54.魔女と娼婦
「入ってくれ」
リンドが声を掛けると、部屋の扉がゆっくりと開かれる。
そして科を作って静かに告げながら、一人の若い女が中へ入ってきた。
「失礼します」
身体つきが起伏に富んでいるということもあるが、持つ雰囲気に漂わせる色気からしてアリアより幾つか年上と見られた。まさに今、彼女は花盛りなのかもしれない。
その装いも、粗末な服を纏い髪も整えられていない他の娼婦たちとは異なっていた。
茶の髪は胸にかかるほどの長さで、手入れはされているが若干乱すことで隙を作ってある。
服装は一繋ぎになった袖無しの衣で、そこへ布地の薄い上着を羽織っていた。丈は短く裾は膝上までしかないが、膝下までをくたくたの古そうな長いブーツが覆っている。故に露出は多くないが、そのことによって衣の裾から膝にかけて僅かに覗く素肌を強調しているように見えた。
上着もだらしなく羽織って肩を見せ、襟元も緩くして鎖骨を見せていた。
要するに、男を愉しませることに特化した女の姿がそこにあった。
アリアも大概意図をもって行動する人間であるが、こと男を魅了することに関しては彼女に及ばないだろう。
「ローラです。よろしくお願いします」
身体の前で手を組んで、彼女は頭を下げる。それによって茶の髪がさらと流れて視線を誘導し、その先で緩い襟元から鎖骨と強調されたその奥を覗かせていた。
「リンド」
アリアが声を掛けてやると、彼は我に返った様子で一つ咳払いする。
そしてすぐ本題に入った。
「訊きたいことがある」
「何でしょう?」
言いながらローラはアリアが座るベッドまで歩み寄ると、彼女をその端へと誘導する。
それから自身もベッドの反対の端へ座り、アリアとの間に作ったスペースをぽんぽんと優しく叩いてリンドを誘った。
その誘いをリンドは首を横に振って拒否するが、対するローラは首を傾げて見せる。上目遣いも相俟って、その様は「どうして来てくださらないの?」と哀願するように見えた。そのよく作り込まれた仕草を見れば、彼女が多くの男たちから支持を得ていることは訊かなくても分かる。
「『オリバー』という男を知っているな?」
「……」
哀願を無視してリンドが問いかけても、ローラは微笑んだまま何も言わない。まずは来い、ということだろう。物腰柔らかな割に頑固だ。
アリアが言えた義理では無いが。
ともかくこのままでは話が進まないので、アリアはリンドに肩を竦めて見せる。
「どうする?」と問うたつもりだ。
誘いに乗るか、力で捩じ伏せるか。アリアはどちらでも躊躇なく実行できる。
だがリンドは、そうでないだろう。現に彼は諦めたような息を吐いて、こちらに寄ってきた。
リンドが二人の女の間に腰掛けると、右隣りのローラは彼の耳元でぽしょりと呟く。
「―――それで、オリバーさんの何が聞きたいんですか?」
囁くような声ながら、しっかりアリアにも届く声。どこまでもそつが無い女だ。
一方でリンドは、距離を詰められることを嫌がってアリアの方へ身を引きながら問う。
「あともう一人。『ラギア』という男も知っているか?」
「らぎあ?」
と彼女は一音一音たどたどしく口にする。
それから、小首を傾げた。
「よく覚えていません。どうだったかしら……?」
そう言って惚けて見せる。
だが一方で、その左手は考えているかのようにリンドの太腿の上を行ったり来たりしていた。
男を誘惑し、女を苛立たせる。二人を相手にして、精神的優位を作ろうというわけだ。
アリアとリンドでなければ、主導権は彼女のものになっていただろう。……リンドも問題無いはずだ。
思った矢先、癖っ毛頭が目先に寄ってきた。
ローラからさらに身を引いたリンドは、半ばアリアに寄っかかる格好になっている。ローラの攻めは思いの外彼に効いているらしい。
そこでアリアは、助け船を出す。
或いは「退路を断つ」と表現した方が適当かもしれない。
「リンド、私が言いましょうか?」
間近にある彼の首筋に向かって囁く。
