96.偽英雄と真実
リンド・アルバートが反旗を翻して王都へ攻め入ってから、三日が経過していた。
街は、静かだった。
革命は、失敗に終わった。
リンドと彼の仲間たちは、王城内で処刑されたと言う。
しかしギルト王が負傷したため、現在は王位継承順位第一位のアルトが一時王としての務めを代行しているらしい。
アルトはこうした情報が広まることによる周辺地域の動揺を避けるため、ギルトが王座に戻るまで王都の人々が街を出ることを禁じた。
―――と、概ねそのような内容の噂が王都に流されていた。
無論、リンドたちが行ったことだ。
時間を稼ぐことが目的だった。
レイド及び彼の三人の子らは深手を負い、城の地下牢で治療を受けている。
国王ギルトは死んだ。彼の妻シエナと息子アルトは、自室から出ることを禁じられている。
王都のアルバートは、実際にはほぼ無力化されていた。だがそのことが広く認知されれば、王都や周辺地域は混乱するだろう。そしてそうなってしまえば、リンドたちは事態の収拾に手を取られて動けなくなってしまう。
故に、偽の情報を流した。
主立って動いてくれたのは、グレイだった。
リンドたちが目立つ行動をとれない中で彼が迅速に謁見の間を閉じ情報を統制してくれたお陰で、一先ず時を稼ぐことができていた。
一方でリンドは、何もできなかった。
あの日あの瞬間に雪崩れ込んできた多くのことに、気を取られてしまっていた。
三日経って、漸く落ち着きを取り戻してきたところだ。
「……」
リンドは椅子に腰掛けながら、ふうと溜息を吐き出す。
そこは、謁見の間の奥の区域にあるゼノが使っていた部屋だ。
処刑されたことになっているリンドたちはこの区域にある部屋を利用して、今日までの三日間を過ごしていた。
このゼノの部屋には今、サーシャがいた。
彼女は、部屋のベッドに身を横たえていた。
リンドが駆け付けた時からずっと、サーシャは目を覚まさずにいた。
アリア曰く「適切な処置は施したからその内起きる」そうだが、悪夢に魘されるように呻くばかりで一向に目覚めなかった。
「……部屋が良くないか」
ベッドの上で眠ったままの彼女を見下ろしながら、リンドは呟く。
しかし彼らが傍にいられるこの区画に、他に適当な場所は無かった。リンドやギルトやレイドの部屋では、大して変わるまい。
何れにせよ、ラナの部屋よりかは増しなはずだが。
リンドは再び、溜息を吐いた。
頭の中には、未だ蟠っているものがある。
サーシャのことは勿論だが、それだけで無い。
一つは、ギルトの右半身を消し去った自分の力のこと。あれは一体何だったのか。
この三日の間に何度かアリアに呼び出されて調べられたが、それで彼女が何か見出だせたのかは分からない。
もう一つある。リンドの出生のことだ。母シエナから聞かされたその事実にはリンドも驚いたが、恐らく関係者であるもう一人の方が驚愕し動揺することだろう。
故にリンドはまだ、彼女に真実を話せずにいた。
大凡その三つの懸念がぐるぐると巡って、リンドの頭をずきずきと痛ませていた。
お陰で久方振りの自室で横になっても、よく眠れない。
はあと三度目の溜息を吐き出していると、不意に部屋の扉ががちゃと開かれた。
そちらを見やると、扉の向こうから純白の髪の少女がひょこと顔を出した。
「リンドさん、魔女さんが呼んでます。私たちに話があるって」
「そうか。分かった」
応えて、リンドは椅子から重い腰を上げる。
そして少女ニーナを追って、サーシャが眠る部屋を後にした。
「―――脚は、もう良いみたいだな」
道すがら声を向けると、ニーナはにっと不敵に笑んで見せる。
「あれくらい大したこと無いです!」
「大したことではあっただろ……」
あの日フレアと共に謁見の間へ駆け付けられなかった彼女の脚の傷を、リンドも見ている。
常人であれば、とても三日で歩けるようになるような傷では無かった。
相変わらずの回復力は「魔人」になったことで受けた恩恵……、或いは呪いとも言える気がする。
そんなことを思いながらリンドは隣を歩くニーナを見ていて、そして彼女の変化に気付いた。
「お前、目が」
「あぁ、それフレアさんにも言われました。何か、戻らなくなっちゃったみたいです」
軽い調子で言いながら、ニーナは右の目元に触れる。
