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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第5章 幾つもの正義が魔法王都に集いて
83/106

83.偽英雄と秘密

 謁見の間にミネアが戻ってくるまでに、そう長い時は掛からなかった。

 奥の戸を開いて再びリンドたちの前に姿を現した彼女の手には、数枚の古びた紙が握られていた。


「ソレが、(くだん)の秘密が書かれたものか?」


 思わずリンドは、口を開く。


「何かもっと分厚いのかと思ってました」

「私も。紙は古そうだけど……」


 ニーナとフレアも、彼が内心で思ったことと同じことを口々に漏らした。

 その声に、ミネアがじろと彼女たちを睨んだ。


「興味が無いと言うなら、今すぐ戻してきても良いのだぞ」

「いや。そこに纏まっているなら、読み込んで要点を掴む手間が無くて助かる。早速読ませてくれ」


 言ってリンドが彼女の方へ踏み出すと、サラが「お待ち下さい」と声を上げた。


「先に、リンドさんのお話をお聞かせ下さい。この場において、力で優位に立っているのはあなた方です。その状況で私たちが先に情報をお渡しすることはできません」

「そうだ。貴様が先に話せ。……我らが劣位にあると言うのは認めんが」


 ミネアもそう求めてくる。

 だがリンドとて、(やす)く応じるわけにはいかない。


「こっちも手負いで襲われるのはご免だ。……そうだな。その書をサラに持たせておくなら、こちらから話す」

「何故イージスなどにこの書を渡さねば―――!」

「ミネア様。どうかお従い下さい」


 拒もうとするミネアを、ラークが(いさ)めた。


「サラも我々の味方です。この国の不利益は望んでおりません」

「……」


 ラークの言葉に、ミネアはぐっと歯噛みする。それから、傍へ歩み寄ったサラに渋々の(てい)で書を渡した。

 サラは「お預かり致します」と言ってそれを受け取ると、リンドから距離をとるようにミネアが腰を下ろした王座の後方へ下がった。


「―――さあ話せ。お前が知っていることを」


 王座に深く腰掛けたミネアが、声を向けてくる。その王座に向かって左に立つラークと右に立つサラもまた、リンドの話を待つようにこちらに視線を向けた。


 それでリンドは、こくりと頷きを返す。

 そしてその口を、静かに開いた。


「……俺は、退魔の力は魔法と表裏一体だと思っている」

「憶測だけなら誰でも言えるぞ」


 不愉快そうに言うミネアに「そうだな」と応えて、リンドはその根拠を述べ始める。


「何故そう思うのかと言えば、俺は退魔の力がどのようにしてアルバートに与えられたかを知っているからだ」

「退魔の力の起源を、お前は知っているんだな?」


 ラークに問われ、しかしリンドは首を横に振った。


「いつどこで誰が何のために力を与えた、なんて言う歴史的なことは知らない。ただ、どうやって力を与えたかと言う方法を知っているだけだ」

「どうやるのだ」


 ミネアが()れったそうに言う。

 それでリンドは、後背を―――フレアの方を振り返った。


「……何?」

「手は、痛むか?」


 彼の問いの意図が分からないようで、彼女は困惑した様子で首を傾げる。


「痛いけど……、ちゃんと手当てしてもらったから大丈夫」

「そうか。なら、少し借りるぞ」

「それどういう―――、えっ!?」


 リンドはその左手でフレアの右手を取り、指を絡ませ握った。

 その突然の行為に、彼女は困惑したまま頬を朱に染める。


「おい、いちゃつくなら後にしろ!」


 と腹を立てるミネアを前に、リンドは(かぶり)を振る。

 そしてその左手を―――フレアの右手と掌を合わせる形で握られたその手を示した。


「こうだ」

「は?」

「こうして、魔法人が呪文を唱えるんだ」


 そう言うと、ラークが目を見開いた。


「退魔の力は、魔法人が与えたものなのか……!?」

「ああ」


 とリンドは彼の声に首肯を返す。


 ラークが驚くのも無理は無い。

 アルバートが退魔の力を持つが故に、魔法王国は長く苦しめられてきたのだ。それが魔法人によって(もたら)されたと言う話は、少々(いびつ)だ。


