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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第4章 境界の街に架かる大橋を渡って
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67.魔女と少女と聖女が選ぶ道

 ユニコーンの注意を引き付けているもの―――、それは音だった。

 ひゅーい、或いはふぃーんとやや間延びしたその音は、鳥の(さえず)りのようにも聞こえる。

 そんな音がフレアから……フレアが口に(くわ)えているものから鳴っていた。


 氷によって形成されたそれは、笛のように見える。

 ざっくりとした形を魔法で作った後に、急いで穴の空き具合を手で調整したのだろう。笛もそれを持つ彼女の手も血に濡れていた。


 笛が奏でる不格好で不安定な音に、確かにユニコーンは動きを止めている。

 だが、音がその中(・・・)にまで響いているのかは分からなかった。


 もしも内まで届いていないのならば、ユニコーンが再び動いた時にフレアは死ぬだろう。

 リンドの仲間を二人共目の前で死なせたとなれば、アリアにとって屈辱的な失敗だ。

 故にアリアは、緊張の糸を張り詰めさせる。


 (まばた)きすら躊躇(ためら)われる空間の中で、遂にユニコーンが動く。

 頭を上げ身体を反らしたかと思うと、突然頭を振り下ろして地面に打ち付ける。

 どんと音が立ち、地が揺れた。


 舞い上がる粉塵の中で、ユニコーンはゆらりとその中から踏み出してくる。

 踏み出してきた。


「アリアっ!」


 とフレアから声が上がった。

 見れば、彼女もまたこちらをがんと見据えている。

 アリアの行動を制したいらしい。


「私に賭けたなら、最後まで預けて」


 そう言って彼女は、アリアの答えを待たずに視線を前方に戻した。そして笛をもう一吹きする。

 ふぃーん。

 ひゅーい。

 音程も安定しないその音は風変わりだが、それ以上のものをアリアは感じない。


 だが、先のフレアの声には常ならぬ自信が込められていた。

 そうで無ければ或いは、覚悟だったかもしれない。


 前者であれば奇跡を、後者であれば破滅を、アリアは目にすることになるだろう。

 ―――さて、どうすべきか。


 しかし熟慮している間は無かった。


「ニーナ」


 とフレアが呼び掛けるのと同時に、ユニコーンが地を蹴る。

 アリアは即座にその右手を振り上げ、―――そこで思考を止めた。


 頭に浮かんだのは、先のフレアの姿。

 彼女のあの真剣な眼差しが、アリアの行動を止めた。


 そしてその本の一瞬の間に、ユニコーンはフレアの元まで到達する。

 一直線に駆けたユニコーンは、頭から彼女に突っ込んだ。


 だが、フレアの身体は撥ね飛ばされなかった。

 その身に風穴が開くことも、無かった。


 無論、フレアにユニコーンを受け止めるだけの力は無い。

 つまり、―――彼女に突進していったのはユニコーンでなかった。

 ニーナだったのだ。


「……無茶ですよ。私が抑え込めて無かったら、あなた死んでますよ」


 言いながら、ニーナは頭からフレアに寄り掛かる。

 身体に過度な負担を掛けた反動が、今現れたようだった。


「大丈夫よ。あんたの憎たらしい顔が戻ったのは、分かってたから」


 その胸に顔を埋めるニーナの頭を、フレアはそっと撫でる。


「でも、あんまり頭擦りつけないで。角当たって痛い……」

「角?」


 とニーナが小首を傾げる。

 そしてぺたぺた自分の頭を触ってみてから、「あっ」と声を上げた。


「何コレ、気持ち悪」

「自分で言っちゃうのね……」

「だって変でしょコレ。何かで削れないかなァ……」


 きょろきょろと辺りを見回すニーナを、慌ててフレアが「やめなさい!」と止める。


「―――他何か変わってます?」


 と不意に、ニーナの目がアリアの方を向いた。

 その彼女に、アリアはいつもの微笑みを浮かべて答える。


「真っ白な長い髪と青紫の瞳……あら、目は片方だけ戻っているわね」

「あァ、髪は前もそうでした」


 とニーナは髪を手で()きながら言う。

 前、と言うのは彼女が魔人になった時のことだろう。

 奴隷としてここへ売られ、力を欲して実験に協力した……その時の話なのだろう。


