72.偽英雄と魔法王
魔法王国へ踏み込んで、九日が経った。
リンドは平生よりややゆったりとした足並みで、魔法王都に向かっていた。
途中休息のために立ち寄った小さな村や町でいざこざは起きたが、最初に訪れた村に比べればいくらかマシではあった。
「―――ようやく近づいてきたな」
天高く昇った太陽の下リンドが歩みを進めていると、その背に声を掛けられる。
「お前がのろのろ進むから、どれだけ掛かるのかと思ったぞ」
「……必要があってやっていると言っただろ」
そう返しながら、リンドはちろっとその目を後背に向ける。
そこには、頭巾付きの外套を身に纏った十人程度の集団がいた。すぐ後ろにいるのがそれだけなのであって、実際にはもっと多くの人間が周辺の森に潜んでいるはずだ。
彼らの中心には、一人の若い娘がいる。
年は十五歳くらい。丸っこい眉と八重歯が特徴的で、両の側頭で長い金髪を結っている。
ここまでの村や町でのいざこざを収められたのは、彼女たちがいたためだった。
アルバートと共に現れた彼女の存在に人々は委縮し、リンドに武器を向ける者も無かった。
もっとも彼女らが無闇に武力を行使しないように監視する必要があったので、結局リンドの気が休まることは無かったのだが。
さて、件の娘は結われた金色の髪の毛先を弄りながら、口を尖らせていた。
「……敵地で一人で戦う者の話を聞いて、加勢しようと思う人間などいるものか」
「いる」
とそれにリンドは即座に言い返す。そして再び前を向いて歩みを進める。
するとその耳に、ぽしょりと呟かれる声が聞こえた。
「まあ、マーシャル・イージスの耳にも入るだろうから悪くは無いが……」
それから、念を押すように声を向けられた。
「しっかり役は果たしてくれ」
上から目線の物言いが板に付いてしまっているその娘の名は、ミネア・ソートリッジ。
魔法王国建国以来、代々魔法王の座に君臨し続けてきたソートリッジ家の人間だ。十年前にダート・アルバートが討った魔法王の娘でもある。
二年前の現魔法王マーシャル・イージスたちによる反乱で死に絶えたと思われていたそのソートリッジ唯一の生き残りである彼女がリンドを訪ねてきたのは、魔法王国に入ってすぐのこと。
村の宿を訪ねてきた彼女がリンドに持ち掛けてきたのは、「共闘」だった。
真っ先に飛び出してくるであろうマーシャルをリンドが迎え撃ち、その間にミネアたちが王城を攻め落とす。
王座へ辿り着けたなら、望みのものを遣る。ミネアはそう言った。
はっきり言って、怪しい。
だが、魔法王都に攻め込む前に敵を増やすのも得策でない。
人質も取られていた。リンドが取ったはずの人質だったのだが。
故にリンドは、その提案を受け入れたのだ。
「―――言われなくても、マーシャルとはしっかり決着を着けるつもりだ」
とリンドは歩を進めながら、彼女に言葉を返す。
「それで報酬も出るんだろ?」
「魔法の起源、だな?」
とミネアは返してくる。
「勿論だ。王座に届けば、教えてやろうぞ」
「……お前が途中で倒れなければ、良いんだが」
リンドが懸念を口にすると、彼女ははっと一笑に付す。
「そんな心配は要らない。我らはこの日のために武力を増強してきたのだ! ―――それに、」
と彼女はさらに言葉を付け加える。
「それに敵方にも、息を吹きかけてある。彼奴は私と事を構えることを恐れているのだ。故に場合によっては、一滴の血も流さずに私は王座に戻ることになるだろう」
「それなら、俺もマーシャルと戦わなくて済むかもな」
リンドは棒読みの台詞を吐く。普段と大して変わらないが。
しかしそれに、ミネアは「いいや」と否定の言葉を返してきた。
「恐らくアレは、誰も制御できていない。無血開城となったとしても、彼奴だけは刃向かってくるだろう。そのためのお前だ」
「……」
良いように使われたものだ。
リンドはふうと溜息を吐く。それから、―――その足をぴたと止めた。
「―――どうした?」
と後ろからミネアが問うてくる。
「怖気付いたか?」
「こんなところで怖気付くくらいなら、もっと早々に退散している」
