53.魔女と暗躍者
薄暗い牢獄の中に居たこともあって、外へ出るとその明るさが目に染みた。
薄い雲はかかっているが、太陽の姿は視える。もう大分高く昇っていた。
相変わらず周辺に人気は無いが。
「鍛冶士のラギアさんに会うのよね? 居場所を知っているの?」
アリアの前を行き颯爽と建物を出たリンドに彼女が尋ねると、その足がぴたと止まった。
それから、その顔がこちらを窺うように見た。
「……知ってるか?」
「知らないから聞いているのだけれど」
「―――だよな」
呟きながら、リンドは頭を掻く。
「他のことが気になってて聞きそびれた」
付け加えられた言葉は何とも言い訳がましいが、アリアは触れずに提言する。
「戻って訊いたら?」
「いや……」
とリンドは拒否した。
「今日中に片が付かなかったらまた来る」などと捨て台詞を吐いてきたものだから、戻りづらいのだろう。
「それなら私が戻って―――」
「やめてくれ」
別の提案も、即座に却下された。
自分が戻れないからアリアに聞いてこさせるなんてすれば、それこそ笑いものだ。
無論アリアは分かっていて提言しており、リンドもそれを知っているのでじとと不満げな視線を向けてくる。
しかしそれもまたアリアにとっては愉快なので、結局くすくすと淑やかな忍び笑いを漏らしてしまうのだが。
そんな彼女に恨みがましい視線を向けてから、リンドはさっさと歩き出した。自分で探すことにしたらしい。
アリアも彼に続いて町の北部を歩いた。
結論から言うと、鍛冶士ラギアが働く店には辿り着けた。
ただ、思いの外時間は掛かってしまった。その店があまり有名でなかったからだ。純人教団の悪事に手を貸していたことから考えれば、店の繁盛具合が良くないことは想像に難くないが。
そんなわけで東西通りに出て道行く人に訊けども知れず、通り沿いの鍛冶屋で尋ねるも分からなかった。後者については鍛冶屋組合の寄合などで多少の関わりくらいありそうなものだが、もしかするとラギアは組合の集まりにあまり顔を出していないのかもしれない。
ともかく店の知名度の低さを知ったアリアたちは、再び北地区に入った。あまり栄えていない場所に店があると踏んだからだ。
その読みは当たった。人通りの少ない通りでそれでも人に当たり、尋ねていく中でようやく「ラギア」の名を知る者があったのだ。
その人物の案内に従って町の北東部に向かうと、そこに鍛冶屋「ラギア」はあった。
家名でなく名の方が店の名前になっていることから、彼が立ち上げたまだ新しい店であることが窺える。家名を付けなかったのは、単純に家名を持たないからかもしれない。町の裏通りに暮らす人々にはよくあることだ。
しかし新しい店の割には外装が汚く、年季が入っているように見えた。老舗と見られるマークスの方が余程綺麗だ。使っている建物は古いものなのかもしれない。
アリアが店の様子をじっくり観察しているうちに、リンドはさっさとその小さな店の戸を開いた。
「……いらっしゃい、ませ」
薄暗い店内から、やや遅れて客を迎える声が聞こえた。
店内の様子は、外観から想像していたものと相違無い。狭い部屋の中には、ぽつぽつと武器や防具が規則性無く置かれている。品数が少なく、また手入れが行き届いていないのかそれらは薄く埃を被っていた。
知名度が低いのは、立地や鍛冶の腕の問題だけでは無さそうだ。店の状態を見るに、本当に商売をする気があるのか怪しかった。
「少し、訊きたいことがある」
リンドが言うと、店の奥からのそっと大柄な男が姿を現した。オリバーと同じ二十代後半くらいだろうか。若い男だ。
だが、体格の割に気は弱そうだった。
「あんたがラギアか?」
「そうですが……」
リンドが確認すると、彼は訝しげに頷く。それでリンドは、件の話について問うた。
「あんた、純人教団を知っているか?」
「純人……!」
男―――ラギアはその単語を繰り返して、やや狼狽える。
そんな彼に、リンドは再度問う。
「知っているんだな?」
「え、ええ……。その、最近の事件で聞いたことがありますし……」
