76.少女を待つ者と追う者
リンドと歩むニーナの目は、魔法王都を捉えた。
「見えてきましたよ」
「相変わらず目が良いな」
「前より良くなってますよ。ちょっと眩しいけど」
そう返すと、リンドが問うてくる。
「どんな様子だ」
「んー。人がいませんね」
「いない? 倒れているのもいないのか」
「いないです」
額に手を当て傾き始めた日の光を遮りながら見るニーナの目には、閉ざされた街の入口の大きな門しか映らなかった。
報告通りであることを再度確認してから隣をちらと窺ってみれば、リンドは顎に手を当て思案している。
「いない……となると、王城側が招き入れたのか」
「え? 敵同士だったんじゃないんですか?」
「何らかの交渉が成ったか……、いや待てよ」
とリンドが、何か思い出したように声を出した。
「そう言えば、ミネアは王城側に『息を吹きかけてある』と言っていたな」
「ミネア?」
「ミネア・ソートリッジ。前王の娘で、恐らく俺が知りたいことを知っている人間だ」
答えて、彼はさらに言葉を継ぐ。
「―――詰まるところ、王城側で地位の高い人間が寝返ったのかもしれない」
「そうですか」
とニーナは、興味無くそう口にする。そんな経緯は、彼女にとってどうでも良いことだ。
故に彼女は、リンドに問う。
「それで、リンドさんはどうするんですか?」
すると彼は再び考える仕草を見せたが、すぐにそれを解いて口を開いた。
「このまま進んでミネアに会う。まだ俺の目的は果たせていないし、今なら王城もごたごたしている可能性が高い」
「分かりました。やりましょう!」
とニーナは嬉々としてそれに応じ、たっと走り出す。
リンドもそれに続いた。
「ニーナ、あのでかい扉開けられそうか」
「うーん、一回叩いたくらいじゃダメそうですけど……。でも、開けます」
「分かった。合図したら、行ってくれ。あと序でに、俺を適当に投げ飛ばしてくれると助かる」
「はーい!」
言葉を交わしている内に、門との距離は詰まってくる。
すると、その門と程近い石壁の上方できらきらと複数の光が見えた。
「リンドさん、矢が―――」
「ニーナ」
リンドの声が掛かる。合図だ。
その直後に、門傍の壁からひゅんと矢がこちらに向かって飛び出した。
ニーナは即座に、リンドを前方に向かって突き飛ばす。
そしてそのすぐ後に力を解放し、綺麗に前転する彼の横を一気に駆け抜けた。
飛んでくる矢が、彼女の尋常で無い突然の加速を計算に入れて放たれているはずも無い。よって全てが大きな弧を描いて、ニーナの頭上を越えていく。
第二射は、もうニーナを狙えない。彼女はもう門に到達しているからだ。危ないとすればリンドの方だ。
魔法による攻撃は有り得るが、それはリンドが必ず防いでくれるので気にしない。
故にニーナは、一刻も早く道を切り開くことだけを考える。
彼女は門へ至ると同時に、大きく厚い鉄の門の片側を思い切り蹴り付けた。するとどおんと派手な音を立てて、その表面が圧し折れ落ちる。
鉄は表面だけ。厚みの大部分は木らしい。だが何であれ、彼女がやるべきことは変わらない。
「誰かいますかァッ!」
叫びながら門を叩く。拳を打ち付け、足を叩き付ける。
その度、門がみしみしと音を立てた。
叩いた箇所の一つにより確実な手応えを感じて、ニーナはそこへ狙いを定める。そして一層力を込めて、蹴りを打ち込んだ。すると遂に、門の一部が内に向かって若干圧し曲がる。
それで十分だった。高さの丁度半分ほどの所で曲がってしまった門は、自身の重さを支えられずにそのまま奥へ向かって倒れていく。
「おい、倒れてくるぞ!」
「離れろ……、うわぁっ!」
ざわめきと共に、内側にいる者たちが逃げる足音が聞こえる。
「―――ニーナ、突っ込むぞ」
いつの間にか追いついてきたリンドが、耳元で言う。それに「はい」と応えて、門が倒れると同時にニーナは彼と共に粉塵を突っ切って魔法王都の街へ飛び込んだ。
