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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第5章 幾つもの正義が魔法王都に集いて
82/106

82.偽英雄と交渉

 戦いは、終結した。


 ミネアは不満げに奥の謁見の間へと去り、ラークもそれに付き従った。

 一方でサラはその場に残ってロゼや連れてきた兵たちに指示を出し、彼女らをリンドたちやミネアの兵たちの治療に当たらせていた。


「いッ……!」


 フレアが顔を(しか)めて呻き声を漏らす。

 治療の心得のあるロゼが、フレアの右手を貫いた矢を抜きに掛かったのだ。


 不幸中の幸いと言うべきか、矢は(やじり)の全てで無く先端のみが掌から甲へ突き抜けていたようで、引き抜くのにさして時間は掛からなかった。

 それでも、苦痛が無いはずも無い。フレアが呻くのは無理も無かった。


「うわァ……、痛そうですねぇ」

「お前もだろ……」


 他人事のように呟くニーナに、リンドは思わず呆れの交じった声を出す。

 彼女も左肩と右腰に未だ二本の矢が突き刺さっているのだ。(やじり)()りも深く、どう見ても彼女の方が重傷だった。


 しかしニーナは、にやとリンドに笑んで見せる。


「私は平気(へーき)ですよ。怪我は慣れてますし」

「慣れないでくれ」


 と返すと、彼女ははたと気付いた様子でふるふる首を横に振った。


「あ、いや、自分から怪我しに行くようなことはもうしてないですよ。ただ前よりユニコーンの力を引き出してる所為(せい)か、痛みも感じ(にく)くなったような……」


 言いながら、ニーナは左肩に刺さった矢をむんずと掴んで表情を歪める。

 それに気付いたロゼが、声を上げた。


「いけません! 背側の矢をご自分で抜くのは難しいですから、少し待って―――」

「うぅゥあぁァっ!」


 ロゼの制止を聞かずに、ニーナは強引に矢を引き抜いた。そして脱力するようにくたっとその場にへたる。

 血が溢れ出す彼女の肩に、リンドが近くの兵から手当てのための麻布を受け取って宛てがう。


「あぁ、リンドさん……ありがとうございます。お腹の傷は大丈夫なんですか? あと肩も―――」

「自分の心配をしろ。俺のは大したこと無い」


 腹の傷の上に当ててある布を右手で叩きながらそう伝えると、ニーナは「それなら良いんですけど」と言って息を吐く。

 それから、今度は右腰に刺さっている矢を掴んだ。


「おい―――」

「せーのォッ……!」


 リンドが止める間も無く、乱暴に矢が抜かれる。

 それで止む無く、彼は右手でもう一枚布を貰って彼女の右腰に当てた。


「ふーっ。すっきりしたァ……」

「あんまり無茶するな。お前だって血を失い過ぎれば死ぬだろ」

「それはそうですけど……」


 と言いながら、ニーナは左肩に布を押し当てているリンドの手をぽんぽんと叩く。

 それを受けて彼が左手を引くと、肩の傷は既に出血が止まっていた。


「ほら。大丈夫です」

「……」


 思わず、リンドは言葉を失う。

 腕力や脚力の強化にも凄まじさを感じるが、肉体の回復力という点でも「魔人」は尋常で無いと改めて感じさせられる。


 そんなニーナの異常な回復力を目の当たりにして、ロゼも固まってしまっていた。


「ねえ、治療は終わり?」


 そのロゼに、フレアが問う。


「何か布の巻き方緩いんだけど……」

「あっ、すみません!」


 とそれに謝罪を返したロゼは、フレアの右手に布を巻きつける作業を再開した。

 リンドはその様子を暫く眺めていたが、ふと湧いた懸念について傍を通り掛かったサラを呼び止めて問う。


「魔法印が傷ついた状態でも、魔法は使えるのか?」

「……恐らく、問題無いかと思います」


 サラはそう答える。


魔法王国(このくに)では同じような事例を聞くことがありますが、それで魔法が使えなくなったという話は耳にしたことがありません。……ただ、」

「ただ?」


 とその続きを促すと、彼女はフレアにちらと視線を送りながら言う。


「魔法書から新たな魔法を得ることは、暫くできないかと思います」

「そんなの、問題無いわ」


 目を向けられたフレアが、痛みに浮かんだ涙を拭いながら返した。


「必要なものは、とっくに全部読んでる。今更手に入れなきゃいけない魔法なんて無いわ」

「それなら良いんだが……」


 言いながら、リンドは密かに安堵の息を吐く。

 彼は例えフレアが魔法を使えなくなろうとも当然態度を変えるつもりなど無かったが、彼女自身は自分の無力さに間違い無く絶望したことだろう。そんな彼女の姿は見たくなかったので、リンドは一安心していた。


