69.姫の現実
「お疲れ様」
その背に声を掛けると、ラークの疲れた顔がこちらを向く。
その目には隈もできており、やや窶れたように見えた。
「大丈夫? ちゃんと休めているの?」
「……ああ」
と言って、彼は眉間を押さえる。その様子を見るに、あまり休めてはいないようだ。
そこでサラは、提案する。
「もう少し仕事を他へ割り振れないの? 私にもできることがあれば―――」
「いや、いい」
と彼は全部を聞き終える前にそう返す。
「お前には無理だ」と続きそうな否定。
それでサラは、引き下がる他無くなってしまう。
確かに彼女には、戦う力も無ければ戦局を見戦略を論じる才も無い。
しかし何もしないでは、ただのお飾りになってしまう。それは嫌だった。
故に彼女は、再び口を開く。
「『議会』についての話を進められるように頑張るね。こっちからの呼びかけは続けてるし、その内きっと―――」
「まだ、時期じゃないだろうな」
としかし、ラークは呟いた。
「色々を片付けなきゃ、話はきっと進まない。前王軍との戦闘は避けられないし、純人王国に戻ったらしいアルバートもいずれ戻ってくる。それらに決着を着けなければ……。事に依ると研究者の町のクロノ・パーニャを呼び戻すことも―――」
「それは駄目っ!」
サラは彼の言を否定する。
「皆がマーシャルみたいになれるわけじゃない。その成功の裏で、沢山人が亡くなってるんだよ……!?」
「……分かってる」
とそれに対して、ラークが溜息交じりに言った。
「俺が言いたいのは、今がそういう人間の手でも借りたくなるような状況だってことだ。―――議会なんて、まだ早過ぎる」
その物言いに、サラは若干の怒りを覚える。
確かに厳しい状況だ。それは彼女も理解している。
だがだからと言って―――「早過ぎる」などと言って行動しなければ、拓ける道も拓けないとサラは思う。
もう二年だ。
ソートリッジに代わってマーシャルが王座に着いてから、もう二年が経過している。
それなのに「まだ」と歩みを止めてしまっていては、議会は決して成らないように思われた。
「……それじゃあ、変わらないよ」
とサラの思いは、言葉にも漏れ出ていた。
「変わらないんだったら……、あんなに血を流してまでソートリッジから王位を取り上げなくても良かったんじゃ―――」
「意味はあったッ!」
ラークの荒々しい声に、サラは弾かれたように顔を上げる。
するとそこに、苦しげな表情を浮かべる彼の姿があった。
「……意味は、あったんだ」
と彼は、語気を弱めて繰り返す。まるで、自分に言い聞かせるように。
それでサラは、自身の失言を後悔した。
あの酷い魔法人同士の闘争で最も苦しんだのは、彼に違いないのだ。
ラークは暗殺の危機が迫っていたソートリッジを、先んじて王位から追放することで守ろうとした。
だが王位の奪取には、その成功の「証」が必要だった。―――即ち、ソートリッジの首が。
そしてそのために彼は、その手で前王妃の首を落としたのだ。
結局、守れたのはその娘ミネア・ソートリッジ唯一人。
そしてその彼女も、王位を取り戻そうと戦いの中へ戻ろうとしている。
それでもラークは、あの戦いを「成功だ」と言うしかないのだ。
「失敗だ」などと、死した前王妃の前で言えるはずも無い。
「……ごめんなさい」
詫びると、彼は黙ったまま「気にするな」と言うように首を横に振った。
ただそれから暫く、二人は言葉を交わさなかった。
時々広間に現れる兵たちにそれぞれ応対し、昼になると合図することも無く順に休息を取った。
昼過ぎになっても、状況は変わらなかった。
「……」
流石にずっとこのままというわけにはいかないので、サラは長い黒髪を手でくしくし梳きながら話すきっかけを探してちらとラークの様子を窺った。
その彼の方はというと、別に腹を立てている様子は無かった。ただ、こちらに一瞥もくれない。
意地になっている……ということはラークの場合無いだろう。そうなると、やはりサラの言葉を気にしているのかもしれない。