以前その右目は、ユニコーンの力を解放している時だけ青紫色に変わっていた。だが今は、力を使っていない状態でも両目とも青紫のままだ。
彼女の身体は、確実に力に侵されていた。
だのにニーナは、気丈だった。
しかしだからと言って、リンドが知った事実も容易に受け入れられるとは限らないだろう。
真実をどうして打ち明けたら良いものか。
リンドは迷っていた。
「―――どうかしました?」
リンドの逡巡を察してか、ニーナが問うてくる。
だがそれに、彼は頭を振って答えた。
「いや……、何でもない」
今ここで、事を荒立てるべきでは無いだろう。
揉めるなら、全てが片付いてから揉めれば良い。
リンドは半ば強引にそう結論を出して、歩みを速めた。
二階の廊下を奥まで行き、その突き当たりにある部屋に入る。
そこは書庫なのだが、奥の棚がずらせるようになっておりその奥に地下へと続く扉があった。
三日前にグレイに教えられるまで、リンドやアリアも知らなかった場所だ。
グレイや彼の弟は、その地下で魔法石の研究をさせられていたらしい。
アリアはそれを聞くや否や、自身の怪我の治療もそこそこにその研究室に籠もって資料を読み漁っていた。
さらにこの三日の間にこれまでの研究成果について聞くためにグレイが呼び出され、リンドも退魔の力の異常な作用について調べる目的で彼女に呼び出された。
フレアも魔法に関する事象を見聞きできる能力を存分に利用され、ニーナも常識に囚われない意見を求められたようだった。
恐ろしい探究心だ。彼女がリンドと全く同じ方を向いていたならば、「恐ろしい」では無く「頼もしい」と思っているところなのだが。
しかし、現実は然にあらず。
そしてその上で、リンドは彼女の協力を得ねばならない。得られねば、彼の目的は達成できない。
これからアリアが、知得したことの内のどれほどを話してくれるのかは分からない。リンドとしては、少しでも多くの情報を得られるように交渉せねばならない。
アルバートとの戦いは終わった。ここからは、魔女アリア・クリストンとの戦いなのだ。
二階にある書庫から地下へと続く暗く長い階段を下りて、その突き当たりにある扉をリンドは開く。
すると、資料が散らかった大きな机の向こう側の椅子に座るアリアと目が合った。彼女はふっと妖艶に笑む。
吸い込まれそうになる彼女の視線から逃れるように机の横へ回ると、今度はその反対側の椅子に掛けるフレアの姿が目に入った。先に来ていたようだ。その隣には、グレイも腰を下ろしている。
フレアはこれから繰り広げられるやり取りを前に緊張しているのか、やや強張った面持ちで座していた。
一方のグレイは悩ましげな表情を浮かべていて、リンドたちが席に着くと椅子から立ち上がった。
「戻るの?」
アリアが声を向け、対してグレイは「ああ」と答える。
「これからのことは、これからを生きるリンド君たちが決めることだ」
「そう。付き合わせてごめんなさい。ありがとうね、父さん」
「……アリアも、少し休みなさい」
グレイはそう返して、小さな溜息を吐く。
そして部屋を出て行った。
「何か、元気無かったですね」
口を開くニーナに対して、フレアが静かな口調で「それはそうでしょ」と返す。
「この三日間、ずっとアリアにこき使われてたみたいだし。疲れもするでしょ」
「あまり時間を掛けられなかったからね」
とアリアが言った。
「三日で一応の結論を得られたのは、父さんが付き切りで資料の内容を説明してくれたお陰だわ」
「疲れているって話なら、お前もそうだろ。少し休んだらどうだ」
リンドはそう声を向ける。
対立する相手を利する提案だが、しかし言わずにはいられない。
そういう意味でもアリアと言う相手は、リンドにとって厄介だった。
彼の提案に、アリアは苦笑する。心配されるような見た目になっていることを恥じているのかもしれない。
見た目からは実際疲労の色が滲んでいた。目の下には濃い隈ができていたし、下ろされた茶髪も乱れていた。
だがそれでも、彼女が話を一旦区切るようなことは無かった。
「問題無いわ。恐らくこの後一日くらい猶予が要るでしょうし、その時に休ませてもらうつもりよ」
「猶予?」
とリンドが首を捻るが、アリアはそれに答えず話を先へ進める。