「そうだとすれば、力を与えたのはクリストンだよな? 退魔の力を与えられるのはクリストンだけなのか? それとも、方法を知れば魔法人なら誰でも可能なのか?」


 ラークに問われる。

 だが、その答えはリンドも知らない。


「分からない。呪文も覚えていないから、ここで試すこともできない」

「私もそんなの、知らないんだけど……」


 フレアもそう口にする。

 それから「もういい?」と気恥ずかしそうに言って、リンドに握られた右手を離した。


「曖昧な話だな」


 とミネアが猜疑(さいぎ)の目をこちらへ向ける。


「それは事実なのか? 誰から聞いた話なのだ」

「聞いてはいない」

「はあ?」


 リンドの答えに、彼女はますます(いぶか)しそうな視線を向けてくる。

 だが、嘘は言っていない。


「聞いたんじゃない。―――経験したんだ」

「経験だと……?」


 とラークが声を漏らす。その視線は、リンドの左手に向けられている。


 リンドはそれに応じるように、左の掌をラークたちの方へ示した。

 そこには黒い龍の印と、古い切り傷がある。


「俺はこの力を、貰ったんだ。魔女アリア・クリストンから」

「貰った……!?」


 フレアの戸惑う声が、リンドの耳に届く。


「どういうこと? あんたのその力は、持って生まれたものなんじゃ―――」

「違う」


 と彼ははっきり否定した。


「俺が生まれた時この手にあったのは、傷だけだ。退魔の力は、後から与えられた」

「リンドさんはアルバートじゃ無かったってことですか?」


 隣からニーナが問うてくる。

 それにはリンドも、首を傾げるしかない。


「『生まれ』と言う意味では、俺はアルバートの王城で生まれている。だが『力』という意味では、俺はアルバートの力を受け継いでいない。……俺は、どちらなんだろうな」

「待ってよ……、待って」


 とそこへフレアが割って入ってくる。


「そんな話、私聞いたこと無いわよ? あんたについて(ささや)かれてたのは『傷の英雄』の話だけで―――」

「ああ。そういうことになっていたからな」


 リンドが答えても、彼女は眉根を寄せたままだ。

 それで彼は、補足する。


「俺が力を持って生まれなかったことを知っているのは、出産の現場にいた両親だけだ。他に立ち会った使用人は、殺されたらしい。それ以降は幸い……と言うか左手に傷を負っていたから、それを手当てするために巻かれた布のお陰で他のアルバートが気付くことは無かった」


 リンドの説明に、フレアは黙って耳を傾けていた。

 或いは、言葉を失っていたのかもしれない。


ギルト(ちち)シエナ(はは)がどういう意図でそうしたのかは分からないが、俺はその後も力を得る六歳までずっと左手に布を巻いて過ごしていた。―――皆『忌み子』だと言って近づかなかったのは、好都合だった」


 アルバートの象徴である黒龍の印に傷を持って生まれた忌み子……と言うのは、実際のところ順序が逆だった。印の上に傷を負った(・・・・・・・・・)のでは無く、傷の上に印を持った(・・・・・・・・・)と言うのが正確な順序だ。

 布を巻いて隠していたのは「傷」では無く、「印が無いこと」だったのだ。


「お前の出生などどうでも良いわ」


 とそこへミネアが口を挟んだ。


「それより、アリア・クリストンだ。あの魔女が、退魔の力を付与する(すべ)を知っているのだな?」

「ああ」


 リンドは首肯する。


「あいつは俺でそれを試して、成功した。あの日からアリアの存在は、アルバートにとって大きな脅威になったんだ。―――だからあいつは、その後すぐに行方を(くら)ました」


 と、彼はフレアの方を見てそう言った。


「俺の所為(せい)なんだ。あいつが、お前の前から突然消えたのは」

「そんなの……。勝手にアリアがやったのが、悪いじゃない……」

「俺も、力を欲したんだ」

「……」


 フレアは、酷く動揺しているようだった。


 追いかけたリンドが、アルバートかも定かで無い存在だったこと。怒りを向けたアリアの失踪に、裏があったこと。どちらも彼女の行動の動機を引っ繰り返す事実だ。無理も無い。