先日のミネア・ソートリッジによる宣戦布告の直後も、彼は同じ顔をしていた。彼女を王座から解き放つことを目的として戦ったラークとしては、その成果を失ったも同然だったのだろう。
つまり、サラはその傷口に塩を塗ってしまったわけだ。
「ラーク、ごめんなさい私……」
とサラは、改めて謝罪の言葉を口にする。
「私ラークの気持ちも考えないで酷いことを―――」
「失礼します!」
しかし彼女の言葉は、謁見の間に駆け込んできた兵士の声によって遮られてしまった。
「どうした」
とラークが問うと、その兵士は慌てた様子で報告する。
「魔女です! 魔女が街に向かってきています!」
「魔女だと……!?」
ラークの表情に焦りが浮かぶ。
「クソっ、間が悪い……! こういうことがあるからマーシャルは王座にいた方が良かったんだ!」
そう悪態をつくがすぐに切り替え、彼は広間の出口へと駆け出した。
「俺が出る。サラはここで待機してくれ」
「う、うん……」
「門には今何人いる? 聖歌隊は―――」
サラの返事を余所に、ラークは兵士と言葉を交わしながら広間を出て行った。
ぽつんと一人残されたサラは、閉ざされた広間の入口の扉をぼうっと見る。
ここにいると静かだ。まるで、何も起きていないかのように。
―――どんな状況なのだろう。
サラはそれを確かめるために、王座の奥から謁見の間を出て二階へ上がる。
そして自室に入ると、そこの鎧戸を開け放して身を乗り出した。
この自室からは、丁度魔法王都の入口となる門を見下ろせる。距離はあるが、戦闘が起きているかどうかくらいは分かるだろう。
そう思った矢先にどどどと大きな爆発音が連続し、門から粉塵が上がる。魔女が門を攻撃したらしい。
続いて、またどんどんと大きな音がして門の前方からも土煙が上がる。門衛たちによる反撃だ。
暫くそうした魔法による攻撃の応酬が続いたが、徐々に門からの攻撃の方が多くなっていく。流石の魔女も、門に集う兵たちに一人で立ち向かっては分が悪いらしい。
やがて攻撃は、門からの一方的なものに変わった。
「……やりすぎじゃないかな」
思わず呟くが、相手は魔女だ。油断できないのだろう。
それでも、戦いの音はサラにとって嫌な音だ。
聞きたくなければ、聞かないでいることもできる。
だがここで耳を塞ぐのは、卑怯なことに思われた。
それでサラは、ただ争う音が止むのを待つ。
「どうして……、どうしてこんなに、戦わなきゃならないの……?」
「それぞれに正義があるからではなくて?」
不意に聞こえた答えに驚いて、サラはばっと辺りを見渡した。
すると視界の端―――街の門よりもっとずっと手前の王城を囲う石壁の上に、一人の女が立っている。
サラがそちらへ顔を向けた時、彼女はその右手をこちらへ差し向けていた。
「どいて頂戴」
静かな声音に背筋が凍るような感覚が走る。
サラが慌てて窓から身を離すのと同時に、鋭い刃が彼女の肩を掠めた。
「痛っ―――!」
刃はそのまま真っ直ぐに勢いよくサラの部屋の壁に突き刺さる。
その刃には、縄が括り付けられていた。
まずい、と尻餅ついていたサラが行動を起こす間は無い。
瞬間、びゅっと風が吹き荒れる。
そうして彼女が立ち上がった時、女はもう部屋の中にいた。
淡黄色の一繋ぎの衣に貫頭衣。腕に巻かれた若草色の布。
白く肌理の細かい肌。左半分だけが結われ右側が肩から胸にかけて流れ落ちている茶の髪。
垂れ目がちで瞳の大きな目と、左の目元の泣き黒子。綻んだ小さな口。
背筋がぴんと伸びた凛とした佇まい。
「―――まさか、窓を開けて出迎えてくれる方がいらっしゃるとは思わなかったわ。ありがとう」
にこりと微笑む彼女を前にして、しかしサラは戦慄を覚えた。
女神のように美しい彼女は、しかし死神であるように思えた。
「あ……あなたは、魔女アリア・クリストン、ですよね……?」
「ええ」
と女神……もとい魔女アリアは答える。
「門の所でラークたちと戦ってるはずじゃ……」
「もうそろそろ、私が岩陰に隠れたわけでは無いと分かってしまうでしょうね。―――あぁ、やっぱりラーク・ロイドが指揮を執っているのね」