 そんな彼の内心を知るはずも無く、フレアはちろっとこちらに視線を向けてくる。


「って言うか、リンドだって龍の印に傷あるけど退魔の力使えてるじゃない」

「魔法も同じとは限らないだろ。……それに、これは少し事情が違う」

「事情……?」


 リンドの回答を聞いて、フレアは怪訝な顔をした。

 だがすぐに、その表情が驚きに変わる。


「リンドっ、血が……!」


 言われて自分の身体を見下ろしてみれば、右の脇腹に当てていた布が赤に染まっていた。


「大したこと無い」

「大したことあるでしょ! ロゼさん、早くリンドを―――」

「ニーナが先だ」


 リンドはそう言ったが、ニーナも「私は大丈夫ですからリンドさん先で」と言って撥ね付ける。二人の間でロゼが困り果てていた。


 そこへ、サラが割って入ってくる。


「リンド様の手当ては、私がします。ロゼは早くその子を」

「そんな、サラ様がお手を煩わせなくても誰か呼んで―――」

「皆他の方の治療に当たってくれていますし、手が足りないなら私も手伝います。私では無く怪我した人を心配してあげて」


 サラはそう言ってロゼをニーナの治療に当たらせると、静々とリンドの傍へ寄って膝を折った。


「失礼致します。上衣を脱いで頂けますか」


 それに従って襟巻きを外し上衣を脱ぐと、彼女は落ち着いた様子で腹と肩の傷の治療に当たってくれた。如何(いか)にもな「お姫様」と言う雰囲気の人物なのでこういうことには不慣れかと思われたが、存外てきぱきと冷静に対応している。


 そう言えば、サラは「マーシャルの義理の姉」と言っていた。あの向こう見ずな魔法王に常日頃から対応していれば、手当てなどに慣れていることにも納得はいく。

 ―――などと思っていると、彼女が不意に問いかけてきた。


「その……、マーシャルは、無事ですか」

「魔人としての力を失って動けなくなってはいるが、生きている。まあ、無防備な状態だし心配なら誰か向かわせた方が良いかもな。街の外の旧街道沿いだ」

「そうですか。―――良かった」


 その声にちらと目を向けてみれば、家族の無事に安堵する姉の姿がそこにあった。

 彼女はすぐに兵の一人に声を掛け、マーシャルの救援を指示する。


 リンドにも姉がいれば、彼女のような顔をしてくれるのだろうか。―――否、きっとそんな顔はしてくれないだろう。彼の両親や弟がそうであるように。


 アリアだったら……当然有り得ない。フレアに対してでも、そのような態度を表に出すことは無いだろう。

 サーシャだったら。―――彼女なら、リンドにもそんな顔を向けてくれるかもしれない。旅立つ際に向けられた涙を浮かべた笑顔を、彼は今も鮮明に思い出すことができた。


 知らずじっと視線を向けていたためか、サラはふいとリンドから顔を背ける。

 そして安堵に緩んでいたその表情を再び引き締めると、またこちらへ向き直って傷の手当てを済ませた。


「―――これでお終いです」

「ありがとう。助かった」


 礼を言うと、彼女は(おもむろ)に立ち上がる。

 そして背筋を正した綺麗な(たたず)まいで、こちらに目を向けた。


「では(よろ)しければ、謁見の間へお()で下さい」


 その声を受けて、リンドは仲間たちの方へ視線を向ける。

 二人も怪我の手当ては済んでおり、彼の視線に対してこくりと頷きを返した。

 それでリンドは、上衣と首巻きを肩に掛けて立ち上がった。


 *


 奥の階段を上がった所にある扉から広間を出て廊下を進むと、その先に謁見の間の絢爛(けんらん)な扉があった。先導するサラに続いて、リンドたちもその大きな扉の先へ進む。


 そこには、王座に掛けたミネアがいた。その向かって左隣には、ラークが立っている。魔法王国においても、王から見て右側の方が序列が高いのだろう。


「―――遅い」


 とミネアが口にする。


「アルバートに待たされるとは……。不愉快極まりないな」

「ミネア様。現状、そこはマーシャルの席です」


 サラが指摘すると、ぎろとミネアが彼女を睨んだ。


「奴はそこのアルバートに討たれたのだから、もう私のものだ」

「彼は生きています。リンド様からお聞きしました。ですから留守を預かる私としては、ミネア様にその席をお譲りするわけには参りません」


 サラは毅然(きぜん)とした態度でそう言う。


 恐らくこの場において、マーシャルの側に付いているのはサラだけだ。

 彼女はラークがミネアを招き入れた時点から、ここに残ることでマーシャルの居場所を守っていたのだろう。


「―――交渉、とあんたは言ったが」


 ミネアと言い合うサラに向かって、リンドは口を開く。


「俺は既に、そこのミネアと取り決めを交わしている。俺たちはマーシャルの足止めをし、王座まで来た。だからもう、あとはそいつが応じるだけなんだ。それでも何か、俺たちに持ち掛けられる話があるか?」