「それと序でに言っておくけれど、この場で駆け引きを考える必要は無いわ。私は全てを話すつもりでいるからね」
「ホントですかね……」
ニーナが疑わしそうに言う。リンドも同感だった。
しかしアリアは「本当よ」とそれに返す。
「話さなければ、私も困るのよ」
「なら聞かせて」
とフレアが静かに言った。
今日の彼女は常より大人しい気がする。
「二つの魔法石を壊したら、魔法や退魔の力は無くなるの?」
彼女の問いに対して、アリアは視線を机上に落とす。
そこには、紅い石が二つ並んでいた。
「石を二つとも壊せば、力は使えなくなると思うわ。……但し、その状態がいつまで続くのかは分からない」
「どういう意味だ?」
リンドが問うと、アリアは両手を小さく挙げて見せた。
お手上げ、と言うことでは無いだろう。
それぞれの掌に浮かぶ印を示しているのだ。
「それを説明するために、まず二つの力についての正しい認識を共有しましょう。フレアと、リンド。魔法と退魔の力について、それぞれ一言で説明してみて頂戴」
話を振られてフレアは訝しげな表情を浮かべたが、すぐに答えを口にする。
「魔法は、想像した物を生み出す力でしょう?」
「退魔の力は、それを消し去る力だ」
とリンドも答える。
「そして同時に、生物に恐怖を抱かせる力でもある」
「そうね」
とアリアは、それに頷きを返した。
「見え方としては、その説明で合っているわ。―――けれど、正確な認識では無い」
言って、彼女は左手で魔法石の一つを持つ。
そして掌の上に載せたそれを、右手で取り上げた。
「魔法とは、竜神様に欲しい物を伝えて届けてもらう力なのよ」
「竜神様ァ……?」
とニーナが、胡散臭そうな声を出す。
「天下の魔女さんが、神サマを信じてるって言うんですか?」
「神様かどうかは、分からないけれどね」
アリアは肩を竦めて、さらに言葉を継ぐ。
「酒場で食事を頼むのと一緒よ。魔法と言うのは、店主に注文をする行為なの。魔法人たち自身が無から何かを生み出すことなんて、できるはずが無いわ」
「魔法が、酒場の注文と同じ……?」
眉根を寄せるフレアと内心はそれほど変わらないが、リンドは一先ず彼女の話に合わせて言葉を返す。
「それなら、退魔の力は食器を返すようなものか?」
「そうだけれど……、返すだけでは無いわ」
とアリアは言う。
「そのことは、あなたが一番よく分かっているのではなくて?」
問われて、リンドは眠たげな目を僅かに見開く。
あの時彼の退魔の力は、魔法とは無関係なギルトの半身を消し去った。
「―――退魔の力は、送る力か」
「そういうことだと思うわ」
とアリアはリンドの言葉に対して首肯を返してくる。
「魔法は『呼ぶ力』で、退魔の力は『送る力』。そういう一対なのよ。アルバート家において受け継がれてきた退魔の力には制限が掛かっていたようだけれどね。ただそれでも『どこかへ送られてしまう』と言う恐怖を、私たちの身体は本能的に感じていたのだと思うわ」
確かにそういうことであれば、退魔の力の副次的な作用についても一応の説明はつく。
「俺が力の制限を解除できたのは、お前から与えられた力だったからか……?」
「ええ、恐らくね」
リンドの呟きに、アリアが答える。
「何分、当時の私は全てを理解できていなかったからね。本来掛けられるはずの制限が中途半端な状態だった可能性は高いわ」
「……なるほど」
それ故の「事故」によってリンドは命拾いし、ギルトは命を落としたと言うことだ。
この結果は、果たして世界が決めた必然だったのだろうか。
それは誰にも答えられない問いなので置いておくとして、しかし他にも分からないことはある。
ニーナやフレアが、その点について問うた。
「でも、何で制限なんて付いてたんです? それが無ければ、もっと強い力だったのに」
「って言うか、そもそも『呼ぶ』とか『送る』とか言うその先はどこなの? 竜神様がいる天と繋がってるだなんて、思えないんだけど……」
それらの問いを聞いていたアリアが、返答に窮することは無かった。
すぐに淀み無く答える。
「制限が掛けられた一番の理由は、こちら側のものが入ってくることを避けるためだと思うわ。処理に困るのよ。そしてそうだとすれば、向こう側も万能な神様がいる場所では無いわ」