「左へ跳べ。隠れる」
すぐに出される次の指示に従って、彼女は左側の建物の陰へ跳ぶ。
その直後に、矢と魔法の炎が門に向かって飛んだ。
「危なァ……」
「もう少し路地を進もう。門傍の壁から矢を射ていた兵が出てくるかもしれない」
リンドは素早く次の判断を下して先へ進む。ニーナもそれに従って上り坂の路地を歩んだ。
行く先に町人の影は無い。当然ではあるが、どこかに退避しているのだろう。
「―――一先ずは、中に入れたな。お前のお陰だ」
「はい! 頑張りました!」
前を進む彼に声を掛けられて、ニーナは思わず笑む。
少々伸び過ぎて邪魔になった髪をナイフで雑に切り落としながら。
「まァでも、私が叩く前からあの門少し傷んでたみたいですけどね。手応えある場所があって良かったです」
「何度もアルバートによる攻撃に耐えてきたから、―――では無いか」
リンドは自分の言葉を否定する。
「そんな前の傷みなら直しているだろうし、だとするとミネアたちが一度攻撃したか或いは―――」
言いかけた彼が、突然その足を止めた。
急だったので止まれず、ニーナは彼の背にぶつかる。
「何です?」
と彼の前方を覗き込むと、そこに人影が見えた。
すぐに持っていたナイフを構えると、それをリンドが制する。
「待て。兵士じゃない」
確かにそこにいたのは、武器を持たず鎧も着ていない細身の茶の短髪の女だった。
纏っている赤い亜麻のローブは上等そうなので、それなりに良い身分の人間だろう。
彼女はリンドの姿を見て面食らったようだが、すぐに意を決した様子で尋ねてきた。
「あ、あの。もしかして、アルバートの……」
「そうだが」
とリンドが答えると、彼女はさらに問うてくる。
「王城に、向かうのですよね」
「だったら何です?」
ニーナが訝しむような尖った声を向けると相手は少々慄いたようだが、それでも言葉を継いだ。
「私も連れて行って下さい……!」
「はあ?」
思わずニーナは眉根を寄せるが、女は構わずリンドの方を見て言う。
「私、ロゼと言います。マーシャル王の側近の方に仕えている侍女なんですけど……突然王城を追い出されたんです。それで訳が分からない内に戦いが起こって、戻るに戻れなくなってしまって……。これでは行き場がありません。だから王城に戻って、主と話がしたいんです!」
「……リンドさん、この人何言ってるんです?」
「分からん」
ニーナが声を向けると、リンドも肩を竦めた。
追い出されたことに対する文句を言いに行くために敵方に付いて行く……などと言う話があるだろうか。もしも本気と言うか正気なのだとすれば、この侍女は相当な「お嬢様」だ。自分のことしか考えていない上に、魔法王国の宿敵であるアルバートに対する危機意識も低過ぎる。
しかしニーナが白い目を向けても、彼女の態度は変わらなかった。
「お願いです! 何でもしますから!」
「じゃあ取り合えず、全裸でリンドさんの前に跪いて下さい」
「……そ、それは」
言葉に詰まる侍女ロゼを前に、リンドがちろっとこちらを睨んだ。
それから、彼はロゼに問う。
「冗談はともかく、お前を王城に連れて行って俺たちに何か益はあるのか?」
「えっと……、情報なら」
「情報?」
と首を捻るリンドに、彼女は訴えてくる。
「さっきも言った通り、私は魔法王の側近に仕えているんです。だから王城の中なら、道案内できます」
「側近に仕える身なら、道案内したら不味いと思うんだが……」
と呆れ交じりにロゼへの心配を口にしたリンドだったが、彼女の態度が変わらないことを確認すると頭を掻きながら僅かな間考える仕草を見せる。
それから、言った。
「―――分かった。但し庇ってやる余裕は無い。自分の身は自分で守れ」
「ありがとうございます!」
「えぇ……、リンドさん本気ですか?」
やや困惑しながら問うニーナに、彼はこくりと頷きを返す。そしてニーナの同意を待たずに「行くぞ」と言ってまた路地を歩き出した。