彼女にそう返しながら、リンドは左手を剣の柄に添えた。
その仕草でミネアも理解したのか、傍に控える者たちに声を向ける。
「戦闘準備を整えろ」
「武器の構え及び魔法の詠唱準備は既に整えてございます、ミネア様」
と側近の男が返す。
側近として仕えているだけあって、既に気付いていたようだ。
彼の指示を迅速に伝達し準備を整える部下たちも、十分に鍛えられている。
ミネアが「武力を増強した」と言っていたのも、口だけのものでは無かったらしい。
「聖歌隊の詩も―――」
「詩は後だ」
と側近の男の声をミネアが遮った。
「それはもっと城門に近づいてから使う。ラークによく聞こえるようにな」
「承知致しました」
そんな遣り取りをリンドが小耳に挟んでいると、前方に人影が見える。―――と同時に、青い光が見えた。
炎だ。青い炎。
それは一直線にリンドに向かって飛んできた。
無論、その炎がリンドを焼くことは無い。
彼が抜剣しながら発動させた退魔の力によって、炎は瞬く間に消える。
しかしその僅かな間に、遠くの人影は一気に迫ってきた。
「速っ……!」
とミネアが声を漏らす間にその男は跳んできて、リンドに向かって左手に握る剣を振り下ろす。
確かに速い。リンドも同感だ。
同じ速さを持つ少女の存在を知らなければ、だが。
見慣れている分、リンドは冷静だった。
動きを追えないことは無い。即座に身を引いて刃を躱す。
相手の剣がどんと石敷の旧街道を叩いて割った。
「リンド・アルバート……。くたばり損なったか」
とその男は声を向けてくる。
リンドと同い年くらいで朱色の厚手の衣を纏った、背の低い黒髪の男。左の頬から目元付近にかけて刻まれた十字の焼印には、見覚えがある。
間違い無く、現魔法王のマーシャル・イージスだ。
「―――だがまァ、生きていて良かった。この間は魔女の邪魔が入ったからな。止めを刺せずに何処ぞで野垂れ死んだって言うんじゃ、腹の虫が収まらねェ……!」
そう口にする彼に対して、リンドは無言のまま剣を構えた。
何を言っても彼を止めることはできないだろうし、何を問うても彼は知らないだろう。
それにリンドにも、意地はある。
彼に打ち勝たずに、先に進むことはできない。
マーシャルと対峙していると、彼の後方から遅れて数十人の朱色の鎧を纏った兵隊がやってくる。規模からして、マーシャルにつけられた部隊なのだろう。
だが彼らがマーシャルの元へ駆けつける前に、リンドの後方から矢と魔法が放たれる。
「燃焼!」
と詠唱するミネアの部隊からの声に対して、「製鉄!」とマーシャルの部隊は壁を作って防御する。
それを見てミネアが「前進!」と叫んだ。その声で、彼女の傍の隊から空に向かって魔法の炎が撃たれる。すると周辺に散って潜んでいた一団が現れて、外套を脱ぎ捨て紅い鎧姿でざっざと前進を開始した。リンドはその数を把握していないが、数百はいるだろう。
「―――あの部隊も、我々が面倒見てやる。お前はマーシャルに集中するが良い」
「それはどうも」
同じく外套を脱いで紅いローブ姿を見せたミネアから恩着せがましく言われ、リンドは呆れ交じりにそう返す。
だがその声に反応を返さず、彼女は兵を引き連れ進んでいった。
「……ソートリッジと手を組んだのか」
ミネアたちを無視して、マーシャルはこちらに声を向けてくる。
「やはり腐り切った王族同士、気が合うんだな」
「そうでもない」
とリンドはそれに言葉を返す。
「握手も拒否されたし―――」
「だが、都合が良い」
リンドの言葉は、マーシャルの声によって遮られる。
どうやらこちらの話を聞く気は無いらしい。
「アルバートの次は、ソートリッジを殺れる。お前らを纏めてぶっ潰せるわけだ……!」
言うが早いか、マーシャルは一気に踏み込んできてその左手に握る剣を振るう。
しかしリンドもすぐ反応し、刃を左に持つ剣で受け流す。真面に受ければ確実に力負けしてしまう。
「お前も左利きだったのか? ―――気持ち悪ィ」
「その言葉、そのまま返す」
向かってくるマーシャルに、リンドは言い返してまた攻撃を受け流す。
