から顔を上げて、ふにゃっと笑んだ。
これまでに見たことが無い、無防備な顔だった。
疲れているのだろう。解かれた髪が乱れているのも目の下に隈ができているのも、昨日と変わらない。
「大丈夫か」と問おうとすると、その前に彼女が口を開いた。
「朝になったのかしら」
「ああ」
リンドが答えると、アリアは彼が閉めた扉の方を見やりながら問うてくる。
「……行くのよね?」
「行く」
「その割に、見送りがいないようだけれど」
迷い無く答えたリンドに対して、アリアは首を傾げて見せた。
その言葉にリンドは、ふうと息を吐き出しながら応える。
「ニーナは来ない。フレアは寝かせたままだ。サーシャには話していない」
「あらあら。酷い男だこと」
言ってアリアがくすくす笑ったので、リンドはじとと視線を向けながら「お前に言われたくない」と返す。
そして問うた。
「フレアとは話していたようだが……、他の家族と言葉を交わさなくて良かったのか?」
「話したわよ。ちゃんとね」
と彼女は、そう返してくる。
「昨晩ここに皆来たの。大仰よね」
「……」
大仰と言うことはあるまい。―――しかし、その話には若干の違和感を覚えた。
それでリンドが黙ったまま見定めるような視線を向けていると、アリアは「さて」と声を出して立ち上がった。
「あなたの答えも聞けたことだし、すぐに出発しましょう。力は使えるわよね? その辺りの適当な物で試しておいて」
「ここにあるのは大事な資料なんじゃ―――」
「もう要らないわ。頭に入っているもの。寧ろ無くなった方が、私以外の誰かに知られなくて都合が良いくらい」
そう応えながら、アリアは乱れた髪をさっと簡単に手櫛で梳く。
それからいつものように頭の上で結おうとしたが、上手くいかないようでやめてしまった。
続いて着ている衣をぱっぱと払って軽く皺を伸ばすと、それで彼女の身支度は整ったようだった。
そんな彼女の姿を尻目に、リンドは眼前の机上で散らばっている資料に意識を向ける。
そして左手を差し向けながら慎重に退魔の力を発動させると、資料は机の天板ごと消え去った。
「問題無さそうね」
「範囲は狙いと少しずれがあるけどな」
アリアの声に、リンドは眉根を寄せながらそう返す。
これで大丈夫なのだろうか。不安や緊張は拭い切れない。
アリアの推測が全く間違っていると言う可能性は低いだろうが、しかし下手をすれば今日を以って命が終わるかもしれないのだ。
だがそれでも、「行くのをやめる」と言う選択肢はリンドの中に無かった。
「……では、行きましょうか」
と、アリアが言った。そして小さく、リンドを手招く。
それに応じて研究室の奥まで行くと、アリアが手順を説明した。
「心の準備が整ったら、左手で私の肩を叩いて。そして触れた瞬間に、私に力を使って。私もそれに合わせて、触れられた瞬間にあなたを送るわ」
「分かった」
とリンドは返して、ふうと長めに息を吐き出す。
―――その時だった。
どたどたっと、部屋の外から慌ただしい音が聞こえてきた。
リンドとアリアとが音のする方へ目を向けると、それとほぼ同時に扉が勢いよく開かれた。
そして、少女が転がり込んでくる。
彼女はすぐに身体を起こして、叫んだ。
「リンドさん! まだいますかっ!?」
「……ニーナ」
と声を漏らしたリンドを見つけると、彼女は安堵した様子でにんまり笑った。
「リンドさん、行ってらっしゃいです。絶対帰ってきて下さいね!」
「お前……、どうして」
驚きながら問うリンドを前にして、ニーナははにかむ。
「リンドさんは、何もしてないじゃないですか。―――前に私がそう言ったんでした。アルバートが何してたって、バリスタが何してたって、リンドさんはリンドさんですもんね」
言って、そこでニーナはぐっと堪えるように口を引き結び目を潤ませる。
しかしすぐに目元をぐいと拭って、笑った。
「だから……、やっぱりリンドさんはずっと私の一番です」
「ニーナ、俺は―――」
「なので、絶対に帰ってきて下さい!」
リンドの声を遮って、泣き笑いの顔で彼女は言う。
「私が待ってます。フレアさんが待ってます。サーシャさんが待ってます。―――リンドさんは、帰ってくるしか無いんですよ!」
「……ああ、そうだな」
と応えて、リンドは思わずふっと笑んだ。
彼女は、どこまでも真っ直ぐだった。
ニーナは、ちらとアリアにも顔を向ける。
「アリアさん、お兄ちゃんのことよろしくです。―――アリアさんも、帰ってきて良いんですよ?」
「あら。あなたの許可を頂いたなら、ぜひ帰らせてもらおうかしら」
彼女の憎まれ口に、アリアはふふと笑んでそう返す。
ニーナがアリアの名を呼ぶのは、恐らく初めてのことだった。
ニーナと言葉を交わして、リンドの心は晴れていた。
落ち着きを取り戻した彼は、アリアを見る。
その視線を受けて、彼女がこくりと頷いた。
リンドはちらと、もう一度ニーナを見て言った。
「行ってくる」
「行ってらっしゃいです!」
「ニーナちゃん、離れて。危ないわよ」
アリアの注意で見送るニーナとの距離が十分に空いたことを確認し、リンドは左手を挙げる。
そしてそれを、払うようにすっとアリアの肩へ回す。
その手が彼女の肩に触れた瞬間に、リンドの視界は暗闇に覆われた。