放って置けないのかもしれないが、この場においてその優しさは命取りになりはしないだろうか。
ニーナは不満と不安を抱きつつ、ロゼと共に彼を追った。
王城は、近いようで遠い。
直線距離はそれほど無いが高い所にあって、街はそこへ向かって螺旋状に構成されているようだった。
若干きつめの勾配と曲がりが続く路地を進んで行くと、やがて石の壁に突き当たった。路地はここで折れ、中央の大通りへ合流しているようだ。
「登れそうか?」
「登るだけなら、問題無いです」
リンドの問いに答えて、ニーナは建物と壁とを交互に蹴って一気に上へ上がる。そして壁の上端に手を掛けると、ひょこと顔を出して―――降りた。
その頭上を、ひゅっと矢が数本通る。
「ダメですね。上もしっかり警戒されてます。前に誰か使ったんですかね、壁の上」
これでは壁の上へ上がってリンドたちを引き上げ……などと悠長なことをしていられない。
ニーナだけが先に行って敵を叩き注意を逸らし……という方法もあるが、それも―――。
不意に、どんと中央通りに近い壁の際に炎の球がぶつかる。
ぱっとそちらを見やれば、リンドがその左手で炎を消していた。
「この通りの先にまた門がある。正面から行くにしても、出た瞬間に打ち込まれるな……」
彼は少し思案する仕草を見せた後に、こちらを見る。
「もう一度さっきの速さで突っ込んで、門を壊せるか? 若しくはこの壁を砕ければ―――」
「ええと……。今すぐは、ちょっとダメかもです」
ニーナはぽりぽり頬を掻きながら答えた。
マーシャルとの戦闘と、入口の門の破壊。この二回の力の解放で、大分身体に負担が掛かっている。それに伴う精神的な不安は、暴走も引き起こしかねない。
「隠し通路みたいなものは無いか?」
「そういったものは、聞いたことがありません」
リンドの質問に、ロゼは首を横に振った。
これで策は全て潰れた。……と言うことも無い。
「リンドさん、ちょっと待ちましょう。私もすぐに、また力出せるようになりますし」
「無理はしなくていい。―――と言える場面でも無いか」
恐らく自分への苛立ちのためか頭をがしがし掻く彼に、ニーナは言葉を継ぐ。
「私は大丈夫ですよ、全然! それにこうして待ってれば―――」
とその時、ぱきぱきと何か凍り付くような音がニーナの耳に届いた。
ここより手前側……入口の門の方だろう。ざわざわ言う兵士の声も聞こえる。
そして間も無く、よく通る女の声がした。
「道を空けなさい!」
その聞いたことがある声に、リンドがぴくりと反応する。
「どこの魔法人だ! 前王軍は既に休戦に応じているぞ!」
門の側からも声が上がる。
それにまた、女の声が返ってきた。
「私は……、私は! リンド・アルバートの隣に立つ者よ!」
「クリストンか! 魔法人一人で、何をしに来た!? アルバートはここにいないぞ!」
と門衛が嘘を告げる。
だが、彼女はそれに対して何も言わない。
「もう一度言うわ。道を空けなさい!」
「聞いているのか! ここにアルバートはいないと―――」
「……空ける気は、無いわね?」
どうも話が噛み合っていない。
そのことは、ニーナにざわと嫌な予感をさせた。
「やばっ……、リンドさん耳塞いで離れて!」
「は?」
「いいから早くっ!」
眉根を寄せるリンドに常ならぬ勢いで言いつつ、彼の身体をぐいぐい押してニーナも耳をぎゅっと塞いだ。
それでも、彼女の大声の詠唱は耳に届く。
「怒りの音!」
その次の瞬間―――。
ずうんと唸るような大きな低音が辺りに鳴り響いた。
そして、沈黙。
周囲は異様なまでに、静まり返った。恐らく多くの兵士が気を失ったのだろう。
それほどまでに凄まじい音の魔法。耳が良いニーナには、余計に効く。
「ちょっとフレアさん! それ行き成り使うのやめて下さいよっ!」
その前へ跳び出して文句を付けると、澄まし顔で立っていた彼女―――フレア・クリストンはこちらに気付いて驚いた様子を見せた。




