75.少女と魔法王
ようやく再会できた。
ニーナが感慨に浸りながらリンドに歩み寄ろうとすると、彼が声を上げた。
「来るぞ!」
「ん」
ちらと顔を向ければ、今正にマーシャルがこちらに向かって突っ込んでくるところだった。
素早く飛び込んできて振り下ろされる刃を、しかしニーナはひらりと身を翻して躱す。リンドに言われるまでも無く、気付いていた。
「今良いとこなんだから―――」
とニーナが声を上げる間も無く、マーシャルがさらに剣を振り薙ぐ。
それを今度はたんと軽やかに跳んで避けると、彼女はそのまま空中から相手を蹴り付ける。
流石に先の不意打ちのように撥ね飛ばすことはできないが、両腕でニーナの蹴りを受けたマーシャルは後方に飛ぶ。彼女が飛ばしたと言うより、彼が力に逆らわずに跳んだように見えた。
「今良いとこなんだから、邪魔しないで下さいよ!」
今度は言い切ってふんと息を吐くと、後退したマーシャルにぎろりと睨まれる。
「邪魔しているのはお前の方だ。茶番がしたいなら引っ込んでいろ」
「……それに関しては、あいつの方が正しいな」
後背からも、リンドの呆れ交じりの声が聞こえた。
それでニーナは「はーい」と大人しく非を認め、その手にナイフを構える。
「まァ、確かに私も長く持ちませんし。さっさと決着着けましょうかね」
「それに当たって、一つ訊きたいことがあるんだが」
「何でしょ―――、っと!」
遣り取りしている間に、マーシャルが突っ込んできてその剣を振るう。
ニーナはそれを避けると、即座にナイフで切り返してさらに蹴りを放つ。
速さではニーナの方が上回っている。力でも互角だろう。マーシャルは受けて後退するしかない。
「良いですよリンドさん、訊いて下さい。私戦いながら答えるので」
「ふざけるなッ!」
とそこへマーシャルがまた飛び込んで―――来ずに、今度は右手の人差し指で空を掻きその手をこちらに差し向けてくる。
「ニーナ避けろ!」
「うわっと―――!」
ニーナが横跳びした直後に、ごおとそこを青い炎が突っ切っていく。
その先にはリンドがいるが、無論彼には通じない。炎は瞬く間に消失する。
そこに今度はマーシャルが駆けてきてリンドを狙うが、ニーナが横から跳び蹴りして撥ね飛ばす。
リンドには触らせない。
「ニーナ、あいつはお前と同じか?」
「そですよ」
リンドの簡潔に過ぎる問いを即座に理解して、ニーナは答える。
「アレも私と同じ『魔人』です。中に魔法で獣を入れてる。あ、でも私の方が凄いやつですけどね!」
「分かった」
最後の茶化すような彼女の声に反応を返すこと無く、リンドは淡々と言う。
「それなら、何とかなる」
「何とか―――って!?」
再び剣を振るってきたマーシャルのその攻撃を躱して、再び蹴りを打ち込みながらニーナは問う。
だが、それに対する応答は無い。
「あいつの動きを止めてくれ。一瞬で良い」
言われその可否について思考を巡らせていると、その間にリンドが言葉を継ぐ。
「傷を負わせることは考えなくて良い。速さで翻弄しろ」
「それでどうするんです?」
訊いてみるが、言うことだけ言うと彼はもうマーシャルを真っ直ぐに見据えている。問いに対する答えは返ってこない。
「……仕様がないなァ」
ニーナはふっと笑みを漏らしながら、ナイフを構える。
そうしながら、二人で初めて請け負った依頼のことを思い出していた。
「勝てるって言うなら、やってやろうじゃないですか」
言って、ニーナは駆け出す。
同じく走り出そうとしたマーシャルに先んじて彼に突っ込んで行き、ナイフを薙ぐ。
逸らされても構わない。すぐに反転して、またナイフを振るう。
右に左に。上から下から。
素早く跳び回り、マーシャルが駆け出す勢いをつけさせない。
その様は、宛ら激しく吹き荒ぶ竜巻。
風の如く跳び回るニーナの耳に、リンドの声が聞こえる。
「俺は上手く躱してくれ。俺の方からはお前の動きを追えない」
「任せて下さい! 私はちゃんとリンドさんのこと―――」
「俺を嘗めるなァッ!」
とマーシャルが突然、剣を振り薙ぎ叫んだ。
その刃でナイフを逸らされるのは想定の範囲内だったが、わっと叫んだマーシャルの声にニーナの身体が一瞬固まる。
強引に劣等感を植え付けるような雄叫び。
それは正に、獅子のようだった。
他の動物たちを……ユニコーンでさえも、怯ませるような咆哮。
それに立ち向かえるのは、勇ましき者のみ。
リンドは、叫ぶマーシャルに向かって踏み込んでいた。
そして臆すること無く、その左手に握られた剣を振り抜く。
剣はマーシャルに、―――届かなかった。
がんと派手な音を立てて、リンドの剣が天に跳ね上げられる。