「……魔女が退魔の力を与えられるのなら、」


 とそこへ、ラークの低い声が通る。


「それを振り()くことで、純人王国でのアルバートの優位を失わせることも可能なはずだ。だがそんな騒ぎは純人王国から一切聞こえてこない。何故だ?」

「それはアリアに訊いて欲しい……が」


 と言って、リンドは十年前に彼女と交わした言葉を思い返す。


「あいつの目的は、唯一神として全ての人間を平等に支配することだ。無暗(むやみ)に力を振り撒くことは、したくないんだと思う」

「唯一神、か。―――成る程」


 ラークが呟く。


「確かに退魔の力も使えるようになった今の彼女なら、そういう圧倒的な存在になり得るな……」


 リンドは、その言い回しが気になった。


「『使えるようになった』?」


 と彼はそれを繰り返す。


「アリアは、自分にも退魔の力を付与したのか?」


 そう問うと、ラークはやや驚いたようだった。


「知らないのか? 奴が魔法王都(ここ)へ来た三十日くらい前の時点では、もう退魔の力を使っていたぞ」

「私たちといた時には、そんな素振(そぶ)り見せなかったわよね?」

「ですね。左手に印も無かったと思います」


 ラークの言葉に、フレアとニーナとが囁き合う。

 どうやら二人と別れた後に、アリアは力を自身に付与したらしい。


「あいつも『魔法の起源』を求めて来たんだったな。他に何か言っていなかったか?」


 リンドは問うが、ラークは頭を振った。


「サラが起源(それ)について訊かれたが、向こうの話は何も。―――そうだろ?」

「はい」


 ラークが声を向けると、サラは顔を上げて返事した。

 その返事を聞いてから彼は、ちろとこちらを睨むように見た。


「あとは、お前らからの伝言を聞いたくらいだ」

「何て言ってた? 俺には覚えが無い」


 訊くと、ラークはその伝言を口にした。


「『俺は無事で、必ず会いに行く』とか、そんな内容だ」

「え、それって……!」


 と反応を示したフレアの隣で、ニーナが呆れ交じりの息を吐く。


「私たちのリンドさんへの伝言に似てますね……」

「俺もだ」


 とリンドも溜息を()く。


「前半部分はニーナたちへの俺の伝言だ。……あの女」


 「気が向いたら」と言っていたが、どう気が向くと敵方へ伝言することになるのだろう。

 結局昔も今も、彼女に振り回されてばかりだ。


 リンドたちの様子を見て、ラークも状況を理解した様子で辟易(へきえき)したような息を吐き出した。


 恨み言は尽きないが、言っていても仕方が無い。

 頭を切り替えて、リンドは話を戻した。


「俺の出せる情報は、全部出した。次はそちらの番だ」

「……」


 声を向けても、ラークは暫し腕を組んでリンドに目を向けていた。

 だが対して目を逸らさないリンドを前にして見極めがついたのか、ちらと王座を挟んだ反対側へ目を向ける。


「サラ」

「はい」


 ラークの呼び掛けに、彼女が顔を上げた。


「では、私が読み上げさせて頂きます」


 と言いながら、サラは一歩前へ進み出る。


 その時だった。

 王座にいたミネアが、ばっとサラの手から書を奪い取った。


「あっ―――!」


 驚くサラの背にミネアが回ったので、すぐ飛び出したニーナも彼女を捕らえるのに一瞬遅れる。

 その一瞬の間に、ミネアは奪った書を力任せに破き一部を口に入れてしまった。


「ウソっ……!?」


 とフレアが動揺するが、リンドはすぐに視線を別の方へ向ける。

 そして、ふうと息を吐き出した。


「大丈夫ですリンドさん。今吐き出させますから―――」

「いや、いい」


 仰向けに押し倒したミネアの首に手を掛けながら言うニーナを、リンドは制した。

 そこへラークが駆け寄り、ニーナを突き飛ばしてミネアを助ける。


 睨むニーナに対して、ミネアは()せ返りながらも勝ち誇った笑みを浮かべた。

 だがそこへ、よく通る澄んだ声が響く。


「―――魔法は(かつ)て、龍神から(たまわ)ったものである」


 サラの声だった。

 その声に、ミネアの顔がさっと青()める。


「まさか貴様、読んで―――!?」

「天より下った龍神は、我らソートリッジの祖に力の源となる聖典を授けた」


 彼女の声を無視して、サラは瞑目し淡々と暗記したらしい書の内容を口にした。

 対してミネアは、(なお)も邪魔しようと口を開きかける。だがその眼前でニーナがナイフを構え、隣からラークにも諫められてぎりと歯噛みした。


「聖典を飾る石に清浄なる右手で触れて祖が祈ると、その掌には龍神の信仰者の証である赤き龍の印が刻まれた。龍神の加護を受けた祖はその右手を(かざ)して聖典を読むことで、この世のあらゆるものを生み出す力を得たのだ」


 リンドは、黙って彼女の言葉に耳を傾ける。

 フレアもまた、静かにそれを聞いていた。


「人の法を超越したその力を祖は『魔法』と呼び、敬虔(けいけん)な信徒たちに広めていった。―――だが、魔法を恐れる異教徒たちはその力を持つ人々を迫害した。故に我らが祖は、魔法の国を築いたのだ……」


