94.偽英雄と力の差
王城を目指して兵たちを退けながら中央の南北通りを北上するリンドは、その王城の隣―――即ちクリストン邸から黒煙が上がっていることに気付いた。
「アリア、あれは―――」
「中庭が焼かれたみたいね」
とアリアは、冷静に返す。
「こちらが魔法で消せることは当然ギルトおじ様も分かっているから、恐らく侵入を感知することが主目的ではないかしら。そうすれば多くの兵を中庭に張り付けずに効率的に使えて、伝令無しで集められる。あとは副目的として、フレアを動揺させることを狙っているかもしれないわね」
「……あの男なら、考えそうだな」
呟くように言うと、彼女はちらとリンドに目を向けてきた。
「あの子たちのことが心配? それともサーシャのことが、かしら」
「心配していない、と言えば嘘になるが……」
とそれに答えながら、リンドは前を見据える。
「あいつらなら、大丈夫だと信じている。ニーナをフレアが支援すれば、例えアルバートが相手でも負けはしないだろう。―――サーシャも頭が切れる。きっと、上手く立ち回っているはずだ」
「そうね」
とだけ、アリアは言った。それがリンドに合わせただけの相槌なのかそれとも純粋な共感なのかは、分からない。
リンドがその真意を問おうとすると、その前に彼女が口を開いた。
「―――そろそろね」
呟いて、彼女はたっと駆け出す。
リンドがそれに続くと、前を行く彼女はその先を氷結させては燃焼させて派手な蒸気で兵たちを混乱させる。
そうして王城が近づくと、アリアは街と王城とを隔てる水路に氷を張った。王城へ繋がる跳ね橋は上げられているが、こうなってしまえばそれに意味は無い。
その結氷は、下を通り抜けるニーナたちを覆い隠す目的でも張られたようだった。アリアが「そろそろ」と言ったのは、そういうことだろう。それが緻密な計算によって導き出された予測であるとすれば、流石「魔女」としか言いようが無い。
そんなことを思いながら、リンドは氷の床を消してしまわないように注意してそこにいる兵たちを薙ぎ払う。―――と言っても直接剣で打つのでは無く、その先に集中させた退魔の力を当てて気絶させているのだが。
先に剣を交えたレイド以外に、城の外にアルバートはいなかった。故にリンドたちは、さして苦労せず王城に行き着けた。
アリアが城門を街へ入る時と同様に内から開き、リンドが番兵を打ち払う。そうして城の中へ踏み入ると、その中核はすぐそこだ。魔法王都の王城と異なり攻められることを知らないこのアルバートの城においては、城門を潜った先の各所へ繋がる広間を突っ切ってその奥の廊下を進んで行けばそこに謁見の間がある。
中に残っていた兵を蹴散らしながら赤い絨毯を踏み締め、リンドはアリアと共につかつかと早い足取りでその廊下を進む。
そして、その先の扉をばんと勢いよく開いた。
「―――戻ったか」
扉の先―――謁見の間の王座に腰掛けたギルト王が、言った。彼は白い鎧を身に纏い、左手に剣を携え、首から赤い宝石を下げていた。
そのギルト王の両脇には大剣を背負い白の鎧と兜で身を固めたレイドの次男ゼノと、細身の剣を腰に差して厚手の白い一繋ぎの衣を着た長女ラナが控えていた。他には誰もいない。
リンドの弟アルトは恐らく前線に出ず奥の部屋にいるのだろうが、もう一人姿が見えないアルバートがいた。レイドの長男マルクだ。
恐らく彼は、クリストン邸の方に配置されているのだろう。
驚きは無い。想定の範囲内だ。マルク自身も志願しそうだし、実力で見ても三兄弟の中では彼が一番上だろう。誰かがクリストン邸に配置されるとしたら、マルクが選ばれる可能性が一番高かった。
それを考慮した上で、リンドはクリストン邸にニーナとフレアを行かせた。ニーナが十分に力を発揮できれば、フレアがそれを支援できれば、マルクが相手でも負けないはずだ。
「レイドは、どうしたのだ」
とゼノが、こちらを睨んだ。
それにリンドは、静かに言葉を返す。
「『殺すな』とは、伝えた」
「どういう意味だッ!」
「お兄ちゃん、慌て過ぎ」
怒りを露わにするゼノに、ラナが声を向けた。
「臆病者のリンドに、レイドを殺せるわけ無いじゃん」
