80.聖女と王城で待つ者
ニーナが破壊した三つ目の門を駆け抜けながら、フレアは耳栓を外す。
そこへリンドの声が聞こえてくる。
「このまま中央を突っ切る。この先にあるのが王城の門なら、兵はそこを死守するために集められているはずだ。後ろから来る連中との挟み撃ちに遭う前に、城へ突入する」
それに「うん」と応えようとした所で、不意に左の肩を抱く形で引き寄せられた。
驚いてそちらへ視線を向けると、目の前にリンドの顔があった。
彼は、フレアの耳元で告げる。
「お前はここだ」
「そっ……、そんな近づかなくても、聞こえるから……!」
ぐいと押し退けようとするが、彼は構わず続ける。
「離れるなよ」
「いや、別に……、は、離れないし……」
ふいと顔を背けながらぽしょりと応えていると、彼が少し身を屈めた。
見れば、もう一方の手でニーナの肩を掴んで同じように告げていた。
「ニーナは後ろだ。傍にいろ。先行するな」
「はーい」
「……」
さらに彼は二人から手を離すと、後方を走るロゼにも「近くにいろ」と指示した。
それから、こちらに怪訝そうな視線を向けてくる。
「―――何だ」
「別に……」
と返すと、彼はそれ以上詮索してこずに前を向いた。そんな暇は無いのだ。
「魔法は俺が防ぐ。矢はフレアだ。良いな?」
「分かった」
「ニーナは門に近づくまで後ろに控えていろ。不味い時には、蹴っ飛ばしてでも俺たちを回避させてくれ」
「任せて下さい!」
言葉を交わしながら街へと入り螺旋状に続く大通りを進む間に、敵兵からの攻撃は無かった。リンドの読み通り奥で態勢を整えて待ち構えているのだろう。
考えている内に、道の傾斜と曲がりが終わる。そこからは真っ直ぐに通りが続き、その先に高く聳える石城が見えた。
すると早速、門の方から炎の波が押し寄せてくる。
対してリンドが数歩先行し、剣を振り薙いだ。黒い刃が伸び、炎の波を裂いて消し去る。
しかしそこへ次いで、矢の雨が降ってくる。
そこで今度はフレアが前へ出て、綴っておいた魔法を詠唱した。
「製鉄!」
その声に応じて鉄の壁が現れ、矢を弾く。
攻撃を凌ぐと、再びフレアたちは走り出した。
リンドと二人並んで駆けるその前方の門からは、次々と矢が射られ炎や氷や岩の魔法が放たれる。
フレアとリンドとは、それらを交互に或いは同時に防ぎながら進んでいく。
リンドの退魔の力は、以前は彼の左手を中心に球体状に広がっていた。そのため傍にいるとフレアは魔法が使えなかったのだが、今は違う。
仲間を苦しめないように力を使わなかった彼は、仲間を守るために力を自在に操っていた。
影響を及ぼす範囲は絞られている。そうであれば、彼の力が視えるフレアはそれを避けて魔法を使えば良い。
今なら、フレアは彼の隣で共に戦えるのだ。
徐々に門が近づく。
するとそこから、紅い鎧を身に纏った兵士たちがざざと外に出てきた。
それを見て、リンドが後背にちらと目を向けた。
「ニーナ、俺を向こうに吹っ飛ばしてくれ」
「え、危なくないですか?」
「問題無い。フレア―――」
「分かってる!」
とフレアは彼の声を待たずに返す。
そして次の魔法を既に綴り終えた右手を、前方へと差し向けた。
言われなくても分かるし、求められなくても守る。
故に彼女はもう、準備できていた。
「ソニトゥス―――」
「ちょっとフレアさん!?」
フレアの声に、ニーナが慌てて耳を塞ぐ。
敵兵もまた、同じだった。皆、耳を塞いだ。
だが、そうなることは当然分かっている。
「……氷結っ!」
嘘の詠唱を止めて、フレアは実際に綴った魔法を詠唱する。
その彼女のよく通る声によって、氷結の波がぱきぱきと王城の門に押し寄せた。
そして門の前で諸手を挙げた格好の兵士たちの身体を、一気に固めた。
それを確認して、フレアはふんと息を吐いた。
「音魔法には、こういう使い方もあるのよ」
「私も心臓止まるかと思ったんですけど……」
とニーナからは文句を付けられるが、無視する。