マーシャルの剣に弾かれてしまった。……とニーナは思った。
だが跳び出そうとしたところで彼女は、剣を掴んでいたはずのリンドの左手が跳ね上げられていないことに気付く。
つまり、剣は弾かせたということだ。
剣を早々に手放して彼の左手は、別の目的のために動いていたわけだ。
リンドはその左の掌で、剣を振り薙いだことで空いたマーシャルの胸辺りを突いていた。
とん、というマーシャルやニーナのような魔人の一撃に比べれば、あまりに弱い衝撃。
だがその一撃で、マーシャルの表情は歪んだ。
「ぐぅッ……!」
と唸るような声を上げながら、彼は苦しげに剣を振る。
しかし逸早く反応したニーナがそれを打ち返すと、剣は彼の手から簡単に落ちた。
「ニーナ、離れてろ」
リンドの指示で、ニーナはすぐにその場から離れる。
その胸の内が、ぞわぞわする。退魔の力だ。
「こ、の……!」
呻くように言葉を吐き出して、マーシャルはリンドの左腕を掴み踏ん張る。
だが、リンドの腕はびくともしない。
それどころか、踏ん張っていたマーシャルの方がどさとその場に伏してしまった。
リンドの力が急激に高まった。―――はずも無い。
マーシャルの力が失われたのだ。
勝敗は、決した。
その場に伏して立ち上がれないマーシャルは、忌々しげにリンドを見上げる。
恐らく急に力を失った過程で、力と身体の均衡が崩れたのだろう。身体の強化が一瞬先に解け、その身体に過度な力が掛かって壊れたのだ。
過度な力は、強化された肉体で無ければ扱えない。そして人の身である以上、身体の強化には限界がある。その限界を超えてしまえば、当然身体は壊れてしまう。
状況は違えど同様の危うさを感じたことがあるニーナには、よく分かる。
「―――俺を見下せて、満足か」
マーシャルの呻くようなその声に、リンドは肩を竦めて見せる。
「そういう趣味は無いからな。満足も何も無い」
「嘘を吐け!」
としかし、マーシャルが声を上げてそれを否定する。
「俺を踏み躙って屈辱を与えるために生かしたんだろォ!? 知ってるッ! お前みたいな上にいる人間の考え方は、よく知ってんだよッ……!」
「……確かに」
リンドが小さく呟くのが聞こえた。
そして彼は、マーシャルの傍でしゃがむ。
「いいか、俺がお前を殺さないのは誰も殺さないと決めているからだ。お前に屈辱を味わわせたかったからでも、お前に同情したからでも無い。思い上がるな」
「何ィ……!?」
「それと、王族は俺が知る限りお前の言う通りの連中だ」
とリンドはそう付け加える。
「―――だから、きっと俺はお前と同じだ」
「はァ……?」
眉根を寄せるマーシャルを余所に、リンドは立ち上がる。
そして別のことを口にした。
「一応訊いておくが、魔法の起源をお前は知っているか?」
「魔法の起源?」
何だそれはとばかりに訝しげな声を出すマーシャルを見て、リンドは悟ったように「そうか」と言う。
それから、ニーナを見た。
「行くぞ。まだ知りたいことを知れてない」
「はい!」
さっさとその場を後にするリンドを追って、ニーナも旧街道の上を歩き出す。
後背から「待て!」と聞こえてきたが、彼がその声に振り返ることは無かった。
「―――ところで、それどうしたんだ。片目は黒く戻ってるみたいだが……」
とリンドは、ニーナに声を向けてくる。
彼女の風貌のことを言っているのだろう。
腰ほどにまで伸びた純白の髪に、青紫の瞳。それに額の角。その姿は、彼と離れ離れになる以前のそれと明らかに異なっている。
彼女の変貌に、流石のリンドも驚いているようだった。
「スゴイでしょう。私の中にあるユニコーンの力を解放したらこうなりました! 力を抜くと片目だけ黒に戻ります! 髪もまた黒いの生えてくるんですけど、最近ずっと力を使う練習してたので真っ白なんです!」
ニーナはむんと胸を張りながら説明する。
対するリンドの方は、やや呆れた様子でこちらを見ていた。
「確かに凄いな……。そういう変化を誇らしげに語れるのは」
「あー。いや確かに、角は気持ち悪いんですよねぇ……」
彼女はとんとんと額の突起を人差し指で叩きながら話す。
「だから削れないかなァと思ったんですけど、止められちゃって」
「それはやめた方が良いだろうな。余計酷いことになりそうだ……」
そう言われて、ニーナはぺろっと舌を出して見せる。
それから、本心を口にした。
「―――ホントは、別に角なんてどうでも良いんですよ」
言って、リンドにそっと身を寄せる。
「ここに来るためなら、何だってしてやろうって思ってましたから。それでちゃんと来られたので、角くらい生えたって大成功です」