「目はどうだったかな。確かに今はちょっと左目が眩しい気がします」

「日中はもっと眩しさを感じるでしょうね。少し慣らす必要があるかもしれないわ」


 左の目元に触れるニーナに、アリアはそう伝える。

 それから、その目をフレアの方へと向けた。


「―――それにしても、あんな(いびつ)な笛の音で解決するとはね」

「いやァ、(うるさ)いから目が覚めちゃいましたよ」

「ホントにそうだったら、私の努力台無しなんだけど……」


 からっと笑うニーナに、フレアがじとっと視線を向ける。


「あんたの中の……、ユニコーンの音にできるだけ近づけたつもりよ?」

「『ユニコーンの音』だと?」


 とそこへクロノが寄ってくる。


「何だそれは……?」

「分かりません。ユニコーンの鳴き声だと私は思いましたけど。あなたの方が詳しいんじゃないですか?」


 フレアはちろっと睨むように彼を見返す。

 そしてさらに言葉を継いだ。


「それより! あなたには一番に向かうべき場所があるでしょう!?」


 そう言って彼女が指差す先には、バスクがいる。

 瓦礫の上に倒れたままでその目は(うつ)ろげに開かれているが、胸はゆっくりと上下しており死んではいないようだった。


「……全く歯が立たなかった」


 クロノとアリアたちが歩み寄ると、バスクは仰向いたまま呻くように呟いた。意識もあるらしい。


「当たり前だ」


 とそれにクロノが言葉を返す。


「ユニコーンは格が違う」

「―――なら俺は、最強にはなれないのか」


 バスクはまた呟く。


「最高傑作には、なれないのか。―――畜生」


 表情は分かりにくいが、その言葉からは強い悔しさが感じられた。


 対してニーナが何事か言おうとするが、アリアはそれを止める。

 彼女が何を言っても、それはバスクの救いにならない。

 もちろん、アリアやフレアが言っても同じことだ。


 彼を救えるのは、この世界に唯一人だけ。


 そのたった一人の男は、がしがしと頭を掻いて溜息を吐いた。

 それから、その口を開く。


「最高傑作は、ニーナだ。その事実は変わらない」

「ちょっと、あなた()い加減に―――!」


 文句をつけようとするフレアを、アリアは手で制した。そして彼の言葉の続きを聞くように促す。

 果たして、彼は言葉を継いだ。


「……ただニーナやマーシャルの成功は、お前の成功があったからこそ成し得たことだ。だから、お前は最も重要な―――」


 とそこまで言ってから、彼は首を横に振る。

 そして言い直した。


「……違うな。それより何より、お前は私の息子だ。救えなかった(あいつ)の子供だ。だから比較するまでもなく、大事なものだった。……そのお前が、あの日あいつの代わりに実験を受けると言ってくれて―――」


 とそこでクロノはその場に腰を下ろすと、バスクに向かって頭を下げた。


(あいつ)の代わりに、救われてくれて有難う」

「……」


 相変わらず淡々とした彼の言葉に、バスクがぐっと歯を食い縛る。

 それはまるで、涙を堪えているように見えた。


 *


 夜の闇に包まれている町は、再び死んだように静まり返った。


 アリアたちはクロノの家の実験用の部屋を借り、そこで三人壁際に座り込んで身体を休めていた。

 幸いにして、家はあの激しい戦いによる倒壊を(まぬか)れていた。瓦礫の破片を受けて元より損壊箇所がやや増えてはいるものの、補修は可能な状態だ。

 実験用の部屋には元々壁に穴が空いていたが、今はアリアが石の魔法で塞いだため吹き込む冷たい風も大分少なくなっていた。


 アリアはするりと貫頭衣を脱ぐと、露わになった左の上腕の傷に魔法で生成した布を巻き付ける。

 続いて長いスカートの側面を締めている紐を解いて右脚を出すと、そこの傷にも布を巻いた。


「それ何です?」

「クリストンのお守りよ」


 首から下げた小さな布の袋についてニーナに問われ、アリアはそう答える。


「クリストンにそんなもの無いでしょ」


 と指摘してくるフレアには、「私が勝手にそう呼んでいるだけだからね」と肩を竦めて見せた。

 それでこの話は終わりだ。


 声を掛けてきた二人の処置は、既に済んでいる。―――と言っても、行った処置はフレアの手先の凍傷に布を巻き付けたくらいだ。ニーナの外傷はもう全て治っている。あとは内の筋肉や骨の損傷だろうが、それに関してアリアが施せる処置は無い。恐らく手を出す必要も無いだろう。


