68.姫の理想
(キャラクターイラスト制作:たたた たた様)
少しばかり、時を遡る。
サラ・イージスがマーシャルと出会ったのは、今からおよそ十年前のこと。あの凄惨なダート・アルバート及び彼が率いる兵団との戦いの直後だった。
当時マーシャルは七歳、サラは十歳だった。その時にはまだ、彼と彼女がその後魔法王とその側近になることなど誰も予期していなかっただろう。
東の境界の街で少女サラが少年マーシャルを見つけたのは偶然のことで、彼を救おうと行動したことに裏は無かった。
マーシャルは、過去最悪のアルバート―――即ちダート・アルバートとの戦いで両親を失っていた。彼の両親は、境界の街で最前線に立って戦うことを余儀無くされた最下階級の魔法人だったのだ。
対してサラは、魔法王を知で支える識者の娘だった。戦いの際には戦場となった魔法王都の王城からその外へ両親と共に避難させられて難を逃れており、戦いの後すぐに状況を確認するため各地へ赴く両親について境界の街までやってきていたのだ。
被害は甚大だった。ダート・アルバートと彼の兵団が通った道周辺の家々は軒並み略奪に遭い、そこに居た人々も女子供問わず殺された。
そんな中でも、運良く逃げ延びたりたまたま家にいなかったりして生き残った者が何人かいた。マーシャルもその一人だ。
何故生き残った者の中で唯一人マーシャルの姿がサラの目に留まったのかと言えば、彼の目にめらめらと燃える炎が宿っていたからだ。
他の多くの者たちは戦いで何かを失って絶望し、その目から光が失われていた。だがマーシャルの目には、まだ苦難と闘う強い意志が映されていたのだ。
しかも、彼の左の頬には十字の焼印があった。それは低位の者が高位の者に逆らった時に付けられる「罪人」の烙印だ。そんなものを顔面に受けてなお、彼は折れていなかったのだ。
サラは、彼に宿るその火を消してはいけないと直感した。故に、彼に声を掛けた。
「大丈夫? 私が守ってあげるから、こっちに―――」
手を差し伸べ言い終える前に、マーシャルは襲い掛かってきた。
体当たりされて引っ繰り返り、馬乗りにされて首を絞められた。その手の力は弱かったが、それでもサラに十分な呼吸をさせないようにするには十分だった。
両親がすぐ止めに入ったが、それよりも早くそれでもサラは口にした。
「私を……、利用して、良いから……」
切れ切れに吐き出したその言葉で、マーシャルの手は緩んだ。
それからサラは両親に必死で訴え、彼を家に迎え入れた。
斯くして、彼はマーシャル・イージスとなった。
魔法王都にあるイージス邸にやってきたマーシャルは、荷物を全く持っていなかった。
金も無く、字も知らず、当然魔法書の写しなども一枚も所持していなかった。
ただ彼にも、使える魔法はあった。失ってしまったものの「燃焼」の魔法書の写しに触れたことがあったらしい。故にそれだけは使うことができた。
彼が生み出す炎は、青かった。恐らく書の写しが正しくなかったのだろう。通常であれば誤りがある書から魔法を得ることはできないはずだが、結果として彼は特別な力を手にしていたのだ。
イージス邸に来てからマーシャルは、常に己を鍛えていた。
手にした剣を振るい、青い炎を繰って目の前に存在しない敵と戦っていた。
その彼の「敵」について、サラが誤解していたことがある。彼の敵は両親を殺めたアルバートだと思っていたのだが、彼の怒りは魔法王家にも向いていたのだ。
そのことを知った時、サラは共感を覚えた。
魔法人たちを率いて魔法王国を築いた嘗ての英雄の一族ソートリッジは、長くその座に着き続けたことで視野を狭めてしまった。―――と、サラは考えていた。
純人に迫害された歴史を思えば、現在魔法王国の中で起きてしまっている絶対的な格差を見過ごせるはずが無いのだ。だが昨今のソートリッジ王家は自分たちの王位を守ることばかり考えているようで、結果ソートリッジを頂点とする凝り固まった階級制度が成ってしまった。
ソートリッジが力―――即ち魔法原書を有し、その傍に仕える者たちが書の写しを溜め込む。ソートリッジから離れれば得られる魔法は限られ、生じた力関係が主と従とを決定付けていた。魔法王国では使える魔法で就ける職の選択の幅も決まるので、富の配分も偏ってしまう。
イージス家ではこの点について常々ソートリッジ王家に提起していたが、王家に近い立場の中で階級問題に取り組もうとする人間は少数だ。王を動かすほどの圧力にはならない状況だった。