「またお前はそうやって無茶を……」
と彼が苦言を呈そうとして、その言葉を途中で切った。
そして、別のことを言った。
「でも、助かった。ありがとう」
ぽんと頭に置かれた彼の左手は温くて、ニーナの頬は知らず緩む。
その左手が今し方マーシャルの力を消し去った恐ろしい手と同じものとは思えなかった。
「そう言えば、左手の布はもう外したんですね」
言うと、リンドはこくりと頷く。
そしてその左の掌を見つめながら、口を開いた。
「もう隠すのはやめようと思ったんだ。お前にも言われたしな。何もしてないなら堂々としてろって」
「あぁ……」
まだ出会ったばかりの頃に叩き付けるように言ったその言葉は、自分への理不尽な仕打ちに対する八つ当たりのようなものだった。それを覚えられているのは、少々恥ずかしい。
「それにしてもスゴかったですね、さっきの退魔の力」
とニーナはすぐに話題を転換した。
「リンドさんも力を磨いてたんですね!」
「まあ、そうだな」
と対するリンドは、相変わらずの淡々とした調子で応える。
「退魔の力を一定の範囲に集中させる練習はした。さっきのアレに関しては、初めてやったが。『強引に境界を引く』って言うアリアの話を聞いてから、『魔人』と言ったか? それの中で同化した魔法の力を消せないかと思っていたんだ」
「ふうん……?」
ニーナは曖昧に言葉を返す。
よく分からないが、恐らくリンドはマーシャルの中に獅子がいることに勘付いていて、その対策を事前に考えていたようだ。
「要するにリンドさんと私がいれば最強ってことですね!」
「……俺の説明が悪かったんだな」
呟きながら、リンドは頭を掻く。
自分の説明不足に気付く辺り、彼も成長したようだ。……などと偉そうに思いながら、しかしニーナは彼が補足するより先に別の関心事について口にした。
「ところでリンドさん、前王軍? とも組んだって聞いたんですけどホントですか? リンドさんと私がいれば最強なんじゃないんですか?」
「それはお前が今言っただけだろ……」
リンドは呆れ交じりの息を吐く。
「それに、彼奴らとは組んだと言うより―――」
そう言いかけて、彼の言葉は途中で切れる。
その原因は、前方に見えてきた光景のようだった。
旧街道の外の土の上に転がっている、矢が刺さり手足を火傷した兵士たち。
旧街道の石の上に倒れている、踏み拉かれ泥と血で汚れた兵士たち。
動かない彼らが、全員死んでいるのかは分からない。だが、全員は生きていまい。
鉄の鎧を纏う者もいれば皮の鎧を纏う者もいて彼らの装備にはばらつきがあるが、共通していることもあった。
殆どが、朱色を基調とした装備を身に着けているのだ。
一部に紅色の鎧の者もいるが、それはつまり属する場所が違うと言うことなのだろう。
このどちらかが―――。
「殆ど、王城側の兵士だな」
リンドが断じた。
「数も少なかったし、当然だが」
「あぁ、じゃあリンドさんが組んだ方は勝ってるんですね」
何気無くそう言うと、彼は「そうだな」と返してきた。
「俺が彼奴らと組んだことで出した犠牲だ」
「え? いや、私そういうつもりで言ったんじゃ―――」
「分かってる」
とリンドは応える。
「ただ、自分に言い聞かせておきたいだけだ。綺麗事で済みはしないと」
「……」
リンドは、人を斬らない。
だが、彼が組んだ者たちは人を殺す。そしてそうして出た犠牲は、リンドも背負わねばならないと言うことだろうか。―――そうなのだろうか。
そんな風に背負っていては、いつかリンドは自分が殺したわけでも無い死体の山に押し潰されてしまうのではなかろうか。
ニーナとしては納得がいかずに口を尖らせていると、彼はもう先の話をしていた。
「道は開かれているが……、恐らく魔法王都にはすんなり入れないぞ」
「まァ、敵の本拠地ですもんね。前王軍がいてもそう簡単には―――」
「そうじゃない」
とリンドが返してくる。
「例え彼奴らが王座を奪還していたとしても、俺たちを通してはくれないだろうって話だ」
「え? だって、手を組んだんでしょう?」
「目的が果たされるまではな。彼奴らにしてみればマーシャルに俺をぶつけておいてその間に王座を取れれば、それで目的は果たされる」
無茶苦茶な話だ。
聞く限りでは、「協力」と言う感じで無い。
「……どうして協力したんですか?」
「別に協力したつもりは無い。端から俺は、マーシャルと決着を着けるつもりでいた。それに彼奴らが乗っかったと言うだけだ」
どうやら、前王軍との協力関係に期待は持てないようだ。
ニーナはふうと溜息吐きながら前方を見据える。
すると、彼女の目にはもう魔法王都が映った。




