60.魔女が問う二人の決意
日暮れが近づく港町の南部。そこに少年アニーが暮らす家があった。
道すがら耳にした話によれば、正確にはアニーの家でなくニーナの家を彼が借り受けている形らしい。アリアにとってはどうでも良いことだが。
ともかくその家の入ってすぐの居間と見られる部屋で、アリアはテーブルを挟んで置かれた二脚の椅子の一方に腰掛けていた。
アリアの正面のもう一脚の椅子にはニーナが掛けており、斜向かいでフレアも椅子代わりと見られる木箱に座っている。
まだ目を覚ましたばかりの二人は、どちらも先の勝負の時の気合いが残っているような引き締まった顔をしていた。穏やかな微笑を浮かべているアリアとは対照的だ。
もっともアリアの場合は戦いの最中でも穏やかな表情を崩さないでいるので、そういう意味ではこちらも勝負の時と同じ顔をしていると言えるのだが。
睨むような彼女たちからの視線を受け止めながら、アリアはちらともう一人の方へ視線を送る。
「ごめんなさいね。あなたの席を取ってしまって」
遠巻きにこちらの様子を窺っていたアニーに声を向けると、彼はふんと息を吐いて外方を向いた。
「俺は関係無いし別にいい。勝手にやってくれ。但し何も出さないぞ」
「ええ、お構いなく。場所を提供してくれてありがとう」
アリアが言い終わる前に、彼は隣の部屋へ行ってしまった。
それを見送ってから、アリアは「さて」と視線をニーナたちの方へ戻す。
「酒場で言ったこと、覚えているわよね? あなたたちがまたリンドと共に進もうとするなら、もっと力が要る。そのためにどうすべきか、あなたたちの考えを聞かせて」
「その前に訊きたいんですけど」
とそこでニーナが声を向けてくる。
「何であなたは私たちがリンドさんと旅してたこと、知ってるんです?」
「そうよ」
とそれにフレアも反応する。
「それにその口ぶりだと、境界の街での一件のことも知ってるみたいだし……。まさか、見てたわけじゃないでしょうね?」
「ええ、見ていたわ」
アリアが静かに答えると、彼女はかっと目を見開いて身を乗り出した。
「そんなっ、だったら何で―――」
「どうして、助けてくれなかったのかって?」
先んじて言うと、フレアはバツが悪そうに目を背ける。
そんな彼女に、アリアは淡々と告げた。
「助けなかったのは、そうしても意味が無いからよ。私が手助けして、それであの場を凌いでも、次の場面で結局行き詰まることになる。魔法王に会うまで―――、或いは魔法王を打ち負かすまで、ずっと私に手助けを乞うつもり?」
「それは、違うけど……」
肩を落として、フレアは弱々しく呟く。
その隣で、今度はニーナが声を上げた。
「見てたってことは、私たちが川に落ちた後のことも知ってるんですよね? リンドさんは? リンドさんは無事なんですよね?」
しかしその問いに、アリアははっきり答えない。
「仮に私が『リンドは死んだ』と言ったとして、あなたは信じる?」
「信じません」
「だとすれば、このやり取りに意味は無い。彼が生きていると信じているなら、それで良いはずよ」
言うと、ニーナは不服そうに口を閉ざした。
それでアリアは、話を戻す。
「リンドと共に戦う仲間として、あなたたちには何ができるの?」
「……」
「それなら、あんたの魔法を教えてよ」
黙り込むニーナの隣で、フレアが声を上げた。
「無綴無唱の魔法が使えれば、私ももっと……」
「それは、やめた方が良いわ」
とアリアは、それを否定する。
そして「何で」と口を尖らせる彼女に、問う。
「なぜ魔法を使うために、綴りや詠唱が必要だと思う?」
「それは、そうしないと魔法を統べる神に祈りが―――」
「安全のためよ」
言うと、フレアは怪訝な顔をする。
その彼女に、アリアは自身の考えを述べた。
「魔法は本来、思うだけで発現させることができるものなのよ。私にそれができるのが何よりの証拠。けれど思うだけで使えるということは、一時の感情だけで相手を傷つける可能性もあるということ」
