62.魔女と魔法の国
境界の街北部―――即ち魔法王国側。
その西方では、どんどんと爆発音が数度鳴り響く。
アリアたちを追う兵士たちは、その現場に急行する。……そのはずだ。
断定できないのは、彼女らがそこにいないためだ。
北西部での爆発は、遠方からアリアが適当に放った魔法なのだ。そして兵士たちを西に引き付けている間に、彼女らは東の街外れまで来ていた。
目の前には、街を囲う高い石壁があった。その高さは三階まである砦と同じくらいあり、この規模のものは王都を除く他の町では見られない。
だが、アリアに越えられないものでは無かった。既に何度か越えた実績もある。
しかも今は、頼もしい怪力少女もついているのだ。
その怪力少女―――ニーナは、アリアの補助も無く壁と建物とを交互に蹴って高く登っていく。片手にアリアが生成した太い綱の一端を持ちながら建物の天辺まで行くと、彼女はそこからさらに高い壁の頂点まで一跳びした。
ニーナが壁の縁に綱先の金具を引っ掛けると、アリアたちはその綱を使って壁を登る。
登るのだが、身体能力が低いフレアに関してアリアの魔法による補助では不十分だ。よってニーナに降りてきてもらい、彼女がフレアを肩車するような形で下から押し上げていく。
「フレアさん重い……」
「重くないわよ! ……多分」
言い合う彼女たちをアリアも風の魔法で補助し、無事に壁の上まで登らせる。
次いで自分も素早く壁を登ると、今度は壁の外側へ綱を回して降りた。
「―――さて、これで暫くは大丈夫かしらね」
綱を境界の大河に捨てるところまで完了すると、アリアはふうと息を吐き出しながら言う。
それから、その目を前を歩く少女の方へと向けた。
「ニーナちゃん、」
「何ですか魔女さん?」
「町の門を抜ける方法については、何か考えているかしら?」
問うと、先にフレアが「そうか」と反応した。
「純人王国では私が異物扱いだったけど、魔法王国ではニーナがそうなっちゃうのね……」
「純人の中に魔法人がいるより衝撃は小さいでしょうけれど、戦争している相手国の人間がいれば不安にもなるわ」
アリアが言葉を返すと、フレアは腕を組んで考える姿勢になる。
だが、すぐにそれを解いてまた口を開いた。
「でも中身はともかくとして、ニーナはどう見ても子供よ? 境界の街で親を亡くして彷徨ってたところを保護した……みたいな話で通せないの?」
「『中身はともかく』って言い方がちょっと嫌なんですけど……。あと『どう見ても子供』とか言わないでください」
「じゃあ何て言えば良いのよ……」
ちろっと睨むニーナにフレアが呆れ交じりの声を出す。
一方アリアは、フレアに向かって頭を振った。
「その話だと、親を亡くした純人の子供がうっかり境界の大橋を渡ってきたことになる。不自然よ。それに縦んばその話を通せたとしても、純人を受け入れるのはどの町にとっても危険性が高い。下手をすれば王国に対する背信行為と受け取られかねないもの」
「子供を保護しただけじゃない。そんなことで―――」
「勘違いしては駄目よ」
とアリアは忠告する。
「アルバートがいないこの国でも、王は民にとって畏怖の対象なの。魔法王国では『原書』を持つ王を中心として階級ができている。王から遠い人々に原書の内容は明かされないから、使える魔法を制限された彼らは上位階級の人間に逆らえないのよ」
「そんな……」
「あなたはクリストンをアルバートから解放したら、皆で魔法王国に逃げ込もうとでも思っていたのでしょう。けれど、こちらも楽園では無いわ」
言葉を失う妹に、アリアは告げる。
もちろん原書を持つクリストンなら、魔法王とも対等に話ができるはずだ。上手く交渉すれば、高い身分を得ることもできるかもしれない。
だが虐げられる立場に苦しんできた彼女は、虐げる側に立つことを望まないだろう。
「あのー、魔法王国のお勉強も良いんですけど……」
とそこに、ニーナが割って入った。
「私の話しても良いですか?」
「そうだったわね。ごめんなさい」
アリアは謝罪して、ニーナの方へ向き直る。
「それで、あなたには何か考えがあるのかしら?」
「奴隷です」
「は……?」
フレアが眉根を寄せる。
だがアリアは、うんと頷きを返した。
「ええ、そうね。私もそれが適当だと思うわ。手に印を刻む方法も考えたけれど、あなたの場合すぐに治ってしまうでしょうからね。ただ奴隷の話を私から提案するのは少し憚られるところだったし、あなたから言ってくれて良かったわ」
「別に先に言っても後に言っても、魔女さんの印象は変わらないですけどね」
「ちょっと待ってよ! ちょっと待って」
とそこでフレアが声を上げる。
「何言ってるの? 何納得してるのよ!」