 とそこまで話して、サラは目を開いた。


「ここまでが歴史的な経緯になっていて、その先は具体的な魔法の使い方について記されていました。聖典―――今で言う魔法原書に右手を(かざ)すと魔法を使えるようになることや、原書で無く写しでも魔法を得られること、それに『綴り』と『詠唱』によって魔法が発動することなど……多くは魔法人にとって常識的な内容です。ただ、一箇所気になる部分があって―――」

「魔法人になる方法」


 リンドが呟くと、サラはこくりと頷いた。


「はい。先の歴史の話の中にも出てきましたが、原書の表紙を飾る赤い石に右手を当てて呪文を唱えることで魔法人になれるようなのです。力は血を通じて受け継がれるので、恐らく魔法王国ではもう長いこと行われていないかと思いますが……」


 と言って、サラはちらとフレアの方を見た。

 しかしその視線に、フレアはふるふると首を横に振って答える。


「私もそんな話聞いたこと無いです。グレイ(ちち)なら、もしかしたら知ってるかもしれませんけど……」

「そうですか」

「でもクリストンの原書には、赤い石の装飾なんて無かったと思うけどな……」


 フレアが呟くように言う。

 対して、サラは「うーん」と声を漏らす。


ソートリッジ(こちら)の原書は、私も見たことが無くて……。ラークは?」

「俺も無い。アレもソートリッジの人間しか在り()を知らないはずだ」


 ラークはそう答えて、ミネアに視線を送る。

 その視線の先で、彼女はぐっと口を引き結んでいた。


 そんな彼女に、ラークは問う。


「ミネア様、原書をご覧になったことは―――」

「無い」

「そうですか。ではその在り処については―――」

「『石は無い』と言ったのだッ!」


 とミネアが声を荒げる。

 そして、その大きな目をぎろりとリンドに向けた。


「原書を飾る宝石はお祖父(じい)様の代にアルバートに奪われたと聞いていたぞ、私は! アルバートはその時既に、石の意味を知っていたのだろうっ!?」

「―――祖父の代?」


 リンドは眉根を寄せる。

 彼の前にここへ来てミネアの父を討ったのは、現在の境界の街の守護者ダート・アルバートだ。祖父の代と言うことは、石を奪ったのはダートの(さら)に前の人物と言うことになる。―――(すなわ)ち、


「……ギルト王」


 リンドと同様に思い至ったであろうフレアが、その名を口にする。

 純人王国の現王ギルト・アルバート―――リンドの父が、魔法王を討った際に魔法原書の石を奪ったのだろう。


 金目の物を片端から略奪したダートならばいざ知らず、ギルトが金銭的な価値があると言う理由だけで原書の在り処を聞き出す手間を掛けてまでそれを持ち去ったとは考え(にく)かった。

 リンドは知らず、ぐっと歯噛みする。


「知っていた……、或いは勘付いていた可能性はあるな」

「石は今、純人王国の王都にあるのだろう! お前が知らなかったと言うなら、すぐに取り返して我らの原書に戻せっ!」


 ミネアに噛み付かんばかりの声を向けられて、しかしリンドは頷きを返さなかった。


「石は、ギルト王の手から奪う。―――だが、返すかどうかは約束できない」

「何だと―――!?」

「純人王国と魔法王国にとってより良い未来を(つく)る方法があったなら、そのために使わせてくれ」


 そう言うと、サラはすぐにこくりと頷きを返してくれる。

 だがラークは悩ましげな表情を浮かべ、サラは不審の目を向けてくる。


「信じられない。お前が魔法王国のためにも尽くすと、何故信じられると言うのだ……!」


 (もっと)もな話だ。アルバートと深い因縁があるソートリッジの娘であれば、その反応は当然と言える。

 故にリンドは、提案をした。


「―――それならこれから戻る途中で、一つ示せるものがある。それを見て、判断してくれ」

「示すだと? 何を示すと言うのだ」

「お前への忠義、だな」


 そう答えて、リンドは視線を上げた。

 そして遠く、城の外のもっと先を見据えた。


 正しいと信じた道だ。―――だが、万人が讃頌(さんしょう)する道で無いことも分かっている。

 それでもリンドは、旅立つあの日信じた道を進むと決めた。

 それがあの日問われた「覚悟」の意味だと思っているし、もっと昔に言い聞かせられた「役」を果たすことなのだと思っている。


 リンド・アルバートの役を果たすために、彼は遠く離れた故郷を睨み据えていた。

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