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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第6章 王都から未来を目指して
87/106

87.偽英雄の決戦前夜

 西の境界の町に訪れた、沈黙。

 それを作っているのは、様々な人の思いだ。


 オリバーと共に寝返った純人王国の兵たちは、唐突で予想外な幕切れに驚いているのだろう。ダート・アルバートの支配からの解放に喜びながらも、この先の展開を読めずに複雑な思いでいる者もいるかもしれない。

 一方ミネアを取り巻く魔法王国の兵たちは、ミネアの次の指示を固唾(かたず)()んで待っているように見えた。彼女の次の行動は、リンドも注視しているところだ。


 その当のミネアは、(しば)し地に崩れて動かなくなったダートをただ見つめていた。

 しかしやがて、「ははっ……」と乾いた笑い声を漏らす。


「よくやったぞ、リンド・アルバート。これで、(とう)様の無念も晴らされた……!」

「期待に応えられて、良かった」


 と、リンドは静かに彼女に声を返す。


「そうであれば、次はお前が俺の期待に応えてくれ」


 言うと、ミネアはその顔から笑みを消した。

 そしてふーっと息を吐き出してから、その大きな目をこちらへ向けてくる。


「……良いだろう。私はお前を信じ、お前が事を成すまで純人王国を攻めない」


 その宣言に魔法王国兵たちはざわめき、リンドはふうと安堵(あんど)の息を吐く。

 だがその彼に、ミネアは「(ただ)し!」と声を向けてきた。


「お前が私の信頼を裏切ったと判断すれば、即座に我が軍が純人の町々を蹂躙(じゅうりん)する」

「分かっている」


 とリンドは返す。


「俺はもう、幕を切ったんだ。もう退()けないし、退かない。失敗は許されない。今日の罪を背負って、俺は必ず道を―――」

「手柄を横取りしないで。リンド」


 アリアが声を向けてきて、その手の槍で地をこんと叩いた。


(とど)めを刺したのは私よ。あなたの策は、不十分だった」


 言われて、リンドは頭をがしがし掻く。

 そして息を吐きながら、その気遣いに感謝する。


「……悪い。ありがとう」

「お礼を言われるようなことは、言っていないと思うけれど」


 と彼女は(とぼ)けて見せる。

 それから槍を捨て、右の太(もも)に矢を突き刺されて座り込んでいるオリバーに歩み寄った。


「抜きましょうか?」

「お、良いねえ。是非とも一回―――、ってェ! 待った待った、もっと優しく……!」


 アリアの若干荒っぽい治療に悲鳴を上げる彼の元へ、リンドも足を向ける。

 すると横から、くいと袖を引かれた。


「どういうことなの? あの品の無い男って、鍛冶町で捕まえた純人教団の幹部よね……?」

「それに魔女さんまで呼んでたんですね」


 フレアの問いに続いて、ニーナが言う。

 それらの声に対して、リンドはまず首を横に振った。


「アリアは呼んでない。俺にあの女が操れるわけが無い」


 そう答えてから、次いで彼はその腰に差した片刃の剣に触れる。

 そして、彼の策に関係していた方の人物の話をした。


(これ)をグルードに打ってもらいに行った時に、オリバーとも顔を合わせる機会があったんだ。その時に今回のことを、牢獄から早く出るための罰として頼んだ」


 元々オリバーは、純人教団の情報を吐かせた後に境界の町で兵役(へいえき)を課せられる予定の罪人だった。故に彼が境界の町の兵となる過程で怪しまれることは無い。それに彼は、ダートがギルト王を失墜させるために裏から支配していた純人教団でも幹部にまで成り上がった男だ。ダートは勿論(もちろん)、周囲の兵たちにも上手く取り入る方法を間違い無く熟知している。

