61.魔女と境界
薄い雲がかかった白い空が広がる昼過ぎ。
港町から四日をかけて、アリアたちは東の境界の街までやってきた。
ニーナとフレアにとっては、苦汁を嘗めさせられた地だ。そのためか二人ともやや表情は硬くなっているように見えた。
アリアにしても、油断はできない。戦線で指揮を執るダート・アルバートと顔を合わせるようなことになれば、本気でぶつかっていく必要がある。
前回遭遇した時には、相手が油断してくれていたお陰で容易く切り抜けることができた。だが、二度目となるとそうはいかない。
故にアリアも、普段より慎重に策を練りながら街の入口へと向かった。
三人の女たちが街の門に近づくと、その門衛の男二人が立ち塞がった。
槍を持った彼らは鎧姿で兜も被っているため、先達てアリアがリンドと共に伸した相手なのかは分からない。
「両の掌を―――って、あなた方は……!」
近づいてきた門衛の一方は、ニーナとフレアを見て驚いたようだった。
「あなた方はリンド・アルバート様のお仲間……ですよね?」
「そうですけど……」
とフレアが目を細める。
「もしかして、またダート・アルバートが私たちを探しているんですか……?」
「あ、いえ」
門衛はその問いに首を横に振った。
「ただ、あなた方も無事だったのだなと。死んだと聞いていたので……」
「あなた方も?」
とニーナが彼の言葉に反応する。
「それってつまり、リンドさんも無事だったってことですよね?」
彼女の質問に、門衛は眉根を寄せた。
「と言うことは、彼の一件をあなた方は知らないのですね」
「一件?」
と対するフレアも、怪訝そうに訊き返す。
「あの男、何かしたんですか……?」
「先日、境界の大橋を渡ってこちらに来られたのです。魔女と一緒に。魔女を捕えるため制止を呼び掛けたのですが、突破されてしまいました」
「魔女……」
その単語に、ニーナとフレアが同時にこちらを窺い見た。見てしまった。
当然、門衛もその視線を追ってこちらを見る。
「あなたは……。まさか、あなたが魔女―――!」
彼が言い終わる前に、その身体を氷が覆って動きを封じた。
慌ててもう一人が槍を構えるが、そちらにはすぐニーナが跳んで行って一蹴り見舞う。彼女の蹴りの衝撃は兜があっても殺し切れないようで、男は気を失ってその場に倒れた。
それを確認してから、アリアは氷漬けになった目の前の彼に視線を戻す。
「―――その口ぶりだと、あの時にはいなかったのね」
「アリア、殺すのは……」
フレアから声を向けられて、アリアは思わずふうと息を吐き出した。
「あなたもなのね。私、そんなに無暗に殺傷するように見えるかしら?」
「見えますよ」
戻ってきたニーナが即答し、フレアもうんうん首肯する。
それを受けて、アリアは肩を竦めるしかない。
「殺さないわ。―――こちらの質問に答えてもらえれば」
言って、身動きが取れない門衛を見やる。
「……何を、お知りになりたいのですか」
やや緊張した面持ちでしかし静かに応える門衛に、アリアは問うた。
「一つ目。今境界の大橋で戦闘は起きていますか?」
「起きていないはずです。ここで聞いている限りは、ですが。とても静かです」
門衛は自身を落ち着かせるように瞑目して答える。
「魔法王国の兵も、二度の襲撃でどの程度かは分かりませんが疲弊しているのでしょう」
「そうですね……」
二度の襲撃。
一度目はリンドとその仲間たちによる襲撃、二度目はリンドとアリアによる襲撃を指しているのだろう。
そのことによってこの街の兵士―――特に魔法王国の兵士が消耗しているのは、間違いない。
だがその話は同時に、別の疑問を招く。それは丁度、アリアが尋ねようと思っていたもう一つの質問と重なるものだ。
「二つ目です。ダートおじ様は、今砦の中にいますか?」
その問いをぶつけると、回答までに若干の間が空いた。
「そうですが……」
とすぐに言葉は出てきたが、先の反応が良かっただけに違和感は拭えない。
「ダート様に、何かご用ですか」
「いいえ。特に話すことはありませんが―――」
と応じて、アリアは彼を真っ直ぐに見据えると微笑んだ。
「出掛けているということなら、どの道お話はできませんわね」
言うと、門衛はアリアの視線から逃れるように目を逸らす。
「いない? ダート・アルバートが?」
「ええ、そのようね」
首を傾げるフレアにちらと視線を送りながら、アリアは考えを口にする。
「リンドと橋を渡ってきた時にも、現れないから不思議だなと思っていたけれど……。この街にいないということは、西に出向いているのね」
言いながら門衛の男を見やると、彼は降参とばかりに息を吐いた。
「……仰る通りです」
「西の境界の町で、何かあったんですか?」
「大規模な攻勢があったようです」
