56.魔女が見届けた決着
日は既にその軌道の頂点を過ぎ、徐々に落ちてきていた。もう暫く経てば、西の空を赤く焼くことだろう。
太陽が没すれば今日という日は終わり、再び昇れば明日だった新しい日が今日となる。
アリアの目の前で繰り広げられた愛憎劇も、迫る黄昏に似合いの終幕を迎えていた。
鍛冶屋ラギアを足早に出たアリアたちの目に映るのは、その手にナイフを握って不敵に笑う十数人の盗賊たちの姿。
ラギアがこの近辺に彼らを匿っていたのだ。或いは、盗賊たちが秘密を口外しない条件としてラギアにそれを求めた側面もあるのかもしれない。
「ちょっと……、大丈夫なの?」
やや不安げな様子のローラが耳打ちしてきた。
「店も出ちゃってさ。中にいた方が良かったんじゃないの?」
「いいえ」
とアリアはそれに即答する。
「中にいては動きづらいです。―――それに、結局追い立てられることになります」
言いながら、アリアは後背に視線を流す。その視線を追ったローラは、嫌そうに綺麗な顔を顰めた。
今し方出てきた鍛冶屋からも、盗賊が数人出てきていた。監視役は一人でなかったのだろう。
それを確認してから、アリアはもう一つの問いに対しても触れた。
「いいえ」はそちらに対する答えでもある。
「それと、問題はありません。大丈夫です。リンドはああ見えて強いですから、必ず私たちを守ってくれます」
言って、アリアはその目を彼に向けた。
「―――ということで良いのよね?」
「……」
確認すると、その問いに答えが返ってこない。
リンドは頭を掻くと、少々ばつが悪そうにちらとこちらを見た。
「悪いが、ローラの守りはお前もやってくれ。万一があるとまずい」
彼の言葉を引用すれば「オリバーに一生恨み言言われかねない」ということだろう。
しかしアリアは、首を傾げて見せた。
「あら、『手を出すな』と言われた気がするけれど?」
「だから、悪いとは思っている」
リンドはまた頭を掻きながら答える。
「ただ今は、意地を張っている場合では無いから」
「分かっているなら良いわ」
くすと笑んでから、アリアはその目を鍛冶屋の方へ向けた。
「でもそれなら、武器が必要ね。リンドが『力』を使うなら、魔法は当てにならないし」
「私ナイフ持ってるわよ。使う?」
ローラが懐からナイフを取り出しながら言う。しっかり護身用の武器は持ち歩いているらしい。
しかしアリアは、彼女からの提案に首を横に振った。
「いいえ。それはローラさんが身を守るためのものです。お借りできません」
「ならどうするの?」
「折角近くに鍛冶屋がありますし、そこからお借りします」
彼女がそれを言うのとほぼ同時に鍛冶屋の石壁が吹き飛び、傍にいた盗賊たちが驚いて跳び退く。もちろん、アリアの魔法によるものだ。
爆発は彼女が事前に目星をつけていた武器を正確に撥ね飛ばした。鍛冶屋から綺麗な放物線を描いて飛んできたそれは、確実にアリアの手の中に納まった。
木製の細い直線棒状の棍棒で、大きな打撃部は無いが両端が鉄で覆われ強化されている。取り回しを重視した武器だ。
「そんなもので大丈夫なの?」
「はい。短剣程度なら、十分防げます」
ローラの問いに、アリアは棍棒を手に馴染ませるようにくるくる振り回しながら答えた。
「魔法人、か……?」
と、その様子を見ていた盗賊の一人が呟く。
「だが魔法には綴りと詠唱が必要だったはず……。何をした!?」
「あんたらが知る必要は無い」
頭と見られるその盗賊の問いに答えたのは、リンドの方だった。
「あんたらはただ大人しく捕まってくれれば良いんだ」
「ふざけるなッ!」
叫び、頭の男は手下たちに攻撃を指示する。
「男はぶっ殺せ! 女は生け捕りだ!」
「あら、優しいのね」