敵を騙すために、味方ごと騙す方が良い場合もあるだろう。現にニーナの素直な反応は、フレアの行動の真実味を演出してくれた。
「ニーナ!」
リンドが声を上げた。それにニーナが「はい!」と応じる。
そして前方に向かってやや高く跳んだ彼の足裏を蹴付け、勢いよく撥ね飛ばす。
一気に門の傍まで飛んだリンドは、そこで左手に握った剣を大きく振り薙いだ。
空中で右下から左上に向かって一回。そして剣を返しながら着地して、左下から右上に向かってもう一回。
その剣先から伸びた大きな黒い刃は、後ろの門と一緒に兵士たちを捉えた。それで門の前にいた彼らは、氷が消えると同時にばたばたと気を失って地面に伏す。恐らくここから見えない門の傍に控えていた者たちの多くも、同様だろう。
そうなってしまえば、後はこれまでと同じだ。
ニーナが吹き抜ける風のように駆けて門まで至ると、それを猛烈な勢いで蹴る。叩く。
フレアもそれに続いた。
「開かせてもらうわよ……!」
呟きながら、魔法を綴る。そして詠唱する。
「落石!」
声に応じて、ニーナの斜め上方に大きな岩石が叩き付けられた。
その衝撃とニーナの強烈な蹴りの衝撃とが重なる。
そして門の片側が内に向かって倒れ、どおんと派手な音を立てた。
「―――開いた」
思わず声を漏らすと、ニーナがちろっとこちらに目をやる。
「私も潰されるかと思いましたよ……」
「あんたには当たらないように狙ってるわよ、ちゃんと」
とフレアは言い返す。
「私を誰だと思ってるの? クリストン家当主の娘よ? そんな失敗するわけ無いじゃない」
「ホントですかね……」
「喧嘩は後にしろ。行くぞ」
リンドが二人を制し、それから後方へ目を向けた。
「あんたの出番だ。王座がある所まで案内してくれ」
その声を受けてロゼは、小さく深呼吸した。
そうしてやや間を置いてから、静かに答える。
「―――分かりました」
言って、城の奥へと歩き出した。
「ホントに信じて大丈夫かしら……」
思わずフレアは呟くが、その横をリンドが抜けていく。
「闇雲に探し回っていたって大して変わらない。行くぞ」
「怖いなら、外で待ってても良いですよー」
と言いながら、ニーナも迷うこと無く彼に続いた。
それでフレアは、はあと息を吐く。
「……また変な男に絡まれるのは、ごめんだわ」
そう口にして、彼らの後を追った。
*
螺旋の街を抜けて辿り着いた石造りの王城は、その中も街と同様の構造になっていた。
外壁に沿った通路を行くと、半周ほど回った所で内に折れる。そして中央を直線的に突っ切ったと思えば、また外壁に沿った階段がある。
要するに、上へ行くために非常に時間を要する造りになっているのだ。魔法王都全体についても言えることだが、アルバートとの攻防を繰り返してきた歴史を持つが故に「攻め難さ」を徹底している印象だ。
攻められることを知らない単純な構造のアルバートの城とは、全く異なっていた。
―――だが、その難攻不落の城の中を歩くフレアは違和感を覚えていた。
「……仕掛けてこないわね」
ロゼの道案内に従って進むフレアたちの前に、敵兵が姿を現さないのだ。
「外にいたので全部なんじゃないですか?」
「まさか」
ニーナの意見に、フレアは否定的な声を返す。
兵は出払ってしまった、なんてことがあるはずは無い。どこかにいるはずだ。
訝しむフレアに、リンドが別の意見を述べた。
「睨み合っているのかもしれない」
「誰と誰が?」
「王城軍と前王軍が」
問うと、彼はそう答える。
「門の兵がお前に向けて言ってた通り休戦したって言うなら、アルバートたちの件が済んだら決着を着けると言うことだろ。だからその時のために、両軍共この戦いであまり消耗したくないんだ」
「でも私たちに攻め落とされちゃったら、共闘した意味無くない?」
「ああ。だが俺たちに辛勝してその後に王座を奪われたなら、それも意味が無い。―――結局その場凌ぎの共闘なんて、成るはずが無いんだ。『ラーク』とやらは、判断を誤ったな」