そう言って、それから彼女はこちらを見た。
「リンドォ、私待ってたんだ」
「退いてくれ。お前に用は無い」
「えー、私はあるんだけどなァ。―――サーシャのこと、お父さんから何か聞いた?」
その台詞に、リンドの視線は鋭くなる。
対してラナは、「怖ーい」とくすくす笑った。
それから、ゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫だよ。サーシャは死んでない。だって、私のお人形さんにしたんだもん」
「それはどういう―――」
「リンド、知ってる?」
と言って、ラナはにやりと笑んだ。
「サーシャの肌、しっとりして滑々なんだよ? 知らないよねェ。生真面目なあんたは、指一本触れたことも無いだろうし―――」
「リンド」
とアリアが、横から制するようにリンドの目の前に手を挙げながら言った。
その彼女の手は、僅かに汗ばんでいる。それでリンドは、自身が無意識に退魔の力を発動させていることに気付いた。
ニーナとフレアがこの場にいなくて良かった、とリンドは思う。いたら酷く醜悪な顔を見られてしまっていただろう。
「悪い」
とリンドはアリアに詫びて、ふーっと息を吐き出す。同じような挑発に二度も乗るなど、間抜けにもほどがある。
アリアと共にここへ来たのは、正解だった。
その彼女はふっと優しく笑んで、言う。
「あのお嬢さんは、私が相手をするわ。あなたの相手はゼノ。そちらに集中なさい」
「そうだな。そうする」
そう応えるリンドを見て、ラナはややむっとした表情を浮かべる。
「何だ、詰まんないの。……でも、」
と言って、彼女はその視線をアリアへ向けた。
「むさいリンドの相手するより、魔女をお仕置きする方が良いかも」
「いいえ、ラナお嬢様」
その声にアリアが言葉を返す。
「お仕置きされるのは、あなたの方ですよ」
「ふうん、やってみなよ。あんたも所詮はただの魔法人だって、心と身体に教えてあげる」
「―――殿下、」
とそこでゼノが、片膝を突いてギルトを見上げた。
「我らに、罪人の処罰をお命じ下さい」
「……そうしよう」
とギルトは言う。
そして、ゼノたちに命令する。
「リンドとアリアを討て。討ち取った暁には、お前たちの望みを叶えよう」
「ありがとうございます」
礼を述べたゼノは、意気揚々とこちらを振り返り背の大剣を両手で握って構えた。
「リンド、出立の儀の時のような誤魔化しは利かぬぞ。私の飛躍のために、ここで散れ!」
「……お前が道を塞ぐなら、こっちも力尽くで通らせてもらう」
リンドも、左手で剣を抜く。
そこでゼノは気付いたようで、眉根を寄せた。
「……何だそれは。退魔剣はどうした」
「折れた。これはあのおんぼろより、ずっと良い。腕利きの鍛冶士に打ってもらったからな」
「貴様っ、アルバートの伝統ある剣を……!」
そのことはゼノにとって衝撃的な事実だったようだ。ぎろりとこちらを睨み、彼は猛然と襲い掛かってきた。
振り下ろされる大剣を、リンドは受け流しながら躱す。攻撃が重い。
逸らしたその重い一撃が、赤い絨毯に減り込んで石の床をがんと叩いた。
リンドは即座に斬り返すが、ゼノは振り下ろした剣の後ろへ回ってそれを防ぐ。そしてそこから大剣を振り上げる。対するリンドは、後方へ跳んでそれを躱した。
これほど大きく重い剣を使う人間は、殆どいないだろう。だがゼノは、その体格を生かして大剣で戦う術を身に付けていた。
彼の剣は迷わない。それは大剣を使いこなせるようになったと言う自信故でもあるが、慎重な性格の彼が想定を積み重ねる人間であるが故でもあった。
片手剣を使うリンドなどは、ゼノが想定する最も基本的な相手であるはずだ。それだけゼノにとって自信を持って戦える相手だと言うことだ。
何も考えずに斬り合うのであれば、リンドも劣っていると言うことは無い。だが少なくとも「殺さない」と言う条件を考慮している分、彼は自ら不利な戦いをしていた。
それでも条件を満たして勝利するために、リンドは策を講ずる。
振り薙がれる大剣を避けて後退すると、その傍に立つ彼女に声を向けた。
「アリア。俺は今なら、両方一遍に使える気がする」