 クロノとバスクは、怪我は自分たちで何とかすると言って隣の部屋に引っ込んでしまった。アリアとしては手間が減って助かったが。魔力も大分消耗してしまったので、十分な食事をとって回復したいところだ。


 そんなことを考えながら、アリアは次に破れてしまった服の補修に取り掛かる。

 フレアに尋ねてみれば、彼女はしっかり針と糸を持っていた。それを借りて、まずは貫頭衣に空いた穴を塞ぎにかかる。

 針穴に糸を通して―――、通らない。(しばら)く格闘し(ようや)く糸が通ると、次に衣の穴の(ふち)に針を突き刺す。すると思いの(ほか)離れた所に刺さってしまったので、抜いてもう一度刺し直す。もう一度。もう一度。

 ようやく狙った場所に刺さったので、次に穴の向かいに適当な場所を定めて―――。


「……ねえ、」

「何かしら?」


 隣からフレアの声がして、アリアは顔を向けずに問い返す。

 すると困惑半分呆れ半分な声が返ってきた。


「アリアって、もしかして不器用?」


 問われて、アリアはふむと(あご)に手をやる。

 それから、肩を竦めて見せた。


「あまり手先を使うことが無いから……、得意では無いわね」


 言うと、フレアははあと溜息を吐く。

 そしてその手をこちらに差し出してきた。


「貸して。私がやるから」

「そう? ありがとう」


 礼を言って、アリアは貫頭衣を彼女に渡す。

 さらに背の留め紐を解いて、着ている一繋ぎの衣の肩部分を下ろす。

 すると、フレアが慌てた様子で声を上げた。


「ちょっと、何してんのよ!?」

「服を脱いでいるのだけれど。これもスカートが裂けてしまっているから―――」

「だからって行き成り……、隣の部屋の男たちが入ってきたらどうするのよ!?」


 叱責を受けるが、アリアは衣を(はだ)けたまま小首を傾げる。


「彼ら相手にそういう心配は要らないと思うけれど」

「そんなの分からないじゃない。あんた美人なんだから、もう少し気を付けないと―――」

「あら、それはありがとう」


 微笑みながら言うと、何故かフレアの方が赤面して顔を背けてしまった。

 そんな彼女を余所にアリアはさっさと衣を脱ぐ。そして肌着の上に魔法布(まほうふ)の掛け布を纏ってから、衣をフレアに手渡した。


「大丈夫。私も一人の時には、もっと行動に気を付けているわ」

「……そう」


 とフレアは返すだけだが、アリアの衣はしっかり受け取って補修に取り掛かってくれる。

 その横顔を見てから、アリアは視線をさらにその向こうへと向けた。


「今はニーナちゃんもいるし、安心ね」

「まァ、そうですね!」


 とそれに対してニーナがむんと胸を張る。

 その後に彼女は、まじまじとアリアを無遠慮に見てきた。


「……それにしても、魔女さんホントにキレイですよね。手も足も長いし、肌真っ白だし……。良いなァ」

「ありがとう。ニーナちゃんも、これからもっと綺麗になると思うわ」


 返しながら、アリアは掛け布の中からすっと天に右手を差し伸ばす。

 細く長くしなやかな腕の形は、自分で見ても整っていると感じた。―――だが。


「……私は、もっと別のものが欲しかったのだけれど」

「胸とか?」


 透かさず言ってくるニーナに、アリアは苦笑する。

 そして、その目を再び隣へ戻した。


「フレアは、何でも持っているわね」

「その流れで話を向けないでよ……。何、皮肉?」


 ちろっと彼女が睨むような視線を向けてくるが、それにアリアはゆっくりと首を横に振って答える。


「―――あなた、ユニコーンの声を聴いたのでしょう? 他の誰も聴いていないその声を」

「たまたまでしょ」

「そうかしら」


 と言って、アリアは言葉を続ける。


「昔、あなた言ったわよね。『アルバートは退魔の力みたいに真っ黒だ』って」

「それが何?」

「私、退魔の力が黒いだなんてその時初めて知ったのよ」


 そう話すと、フレアの裁縫する手が止まる。

 そして、その怪訝な顔がこちらを向いた。


「……冗談でしょ?」

「ニーナちゃんはどう?」


 とアリアは、ニーナの方へ話を向ける。

 すると彼女は、ふーむと腕を組んだ。


「うーん。退魔の力って、視えないものだと思ってましたけど」

「そんなわけないでしょ!? だってあんなに黒くてざわざわ耳障りなのに……」