とアリアはその声に微笑む。
それから、視線をリンドの方へ向ける。
「あなたは殺されないように気を付けないとね」
「言われなくても気を付ける」
彼は呆れ交じりにそう返して、向かってくる盗賊たちを前に剣を構えた。
「そんな折れた剣じゃ、何もできねえだろ―――」
言いながら襲い掛かってきた数人のナイフを弾いてから、リンドはその左手の剣を水平に薙ぐ。
剣身はその盗賊たちの誰にも届いていないが、瞬時に彼らの顔が恐怖に歪む。
だが、彼らが倒れることは無かった。
数歩後退しただけで、彼らは再びナイフを構え直す。
「こいつ、偽英ゆ―――アルバートか!?」
一人が上げた声に、盗賊たちの間に動揺が走る。言い換えた辺り、純人教団とは違いアルバートと事を構えることを恐れていることが窺える。
しかし今回は、退魔の力を受けたであろう別の盗賊がそれを収めるように声を上げた。
「けど、こいつ本調子じゃない。本調子なら、俺らは全く動けなくなってるはずだ」
それで盗賊たちは、すぐに意気を取り戻す。
「そうなの?」
とローラも問うてくるが、それにアリアは頭を振って見せる。
「いいえ。ただ彼は新しいやり方を身に着けないとこの先やっていけないので、すみませんがもう少し付き合ってあげて下さい」
「……そんなことしてて、大丈夫なの?」
心配そうなローラの問いに、アリアは即座に首肯を返した。
「大丈夫です。問題ありません」
そこへ盗賊の一人が襲い掛かってくるが、無論アリアの敵ではない。
ナイフを振ろうとする手を棍棒の一端で弾いて、すぐ逆の端で相手の鳩尾を突く。
それで男は「ぐぇっ」と声を漏らして意識を失い、地面に伏した。
「リンド、こちらで一人片付けてしまったわよ?」
「分かってる。一々報告しなくていい」
言葉を返してきたリンドも迫ってくる盗賊たちの攻撃を次々に撥ね除けていく。武器の扱いでは、リンドの方が確実に敵を上回っていた。
ただ、最後の一手が決まらない。彼が振り薙ぐ折れた剣の先に纏わせているはずの退魔の力は、盗賊たちを怯ませはするものの意識を奪えていなかった。
その様子を暫く見ていたアリアは、原因について心当たりを口にした。
「リンド、本気でやりなさい」
「本気でやってる」
「ローラさんがいるから? それとも町中だから?」
彼の答えを無視して、アリアは問う。
だがその回答を待たずとも、推測はつく。恐らく両方だ。
境界の街という場所は、異質だ。純人王国と魔法王国とが鬩ぎ合う戦争の最前線であり、故に現在一般の市民の姿を見ることは殆ど無い。特に中心部―――境界の大橋付近には、兵士しかいない。
だからこそ、リンドはあの場で退魔の力の新しい使い方を迷いなく試すことができた。
しかしここ鍛治町は違う。人通りの少ない北区であるとは言え、一般市民が通り掛かってもおかしくない場所だ。
さらにここにはローラがいる。彼女がこの場にいることで、リンドは無関係の人々を巻き込む可能性を意識してしまっているのだ。
力の範囲を絞ることができれば、周囲への影響は抑えられる。だが失敗した時のことを恐れて、彼の力は中途半端なものになっていた。
それはリンドが持つ優しさであり、弱さだった。
「……困った子ね」
アリアは苦笑しながら呟く。
周りばかり見て、誰かが傷つくことを極度に恐れる。
まるで、これまでアルバートが重ねてきた罪悪を全て背負っているかのように―――。
「ねえ、どうするの?」
隣からローラが不満げに問うてくる。
対してアリアは「そうですね……」と返しながら考える。襲い掛かってくる盗賊たちは棍棒で蹴散らしながら考える。
「私が全て引き取るか、彼に一先ず今までのやり方を取ってもらうかすれば、すぐに済みますが……」