その言葉に、フレアの表情が強張る。何か思い当たる節があるのだろう。
アリアは、さらに言葉を継いだ。
「だから魔法には、二重の『錠』が掛けられているのよ。確かに私は、あなたの魔法に掛けられた錠を外すこともできると思うわ。けれど私は、あなたがそれを上手く扱えるとは思えない」
フレア・クリストンは、アリア・クリストンとは対照的な存在だ。
まるで持つべき性質を綺麗に別ってしまったかのように、アリアは理性で動きフレアは感情で動く。
「理性」のアリアですら、先のように力を出し過ぎることがあるのだ。錠付きの魔法を抉じ開けすらしてしまう「感情」のフレアに錠無しの魔法を渡してしまえば、どうなることか分かったものではない。
アリアの懸念は十分に伝わったようで、フレアはもうその力を求めようとはしなかった。
ただ、顔を俯けて小さく呟く。
「それなら、私はどうしたら良いのよ……?」
「あなたは、私を正解にし過ぎだわ」
とアリアはその呟きに応える。
「そもそも、私とあなたとでは持っているものが全く違っているのよ。だから私のやり方はあなたの参考にならない。……もっと自分を見なさい」
フレアは自身が持つ才を、もっと自覚すべきだ。
アリアの声には、そんな苛立ちが少々滲んでしまっていた。
しかし、それですぐに彼女が自身の道を見つけられるはずも無い。
よってアリアは、もう一人に道を尋ねてみる。
「ニーナちゃんは、もう行き先が決まっているのかしら」
「……その『ニーナちゃん』って言うの、やめてくれません?」
不愉快そうな視線と声とを向けられるが、アリアは気にしない。
「良いじゃない。私からすればとても若いということよ」
「私からすれば、あなたはおばさんってことで良いですか?」
「……」
アリアは思わず苦笑する。
即座に切り返してくるあたり、フレアよりも頭が切れる印象だ。
「それで、あなたはどこへ向かうか決まったの?」
アリアが話を先へ進めると、彼女は視線を逸らす。
「……ニーナ?」
フレアもその様子が気になったようで、彼女に声を掛ける。
「もしかして、まだ私たちに黙ってることがあるの?」
「……言いたくない事なんて、皆あるでしょう」
ニーナが言葉を返すと、フレアは何も言えずに黙ってしまった。
そうして部屋の中は、一時静寂に包まれる。
だがニーナは、そのまま立ち止まっているようなか弱い少女では無かった。
ぱんと両の掌で頬を打つと、アリアを見据える。
「行ってみようと思うところはあります」
「どこかしら」
問うと、彼女は静かに答えた。
「確か『研究者の町』って言う場所だったと思います」
「研究者の町……?」
「魔法王国の東の外れにある町ね」
首を傾げるフレアを余所に、アリアはすぐ知識を引っ張り出して口にする。
「今は廃墟同然だったと思うけれど……」
「何かあるかは分からないです」
とニーナは淡々と述べた。
「でも、気持ちは新しくなるかもです」
「どういうこと?」
フレアが問うが、ニーナは答えず口を閉ざす。言いたくないことなのだろう。
アリアも気にならないでは無いが、しかし研究者の町へ行けば彼女の意思に関わらずきっと明らかになる。
故に、もう何も訊かずに席を立った。
「一先ず行き先は決まったわね。では明日、研究者の町へ向かいましょう」
言うと、その言葉に二人が眉根を寄せた。
「向かいましょう?」
「まるであんたも向かうような口ぶりに聞こえるんだけど」
彼女たちの言葉に、アリアは微笑みながら首肯する。
「ええ、その解釈で間違っていないわ。私もしばらく同行させてもらうから」
アリアの発言に、二人は露骨に嫌そうな顔をした。
「えぇ……、嫌ですよ。ついてこないでください」
ニーナがはっきりと物申すが、それで折れるようなアリアではない。
小首を傾げて、彼女を見返した。
「さっきの勝負、私が勝ったわよね」
「ええ、まァそうですけど……」