サラの呟きに、アリアはそう反応した。
「今の魔法王国兵を率いているのは、彼なのでしょう? 近頃達者な指揮者ぶりを聞く機会があったから、気になって調べたのよ」
「ラークに、会いに来たのですか?」
問うと、アリアは首を横に振る。
「それは序での用よ。本題は別。―――だから、丁度良かったわ」
と言って、彼女はこちらに微笑みかけてくる。
「あなた、サラ・イージスさんでしょう?」
「え? どうして―――」
「ラーク・ロイドの名前を調べていたら、自然あなたの名前も浮かんだわ。魔法王マーシャル・イージスと共に、ソートリッジ王家から王位を奪取した三人の若人の一人……ってね」
その表現に、サラは思わずぐっと歯噛みする。
世間的な認識は、そうなのだろう。だが件の戦いをサラが望んだことは、一度も無かった。彼女はマーシャルやラークと繋がりが深かったために巻き込まれただけとも言える。
尤も、サラがその事変によって体制を変革できる可能性について考えなかったと言えば嘘になるが。
サラの思いを知ってか知らずか、アリアはその目を一瞬細める。
だがすぐに元の柔和な表情に戻って、問うてきた。
「質問しても良いかしら?」
「は、はい」
「あなたは『魔法の起源』について、何か知っている?」
その想定外の問いに、サラは思わず怪訝な声を漏らす。
「魔法の起源、ですか……?」
「ええ」
「ええと、それって―――」
と言いかけてから、サラははっとして口を閉ざす。
もしかすると、好機かもしれない。
「……それに答える代わりに、私の望みを聞いてくれますか?」
「望みって?」
とアリアが小首を傾げて見せる。
そんな彼女に、サラは提案した。
「私たちを、手伝って欲しいんです」
「……」
アリアは、何も言わない。
黙ったまま、視線だけで話の続きを促してくる。
「私たちは、新しい国の体制を作ろうと思っています。国に関する様々な事を王が独裁的に決めるのでは無くて、各地の代表者を集めた『議会』という場で皆で決めるんです。……ですが、今はまだ旧来の体制を支持する人も多くて―――」
「そういう人間を、私の力で黙らせて欲しいのかしら?」
「いえ、実際に武力を行使する必要は無いです!」
逆向きにまた首を傾げて見せるアリアに、サラは慌てて補足した。
「魔女が議会派を支持したと知れば、きっとこちらの支持に回ってくれる人も出てくると思うんです」
「ふうん……。それが、条件ね」
とアリアは呟く。そして若干の間を取った。
それから、彼女はサラが息を呑む前でにこりと笑んだ。
「それなら話は結構よ」
「―――え」
「お邪魔しました」
サラが固まっている間に、アリアはくるりと踵を返して窓の方へと向かう。
それでサラは、急いで声を上げた。
「ま、待って下さい! 私に答えられることはお答えしますから、だから……!」
呼び止め、それでアリアの足が止まったことを確認するとサラは言葉を継ぐ。
「魔法は、嘗てこの地に降臨された竜神様が齎されたものと言われています。竜神様はあなた方クリストンと前魔法王家ソートリッジの先祖の方を選ばれて、力を授けられたそうです。力を得たお二方はそれを使う方法を『魔法書』として記し、後の人々に伝えていったと―――」
「それだけだと呪文は伝わるけれど、魔法を使う力は伝わらないわ」
とアリアが右の掌をこちらに差し向けながら、疑問を投げかけてくる。
「魔法印は、どうやって広まったのかしら?」
「それは……。魔法を使う力は血によって受け継がれていますから、一説によれば魔法人は皆ソートリッジかクリストンに縁ある者だとか―――」
「クリストンの一族は純人側についたのだから、その理屈だと今魔法王国にいる人々は皆王家の血筋ということになってしまうわ」
アリアの指摘に、サラは「そうですね……」と言葉を失う。
それを見て、アリアはふうと短い息を吐き出した。
「識者サラ・イージスでも、その程度か。―――やっぱり、リンドたちに任せた方が良いわね」
「あっ……、お待ち下さい!」
背を向けるアリアに、サラは食い下がる。