リンドと同じくマーシャルも、左利きの相手と戦った経験が殆ど無いのだろう。故に目の当たりにする剣筋には「気持ち悪さ」がある。
「前は右に握っていたはずだ。手加減して俺に負けたってンなら、間抜けな話だなッ!」
剣を振り下ろしながらそう言うマーシャルに対して、リンドは何も応えずただ降ってくる刃を逸らす。
「そうだ」とも「違う」とも応えられなかった。
あの時も今と同じく本気でぶつかっていったことに間違いは無い。だが、退魔の力の暴発を恐れて利き手の左を使わなかったことは、それで勝てると思った驕りであり即ち「手加減」だったのではないだろうか。
何れにせよ、あの時のリンドが全てを出し切れていなかったのは確かだ。
だからこそ、今度は。
「―――今度こそ、全力を出す」
マーシャルの素早く高威力な攻撃を逸らし躱して、その僅かな隙にリンドは剣を振り抜く。
しかしそれは、届かない。マーシャルは後方へ跳んで、刃の軌道から身体を外す。
それと同時に、彼の目が細められた。
「―――お前、」
と何か言いかけたマーシャルは、ぎろとこちらを睨んでまた突っ込んでくる。
それを牽制するようにリンドが剣を薙ぐと、彼はそれを躱す。
躱すだけでは無かった。
彼はリンドの剣が届く範囲の外から、剣について行くように小さくだが素早く横へ動く。
そして振り抜かれて勢いが弱まったそれを、むんずと右手で掴んだ。
「この剣……、斬れねェだろ」
刃を掴んだマーシャルに言い当てられ、―――しかしリンドは動じなかった。
「何を言っている。よく見ろ」
「……?」
怪訝な顔のマーシャルが、直後顔を歪めて手を離す。
その手には、切り傷ができていた。斬れる側を掴んだ指の方だけが。
「片刃の剣か……」
「腕の良い鍛冶士に頼んで打ってもらったんだ。見た目には、区別つかないだろ」
リンドはその刃についたマーシャルの血を払うように剣を振る。
彼自身も使っている最中は柄の触り心地でしか判別がつかないのだ。慣らすのには、少々時間を要した。
刃で牽制し、無刃で打ちのめす。
それが今のリンドの戦い方だ。
だが目の前にいる男は、そんなことで動じてくれる相手でない。
距離をとって様子を窺っていたかに見えたマーシャルの右手が、いつの間にか赤く光を放っている。
リンドがそれに気付くのとほぼ同時に、彼はその右手をこちらに差し向けた。
「燃焼」
瞬間爆発的に燃え上がる青い炎。
勿論リンドは即座に退魔の力を使ってそれを消し去るが、一瞬視界を塞がれたことでマーシャルを見失った。
すぐに周囲を警戒する。だが、気配を感じない。
―――となると、上だ。
見上げるよりも先に、とにかく横へ跳ぶ。
直後に、マーシャルの振り下ろした剣が石敷の道を砕いた。
どんと粉塵が舞い上がり、またも視界が悪くなる。
正面からは来ないだろう。
左右から回ってくるか、また上から落ちてくるか。
―――違う。炎だ。
粉塵の中に赤い光を見つけると同時に、そこから青い炎が走ってくる。
それをまた退魔の力で消し去ると、そこへ一緒に石の砕片が飛ばされてきた。
僅かに目に入って、視力が利かなくなる。
「魔法のまやかしを消せる程度の退魔の力に浮かれて、現実のものを軽んじる。アルバートはそういう人間だ。だからこうして足を掬われる」
マーシャルの声は聞こえるが、姿は捉えられない。
しかしリンドは、慌てない。足をぴたと止める。息を潜める。
後方から、ざっと地を蹴る音がする。跳んでくる。
リンドは振り返りながら、剣を高く水平に薙ぐ。すると、ざざと地を踏み締める音がする。跳んで躱す音では無い。剣の軌道も敢えて高くした。―――それなら、相手は体勢を低くして避けたはず。
突きは外す可能性が高いので、マーシャルは恐らく剣を薙ぐだろう。一部位を狙って水平に払うか、広範囲に振り上げるか。どちらにせよ、剣を立てれば受けられるはず。
リンドは素早く剣を地面に向かって立てる。
がんと金属がぶつかる音がした。
強い衝撃で剣諸共リンドの身体が撥ね飛ぶ。
恐らく振り上げられた相手の剣を受け切れず、右の肩口に刃を掠めた。痛みはあるが、深い傷では無い。上手く凌いだ方だろう。