すると、その頭がぶんぶん横に振られた。
「手を出すな」と言ったのは彼の方だ。助けを乞うはずも無い。
アリアの言葉を受けて冷静さを取り戻したリンドは、太腿を這い回る白い手を引っ掴む。
その行動にローラが「あら」と声を漏らした。
「手を握ってくれるんですか? ありがとうございます。でもちょっと強過ぎるので、もっと優しく―――」
「オリバーが捕まったことは、知っているか?」
リンドが言うと、ローラの動きが一瞬ぴたと止まった。
それから、その小さな口が同じことを繰り返す。
「オリバーが、捕まった?」
「ああ。今は牢獄の中だ」
とリンドは応える。
「俺が捕らえたんだ」
それを聞くと、ローラの妖艶だった目がきっと鋭くなる。
本人もそれに気づいてすぐ収めるが、二人の関係を把握するにはそれで十分だった。
「オリバーとは、深い繋がりがあるみたいだな」
リンドがそれを口にする。
「今のソレだけが理由じゃない。以前にあんたとオリバーとのやり取りを聞いた時にも、感じていた。オリバーはお前にだけ『良い仕事ができた』と話していたからな」
「……愛し合う男女の行為を盗み聞きですか。良い趣味とは、言えないですわね」
ローラの声は淡々としている。
だが、その奥で煮え滾っているものも確かに感じ取れた。
しかしリンドは、動じない。既に自分のペースを取り戻している。
「それで、ラギアとは繋がっているのか? あいつが娼家を使っていることは、以前にたまたま聞いたことがあるんだ」
「『繋がったか』なんて、そんな恥ずかしいこと言えま―――」
「はぐらかすな」
ぐいと彼女の細腕を引いて、リンドは言う。
しかしそれでも、ローラは答えない。
「意外と強引ですのね。良いですよ、私を満足させてみてください」
言ってリンドの胸に自由が利く右手を当てると、そのまま圧し掛かって彼を押し倒す。
そしてローラは、その手で彼の身体を弄る。胸板を撫でながら脇腹の方へ滑らせ、そこから脇へ上って肩に回す。さらに肩から襟巻の中へ手を差し入れ―――。
「リンド」
とアリアは呼びかけて、素早くベッドから立った。
彼から距離を取るためだ。
その彼からは「ああ」と声が返ってきた。冷静さはしっかり保っているようだ。
その直後、ローラの手がすっと一気にリンドの首に伸びる。
だが、彼女の手は彼の首に掛かる前にぴたと止まった。
「あぅっ……!」
ローラが苦しげに喘ぎ、リンドの隣に転がる。
退魔の力だ。
「―――答えろ」
身体を起こして、リンドはローラを見下ろす。
こういう時、その目は実に酷薄に見える。
「ぎ、えい、ゆぅ……」
ローラは苦しげに言葉を吐き、それでも無理矢理に笑って見せた。
「わ、たし……、偽英雄に、犯されちゃうんだぁ……」
「大したものね」
壁際に寄り掛かりながら、アリアは呟く。
この状況でなお黙秘を続けられる彼女の度胸が、だ。
リンドも不愉快そうに息を吐いて、その力を解いた。
押し寄せていた強烈な恐怖が消えて、ローラは脱力する。はあはあと彼女の苦しげな息遣いだけがアリアの耳に届く。
「こういうやり方は、好かないが……」
とリンドが呟いた。
そして、別の手段を口にする。
「オリバーが痛めつけられるのを前にすれば、さすがに笑ってはいられないよな?」
その言葉に、ローラの視線がまた鋭くリンドを射抜いた。
しかし何を言うでもない。
ベッドに身を横たえたまま、ただ鋭く彼を睨み据えている。
「……」
対するリンドも何も言わず、二人は暫く無言のまま睨み合っていた。
膠着した状況を前に、アリアはぽつりと呟くように言う。
「―――そう言えば、まだ趣旨を話していなかったかしらね」
締め付けて吐かせる方法もあるだろうが、現状を見るに少々話が拗れてしまっている感が否めない。
それに、乱暴な提案をしたリンドがそれを実行できるとも思えなかった。
アリアの言葉を聞いたリンドは、はたと気づいた様子でそれを口にした。