「―――そう。分かったわ」
それで伝わったらしく、アリアはそう応えた。
しかしそこへ、ラナが向かってくる。
「なァに、その秘密めかした話。あんたは私の相手してくれるんじゃないの?」
「ええ、そのつもりよ―――」
と返すアリアに向かって、ラナが剣を振るった。
アリアはそれを退いて躱す。
ラナの剣はゼノの大剣と対照的な細身のもので、威力は無いが扱いやすい剣だ。一撃を貰えば負けと言うことは無いが、その分攻撃が速く全てを受け切るのが難しい。
落ち着き払った様子を崩さないアリアは万に一つも負けないだろうが、未だその手に武器を持っていない彼女はどうするつもりなのだろうか。
―――などと思っていると、そこへゼノが大剣を振り下ろしてきた。
「どこを見ている! お前の相手は私だぞッ!」
「知っている」
と返しながら、リンドは彼の一撃を逸らして横跳びする。
だがそうしながらも、アリアとラナの戦いに意識を割いていた。
「あんたも早く武器出しなよ。出し惜しみしてる内に、死んじゃうかもよ?」
と言うラナに対して、アリアは「そうね」と返す。
そして右の掌の上に、鉄の刃を生成して握った。
それを見て、ラナが「はァ?」と眉根を寄せる。
「馬鹿じゃないの? ソレでどうする気―――」
彼女が言う間に、アリアが素早く踏み込んで刃を振るう。
刃は確実にラナの首に向かっていた。……が、彼女に当たる前に消え去る。
「あはっ、ホントに魔法素材の武器で戦う気なんだ!」
笑いながら、ラナは素早く斬り返す。
対するアリアはそれを躱すと、たんたんと床を蹴って彼女から離れた。
そしてまた、刃を生成する。今度は、両手に一本ずつ握った。
それから、再びラナに向かって行く。
だが当然、アリアが振り薙ぐ刃は彼女に届く前に消失する。
「あんたさァ、もしかしてここを離れ過ぎて常識忘れちゃったの?」
ラナが剣を右に左に振るいながら言うが、アリアは何も答えずただ攻撃を躱す。
そして距離をとっては、また刃を生成して立ち向かう。
その度退魔の力で彼女から武器を奪っていたラナは、アリアを蔑むような目で見た。
「これが、天才のお考えなのかな……? 狂い過ぎてて、私には分かんないや」
「……逆上せる若人には、未知を」
「は?」
と怪訝な顔をするラナに、アリアはふっと微笑む。
「未熟なあなたのことを言ったのよ。お人形遊びをいつまで経ってもやめられない、幼い子供のね」
「―――ッ!」
かっと怒りを露わにしたラナが、剣を振り薙ぐ。
それをアリアが体勢を低くして避けると、ラナはその彼女を蹴付けた。
アリアは腕で防ぐが、蹴りに威力があった所為かごろごろと絨毯の上を転げた。
床に伏した彼女を見下ろして、ラナはにやと不敵な笑みを浮かべる。
「綺麗な顔を台無しにする口汚さだね。躾け甲斐があるよ、あんた。その落ち着き払った顔が乱れるの想像したら、興奮しちゃう……!」
「……」
アリアは何も返さず、起き上がった。そしていつの間にやら再び両手に握っていた刃を構えると、またラナに向かって駆ける。
ラナはそんな彼女を、冷笑を浮かべながら待ち受けていた。
アリアが両手の刃を振るう。
だがそこでまたラナは退魔の力を発動させて、彼女の手から武器を奪った。―――彼女の右手の武器だけ。
「えっ―――」
とラナが動揺する間も無かった。
彼女が声を漏らすのとほぼ同時に、アリアの左手に残された刃が彼女の脇腹を掻いた。
恐らく袖の下にでも「自然物」の刃を隠し持っていたのだろう。
「あァッ……!」
悲鳴を上げるラナを余所に、アリアはさらに彼女の右腕を刃で掻いてその手から剣を取り落とさせた。
そしてそれを右手で掴むと、こちらへ向かって投げる。
「リンド」
「ああ」
その時を待って、ずっとゼノの攻撃を捌いていた。
リンドは右手でラナの剣を取ると、向かってきたゼノに向かって叩き付ける。
「両手に、剣だと―――!?」
声を漏らすゼノの大剣を右の一撃で押さえると、リンドは左の剣でゼノの鎧の胴を叩く。
「ぐうっ!」
とゼノが呻く。退魔の力を乗せた一撃は、アルバートにも多少は効果があるらしい。
―――とは言え、気絶させることはできない。