「なら、どっちでも良いから早く片付けてよ!」
「……」
アリアはもう一思案してから、うんと一つ頷いた。
「やめます」
「は?」
と怪訝な顔をするローラに、アリアはふふと笑む。
「どちらもやりません。別の方法にします」
答えると同時に、空に氷塊を生成する。
そして気付いた盗賊たちがそれを見上げるのとほぼ同時に、氷塊を火炎で一気に解かした。
「何だ……!?」
「熱っ!」
盗賊たちがどよどよとざわめく。
氷塊が解けた水はそのまま蒸発して白い霧となり、その場にいた者たちの姿をぼやかす。
その霧の中で、アリアは朧げなリンドの影に向かって言い放った。
「リンド、目の前の相手に集中しなさい。それを全て倒せば、あなたはあなたの大事なものを守れるのではなくて?」
周りばかり見てしまうなら、見えなくしてしまえばいい。
それがアリアの考えだった。
「……」
彼女の言葉に、彼の影は反応を返さない。だが届いているとアリアは確信する。
そこへ別の影が迫った。霧に紛れてリンドの背に回った盗賊は、静かに素早くそのナイフを振り下ろす。
だが、刃はリンドを捉えなかった。
「―――ッ!」
ナイフが盗賊の男の手から撥ね上げられる。
そして即座に、リンドが折れた剣を勢いよく薙いだ。
ひゅっと小気味好い音と共に、霧がさあと流れる。
直後、盗賊の男はどさとその場に倒れた。
「……何したの?」
とローラが訊いてくる。リンドの行為を指しているのかアリアの行為を指しているのかは分からない。或いは両方を含めての問いかもしれない。
それでアリアは、適当な答えを返した。
「私は何も。ただ彼が、やり方を改めただけです」
それから暫く、静かな応酬が耳に届いた。
さっとリンドに迫る盗賊の足音。
それを跳ね返す剣の音。
そして剣が空を切る音と、盗賊がその場で崩れ落ちる音。
時々アリアとローラの方にも敵は仕掛けてきたが、アリアは一切問題にしない。
攻撃を逸らし、透かさず棍棒を回して相手の鳩尾を打った。
不意にナイフが投げられてくることもあったが、即座に鉄壁を生成して防いだ。
その壁が消えることはない。それは彼の力が十分に制御されていることを示すものだ。
そうして、決して長くは無い時を経て霧が晴れる。
「……どうなってる」
驚愕した様子で、盗賊の頭が呟く。
その視線の先には、リンドがいる。そしてその彼の周囲には、引っ繰り返って気を失っている盗賊たちの姿があった。
残っているのは、頭と他二人の手下のみだ。
「リンド、もう霧は要らないわね?」
「ああ」
アリアの問いに、彼は静かに頷く。
そして今度は、自分から盗賊たちに向かっていく。
「このッ……!」
と盗賊の一人がナイフを引く間に、リンドの剣の一閃が彼の意識を奪う。
そこへもう一人がナイフを振ってくるが、リンドは一歩退いて躱すと即座に剣を振り上げる。
剣身は掠りもしないが、やはり相手はその場にどさと崩れた。
「ふざけんな……、ふざけんなよッ!」
頭の男が叫ぶ。
しかしその足は、リンドを前に後退りしていた。
「俺は、純人教団と違ってアルバートに何もしてねえ。アルバートに目ェ付けられる謂れはねえんだっ! なのに、何で……!」
「確かにそうかもな」
とその声に、リンドは応える。
そしてさらに言葉を継いだ。
「ただ悪いが、俺はアルバートの中で異端なんだ。アルバートの常識なんて、俺の中には無い」
「何だよそれ……!」
男はかっと頭に血が上った様子で突然リンドに襲い掛かってくる。
「畜生、畜生畜生っ! 死ねェッ!」
素早く振り薙がれるナイフは、彼の手下たちより速い。
だがそれは、アリアから見れば大差無い。リンドも、恐らく同感だろう。
素早くしかし雑に何度も振られるナイフは、リンドに当たらない。