「その純人教団の幹部に『オリバー』という人物がいるが、それは知っているか?」
立て続けに問うリンドの気迫に圧倒されてか、ラギアは「うぅ」と呻くように言葉を濁す。もっとも、アリアから見ればリンドはいつも通りなのだが。ラギアのような気弱な人間が初対面にすれば威圧感を覚えるのかもしれない。
口籠もったラギアは、やや間を置いてリンドの問いに答えた。
「お、オリバーって名の男が店に来たことは、無いです。少なくとも、把握してません……」
「オリバーは店に来ていないんだな?」
「はい、はい。来てません」
ラギアはこくこくと必死の様子で頷く。
それでリンドは、「そうか」と腕を組んで少し考える。
しかし、すぐにそれを解いた。
「―――分かった。邪魔した」
そう言って、踵を返して店を出ていく。
「は、はい。ありがとうございました……」
リンドを見送ったラギアは、ちらとアリアの方を窺う。
それににこりと微笑みを返して、アリアも店を後にした。
外へ出ると、前を行くリンドは顎に手を当てまた何やら思案していた。
その背に、アリアは声を掛ける。
「白、では無いわよね?」
「ああ」
とリンドは答える。
「ただ、言っていることに嘘は無さそうだった」
「そうね」
と今度はアリアが応じる。
「彼に嘘は吐けそうにないわね」
そうなると、嘘を吐いているのはオリバーということになる。
「さっきオリバーの話を聞いた時、少し違和感があったんだ」
とリンドは言う。
牢を出た際に口にしていたことだろう。
「あいつはラギアと直接交渉したと言う割に、その名に自信が無い風だった。あいつの性格からして、それは違和感がある」
「そしてその交渉相手であるラギアも、オリバーが店に来たことは無いと言っていたわね」
アリアが補足すると、リンドは頷く。そして考えを纏めるように言った。
「詰まるところ、間に誰か挟まっているんだな」
「誰か……ね。心当たりはあるの?」
問うと、彼は一瞬口を開くのを躊躇った。
しかしすぐに気を取り直した様子で言葉を口にする。
「ある。―――と言うか、あのオリバーが信頼していて且つ庇いたい人物で、俺が知っているのは一人だけしかいない」
「それなら、一先ずその人に話を聞くのね。その人はどこにいるのかしら?」
アリアが問いかけると、リンドは西方に目を向けた。
「―――娼家だ」
*
牢獄があるのと同じ町北西部に、娼家はあるらしい。
明るく活気ある鍛治町でも、そのような裏商売があることに不思議は無い。否、活気ある町であればこそ、それを支える人々の抱える鬱憤の捌け口として娼婦たちは活躍しているのかもしれない。
故に、娼家があること自体に疑問は無い。
疑問なのは、その場所を何故リンドが知っているのかということだ。
「……リンドもすっかり大人の男になったのね」
やや感慨深げに呟くと、隣を歩くリンドがじろと睨んできた。
「どういう意味だ」
「別に深い意味は無いけれど……、何か思うところがあるのかしら?」
「お前の言葉に意味が無いことなんてあったか?」
リンドが辟易した様子で息を吐く。
しかしアリアは惚けて見せた。
「そう? あなたが深読みし過ぎなだけでなくて?」
「……」
はあと彼の溜息が聞こえる。
そしてその後に、呟くような声が続いた。
「―――言っておくが、別に使ったわけじゃない。情報を得るために行ったんだ」
「使った? 何を?」
また惚けて問うと、リンドはもういいとばかりにその足を早めてアリアに先んじる。
その様子を見て、アリアはふふと思わず笑んだ。
それから、彼の背に声を掛ける。
「大丈夫よ、リンド。あなたの生真面目さは、よく知っているから」
「別に何も心配してない」
返ってきた言葉には、やや棘がある。
無表情な彼の顔を窺ってもその感情は視えないが、しかしアリアにはそれが照れ隠しだと顔を見なくても分かる。
十年前に見た少年の姿は、今も確かにそこにあるのだ。
さて、そうこうしている内に目的地に辿り着いたらしかった。リンドがその足を止める。