「あなたたち二人に勝ったら、何でも一つ言うことを聞かせられるのよね?」
アリアの言葉に、ニーナの表情が強張る。
「聞いてたんですか」
「ええ」
「で、でも! 挑戦するためのお金払ってないし―――!」
フレアが声を上げるが、ほぼ同時にアリアは懐から金の入った袋を机上に置いて見せた。
「同行している間、資金援助をするわ。それで十分よね?」
「……」
二人が沈黙したことを確認してから、アリアはにこやかに言った。
「では、しばらくよろしくね」
彼女たちからは、返事の代わりに溜息が聞こえた。
*
翌朝。
アリアたちは身支度を整えて、アニーの……もといニーナの家を発とうとしていた。
彼女らを見送るアニーは、目に隈を作って欠伸ばかりしている。
そんな彼に、アリアは声を掛けた。
「よく眠れなかったの?」
「お前のせいでな」
と彼は恨みがましい視線を送ってくる。
「魔女のお姉さんと一緒のベッドで興奮して眠れなかったんですよねー?」
「うるさいっ!」
茶化すニーナにアニーが噛み付く。睡眠不足のせいもあってか大分気が立っているように見えた。
アリアが原因のようなので、彼女も肩を竦めて苦笑するしかない。
家にあったベッドは二つ。
ニーナとフレアが頑なにアリアと一緒に寝ることを拒んだので、結果アニーがアリアと一緒に寝ることになった。
彼は床で寝ると言ったのだが、今の家主を床で寝かせるわけにもいかず半ば強引に引き込む形になった。もっとも一睡もできなかったらしいことを考えると、却って悪いことをした感が強いが。
「ごめんなさいね」
「良いから早く行け」
詫びると、ぶっきら棒に返されてしまった。
それでアリアは、旅支度をする二人の方を見やる。
「彼の安眠のためにも、早めにお暇しましょう」
「眠れないのは魔女さんのせいですけどね。私関係無い」
言い返してくるニーナに対して、アリアは苦笑いする。
「アリアよ。『魔女さん』ではなくて」
「知ってますよ。『ニーナちゃん』と同じことでしょう?」
そう言われると、返す言葉は無い。
こういうやり取りに関して、彼女はリンドより手強いかもしれない。
そんなことを思いながらニーナを見ていると、彼女はふわりと懐から一枚の布切れを取り出した。
その布切れには、見覚えがある。
「あら、それ……私の襟巻ね」
「何であなたの襟巻を私が持ってるんですか……。リンドさんのですよ」
「ええ、そうね。それは私が彼にあげた襟巻なの」
言うと、ニーナの動きがぴたと止まった。
そして何とも言えないような面持ちで、こちらを見る。
「えぇ……。リンドさんが着けてるアレ、魔女さんのなんですか?」
「そうよ。―――と言ってもあげたのは十年も前のことだから、もう彼のものと言って相違無いけれど」
「あの男、十年も前に貰った襟巻を今も大切に使ってたの……?」
呟くフレアの方を見やれば、彼女もその手に布切れを持っていた。
「リンドは贈り物を貰うことが無かったからね。捨てられなかったのだと思うわ。何なら今度、何か贈ってみたらどうかしら?」
そんなことを言ってやると、彼女は「私は別に……」などと言ちながら視線を逸らした。
その彼女を見つめながら、アリアはさらに言葉を継ぐ。
「何にしても、大切な襟巻を裂いて渡すくらいにはあなたたちを大切に思っているみたいね」
「当然です。仲間ですから!」
とニーナがむんと胸を張る。
「―――だから、私も頑張らなきゃです」
言って、彼女は袖が無くなって露出している右の上腕に布切れを巻き付けた。
「……私も、絶対に強くなる」
フレアも呟き、長い赤茶の髪を布切れで一束に結わえた。
ほんの僅かな変化。
それでもアリアは、その変化を肯定的に捉えていた。
「では、行きましょうか」
「仕切らないでくださいよ。私が主役です!」
「アニー君、お世話になりました。またね」
それぞれに口にして、三人の女たちはその家を……港町を後にした。