そのリンドの言葉に、フレアははっとして彼の袖を引く。
そして、やや声を落として言う。
「―――ちょっと。ロゼその人に仕えてるって言ってたじゃない」
「だから?」
「あんまり迂闊なこと言って、刺激しない方が良いでしょ」
フレアたちは今、行く先を「ラーク」の侍女に委ねているのだ。彼女の機嫌次第では、とんでもない所へ放り出される可能性もある。
しかしリンドに、彼女の懸念は伝わらなかったようだ。
どころか、彼はわざわざ訊く。
「ロゼ、気に障ったか?」
「ばかっ、訊いてどうすんのよ―――」
「いいえ」
としかし、ロゼは前を向いたまま淡々と答えた。
「お気になさらず」
「だそうだ」
「だそうだって……」
その回答を馬鹿正直に真に受ける人間があるだろうか。
リンドなら有り得る気もする。―――が、他方で何か意図があってそういう態度をとっている気もする。
つまり、読めない。
はあと思わず溜息を吐いていると、前を行くロゼの足が止まった。
見ればその前方に、大きくて荘厳な扉があった。
「人の気配がしますよ」
「ああ」
ニーナの声にリンドが頷きを返し、ロゼを見る。
「この先は?」
「広間になっています」
と彼女は答える。
「この部屋の奥にある扉を抜けて廊下を進んだ先に、謁見の間があります。この広間は、王様を訪ねる客人を持て成す場になっております」
「持て成す、ね……」
繰り返しながら、フレアはちろりとロゼに刺すような視線を向ける。
さぞ派手な出迎えが待っていることだろう。
しかしそのフレアの視線に対して、ロゼはゆっくりと頭を振った。
「王座はこの先に、確かにあります。心配要りません。きっと、我が主があなたを迎えて下さいます」
彼女はそう言うが、フレアとしては信じ難い。
だが一方のリンドは、さっさとロゼの横を抜けて扉に手を掛けた。
「ちょっと、リンド―――」
「他に当ても無いんだ。行かせて貰うとしよう」
そう返した彼が躊躇無く扉を開くと、その先に大きな空間が広がっていた。
壁際を豪華な赤い垂れ幕が囲っており、正しく上流階級の人々のための催しが開かれそうな場だ。
しかし今、そこには物が何も置かれていない。すっかり片付けられているようだった。お陰でフレアの目はすぐに、奥の階段を上がった所にある扉を捉えた。その扉の向こうに、謁見の間があるらしい。
すぐにでも向かいたいところだが、ただフレアの目はそれとは別にもう一つのものを捉えていた。否、「もう二つ」と言うべきか。
広間の中央に、二人の人間が立っているのだ。
一人は、剣を携えた長身の若い男。男にしてはやや長めの髪は茶色で、引き締まった表情で背筋をぴんと張った立ち姿には迫力がある。
もう一人は、金色の髪を左右で結わえている少女だ。丸い眉も、睫毛も金色をしている。ニーナよりは年上と思われるが、小柄で細い手足やちらと覗く八重歯から、あどけなさを感じた。
どちらも、フレアは初めて会う相手だ。
だが、リンドは違うようだった。
「作戦は、上手くいったようだな」
と彼は、金髪の少女の方へ声を向ける。
それに対して少女は、ふんと胸を張って見せた。
「ああ。貴様がマーシャルを潰してくれたお陰だ。大儀であった」
「何アレ何サマ? リンドさんあのチビ殴っても良いですか?」
「ミネア・ソートリッジサマだ。殴るなよ」
ぐっとニーナが拳を握るが、それを制してリンドは淡々と続ける。
「大儀と思っているなら、下の兵たちにしっかり伝えておいて欲しかったな」
「それは済まなかった」
と少女ミネアは、微塵も済まなそうな素振りを見せずに言った。
「何分、王城にいた兵士共は融通が利かなかったからな」
「成る程、それは承知した。―――なら、本題だ」
そう言って、リンドは不敵な笑みを浮かべる少女を見据える。
「約束の褒美をくれ」
「褒美?」
「ああ。魔法の起源に関する情報」
彼の言葉を聞いたミネアは「あぁ」と今思い出したような嘘臭い演技をして、それから自分の背側を指差した。