「フレアさんと魔女さんは、私という奴隷を研究者の町へ運んでることにすれば良いって言ってるんですよ」
ニーナが平然と説明するが、フレアは納得しない。
「馬鹿なこと言わないで! あんたに首輪つけて町を歩けって言うの!? そんなことできるわけないじゃない!」
「うん? フレアさん演技するの苦手?」
「そういうことを言ってるんじゃないっ!」
小首を傾げるニーナの両肩を掴んで、フレアは声を荒げた。
「あんたを、これ以上傷つけたくないって言ってるのよ!」
「何言ってるんですか。私はこの通り綺麗で―――」
「私を庇って! あんた大河に落ちた時ぼろぼろになったの忘れたの!?」
無くなった袖の代わりにリンドの襟巻が巻かれたニーナの右肩を掴むフレアの手は、震えている。
「それなのに、また私にあんたを傷つけさせるの? ―――もうやめて」
「……」
ニーナは、少し戸惑っているように見えた。彼女にとっては予想外の反応だったのかもしれない。
アリアとしても少々苦慮するところだが、しかしそう言われてしまったなら仕方が無い。
すぐに方針を変更した。
「フレア、」
とアリアは彼女に呼び掛ける。
そして提案した。
「それなら、あなたも奴隷になる?」
「……は?」
涙ぐんだ顔で、フレアは間の抜けた声を漏らした。
*
早足で歩を進め、夕方には小さな村に行き着くことができた。
規模は小さいが境界の街から程近いので、入口では門衛がしっかり目を光らせている。
「魔法印を確認させてくれ」
と声を掛けてきた門衛の男は、不審げな様子でこちらを見ていた。
それに対してアリアは、微笑みを浮かべて右の掌の印を示す。
すると門衛は、その視線をアリアの後方へ向けた。
「後ろにいるのは……」
「奴隷です」
とアリアは答える。
「純人の少女が一人と、魔法人の女が一人。研究者の町へ連れていきます」
「……また彼処のか」
門衛は納得と呆れとが入り混じったような息を吐いた。
そして道を開ける。
「揉め事を起こさせるなよ」
「ええ。私が常に見ておりますので、ご安心下さい」
アリアはそう応じて、手枷を塡めた二人の奴隷の首輪についた縄を引いて村に入った。
しかし不意に、門衛に呼び止められる。
「おい、―――余計なお世話かもしれんが」
「何でしょう」
振り返ったアリアに、男は言った。
「女の顔に傷はつけない方が良いぞ。……価値も落ちるだろうし」
その言葉に、アリアは思わず吹き出してしまった。
「ええ……、ええ。気を付けますわ」
笑みを収めながら彼女は応じて、淑やかに一礼すると今度こそ村に入る。
すると、その傍に奴隷の一人が寄ってきた。
「アリア……、後で覚えてなさいよ」
「私は何もしていないじゃない」
その女の奴隷―――フレアに、アリアはまたくすりと笑みを漏らしながら言葉を返す。
「今のは寧ろ、あなたの功績と言うべきでしょう」
「馬鹿にして……」
先の境界越えで鼻の頭を擦ったフレアは、恨みがましい視線を向けてきた。
「大体、何で私が奴隷になんて……」
「あなたがニーナちゃんを奴隷扱いしたくないと言ったからでしょう? こうすれば、あなたは今まで通りニーナちゃんと接することができるわ」
「……」
囁くようにそう返すと、後背からは諦めの交じった吐息だけが聞こえてきた。
「……あなた、奴隷商人似合ってますね」
ニーナもそう声を向けてくるが、アリアは動じず「ありがとう」と返した。
面倒事を避けるために「魔女さん」の呼称を控えてほしいという要請には従っているので、そのことに対する礼も含んでいる。
「さて、認定もしてもらったことだし、二人共しっかり私に付き従って頂戴」
くいと首輪についた縄を引いて言うと、奴隷役の二人は白い目をこちらに向けながらそれに従った。
この村は境界の街から北側に伸びる三つの旧街道の内、北東方向に向かう道の途中にある。
境界の街から程近い場所にあり、規模は小さく人の数も少ない。
「鍛冶町」や「港町」といった通称を持たず、境界の街へ向かう或いは境界の街から出た人々の休息地点として僅かな収益を上げ存続しているような場所だ。
それでも、魔法王国に属する村としての在り様は見られる。建物が皆石造りなのも、その特徴の一つだ。
「燃焼」
暗くなり始めた村に、囁くような声が聞こえる。
見れば、村の若い娘が魔法で灯りを点していた。
「……何か、不思議」
フレアが呟く。
「村の営みの中に、魔法が普通にあるのね」
「ここでは皆が魔法人だもの。不思議は無いわ」
とアリアは言葉を返した。
「火の魔法で灯りを点し、水の魔法で喉を潤す。布の魔法で服を縫い、石の魔法で居を構える……。もちろんアルバートと戦う兵士たちの武具や防具には自然物を使っているけれど、他の多くの人々は生活の殆どを魔法に頼っているらしいわ」