「向こう側にいるのも、俺たちと同じ人間だってことか?」
リンドが訊くと、アリアは肩を竦めて見せた。
「人間かどうかは、分からないわ。……ただ、私たちに齎されたこの力にはちゃんと仕組みがある。世界の原理に従っているのだから、『彼ら』は高い技術を持つだけの存在と言えるでしょう」
「……」
アリアが展開した信じ難い論を聞いて、リンドたちは言葉を失う。
だがその静寂の間に、リンドは思い至った。
彼女の話が本当かどうか、確かめる方法がある。
「……俺は今、退魔の力の制限が解除された状態なんだよな。と言うことは、つまり―――」
「ええ。私が最終的に言いたかったことも、それなのよ」
とアリアが応える。
そして、左の掌をこちらに示した。
「あなたの力を調べさせてもらって、私も制限を外せたわ。これを使えば、私たちは『あちら側』へ行けるかも―――」
「待ってよ!」
とそこでフレアが声を上げた。
「そんなの、危ないんじゃ……」
「そうね」
とアリアが返す。
だが、そこで彼女の言葉は終わらなかった。
「けれど、始めに言ったでしょう。魔法石を壊すだけでは、終わらないかもしれないと」
「送り込んできた人物がいるなら、石を破壊してもその誰かがまた送ってくる可能性があるわけか」
リンドが言うと、アリアは頷いた。
そして、彼女はリンドを真っ直ぐに見据える。
「あなたが目的を確実に達するためには、向こうへ行ってみるしかないわ。そして私も、向こうに行ってみたい。自分で自分を送ることは難しいでしょうから、私たちは互いに互いを―――」
「馬鹿なこと言わないでっ!」
とフレアが、その声を遮った。
「行ける確証も無いのに、ギルト王の身体を消し去ったあれを自分たちに使うの!? 冗談じゃないわ! そんなことして、もし上手くいかなかったら……!」
「死ぬでしょうね」
対してアリアが静かに、だがはっきりと言った。
「それに行けたとしても、帰れない可能性もある」
「だったらやめなさいよ! いくらあんたが―――」
「フレア」
とアリアが彼女の声を遮る。
その語調は、常よりやや強い。
「父さんはあなたの疎外感を察して話したのよ。その判断を失敗にするようなことはやめなさい」
「それを言うなら、あんたもでしょ? お父さんの気持ち考えて行動しなさいよ」
「……父さんにも、この話はしているわ」
アリアはフレアに、そう返す。
それから彼女は、リンドの方へ向き直った。
「リンド、あなたに決めてもらうしかないわ。私の心は決まっているけれど、あなたの協力を強制しても良い結果は出ないからね。―――私を送るか、私と行くかを選んで欲しい。確実性を少しでも高めるためにも、互いに送れるのは一人よ」
「……俺は、」
と口を開いたリンドの袖が、強く引かれる。
見れば、隣のニーナが睨むような視線をこちらへ向けていた。
それは向かいに座るフレアも同じだった。鋭い視線をリンドに向けていた。
「駄目ですよ」
「駄目だからね」
ほぼ同時に掛けられた声に、リンドは思わず言葉を詰まらせてしまった。
だが、折れたわけでは無い。
リンドは何も言わず、ただ彼女らと見合う。
「……やはりこうなったわね」
声を上げたのは、アリアだった。
そして彼女は、提案する。
「一日、待つわ。今日はこれで解散。私も休みたいしね。―――明朝、ここで答えを聞かせて頂戴」
言って彼女がぱちと手を打つと、ニーナががたと席を立った。
「ニーナ」
と呼び掛けたが、彼女は無視して部屋を出て行ってしまった。
それで止む無くもう一人の方へ目を向けるが、彼女もふいと外方を向く。
「フレア、話を―――」
「ええ、」
と彼女が、常より低い声を出した。
「私も話あるから。あとで部屋に来て」
「……」
「それならフレアには、先に私に付き合ってもらおうかしら」
とアリアが言う。
「あなたにはもう少し話しておくことがあったの」
「うん。分かった」
フレアが応える。リンドの方は全く見ない。
対するアリアは、こちらに向かって肩を竦めて見せた。
二人の話を邪魔するわけにもいかない。
リンドはふうと息を吐きながら、地下の研究室を後にした。
*
一人は、案外近くにいた。
地下から階段を上がってすぐの、書庫の中。