「それなら、『王座へ辿り着けたなら』と話したはずだ」
「辿り着けただろ?」
とリンドは首を曲げる。
「それとも、『まだ行っていない』とでも言うつもりか?」
「いいや、行ったとも。私はな」
そう返して、ミネアは彼を見返した。
「だが、お前はまだだろう? 私は、お前が王座に辿り着けたら教えてやると言ったんだ」
「―――そういうことか」
とリンドは、納得した様子で言う。
そして、前へ踏み出す。
「なら、すぐ行って―――」
しかしその次の瞬間、ミネアの隣にいた男が飛び出した。そして素早く右手で剣を抜き、そのままリンドに向かって振り薙ぐ。
がんと、鉄と鉄とがぶつかり合う音が広間に響いた。
「……お前が、『ラーク』か」
リンドが、左手で抜いた剣で相手の剣を受け止めながら問う。
それに対して男も、退かずに答える。
「俺のことを知ってるのか?」
「ああ、ミネアから聞いた。―――王城側の統率者なのに、ひらひら靡いて良いのか」
リンドの言葉に、男―――ラークがぎりと歯噛みして剣を払った。
その力に押されて、リンドが後方へ跳んだ。
「貴様に何が分かるッ……!」
「何も」
とリンドは答える。
そして再び、ラークに向かって駆けた。
「だから言えることもある」
「黙れ! あんな伝言寄越して挑発して、今度は説教か!?」
「伝言?」
とその言葉にリンドが眉根を寄せる。
「そんなもの送った覚えは無いぞ」
「ふざけるなッ!」
ラークは剣を素早く振るってリンドを攻撃する。
それの扱いには長けているようで、動きに隙が無い。リンドも劣っていないが、優勢とも言い難い。
ただ、リンドは頗る冷静だ。いつもの淡々とした口調で、ラークに声を向ける。
「それより、指揮する人間がこんな所に引っ込んでいて良かったのか? その所為か兵の動きが鈍かったぞ」
「事情も知らずに口を挟むな!」
二つの刃が激しくぶつかって弾き合い、再び二人の距離が離れる。
そこでリンドが、今度はちらと後方に目をやった。
「―――そう言えば、街でお前の侍女を拾ったぞ。ここまで連れて来てやったんだ、礼くらい言って欲しいな」
「侍女だと……?」
と怪訝な顔をして、ラークは彼の視線を追う。
だが、すぐに吐き捨てるように言った。
「そんな女は知らない! 勝手なことを言うな!」
そして再び、リンドに斬り掛かってくる。
「……どういうこと?」
とフレアが声を向けるが、当のロゼは下を向いて黙っている。
その様が主に対して絶望している様なのか、将又全く別の感情を隠している様なのかは分からない。
それを見定めるのは、後で良いだろう。
フレアは前を見据えて、先の展開を考えながら魔法を綴る。―――と、そこでリンドとラークの戦いを挟んだ向こう側に立つ少女と目が合った。
ただ立つ少女。
その口元が動く。
ふ、い……。
「―――ニーナっ!」
危険を感じて、フレアはニーナに呼び掛ける。
その声を受けて、ニーナは何も問わずにフレアに体当たりした。
二人で横へ身を投げたその直後に、炎が傍を駆け抜ける。
「外したか。よく躱したな」
ミネアは偉そうにそう評して、さらにまた詠唱する。
「氷結」
綴ること無く立て続けに唱えるその声に応じて、今度は氷結の波がこちらに迫る。―――が、
「ぐっ……!」
黒い領域に呑まれて、ラークとミネアとが苦しげな声を漏らした。
無論、氷も幻のように消え去っている。
「そう言えば、お前は綴りが要らなかったな」
言いながら、リンドは剣を振るってラークを撥ね除ける。
魔法王国でも……否、本来この魔法王国でこそ「退魔の力」は使われるべき力なのだ。
彼の力がある限りソートリッジの魔法が綴りを必要としないとしても、大勢に影響は無い。
「今更無綴の魔法を見せられたくらいで、驚くもんですか」
呟きながらフレアが立ち上がろうとすると、くいと袖を引かれた。
そして耳元で、ニーナが囁く。
「―――分かった」
彼女の言葉に頷いて、フレアはすぐに魔法の綴りを完成させた。