「あれ、でも魔法を使うための原書? って魔法王が独り占めしてるんじゃなかったでしたっけ?」
ニーナの疑問に、アリアはこくりと頷いて見せる。
「ええ。だからこの村を含む多くの地域の人々は、広く伝わっている火の魔法くらいしか使えない。他は上位階級の人間から買う必要があるのよ。その結果として、富の多くは上に集まっているの」
「厭らしい話ね」
フレアが辟易した様子で息を吐くが、彼女の言葉としては不適当だ。
「それをクリストンが言っても、ただの嫌味にしかならないわ」
言って、アリアはその目をもう一人の方へと向けた。
しかし彼女は、そのことに関して何を言うでも無かった。
「早く寝て早く出ましょうよ。時間勿体無いです」
ただそれだけ言って、彼女は歩を進める。
憐れむも何も無い。彼らは彼らで生きている。それだけだ。
小さな少女の背中に、アリアはそんな思いを見た気がした。そうして勝手に思いを思うことは傲慢なことかもしれないが。
「そうね。早く行きましょう」
アリアはそう応え、縄が伸び切る前にニーナを追って村の宿へと向かった。
宿は村に一つしかなかった。しかも部屋の数が少なく、基本的に大部屋に宿泊者が纏まって入る形のようだった。しかし幸いと言うべきか、奴隷は狭い倉庫のような場所へ隔離された。
アリアも見張りの名目でそこに収まったが、三人で泊まるには少々手狭だ。村の外で寝るよりはずっとマシだが。
「アリアはここに泊まる必要無いでしょ?」
「奴隷が逃げないように見張っておかないとだからね」
「鍵でも何でも掛ければいいでしょ? 魔法でどうにでもなるんだから!」
フレアの文句に「そう邪険にしないで」と返して、アリアはそこへ留まった。
当然ベッドは無いが、掛け布は貰っている。アリア用に小さいものが一枚と、奴隷たち用の大きめのものが一枚の計二枚だ。
それらを使い、ややせせこましいが皆で横になる。
「アリアはもっと端に寄ってよ」
「あら、あなたが幅を取っているのではなくて?」
「そんなに太ってないわよ!」
「着ているものが厚いという話をしただけのつもりだけれど」
「……もう!」
日も暮れすっかり暗くなった倉庫の中で、フレアと言い合いながらアリアは横になる。
身を横たえた石の床は、ひんやりと冷たい。
「ごつごつして寝にくい……」
「我慢なさい。寝られる場所があるだけでも―――」
「分かってるわよ!」
注意しても、フレアの愚痴は止まらない。
「隙間風も結構入るわね……。床も冷たいし、掛け布だけじゃ寒くない?」
「そうですか?」
と言葉を返したのはニーナだ。
「暖かいと思いますけど」
「あんたはまたそんなこと……。普通はね、皆ベッドで寝てるから―――」
「私真ん中でも良いですか?」
ニーナが問う。
その声は常よりもやや細く、年相応の心細そうで甘えたがりな子供のようだった。
「良いけど……」
とフレアはその声にやや虚を衝かれたような顔で、アリアとの間を空ける。
するとニーナはそこへすっぽり入り込んで、仰向きに寝そべった。
「どうしたの?」
アリアは声を掛けながら、彼女の頭を撫でる。
「不安なの?」
「……」
ニーナは答えない。
答えないが、ころりとこちらへ身体を向けると、彼女はアリアの白い手にほんの少しばかり頭を寄せた。まるで、母親にでも縋るかのように。
そんなニーナにアリアが母親のように優しい言葉を掛けることは無いが、ただ黙ってその小さな頭を摩ってやった。
そうしていると、その向こうでフレアがややむっとした顔を見せていた。
そして彼女は、後ろからニーナを抱き寄せる。
「大丈夫よ」
とフレアは、ニーナの耳元で言う。
「あんたは、あんたが思ってるよりも強いわ。一緒に旅してきた私が保証する」
「……フレアさん」
とニーナは、静かに口を開く。
そして言った。
「胸大きいですね。私背中が反っちゃうんですけど」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を出して、赤い顔したフレアは身を退く。
「人が真面目な話してる時に何をっ……!」
「言ってませんでしたっけ? 私背中敏感なんですよ。だからすごい圧力感じちゃって、話入ってこなかった」
「何よそれ……」
かくりと肩を落とすフレアを余所に、ニーナはうーんと伸びをする。
そしてにんまり笑った。
「でも、ありがとうございます。多少は気が紛れました」
そう言って、彼女は掛け布の中に潜り込んでしまった。
何に気を取られたのか、そのことについて語らないまま。