「浮かれるな、英雄気取りが」


 とそこへ、ミネアが口を挟んできた。


「イージスの邪魔が入らねば、貴様らはここまで来られなかったであろうが」

「お前の持ち掛けてきた話に、そんな条件は無かっただろ」

「ええい(うるさ)い! 私が足らぬと言うのだから―――!」

「リンド様。失礼ながら」


 と、サラが声を上げる。

 そんな彼女に、リンドはちろっと視線を向けた。


「その『様』ってのは要らない」

「は……?」

「『リンド』で良い」


 むず(がゆ)さに対する文句を付けると、サラはやや困惑しながらも「はい」と応じる。


「それでその、リンド……さん。―――私たち『議会派』の協力を斟酌(しんしゃく)して、譲歩頂けないでしょうか」

「……」


 リンドは、考える。

 確かに先のミネアたちとの戦いへの介入は勿論(もちろん)、そこへ至るまでの各場面で彼女らの貢献があったとすれば、彼女の話を無下に拒むことはできない。


 それで彼は、問う。


「何が欲しい」


 するとサラは「ありがとうございます」と礼を言ってから、答えた。


「アルバート……いえ、純人王国との相互不可侵の盟約が欲しいです」

「不可侵……?」


 ミネアが眉根を寄せニーナが首を傾げながら、ほぼ同時に声を漏らす。そして互いにちろっと睨み合う。

 その二人の反応を見て、サラは補足する。


「この不毛な両国の争いに、終止符を打ちたいのです。ですから、あなたにここで誓って欲しい。魔法王の討伐は、今回限りにすると」

「バカな!」


 とミネアが声を上げた。


「そんな誓いが何になる! この男が今この場で何か言ったところで、別のアルバートがのこのこまたやってくるだけだ! そんなものが『魔法の起源』の対価になるわけが無かろう!」


 それに関しては、リンドも同感だった。彼にそんな権限は無いので、この場で「もう攻めない」と宣言してもそれを他のアルバートにも履行させるのは難しい。

 ただ、アルバートでなければ(・・・・・・・・・・)それも可能かもしれないが。


「魔法の起源……」


 とサラが呟く。


「あなたも、それを知りたいのですね……」

「あなた()?」


 リンドが首を傾げて見せると、彼女はこくりと頷きを返す。


「魔女アリア・クリストン様も、以前に私にそれを尋ねられました」

「アリアが!?」


 とフレアが反応するが、リンドの方は「やはり」という感想を抱いた。


「それで、あいつに教えたのか」

「いえ……。私は存じませんでしたので、そう伝えて……」


 そう答えるサラの表情が、一瞬曇る。

 だがすぐに、きりりと再びその表情を引き締めた。


「あの方のお陰で、私は目が覚めました」


 彼女が口にしたそれがどういう意味なのかは、判然としない。ただとにかく、アリアは情報を得られなかったらしい。


 サラは静かな口調で、話を戻す。


「ともあれそういうことでしたら、リンドさんにも同様の情報を求めます」

「同様の……」


 とリンドは、繰り返す。

 無論、その意味が分からないと言うことは無い。


「退魔の力の秘密、か」

「はい。互いに秘密を握り合えば、盟約の実効も上がるかと」


 サラの言葉を受けて、リンドは再び思案する。

 しかしその間に、ミネアがふんと小馬鹿にするような息を吐いた。


「アルバートと真っ当な交渉などできるものか。此奴(こやつ)らが血も涙も無い悪魔のような存在であることは、我らソートリッジが他の誰よりも知っている。イージスなどよりもな」

「リンドさんに対する判断は、既にロゼが下しております」


 とそれにサラは言い返す。


「それに先ほどの戦いの結果を見ても明らかです。ミネア様やラークに大きな怪我は無く、前王派の兵についても重傷者は全て仲間の攻撃で傷付いた者でした。それを見て彼らが冷酷無残とは決して―――」