 つまり今回の策を実行するのに、最適な人物だったと言うわけだ。


 ……とは言え、気付かれれば即座に殺される危険を(おか)していたことに変わりは無い。

 オリバーは大仕事を見事に成して見せたのだ。


 そんな彼だが、今も相変わらずぺらぺらと喋り続けている。


「いやァ……、あのおっさん矢をあんだけ受けてもまだ動けるんだもんな。流石(さすが)(きも)冷えたぜ」

「脚は大丈夫なのか」


 リンドが声を向けると、アリアが「ええ」と答える。

 それに被せるようにオリバーも「平気(へーき)平気(へーき)」と大きく手を振った。


「リンド王子の所為(せい)じゃねえし。―――まっ、(わり)ィことしてた罰ってとこだな」

「『王子』はやめろ」


 リンドはちろっと睨むが、対するオリバーは「良いじゃん」と取り合わない。

 それからその視線を、リンドの後から来た人物たちに向ける。


「おっ! 魔法人のお嬢サマに……、あの時の馬鹿(つえ)子供(ガキ)か? その髪……、随分()け込んだな?」

「元気そうね……」

「良い度胸ですねお(にー)さん。脚痛そうだし、ちぎってあげましょうか?」


 (あき)れ交じりの息を吐くフレアの横でニーナは物騒なことを言い、それを聞いたオリバーは「いや勘弁……」と笑みを引き()らせた。

 そして話を逸らすように、アリアの方を見る。


「それにしてもお(ねー)さん、強い上に治療もできんだ。凄いなァ。―――どうだい、一晩俺の看病するってのは?」

「ローラさんに怒られますよ」


 アリアが軽くあしらっても、彼は悪怯(わるび)れない。


「結婚控えてるからこそ、今の内に遊んどくんだよ」

「結婚……!?」


 とフレアが驚く声を出す。「こんな男が?」と続きそうだ。

 しかしオリバーは全く気にする様子も無く、リンドを見た。


「兄ちゃんも、決める時はびしっと決めろよ。俺みたいに」

「……ああ、参考にする」

「しなくて良いから。もっと普通の人を参考にして」


 横からフレアが言ってきたので、リンドはただ肩を竦めた。

 そんなやりとりをしている間に、アリアが迅速に処置を済ませた。


「―――これでもう大丈夫」

「ありがとう! 大分楽になったわ」


 軽い調子で礼を言うオリバーを余所に、アリアは立ち上がって長いスカートをぱっぱと手で払う。

 その彼女に、リンドも礼を言った。


「ありがとう」

「またお礼言ってる」


 アリアはくすと笑う。


「良いのよ。私としても、あなたにこんなことを引き()りながらこれからのことに臨まれては困るもの」

「……ああ」


 リンドが応えると、彼女はさっさと歩き出した。


「行きましょう。色々話したいこともあるけれど、今日の内に進める所まで進んでおきたいしね」


 そう言ってその場を去っていくアリアに対して、ニーナとフレアとが「どうする?」とこちらを見る。


 それに答える前に、リンドは後ろを振り返った。

 そして暫し、そこにあるダートの亡骸(なきがら)を見下ろした。


 (いた)むでも無く、恨み言を吐くでも無い。何も考えず、ただ黙って目を向ける。

 それで、リンドの脳裏には確実に目の前の死が焼き付いた。

 忘れてはいけない重さだ。


 その後に、リンドはオリバーとその周辺にいる純人王国兵たちに視線を向けた。

 そして告げる。


「俺は、この世界を終わらせる。―――そして、新しい世界を始まらせる。その時まであんたらに頼みたいのは一つだけだ。この場所で、魔法王国の奴らと戦わないで(・・・・・)いてくれ」