フレアの問いに、彼はそう答える。
それを聞いて、アリアはふむと腕を組んだ。
「東の兵が疲弊したから、敢えて西の兵を大きく動かしてダートを引き付けた……といったところかしら。今の魔法王国の指揮者は、それなりに機転が利くようね」
「指揮者って、魔法王のことですか?」
そのニーナの問いには、頭を振って見せた。
「恐らく違うわ。マーシャル・イージスに兵の後ろで構えるような大局観は無さそうだもの。他に彼を支える人物がいるのよ」
「……マーシャル・イージス?」
アリアの答えに、ニーナとフレアとが顔を見合わせた。
「え? 確か私たちがここで戦った男の名前も―――」
「あぁ、そう言えばあなたたちはまだ知らなかったわね」
二人の反応を見て、アリアは思い出したように声を上げる。
そして真実を―――マーシャル・イージスが現魔法王であることを告げた。
それを聞いた二人の反応は、大凡リンドの時と同じだった。彼の時よりも幾らか騒がしくはあったが。
しかしやがて、ニーナが口にする。
「―――でも、つまりアレが一番上ってことですよね? アレに勝てば、私たちの勝ちってことですよね」
「そうね。魔法王を打ち負かせば、きっと王国から魔法に関する情報を引き出せるはず……!」
フレアも、その言葉に大きく頷く。
そんな二人を見つめながら、アリアはふっと笑んだ。
「そうだと、良いわね」
内心ではそうならないだろうと思いつつも、それを口には出さない。
その懸念を今言う必要は無いだろう。
「―――さて、」
と言って、アリアはその話を区切った。
そして身体を氷で拘束されている門衛を見やる。
「最後の質問です。先に戦闘は起きていないと教えて頂きましたけれど、では今橋の傍に配置されている兵は何人でしょう?」
「……人数が多ければ、諦めて頂けますか」
返ってくる門衛の言葉に、アリアはふふと笑みを返す。
「いいえ。進むための心構えが変わるだけです」
「そうでしょうね……」
門衛は、半ば諦めた様子で苦笑する。
だがすぐにその笑みを消すと、静かに言った。
「私たちは、境界線を守るために命を賭しています。ですがその境界の内側から刺されては、堪ったものではありません。我々にも、家族がいるのです。どうか……ご容赦願います」
そこまで下手に出られてそれでも皆殺しにするほど、アリアも冷酷ではない。
肩を竦めてふっと息を吐いた。
「私たちは、橋を渡ることが目的です。通り抜けられるのであれば、わざわざ殺しはしませんわ。お約束します」
アリアの態度に多少は安堵したのか、彼もまたふうと息を吐き出してから答えてくれる。
「……今は、十人ほどかと。魔法王国側も同様でしょう」
「そうですか。ありがとう」
アリアは礼を言って、彼の身体を覆っていた氷を解かした。
「拘束されたままの体の方が、都合が良かったかしら?」
「いえ……。我々の指揮者は、まだしばらく帰還されませんので」
と言って、門衛は肩を竦めて見せる。
「一致結束し、『ダート様の指揮無しでは魔女を捕えられなかった』と泣いて悔しがることにします。あの方は、意外と従順な駒を簡単にはお捨てにならないのです」
思いの外捻りの利いた答えが返ってきたので、アリアは思わずふふと笑む。
そしてもう一度「ありがとう」と礼を言うと、ニーナやフレアと共に門を抜けて街へと入った。
対する門衛の彼はまるでそのことに気付かなかったかのように、もう門の外を見やっていた。
「……橋の所にいる兵士たちも、あの人と同じだと良いんだけど」
「そうはいかないでしょうね」
呟くフレアの声に、アリアは言葉を返す。
それから、腕組みしてふむとその口元に手をやる。
「けれど彼にはああ言ってしまったし、できるだけやってみましょうか」
「何をです?」
くりっと小首を傾げるニーナに、アリアはふっと微笑みを返した。
「戦わない、を頑張ってみるのよ」
*
境界の大橋前で監視活動をしていた純人王国の兵士十名は、どんという重い落下音にまず反応した。
彼らが視線を向けた先―――大橋近くにある砦の傍に、岩が一つ落ちたのだ。
突然落ちてきたそれに彼らが困惑している間に、さらにもう一つ……今度は厚い鉄の板が現れて岩の上に落ちた。
やや長さのある鉄板は、宛ら天秤のように岩の上でゆらゆら揺れる。
物体の突然の出現。それは魔法によるものに他ならない。
故に彼らは、周囲に魔法人の姿を探す。
そこへ、アリアたちは走り込んでいく。
先頭にニーナ、そしてアリアとフレアが後に続く。
三人の女たちの姿を認めて、純人王国兵たちは武器を構えながら慎重に近づいてくる。
よって、アリアたちが砦に近づく方が早い。
まずはアリアが、ふわと軽い足取りで跳ぶ。
とんと彼女が着地したのは、鉄板の一端だ。