そんな背景もあって、サラはマーシャルの反感には共感していた。
そのための武を鍛える……と言うとやや物騒だが、書を読み知を得るのが不得手な彼にとって戦う術を磨くことは兵として職を得ることに繋がるはずだ。
しかしイージス家は識者の一族であり、サラも戦闘に関してはからきしだ。武ということならば、イージス家と親交の深いロイド家が王を守る剣として活躍していた。
マーシャルの意志に応えるのであれば、彼はロイド家にいた方が良かったかもしれない。だがロイド家は、ダート・アルバートとの戦いで当主を失っていた。そしてその息子ラーク・ロイドはサラと同じ十歳であり、そんな状況でマーシャルを引き取る余裕など有りはしない。
故にサラにできるのは、家に幼馴染であるラークを招いてマーシャルの相手をしてもらうことくらいだった。
一方で、サラ自身が武を磨くことは無かった。
身熟しの鈍い彼女が鍛えたところで大して強くなれない……ということもあったが、それとは別に彼女には「武力で事を解決しない」という理想があった。
イージス家では、王制に代わる体制として「議会」を提唱していた。町の大小に関わらず国の各地から代表者を集めて、その代表者の多数意見によって国の諸問題を解決していくやり方だ。
イージスの一人娘たるサラもこの考え方に共感しており、またその体制の実現も魔法王との対話によって成したいと考えていた。
しかし、情勢はサラの望まぬ形で動き始めた。
ダート・アルバートによってソートリッジ王家の人間は多くが死に、王位も止む無くまだ幼い前王の娘が継ぎ王妃が実質的な意思決定を行う形となった。ソートリッジの王制を支持する側近にも多くの死者が出る事態となったことから、王家を良く思わない人間が裏で動き出したのだ。「裏で」と言ってもその動きはサラでも感じ取れるほどだったので、意図的に仄めかして王家に圧力を掛けていたのだろう。
「―――王位を、取ってしまった方が良いかもしれない」
ラークがそう言ったのは、三年前のことだった。
前王と王妃やその娘とも親交が深かったラークが苦しげに吐いた言葉だったので、サラはよく覚えている。昼下がりのイージス邸の中庭で、彼がマーシャルに稽古を付けていた時のことだ。
十七歳になった彼もまた、ソートリッジに危機が迫っていることをはっきりと感じ取っていたのだろう。イージス家のような「議会派」だけでなく、単純に自分らが魔法王になろうと目論む者たちもいたはずだ。
しかし一方でソートリッジの王制を支持する側近たちからは王位に留まることを求められ、ソートリッジは身動きが取れない。
故にラークは、他が動く前に先んじてソートリッジから王位を取り上げて差し上げようと考えたわけだ。
ラークの話を聞いて……というわけでも無いのかもしれないが、マーシャルはある噂の真偽を確かめるために行動を起こした。
魔法王都を追われたある魔法研究者が、人体強化の魔法を完成させた。―――そういう噂だ。
マーシャルにとっては、さらに強くなれる可能性を見つけたと思ったのだろう。サラが止める間も無く、彼はイージス邸から姿を消した。そして次に再び姿を見せた時には、異常な怪力を持つ存在に変貌していた。
彼の無力だったが故の力に対する貪欲さは、恐ろしいほどだった。
マーシャルは手にした力で、イージス家に戻ってくるまでの道中既にいくつかの町の権力者を打ちのめしていた。そしてそのことにより、下流階級の人々から支持を集め始めていた。
そうした状況を知ったラークは彼を王位簒奪計画実行の中心に据え、それで計画の準備が整った。
サラの目の前で、事態は大きく展開してしまったのだ。
そしてその一年後……つまり今から二年前に、マーシャルは魔法王となった。
*
魔法王都の中心に聳える王城。
その石城にある自室の開け放した鎧戸の外から朝の冷たい空気が吹き込んで、サラの頬を撫でた。
それで彼女ははっと我に返って、ふわりと靡く長い黒髪を乱れないように押さえつける。
すると頭の銀の髪飾りに触れてしまい、思わずその手を引いてしまった。
代わりに窓から離れると、今度はその耳朶に着けられた小さな装飾具が揺れる。
それでサラは、ふうと小さな口から溜息を吐き出してしまった。
身に纏う朱色の簡素で丈が長い一繋ぎの衣も含めて、彼女を飾るものは美しい。
だが本来サラは、装飾具を着けることを好まない。
それに身に着けている装飾具は、王家のものなのだ。サラが着けるには、あまりに重い。
しかしそれでも、外すわけにはいかない。