全てを躱し時に受け流したリンドは、ぼそりと呟く。
「……こんなものか」
「うるせェ! 俺はこの組織の―――」
男が言い切る前に、リンドは彼が振り薙ぐナイフに剣身を叩き付ける。その勢いに男はナイフを取り落とす。
落としたナイフに男が目をやったその瞬間に、リンドはもう一度剣を静かに振り薙いだ。
しゅっと上方に向いた折れた剣先は、男の前髪を僅かに切る。
そして直後、盗賊の頭は両膝を突いてその場に倒れた。
地面に伏した男を見下ろして、リンドは言う。
「教団幹部の軽薄男の方が、よっぽど強かったな」
「当たり前でしょ。こんなのと一緒にしないで」
そこへローラが声を向ける。その声にリンドは肩を竦めて「ああそうだな」と雑な言葉を返した。
それから程無くして、事前に連絡していた鍛冶屋組合の人々が現れた。
彼らはアリアたちに礼を言うと、鍛冶士ラギアと盗賊たちを縛り上げた。さらに鍛冶屋とその周辺の家を調査して、盗品を集めていく。
「随分盗ったものね」
「教団が盗ったものも一部確保していたんだろ」
集積される幾つもの木箱を前に半ば感心の声音でアリアが言うと、リンドの方は半ば呆れた様子でそう返す。
だが中身に興味はあるのか、傍へ寄ると箱の中を覗いたり手を突っ込んだりし始めた。
「持って帰っては駄目よ」
「分かってる」
子供を注意するように言うと、些か不満げな声音が返ってくる。
それに苦笑しつつ、アリアはくるりと周囲を見渡す。
すると、壊れた……もとい壊した鍛冶屋の傍に、身の置き所が無さそうに立っているローラの姿を見つけた。
「どうかされましたか?」
歩み寄り問うと、ローラは苦笑いした。
「……私のこと、突き出さないの?」
問いを返され、アリアは「あぁ」と声を漏らす。
だが、それに明確に答えることはできない。
「さあ、分かりません」
「はぁ?」
意味が分からないという素振りを見せる彼女の隣に立って、アリアは補足する。
「それは、私が決めることでは無いので」
「彼に決めさせるってこと?」
「はい」
ローラが視線を向けた先―――リンドの姿を、アリアも目で追って答える。
するとローラは、興味深そうにこちらを見た。
「あなたたち、どういう関係? 恋人って感じでも無さそうだけど」
「……そうですね」
と返しながら、アリアはリンドを見つめ続ける。
彼は木箱からもっと小さな木箱を取り出して、鍛冶士の一人に何やら話している。
「―――『これ、持っていっても良いか?』」
「え、何?」
リンドの口の動きを真似したアリアに、ローラが怪訝な顔を向ける。だがアリアはそれを続けた。
「『盗品だからな。あんたには世話になったが、渡せない』かな。―――『違う。持ち主を知っているんだ』かしら?」
「ちょっと、私の話聞いてた?」
やや不機嫌そうなローラの声を聞いて、アリアは肩を竦めて見せる。
「はい、もちろんです」
そして、暫く考えていた答えを口に出した。
「彼は……私の人生最大の障害、ですね」
「障害?」
とその言葉にローラは眉根を寄せる。恐らく彼女が想定していたどの言葉とも違っていたのだろう。
彼女は、さらにもう一方の単語にも触れた。
「それに『人生最大』って……、あなた幾つよ?」
「二十一です」
「ほら! 『人生最大の障害』なんて、まだいくらでも更新されるわよ?」
言われてアリアは、「そうですね」と微笑む。
「―――けれど、そうでないかもしれません」
「随分な自信ね」
「いえ。……自信では、無いです」
半ば呆れた様子のローラに、アリアは静かに言葉を返す。そして徐に天を仰いだ。
―――そう、それを「自信」とは呼ばない。「自信」は前を向いた言葉だ。
後ろ向きな諦観を、アリアは「自信」とは呼ばなかった。