 フレアが言うが、ニーナはきょとんとしている。

 アリアもニーナと同感だ。


「―――つまり、そういうことよ」


 言うと、フレアは若干戸惑った様子でこちらを見る。

 そんな彼女に、アリアは告げた。


「あなたには視えない魔法(もの)が視え、聴こえない魔法(もの)が聴こえる。それに無綴無唱(むていむしょう)の魔法だって、何もせずとも使うことができた」

「あれは、別に使いこなせてるわけじゃないし……」

「でもあなたがそれを見せてくれなければ、私は今その力を手にできていないかもしれない」


 とアリアは言う。努めて冷静に。


「私は一つ一つ理屈を見つけて、確実に組み立てなければ何もできない。それを考えることができる頭だけが、私の才能。―――けれどあなたは、違うわ」


 半分は、ただの(ねた)み言だ。

 だがそれでも、妹に伝わるものがあると信じてアリアは話す。


「あなたの場合は、今からでも飛躍できる。……何をすべきか、少しは視えたのではなくて?」


 言うと、フレアの目が大きく見開かれる。

 そして彼女はぱっと立ち上がると、隣の部屋の戸をばんと開いた。


「何だ、騒々しい……」


 とクロノの声がする。

 だがフレアは、一切気にする様子を見せずに話し出した。


「私は、あなたの研究を認めません」

「あァ? 早速また喧嘩売りに来たのか!?」


 とバスクの声もするが、フレアは構わず話す。


「認めないけど……。そのために蓄積された魔法についての知識は、世のために役立つと思います」

「何が言いたい」


 クロノの静かな問いに、彼女はすぐに答えた。


「私にその知識をください。それの正しい使い方を、私が示して見せます」

「……ふうん。フレアさんは、そうするんですね」


 と先に反応したのはニーナだ。

 そして彼女は「よっ」と言って立ち上がる。


「それなら丁度良いですね。私も暫く、ここで力を上手く使う練習しようと思ってましたし」

「うん。私が一緒なら、また暴走してもすぐ止められるわ」


 互いに頷き合う二人を前に、バスクが声を上げた。


「おい、何勝手に盛り上がってんだ!? こっちはまだ許可して―――!」

「好きにすればいい」


 とそこへクロノが口を挟んだ。

 それでバスクは、拍子抜けした様子の声を出す。


「お、おい親父……」

「ただし、俺は一切手を貸さない。全て自分でやれ」

「そのつもりです」


 クロノの声に、フレアとニーナとが同時に声を上げた。


 バスクが置き去りにされている感はあるが、これで話は纏まったらしい。

 それを確認して、アリアはふうと息を一つ吐き出す。

 それからフレアに言った。


「―――取り合えず、服を縫ってもらえるかしら」


 そうして、研究の町での夜は静かに過ぎていった。


 そして翌朝。

 アリアは綺麗に補修された服の具合を確かめると、すぐにクロノの家を出た。

 すると、その背に声を掛けられる。


「もう行くの?」

「怪我は良いんですか?」


 振り返れば、フレアとニーナが立っている。

 二つの問いに一つの首肯で答えて去ろうとすると、呼び止められた。


「アリア! ……ありがと」

「私も相手してもらいましたし、お礼は言っておきます」

「どういたしまして」


 と返すと、こっちが本題とばかりに彼女らが言葉を継ぐ。


「もしまたリンドに会ったら、伝えて。―――私たちも必ず行くからって」

「よろしくです」


 言伝を頼まれたことに内心苦笑しながらも、アリアはこくりと頷いて応える。


「会ったら、ね」


 そう言って、彼女は研究者の町を後にした。

 もしも次にリンドと会う時があるとすれば、そこにはもう二人もいるだろうと思いながら。


 町を出て次の目的地へ向かう道すがら、考えた。

 リンドは……、ニーナは、フレアは、確実に力を高めている。

 そうであるならばアリアもまた、より強くならねばなるまい。今回のことは、それをアリアに痛感させた。


「……もう、出し惜しみは無しね」


 呟き、神に祈るようにその両手を握り合わせた。

 もう決して遅れは取らないと、強く誓いながら―――。

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