そしてアリアがそこへ立った時には、ニーナが既にもう一端の傍にいる。
「―――せーのっ!」
彼女は掛け声と共にひょいと跳ねると、柔軟に振り上げた右足の踵を鉄板の一端に勢いよく振り下ろした。
がんと派手な音が鳴り響くと同時に、アリアは弾丸のように飛び立つ。
あんぐりと口を開いた兵士たちの姿は、一瞬で過ぎ去る。
そうしてアリアは橋の中間点辺りまで飛ぶと、風を巻き起こして軽やかに着地した。
すぐに後ろを振り返れば、悲鳴と共にフレアも飛んでくる。
「うぅ突風ォっ!」
彼女の叫びで強風がアリアを吹き付けるが、それでは意味が無い。
アリアは再び風を起こして、落ちてくるフレアの身体を支えた。
ふわりと減速しながら地上に舞い降りたフレアは、しかし不器用に着地に失敗して転ぶ。
「痛ぁ……」
やや涙目になって声を上げる彼女を余所に、アリアは砦の傍に残った最後の一人を見据えた。
そこそこ離れてはいるが、狙えない距離ではない。
「フレア、あなたも仕事をなさい」
「分かってるわよっ」
泣きべそをかく妹に声を向けながら、アリアはニーナが待つ鉄板の一端に岩を落とした。
ニーナの身体が跳ね上がる。その下で兵士たちがようやく武器を構えなおすが、もう遅い。弓を持つ者もいるが、アリアはすぐに自分たちの後方に鉄壁を作った。これでもう、彼らからの追撃は無いだろう。
「氷結っ!」
再び前を向けば、フレアが次の行動を起こしていた。
彼女の魔法は、橋の中間点から北端―――即ち魔法王国側の部分の地面を凍らせる。
その先では、十数名の魔法王国の兵たちが戦闘態勢を整えていた。武器を構えると同時に、何人かは印を綴り、魔法を準備している。だがその中に、マーシャルのような上級の魔法人はいないようだった。回せる人間がいないのかもしれない。
アリアが思考する間に、兵士たちは詠唱する。だが同時に、フレアも詠った。
「燃焼!」
「湧水っ!」
兵士たちが放った炎を、フレアが繰り出す水が受ける。相手は凍り付いた地面を解かすことも狙って炎を使う―――。アリアが意図した通りの行動だ。
予定通りの展開を確認してから、アリアは飛んできたニーナを風で緩やかに着地させる。
「いやァ、アレ楽しいですね!」
「次もよろしくね」
フレアとは対照的に愉快そうなニーナに、アリアはすぐ次の仕事を頼んだ。
「はいはい、分かってますよー」
「アリア、ちょっともう……」
フレアの言葉同様に弱々しくなった水の魔法が、魔法王国兵たちの放った炎に呑まれる。
炎はそのままアリアたちに向かってきた。だがアリアは、即座に鉄の壁を生成してそれを左右に受け流す。
鉄の壁、という表現は実のところ正確でない。
別の目的で造形したものを壁としても使った、と言うのが実際のところだ。
アリアはその本来の目的で使うために、壁を倒す。すると、そこに鉄の橇が完成する。
「程好く解かしてくれたみたいね」
表面が解けた氷の地面を確認しながら、アリアは橇へ乗り込む。フレアも続いてその後ろへ乗り込んだ。
そして一番後方で、ニーナが橇の縁を掴む。
「それじゃあ、行きますよ!」
「ニーナ、加減してねっ―――!?」
フレアが言い終わる前に、ニーナが地面を勢いよく蹴った。
鉄の橇は、猛烈な勢いで氷の上を滑り出す。
「わぁーっ!」
「ちょっ……!」
橇に飛び乗ったニーナは歓声を上げ、フレアは悲鳴を上げる。
一方でアリアは前を見据えながら、冷静に指示を飛ばした。
「安定は私が保つわ。フレアは前を」
「もぉぉ分かってるわよっ!」
半ば自棄を起こしたようにフレアが叫ぶ。
そして前方で驚きながら弓や魔法を構える兵士たちに向かって、右手を向けた。
その人差し指が印を綴ると同時に、彼女は声を上げる。
「突風ッ!」
彼女の起こした強風が、矢の軌道を変え炎の魔法を逸らす。さらに兵士たちを押し退け、強引に道を開けさせる。
そうして狙い通り、アリアたちはその間を一気に通り抜けた。
だがその先は、石造の街並みだ。
「待ってコレどーやって止まるのよっ!?」
「問題無いわ」
迫る建物を前にフレアが喚くが、アリアは淡々と答えて魔法を使う。
直後、橇は生成された岩に乗り上げてアリアたちの身を投げ出した。
橇は建物にぶつかって派手な音を立てたが、撥ね上げられたアリアたちは建物を越えてその先に落下した。
「―――さて、」
とアリアは、服についた汚れを払ってすぐに歩き出す。
「もたもたしていると兵士たちが追ってくるわ。行きましょう」
「そですね。あー楽しかったァ」
ニーナもすぐそれに応じてついてくる。
だがもう一人は、補助したというのにまた着地に失敗したらしい。
「もう嫌! 二度とやらないっ!」
鼻の頭を擦った無様な泣きべそ顔で、フレアは叫んだ。