撥ね飛ばされた勢いで地を転げたが、リンドはすぐに体勢を立て直す。視力は戻ってきたが、悠長に回復を待つ時間は無い。
間違い無く、マーシャルは突っ込んでくる。
丁度その時遠方で小さな地を蹴る音がしたので、リンドはその左手をぐっと強く握って剣を勢いよく振り薙いだ。
直後、ずざっと勢いを殺す音が聞こえる。
ようやく戻った視界に捉えたのは、後方に跳び退いたマーシャルの姿だった。
「―――それも、退魔の力か」
「別に、何も変わってはいない」
とリンドは彼にそう返す。
「ただ周囲に撒き散らしていたものを、集中させられるようになっただけだ。―――お前にとっては、都合が悪いのかもしれないが」
言うと、相手はぎりと歯噛みする。
その反応を見るに、恐らくリンドの予想は当たっている。
お互い確証があるわけでは無いが、それが勝敗を決する鍵であるという認識は一致しているらしい。
「……斬られなければ、どうということは無い」
とマーシャルが、自身に言い聞かせるように言う。
気休め……では無く、それが正しい認識なのだろう。
リンドはその左手が握る武器を当てる必要があるということだ。
「力も速さも身の熟しも……、全て俺が上だ!」
マーシャルは叫び、再び向かってくる。
「俺はお前より、勝っているッ……!」
「だろうな」
飛んでくる刃を受け流しながら、リンドは呟く。
受ける衝撃と撥ねる粉塵とで、右肩がじんと痛む。
「……だが俺たちとお前なら、こっちが勝る」
「ソートリッジはお前を置き去りにしていっただろうが」
「あいつらは違う」
マーシャルの素早い攻撃を凌ぎながら、リンドは言葉を返す。
今反撃する隙は、無い。
しかし、その時は必ず訪れる。リンドはそれを信じている。
「―――ただソートリッジの連中によって、一人で飛び出してきたお前は孤立したな」
「俺は最初から、一人で戦うつもりだ!」
とマーシャルは剣を振り薙ぎ振り下ろしながら叫ぶ。
「『魔法王』なんて地位は関係無い。俺はずっと一人で戦ってきたんだ。これからも同じだ!」
「……それを聞いて安心した」
とリンドは呟くように言う。
猛攻を逸らし受け流し続ける状況の中にあっても、敗北することは考えられなかった。
「お前一人と俺たちとなら、俺たちに負けは無い」
「―――なら、思い知らせてやる」
マーシャルが不意に右手を差し向けてくる。
咄嗟に退魔の力を発動させようと剣を握る左手に力を入れるが、そこで彼の行動は見せかけだと気付く。彼は魔法を綴っていない。
だが退魔の力を使うことに気を取られたその僅かな間で、リンドはマーシャルの素早い剣捌きの処理に遅れる。
止む無く強力な一撃を受け止め、撥ね飛ばされる。
石敷の旧街道から外れて、土の上を転がりながらその勢いを止める。ずきりと肩口の傷がまた痛んだ。
すぐにマーシャルの動きに目を向けようと視線を巡らせたところで、視界の端にきらと光るものを捉えた。
遠方で光るそれが何なのか、頭では分からなかった。
だが心の中で、リンドはそれを信じる。
そちらに気を取られている内に、マーシャルが迫っていた。
その相手が着地した瞬間に、リンドは敢えて自分から剣をぶつけ押していく。
マーシャルはその行動に一瞬面食らったようだが、すぐに落ち着きを取り戻してリンドを睨む。
「……何のつもりだ。俺と力勝負しようってのか?」
しかしリンドは答えない。ただマーシャルの剣に自分の剣を押し付け、押し込もうとする。
それでマーシャルは腹を立てた様子で、その手に力を込めた。
リンドの身体は簡単に押し返され、後方へ飛ぶ。
そこへマーシャルが突っ込んで―――行けなかった。
突然、白い光が閃く。
猛烈な速さで飛んできた眩いそれは、マーシャルにぶつかって彼を派手に弾き飛ばした。
それを見て、リンドは目を瞬く。
「……ニーナ、なのか?」
純白の髪を振り乱して着地した少女は、彼の問いを聞いてくるりとこちらを向く。
そして、にっと見覚えのある不敵な笑みを浮かべた。
「はい、ニーナですよ! また会えましたね、リンドさん!」