そこにある机の上で、ニーナは胡床を組んで座っていた。
「もっと、探すのに苦労するかと思った」
「私が本気で隠れたら、リンドさん見つけられないですよ」
と彼女は返す。こちらを見ずに。
「でも、今は見つけて欲しかったので」
「それは良かった」
言って、リンドは足を止める。
まだ彼女との間には、言葉を交わすには不自然な距離が空いている。
だが迂闊に詰めると、彼女はまたどこかへ行ってしまうような気がした。
「ニーナ―――」
「リンドさんは、行くつもりですよね?」
と彼女は問うてくる。
それでリンドは、正直に答える。
「ああ、そのつもりだ」
「……ですよね」
ニーナは、溜息交じりに言う。
「分かってますよ、私は。リンドさんがこういう時譲らない人だって。―――でも、私は嫌なんです」
「もう少しで、目指してきた世界が実現できそうなんだ」
とリンドは、そう話す。
「ここでやめたら、ここまでの俺やお前たちの苦労が無駄になる。『繋がらない』んだ。お前もそれは嫌だろ」
「確かに」
と言って、彼女はリンドに背を向けて笑う。
「『繋がってない』のは、嫌ですね。……だけど、」
とそこで、ニーナの言葉は途切れた。
やや不自然な間が空く。
その後に、彼女はこちらを見た。
「だけどリンドさんがいなくなるのは、もっと嫌です……!」
揺れるあどけない声。
震える小さな肩。
ぽろぽろと涙を零す大きな目。
その姿はリンドに、誰よりも強い彼女がまだ少女であることを思い出させた。
「私の好きなもの、一個だけなんですよ。失くさせないで下さいよ……!」
「……一個なんてことは、無い」
とリンドは、それに言葉を返す。
いつも通りの淡々とした声で。―――そのはずだ。
「お前もこの旅で、見つけたものが沢山あるはずだ。だから―――」
「一番は、一個だけじゃないですかぁ……!」
ニーナが泣き喚く。その様は、駄々を捏ねる普通の子供の姿と変わらなかった。
それでもリンドは、言わねばならなかった。
否、この場面でこそ言うべきなのだ。
「一番は、ずっと一番とは限らない。変わることもある」
「変わりません! これだけは、絶対に―――」
「俺は、お前を選ばない」
言うと、彼女の言葉が止まった。
ぴたりと動きが止まった彼女の頬を、すっと涙が伝う。
そしてニーナは、泣きながら笑う。
「そんなの、知ってますよ。私は、まだ子供ですからね。リンドさんからすれば―――」
「お前はもう、俺の家族だ」
リンドが告げると、彼女は目を瞬いた。
「……あぁ、そういうのはいいです。慰められると、却って惨めな感じになるし―――」
「俺は、アルバートでは無かったんだ」
とリンドは言葉を継ぐ。
「俺の父は、ギルト王では無かった。母シエナの、前夫の子だったんだ」
「何の、話をしてるんです?」
ニーナが空笑いしながら言う。
だが、聡い少女だ。話の流れから察しはついていることだろう。
リンドは、それを口にした。
「前夫の名は、フロスト・バリスタ。港町の名家の人間だそうだ」
「―――嘘、ですよ。嘘……」
ニーナは引き攣った笑みを浮かべながら、ゆっくりと頭を振る。
「だって、リンドさんは凄く優しいし……。あんな男の血が、入ってるわけ……」
「俺も、信じられなかった。―――だが、」
と言って、リンドは自分の中で思い当たった一事を口に出した。
「あの日……。お前と初めて会った、あの日。お前は、俺に言ったろ。『癖っ毛頭と半開きの目の男は嫌い』って。―――あれは、お前が憎む父親の特徴だったんじゃないのか」
「……」
ニーナは、首を横に振り続けていた。
しかしそれは、リンドの言を否定する仕草では無さそうだった。
「嘘……ですよ。違います。絶対、違う……」
「ニーナ」
とリンドが呼び掛け歩み寄ろうとすると、彼女はびくと反応して跳び退いた。
それは彼女自身にとっても予想外の行動だったらしく、酷く狼狽えた様子で目を泳がせる。
「リンドさん、私。―――すみません、ちょっと」
纏まらない言葉を口にしながら、ニーナは逃げるように駆け出す。
その足は速く、リンドが追おうとした時既に彼女の姿は書庫の外へ消えていた。
「……本気で隠れたら見つけられない、か」
リンドはふうと長い溜息を吐いて、天を仰いだ。