 リンドの言葉に、兵たちは戸惑っているようだった。どの言葉に戸惑ったのかは、人によるだろうが。

 だがこの場面でも、頼れる統率者はぶれなかった。


「なるべく早く頼むぜ、兄ちゃん。俺は早く帰って結婚式を挙げたいんだ」


 にっと笑うオリバーを前にして、兵たちの間にも(いく)らか弛緩(しかん)した空気が漂う。


 リンドもまた、ふっと息を吐いて「ああ」と返した。

 そしてくるりと振り返ると、ニーナとフレアに「行こう」と合図してその場を後にする。


 その背に向かって、オリバーが叫んだ。


「我らの手に、新世界を!」


 その声に同調して、周囲の兵たちも叫ぶ。


「我らの手に、新世界を!」


 そしてさらに、橋の向こうからも声が上がった。


「我らの手に、新世界を!」


 境界の町で二つの王国の(たみ)(うた)が、重なり合った。


 *


 西の境界の町を抜けたリンドたちは、旧街道を鍛冶町方面へ進んだ先の小さな村の宿で夜を過ごしていた。

 木造の宿の部屋は比較的広く、簡易なものだが四隅にそれぞれ寝台がある。リンドたちにとっては丁度よい部屋だった。


「……では、これからのことを話しておきましょうか」 


 と言ってアリアはリンドが腰掛ける寝台の所まで来て、その隣に腰を下ろす。

 ニーナとフレアも、リンドたちの向かいにある寝台に座った。


「まずは、現状の認識合わせから。ああして魔法王国の人たちと現れてダートおじ様を討とうとしたと言うことは、行動を起こすだけの何かを掴んだと言うことよね?」


 アリアに問われて、リンドは頷きを返す。


「ああ。人に魔法を使う力を与える石の話を聞いた。―――代わりに、例のお前との事を話してしまったが」

「私との? どの事かしら」


 と彼女は(わざ)とらしく首を傾げて見せる。


「あなたが私に甘えてきた時のこと?」

「何それ、どういうこと!?」

「別にどういうことにもなっていない」


 反応するフレアを制してから、リンドはちろっとアリアを睨んだ。

 それから、左の掌を見せる。


退魔の力(これ)のことだ」

「あぁ、そのことね。それで石の情報を引き出せたのなら、悪くないと思うわ」


 アリアのその返しを聞いて、リンドは一つ確信した。

 そしてそのことについて言おうとすると、その前にフレアが口を開いた。


「その……、悪かったわ。あんたの事情も知らずに、自分勝手に出て行ったって思い込んでて―――」

「気にしないで」


 とそれに返しながら、アリアは微笑む。


「実際、私は自分に都合がよい時を見計らってやったわけだしね」

「そう言われると、反応に困るんだけど……」


 フレアは何とも言えないような面持ちでそう言う。

 そんな彼女の様子を見ていたリンドは、その目をアリアに向けて話を戻した。


「―――さっきの口振りからすると、お前はとっくに石のことを知っていたみたいだな」

「……知っては、いなかったかな」


 とアリアは、そう返してくる。


「色々考えた結果として石の力を推測はしていたけれど、確証は無かった。だから魔法王都にも出向いたのだけれど、成果はあげられなくてね。あなたたちが聞き出してくれて、良かったわ」

「その時にあの適当な伝言を残したんだな……」

「伝えるとこ間違ってたんですけど。絶対わざとですよね?」


 リンドに続いてニーナも文句を付ける。対してアリアは、悪怯(わるび)れる様子も無く「ごめんなさい」と言った。

 もう少し反省を促したいところだが、しかし彼女の訪問によって救われもしたのでリンドの口からそれ以上の文句は出てこなかった。


「……まあ、お前が(あお)ったお陰でサラ・イージスは戦いを止める行動を起こしてくれたみたいだし、差し引きゼロってところか」

「あら、あのお姫様が? ―――それは良かったわ」


 とアリアは、(しと)やかに笑う。

 全て見越して煽ったのかは定かでないが、そうだったのかもしれないと思わせてしまうような雰囲気を漂わせているのがこのアリア・クリストンと言う女だ。人々が「魔女」と呼ぶのも無理は無い。


 その魔女アリアは、微笑みを浮かべたまま不意に(えり)元に手をやった。

 彼女の白く細い指先は鎖骨の上を通って、首元に掛けられた紐を引っ掛ける。

 その紐の先は貫頭衣の下に隠れており―――。


「リンド。見過ぎ」


 フレアから棘のある声を向けられて、彼は「他意は無い」と肩を(すく)めて見せる。

 その横でくすくすと笑いながら、アリアは紐の先についたものを引き出した。


 それは、小さな布の袋。

 その中身が硬いものであることを、リンドは知っていた。

 少なくとも十年ぶりの再会を果たしたその時点で彼女が持っていたそれが何かを、今ならリンドも推測できた。


「嘘……、それって―――!」


 アリアが袋から取り出したものを見て、フレアは固まる。

 ニーナも目を(しばたた)いていた。


 それは、石だった。

 (あか)く、片面が平らかな石。

 まるで、どこかの面に取り付けられそうな―――。


「魔法石、と私は呼んでいるわ。分かり(やす)いでしょう?」

「どういうこと!? 何であんたがそれを持って……」


 とフレアが問いかける。


「その石は、ギルト王が持ってるんじゃないの!?」

「ええ。彼が持っているわ」


 アリアはそう答える。


「ソートリッジの石は、ね」

「えっ? じゃあその石は―――」

「クリストンの原書についていた石か」


 リンドが言うと、アリアはこくりと頷いた。

 しかしフレアは、首を捻る。


「でも、クリストンの原書に石なんて―――」

「つまりはフレアが原書に触れる以前に、もう持ち出されていたと言うことだな」


 話しながら、リンドはアリアに目を向ける。

 頭の中では、「あの日」のことを思い出していた。


「十年前に王城の露台でお前と話したあの日……、確かお前は『忘れ物を取りに来た』と言っていたな」


 声を向けると、アリアはふっと笑む。

 それが答えのようだった。


 フレアが、ぽかんと口を開けている。

 その隣で、ニーナがはいと手を挙げた。


「じゃあ魔女さんは、十年前にもうその石の秘密に気付いてたってことですか?」

「残念ながら、その時はまだ」


 とその問いに対してアリアは肩を竦める。


「けれど、何か特別な意味があるものだろうとは思っていたからね。グレイ(とうさん)に言って、預かったの」

「そんなの、私何も……」

迂闊(うかつ)に知らせれば、あなたの身を危険に晒すと思ったのでしょう」


 言葉を失うフレアに、アリアはそう話す。


「ギルトおじ様は気付いていると思うけれど、他のアルバートにまで知れると面倒事になるでしょうしね」

「フレアさん信用無いなァ」

「やめて。今言われると、ホントに落ち込むから……」


 頭を抱えるフレアと、それを「よしよし」と(なだ)めるニーナ。

 二人を眺めながら、リンドは静かに声だけをアリアへ向ける。


「―――それでその石は、お前の目的のために使えるものだったのか?」


 問うと、彼女がふっと笑みを漏らす音が耳に届いた。

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