「リンドォ! 今度は胴を叩いただけでは終わらんぞッ!」
「知っている」
リンドは返しながら、後退したゼノに向かって再び右の細身の剣を振り下ろす。
次いで左の剣。そしてまた右の剣。
「俺は道が開けるまで続けるつもりだ」
「ぐうっ……!」
ゼノの大剣は、振り回せるようなもので無い。故にリンドの左右からの攻撃に対応し切れずに、一歩また一歩と後退していく。
さらに武器がどうのと言う以上に、彼はこういう型破りな行動に対する柔軟性が無い。想定外の状況に戸惑っているのだ。そしてそのことが、増々ゼノの動きを悪くしていた。
故にもう、勝敗は決していた。
リンドの左の刃無しの剣身がゼノの手を打ち、大剣から片手を離させる。
そこへさらに右の一撃を放とうとしたリンドに対して、彼が慌てて片手で大剣を振り下ろす。
だがそれを右の剣で受け流してしまえば、ゼノが大剣を両手で握り振り上げるまでには若干の間が空く。
そして一方のリンドは、左の剣を既に構え直していた。
「ぐッ―――!」
その片刃の剣がゼノの兜の側面を打って、退魔の力と共に彼の頭を揺さ振る。
それで彼は、その場にどさりと崩れた。
リンドはふーっと息を吐き出すと、その目をアリアたちの方へ向けた。
「あぁァっ! 血がっ、痛い痛い痛いッ……!」
ラナは血に染まる脇腹を押さえながら、呻いている。
「やだっ、死にたくない! 死にたくない! 助けてッ―――!」
と彼女はアリアに手を伸ばすが、アリアはただ黙って彼女を見下ろしている。
それでラナは、その手をリンドに向けた。
「リンドっ、助けてよ! あんたは誰も殺さないんでしょっ!?」
「……お前は、サーシャを傷付けた」
静かに言いながら、リンドはその右手に握る剣―――ラナが持っていた剣を高く掲げる。
それを見て、ラナの顔は青褪めた。
「やだ……、やめてお願い」
「お前は俺に、感情が無いとでも思ったか」
「私が悪かったよ謝るからっ!」
「斬り刻むのは、殺した後にしてやる」
「やだやだっ! 何でもする! 何でもするからっ、だから殺さないで―――!」
叫ぶ彼女に向かって、リンドは剣を振り下ろした。
剣は、彼女の首の傍で床を叩く。
だがラナは、それを知る前に気を失っていた。
「―――良いの?」
「殺して楽にしてしまうより良い」
問うてくるアリアにそう返すと、彼女は「そう」とだけ言った。
道は開けた。故にリンドは、前を向く。
そこには、未だ王座に深く腰掛けたまま愉快そうな笑みを浮かべる白髪の男の姿があった。
ギルト・アルバート。
純人王国の国王であり、アルバート家の当主であり、リンドの父親だ。
彼は白い鎧を纏った姿で左手に携える剣で床を突き、首から赤い宝石を下げていた。
「―――それが、ソートリッジから奪った石か」
「如何にも」
リンドの問いに、彼はそう答える。
リンドがそれを見るのは、初めてで無かった。
ここを発った日の「出立の儀」の場でも、ギルトはそれを身に着けていた。
それ以前にも、何度か目にした記憶がある。
誰も本当の価値を知らないそれは、隠す必要も無かったわけだ。
堂々としたギルトの振る舞いもあって、誰もその秘密に気付くことは無かった。
「ご無沙汰しております、ギルトおじ様」
アリアが礼儀正しく挨拶する。
それからじろりと目をそちらへ向けたギルトに、問う。
「研究の方は、進展しているのですか?」
「していない。―――と言ったら、お前は退くのか?」
「疑いますわね。おじ様ほどの方が、二十年を費やして何の成果もあげられていないとは考えられませんもの」
彼女がそう返すと、ギルトはくっと笑った。
「グレイならともかく、私は魔女に評価されるほど魔法に詳しくない」
「私は新たなものを見出だすのに最も重要なのは、知識で無く慧眼であると存じます。それに研究そのもので無く進め方……例えば切り口を変えるべき頃合いを、おじ様なら見定められるかと」
「買い被られたものだな」
とギルトはそう返す。
「―――が、『成果が出ていない』が嘘であることは事実だ」
「石と情報を譲ってくれ」
とリンドはそこで声を向ける。
「それで世界は、前へ進めるはずだ」