見れば、古ぼけた石の家屋がある。二階建てのその建物には窓があるものの、全て鎧戸が閉じられていて中の様子を窺い知ることはできない。ここが娼家であるなら当然のことだが。
リンドは躊躇うことなく、その店の戸を開け放した。
「いらっしゃい」
中からは、甘い声と共に濃い女の香りがした。男からすれば芳しいものなのかもしれないが、アリアにとっては強過ぎる匂いだ。悪臭と言ってもいい。
思わず顔を顰めたくなるが、そこは淑女アリア・クリストンだ。顔には出さず、リンドに続いて屋内へ入った。
娼婦たちはアリアの姿を認めると、がっかりしたように息を吐く。
「―――なんだ、持ち込みィ? 場所代は置いてってよ?」
「あれ、て言うかこのお兄さん、前にも来なかった?」
娼婦の一人が、何か思い当たったように声を上げる。
それを聞いた他の女たちは、「そう?」と言って確かめるようにまじまじとリンドを見る。
「私はこんな癖っ毛の子相手した覚えないけどなァ?」
「私も。こんな生気無さそうな顔なら、覚えてそうだけど……」
散々な言われように、さすがのリンドも不快そうにじとと彼女らを見返す。
それから、ここへ来た目的を話した。
「『ローラ』という娼婦はいるか?」
「ローラ? あの子なら、今別のお客の相手してるけど……」
娼婦の一人が答えながら、訝しげな視線をリンドに向けた。
「もしかして、三人でするつもり?」
「お兄さんって、意外と元気なのねェ」
茶化す姦しい声が向けられるが、リンドは無視する。
「接客中なら、その後に寄越してくれ。部屋で待っている」
言って、さっさと二階への階段を上がっていく。
「ああっ、待ってよ。それなら奥から二番目の部屋が空いてるから。そこで待ってて」
ふざけていた娼婦も、勝手に行動するリンドの背にしっかり案内の言葉を掛けた。
しかしその声に、彼は少々嫌そうに繰り返す。
「奥から、二番目……」
そして小さく溜息吐きながら、しかし文句をつけることはせずに二階へ上がっていく。
「―――その部屋に、何か嫌な思い出でもあるの?」
その背にアリアが問いかけても、答えは返ってこない。
それで彼女は、自分の中で仮説を立てた。
「もしかして、フレアと何かあった……とか?」
彼の足の運びが一瞬滞るのを、アリアは見逃さない。分かりやすい男なのだ、リンドは。
「あら、意外ね。フレアがこんなところを受け入れるなんて」
「何も無い」
と彼が反論する。
「俺が目合うのは、妻と決めた女とだけだ。そしてそれを決めるのは、全部終わってからだ」
「ふうん……」
とアリアは、敢えて間を取った。
それから、微笑みを絶やさず言葉を継いだ。
「それなら、何があったの?」
「……」
その部屋の前に立ったリンドは、黙ったままその取っ手を握る。
そして、やや小さな声で告げた。
「少し、喧嘩しただけだ」
「喧嘩? どんなことで?」
「もういいだろ」
なおも問うアリアに鬱陶しそうに声を向けて、リンドはその部屋の戸を開いた。
中央にベッドが置かれただけの簡素な部屋だ。
リンドはそのベッドの横を通り抜けて、奥の鎧戸の傍に立った。
一方のアリアはベッドの傍に寄ってその具合を確かめると、そこへぎっと腰掛けた。
そして周囲を見渡して、それで何となく二人の間に起きたことを悟った。
「―――まあ、こんな場所だもの。フレアが誤解しても、おかしくないわね」
「……」
リンドは何も応えず、ただ腕組して壁に凭れていた。
それでもアリアは、構わず話し続ける。
「あなたと同じで生真面目だから、こんな場所は嫌でしょうし―――」
と言ってから、彼女ははたと思い出したように言を翻す。
「あ、でもあの子食欲には流されがちだったし、その気になったら案外止められないかもしれないわね」
言いながら視線を向ければ、彼もこちらに視線を流していた。
視線がぶつかり、リンドは気まずそうに目を逸らす。対するアリアはふふと笑んだ。
そんな他愛の無い話をしていると、不意に部屋の戸がこんこんと叩かれる。
控えめながら確実に耳に届く適度な力加減。慣れた手つきだ。
どうやら、待ち人がやってきたらしかった。