現魔法王マーシャル・イージスに最も近しい存在は、サラなのだから。
彼女はマーシャルの王妃となる人間が現れるまで、それに近い存在として新王の体制の盤石さを世に示す役を担っていた。
もしも相手が見つからなければ、彼女がそのまま王妃になることもあり得る。
「……マーシャルが、私の旦那様かぁ」
サラはベッドにへたっと腰を落として、一人呟く。
十年前に初めて出会った時から、ずっと怒りの炎を瞳に宿している男だ。
己を鍛え戦うこと以外は何もしないできないで、サラが面倒見てきた弟分なのだ。異性としての認識はやや薄い。
それにマーシャルの目はずっと彼の敵を見ていて、一度でもサラに向けられたことは無かったように思われた。
「私のこと、どう思ってるんだろ……?」
恋だ愛だ言う以前に、マーシャルがサラに対して何か思っているのかどうかすら怪しい。
そんな状態で、夫婦になどなれるのだろうか。
それにサラ個人の問題として、王妃として生きていくことなどできるのだろうか。
彼女は再び、長い溜息を吐いてしまった。
それを自覚し頭を振って気を取り直すと、サラは部屋の鎧戸を閉めてから自室を出た。
王城二階の最奥の廊下を進み、階下へ下りてまた廊下を歩む。その先に、謁見の間へと続く扉があった。
「―――いい加減にしろ!」
扉を開こうとしたところで、中から大声がした。思わずサラはびくりと肩を弾ませる。
ラークの声だ。
普段それほど声を荒げない彼だが、故に怒声を吐く場合というのは限られている。
今回もその例に漏れないだろうと思いながらサラが扉を開くと、やはりその通りだった。
謁見の間の王座横に立つ長身で茶の長髪の男ラーク・ロイド。
彼の視線は、広間の入口の方へ向けられている。
そしてそこには、ラークとは対照的に背の低い黒の短髪の男マーシャルがいた。本来王座に掛けているべき現魔法王が。
「王座に座っているのもお前の仕事だ! いつも空席では下につく者たちの不信を招くだろうが!」
「……うるせェな」
言い募るラークに対して、マーシャルは辟易した様子で言葉を返す。
「俺はアルバートを潰しに行くんだ。魔女もな。それも仕事だろ」
「相手の居場所も分からない状況であちこちほっつき歩くなと言ってるんだ!」
続くラークの説教に、マーシャルの目付きが鋭くなった。
「どこ行ったってクソみてェな権力者共はいるんだ。序でに潰してきてやるよ……!」
「闇雲に潰したって切りが無いんだ! 寧ろ小物に釣られて城を空ける方が危うい―――」
「それを守るのはお前の役だろッ!」
言い放ち、マーシャルは広間の入口の扉を開け放つ。
「待て、マーシャル―――」
「俺は王になりたかったんじゃない。上にのさばってる連中を叩き落としたかったんだ」
去り際にそう言い残して、マーシャルは謁見の間を飛び出していった。
「……」
残されたラークは、はあと大きな溜息を吐く。
そこへ、広間の入口に控えていた兵が寄ってくる。
「お止めしますか?」
「いや、止めるのは無理だ。下手をすれば怪我人が出かねない」
とラークは頭をがしがし掻きながら言う。この頃は精神的な余裕が無いのか、元々綺麗に整えられていた茶の長髪がぼさぼさと乱れてしまっていた。
「悪いが直属の部隊だけは必ずついて行くようにしてくれ。あいつにも伝えてあるが、一人で出て行きかねない」
「承知しました」
ラークの指示に兵はすぐ応じて、広間を出ていった。
それを見送りながら、ラークはまた苛立たしげに頭を掻く。
魔法王国に新たな時代が訪れて、早二年。
彼らと彼女が目指す理想は、まだ遠い。
■登場人物(キャラクターデザイン:たたた たた様)
【サラ・イージス】
魔法王を知で支えてきた識者の家の一人娘。二十歳。王に近い者だけが優遇される現在の体制を改革し、「議会」を立ち上げることを訴えている。ただし武力を用いて改革を押し進めることには否定的。
【マーシャル・イージス】
ダート・アルバートとの戦いで両親を失った現魔法王。十七歳。サラに拾われイージス家の人間となった。両親を殺めたアルバートだけでなく、そうした立場に自分たちを追いやった旧王家ソートリッジにも憎しみを抱いた。誤った魔法書の写しから魔法を会得したことで奇跡的に青い炎を使え、魔法研究者クロノの強化魔法で魔人化もしている。
【ラーク・ロイド】
王を武で支えてきた剣士の家の一人息子。二十歳。旧王家ソートリッジの人々とも親交があり、ダート・アルバートとの戦争後に残された王妃とその娘を守るために革命を起こした。