「私やラークが無事だったのは我らが勝っていたからだ! 断じてアルバートが人格者だったからでは―――!」

「よし」


 不意にリンドが、口にした。


「交渉に、応じよう」


 その声に虚を()かれたようで、二人の言い合いは止まる。

 そんな二人に向けて、リンドはさらに言葉を継いだ。


「退魔の力の情報と、魔法の情報の交換。それで俺は構わない。―――あとはミネア(そっち)が、この取引を受け入れるかどうかだ」

「……」


 リンドとサラとに目を向けられて、ミネアはぐっと口を引き結んで考える仕草を見せる。……と言うより、単に判断を下せずに固まっているように見えた。


 それを見て、彼女の隣に立つラークが口を開いた。


「二つ質問がある。一つ、お前が寄越す情報にどの程度の価値があるのか。二つ、お前は魔法の秘密を知ってどうするのか。―――答えてくれ」


 その問いに、リンドは暫し考える間を取ってから答える。


「一つ目については、俺の側から評価できない。価値があるかどうかは、あんたらが聞いて判断することだからだ。ただ、俺が話すことはアルバートの中でも俺の両親しか知らない話だ……とは言える。二つ目については、そこの……サラだったか。彼女と同じ目標のために使えるのではと思っている。下らない『魔法王の討伐』なんてものを終わらせたいのは、俺も同じだ」

「……その答えに、一切嘘は無いな?」

「無い」


 ラークの念押しに、リンドは即答する。

 それでも(なお)、ラークはじっとリンドの心の内を見透かそうとするかのように、暫しこちらに鋭い視線を向けていた。


 だが、やがてその目は(うつむ)くミネアの方を向く。

 そして彼は、進言する。


「ミネア様。乗ってみるのも、悪くないかと」

「……」

「もし交渉に応じてくれるなら、お前が言っていた魔法の起源に関する書を持ってきてくれ」


 黙っているミネアに、リンドも声を向ける。


 すると彼女は、ゆっくりと王座から立ち上がる。そしてその足を、座の後ろ側―――謁見の間の奥の方へ向かわせた。

 ラークの一押しで、ようやく交渉に応じる気になったらしい。


 ばたん、と奥にある扉が閉まり、ミネアの姿が見えなくなる。

 それを確認すると、リンドは数歩ラークの方へ歩み寄った。そしてサラにもちらりと視線を送って近くに寄らせる。

 それから怪訝な様子を見せる彼らに、告げた。


「これはミネア(あいつ)に聞かせない方が良いかと思ったんだが、―――俺は退魔の力と魔法をこの世界から失わせたいと思っている」

「えっ」

「何っ……!?」


 驚くサラとラークを前に、リンドは話を続ける。


「さっきも言った通り、俺は延々繰り返されるアルバートと魔法王との戦いを終わらせたい。だがそれを実現するために、俺たちが交わす約束なんかでは弱過ぎる。そうでは無く、もっと根本の……つまり二つの『力』を無くしてしまうべきだと思う」

「そのために魔法の起源を知りたいと言うわけか……」


 とラークが納得したような声を出す。

 だが、すぐに彼の鋭い視線がリンドを射抜いた。


「だがもし、仮にそんなことができたとして……。お前が魔法だけ(・・)を失わせることが無いと言う保証がどこにある」

「だから、俺は今先に話したんだ」


 そうリンドは言葉を返す。

 この場面においては、今の話をしなければ確実に情報は得られただろう。だがそれでは、(のち)に彼らからの信頼を失うことになる。

 そうなってしまっては新たな時代に争いの種を()くことになる。それに、この特別な力を失うことによる混乱が大きいのは間違い無く魔法王国だ。先に伝えておかねば対策もとれまい。


 そうしたリンドの意図を、ラークやサラはすぐに理解したようだった。

 そしてサラの方は、間を置かずに頷きを返してくれる。


「あなたを信じます。あなたを信じたロゼの判断を、私は信じていますので」

「ありがとう」


 とリンドは礼を言って、その目をサラと同じくラークに向ける。

 それを受けて、彼ははあと息を吐き出した。


「……ミネア様が王座(ここ)へ戻ってきてしまった以上、ソートリッジが優位に立てる魔法を失うのは痛い」

「だが少なくとも、アルバートの脅威は俺が排除する」


 リンドが明言すると、彼はこちらを見る。

 それから悩ましげに、がしがしと頭を掻いた。


「なら、あとは俺がやるべき内の問題だな……」

「ラーク、私も協力します」


 とサラがそんな彼に声を向ける。


「マーシャルはああいう感じだから、既に今王権は()って無いようなもの。ミネア様がそれを取り戻そうとすることは認められませんが、国の代表の一人として共に歩めるのなら……旧王家としてのあの方の力は必要です」

「―――遠ざけるでは無く、共に歩むか……」


 呟いたラークは、ふーっと長く息を吐き出す。

 それから、真っ直ぐな視線をリンドに向けてきた。


「正直実現するのかも疑わしいが、もし本当に成るんだとしたら。―――忙しくなりそうだな」

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