「この王城には、多くの書物があります。その中にもしかしたら……。ですから、」
「―――あなた、識者の割に交渉が下手ね!」
言葉を重ねるサラを肩越しに振り返って、アリアは吹き出しながら言った。
「それでよく『武力無しで議会を立ち上げよう』なんて言えたわね……!」
「確かに下手かもしれません。上手くお伝えできていないことは申し訳無いです……」
くっくと笑むアリアに、サラは必至で訴えかける。
「でも、議会の構想は私一人で考えたものでは無いんです! これまで多くの識者が議論を重ねて―――」
「あぁ、いえ……思い付きの構想で無いことはちゃんと伝わっているわ。安心して」
と言いながらアリアは笑いを収め、そして静かに言葉を続けた。
「分かった上で、拒否しているのよ」
「そんな、どうして……?」
はっきりと突き付けられた拒絶に、サラは肩を落とす。
そんな彼女の方へ向き直ると、アリアは語った。
「私もね、考えていることがあるのよ。全ての人々を平等にする方法について」
「そ……そうです! 私も同じです! 皆を平等にするために、私は議会を―――」
「『神様』を作れば良いのよ」
「……えっ?」
アリアの言葉に、サラは思わず間の抜けた声を漏らした。
しかしアリアは気にする様子も無く、説く。
「絶対的な存在を作って、人々をそれに従わせる。人同士の優劣は認めない。―――そしてその絶対的な存在に、私がなるの」
「……」
彼女の言っていることが呑み込めず、サラは茫然と彼女を見る。
そこへ、ばんと部屋の戸が開かれる大きな音が鳴り響いた。
「サラっ!」
「……ラーク」
ラークとサラの目が合ったのは、ほんの一瞬。
扉を打ち破る勢いで開いた彼は、すぐにアリアの姿を見つけて既に準備されていた魔法を放った。
「燃焼ッ!」
サラの眼前で燃え上がった炎は、アリアの身体を包み―――。
「……どういうことだ」
ラークは胸を押さえ、身体を支えるようにして壁に手をつく。
サラもまた、ぺたんとその場に膝を突いてしまった。
呼吸が、乱れる。
そんな彼女らを見つめるアリアは、火傷の一つも負っていなかった。
当然だ。炎は消えてしまったのだから。
「何故だ……!」
とラークが苦しげに声を出す。
「何故貴様が、その力を持っている……!?」
アリアが掲げる左手。
その掌には、見紛うはずも無い黒い龍の印があった。
退魔の力の所有者を示す証が。
「ごめんなさいね。一度失敗したから、私はもう準備を怠らないわ」
アリアは微笑を浮かべながら、そう話す。
それから、はたと何か思い出した様子で言葉を継いだ。
「そうだ、リンドたちから預かった伝言を伝えておくわ」
「リンド・アルバートから……?」
眉根を寄せるサラを余所に、アリアはそれを告げる。
「『俺は無事だ』。『必ず行くから』って……そう言っていたわ」
「無事だと……、馬鹿な! 重傷を負ったはずだ!」
ぎりと歯噛みするラークを見て、アリアはふふと可笑しそうに笑った。
そしてくるりと身を反転させると、窓に手を掛ける。
「では、さようなら。有能な剣士様と、哀れなお姫様」
「待てっ……!」
とラークが駆け出そうとするが、その足元が瞬時に凍り付く。
彼を足止めしたアリアは、悠々と窓から王城の外へ跳んだ。同時に、激しく風が吹き荒れる。
一跳びで彼女の身は軽やかに高い石壁の上へと舞い、さらにもう一跳びで壁の向こうへと消えていった。
「―――クソッ!」
ラークが部屋の壁を拳でがんと叩く。
それから頭痛を抑えるように頭に手を当てて、はあと息を吐き出した。
「リンド・アルバートがもう動ける状態なら、最悪前王軍との戦いの最中に攻められかねない……!」
呻くようにそう漏らす彼の背を見上げながら、サラは未だ立ち上がれずにいた。
哀れなお姫様。
魔女の言葉が、耳にこびり付いて離れない。
「私……、私は……!」
膝を抱えて、サラはぐっと唇を噛む。
哀れなお姫様。
―――哀れなお姫様なんて、嫌だ。
大きな戦いが迫る王城の一室の景色は歪んで見え、そこに漂う空気は塩辛く鉄の臭いがした。