言うとギルトは、笑みを消した。
そして、冷酷な目でこちらを見る。
「それはアルバート家にとって、良い選択で無い」
「前進した結果としてアルバートが滅びるなら、それも道理だろ。時代にそぐわない伝統は消える。消えたくないなら、変わっていけば良い。―――あんたも、そういう思想を持っていたはずだ」
「……お前の言う通りだ」
と、ギルトは言った。
それから王座から立ち上がって、―――右手で剣を引き抜いた。
「故に私は、ここで世界に問うのだ。今日が歴史の転換点なら、お前たちが勝利するだろう。だが、そうで無いなら―――」
その声の直後に、謁見の間に途轍もなく重い気配が起こる。
退魔の力だ。尋常で無く大きく強い、力の塊だ。
同じアルバートであるリンドですら、息苦しさを覚える。隣で胸元を押さえるアリアなどは、さらに強い恐怖を感じているのでは無かろうか。
否或いは、この恐怖はリンドこそが最も強く感じるものなのかもしれない。
リンドにとって圧倒的な存在である父に対して、彼は萎縮してしまっているのでは無いだろうか。
猛烈な力を放ちながら、ギルトは言葉の続きを口にした。
「そうで無いなら、今日はアルバートが脅威を乗り越えた節目の日となるだろう」
「『脅威』と思って……、下さっているのですね」
アリアがやや苦しげな様子ながら言うと、ギルトがぎろりと鋭い視線を彼女へ向ける。
「アリア嬢、邪魔をするな。お前の小細工は通じぬぞ」
その声に、彼女はにこりとややぎこちない笑みを返して見せる。言葉を返す余裕は無かったのかもしれない。
実際のところがどうであれ、端からこの場面でアリアが十分に戦えないことはリンドも想定していた。
それに何よりリンドの思いとして、ここは自分がやらねばならないと思っていた。
それでリンドは、重い足を前へと進める。
そして、両手に握った剣を構え直した。
そこへ、ギルトもゆっくりと近づいてくる。
「―――出立の儀の時にお前が答えた『覚悟』。それを今、ここで示してみろ」
声を向けられ、リンドは先に仕掛ける。
一気に駆け、右の剣を振り下ろす。それをギルトが弾いたところで、左の剣を振り薙いで―――。
「こんなものが、覚悟か。―――笑わせる」
ギルトは、リンドの左の剣身を握りながら言う。振るう前に踏み込まれて、掴まれていた。
リンドは即座に、右の剣をギルトの手に向かって振り下ろす。それで相手は手を引いた。
しかし直後に、腹に衝撃が走る。蹴りを入れられた。
リンドは床を転げる。
すぐに身を起こすが、既にギルトが迫り剣を振り下ろそうとしていた。
それを受けようとしたところで、その前にギルトに向かって刃が飛んだ。
アリアだ。アリアが刃を投げつけたのだ。
だが、それもギルトは左手で掴んで止める。そして即座に投げ返す。
刃はアリアの肩口を掠めて、貫頭衣を裂いた。
避けようとした彼女の動きを、ギルトは読んでいたようだった。加えて、アリアの動きが鈍い。やはりギルトの退魔の力が、相当効いているらしかった。
ギルトの注意がアリアへ向いた隙に、リンドは斬り掛かる。しかしギルトはすぐに反応し、剣を振らずに右拳を突き出してリンドの顔面を打った。
強い衝撃を受けて、彼は再び赤い絨毯の上に倒れる。
予想通りに、予想以上の強さだった。
■登場人物(キャラクターデザイン:たたた たた様)
【ゼノ・アルバート】
リンドの従兄。十八歳。真面目で神経質な大男。次男であるが故に父レイドの跡継ぎの座を「遊び人」の長男マルクに譲らねばならないことが不満で、そのこともあって地位に対する強い執着を持っていた。
【ラナ・アルバート】
リンドの従妹。十七歳。奔放で負けず嫌い。女遊びに興じていたり己の地位に執着したりしている兄たちを見てきたせいか、男に対する嫌悪感が強い。それが裏返って同性の愛好に繋がり、使用人サーシャが巻き込まれることになった。
【ギルト・アルバート】
純人王国の国王であり、アルバート家の当主。三十八歳。二十年前にグレイと二人で魔法王を討ち、その功績を以って兄レイドから王位継承権を奪った。合理主義者で、目的を効率よく達するためなら手段を選ばない。