「そうだな。俺たちはオリバーに止めを刺すために来たんじゃなかった」
それから、訝しげにこちらを見るローラに向かって言葉を継ぐ。
「俺は純人教団を騙る新手の盗賊連中を捕えたいんだ。そしてそのために、教団と取引していたラギアを調べている」
「純人教団の偽物……?」
呟くように言うローラに対して、リンドが「そうだ」と頷きを返した。
それを確認した彼女は、心を落ち着けるようにふーっと長く息を吐き出す。それから徐に身体を起こした。
そして静かに乱れた着衣を整えると、リンドと再び向き合う。
「―――仮に私があなたたちに協力したとして、それで私に何の益があるのかしら?」
と彼女は問うてくる。
取引を持ち掛けてきているのだ。
その物言いは、接客用のそれとは明らかに異なっていた。
こちらが本来のローラなのだろう。
「あなたは私に、何をしてくれる?」
「あんたは俺に、何をしてほしいんだ」
とリンドは問いを返した。
それに対して彼女は、一瞬返答に迷った様子で視線を彷徨わす。
提案によっては、それ自体が情報となり得る。そのことを危惧したのだろう。
しかし一時の躊躇の後に、ローラは提案した。
「……あの人を解放して」
「あの人と言うのは」
とリンドが確認する。
もちろん、彼女の答えは想像通りの人物だった。
「オリバーよ。彼を解放して」
「……それは俺の独断で決められない」
そうリンドは回答した。
「やりようはあるが、この場ではやってみるとしか―――」
「それが無理なら、私を同じ牢に入れて」
ローラの言葉に、彼はその目を瞬かせる。
「それでいいのか」
「オリバーの解放が無理なら、よ」
と彼女は念押しする。
その後に、小さな呟きも聞こえた。
「あの人と一緒に居られるなら……、どこだって構わない」
「……」
リンドは黙ったまま、暫し考えるような間を取った。
そして自身の中で結論を纏めるように一つ頷いてから、ローラを見据えてその口を開いた。
「分かった」
「本当に?」
「ああ、嘘は吐かない」
再度の確認に頷くリンドをじっと品定めするように見つめてから、彼女はようやくふうと息を吐き出す。
そして、リンドが知りたい情報について語った。
「―――ラギアという男は、もちろん知っているわ」
とローラはベッドの上に掛けたまま脚を組んでそう話す。
「金はケチるし真面にリードもできないしで、ロクな客じゃないのよ」
「それは以前に聞いたことがある」
リンドが言葉を返した。
しかしローラは興味無さそうに「ふうん」と言って脚を組み替えると、さらに言葉を継いだ。
「ただそれでも、彼の相手はする必要があったの。彼は、オリバーの大事な取引相手だもの」
「教団の拠点をラギアが提供したとオリバーは言っていた」
リンドが言うとローラはこくりと頷いて、上目遣いに彼を見た。
「取引は私を介して行われていたの。ラギアが倉庫の鍵を提供し、オリバーは教団の活動で得た金の一部を定期的にラギアに渡していた。『場所代』ってところね」
「……なるほど」
とリンドは納得したように漏らす。
だが、さらに質問を重ねた。
「今は、ラギアとのやり取りは無いのか」
「……そういえば、この頃娼家へ来ていないわ」
とローラは答える。
「鍛冶屋組合を通じてオリバーが捕まったことを知ったのなら、不思議は無いな」
「自分も捕まることを恐れたのね」
リンドに続いてアリアが補足すると、ローラは腹立たしそうに息を吐き出した。
「あのビビり……、一人だけ逃げる気か」
「逃がしはしない」
とその呟きに、リンドが声を向けた。
「ラギアも、教団の偽物もな。―――そのためにも、あんたに協力してもらいたい」
「私に何をさせようっていうの、お兄さん?」
ローラは刃のようにぎらついた目をリンドに向ける。だがその顔に、先ほどまでの否定的な感情は見受けられない。
やってやろうじゃないか、とそんな感情が浮かんでいた。
「別に難しいことじゃない。あんたならな」
そんな彼女に、リンドは告げた。




