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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第4章 境界の街に架かる大橋を渡って
52/106

52.魔女と元商人の経緯

 賑わいの外にある鍛治町の牢獄。

 その内部も、すっかり静まり返っていた。


「……重い」


 リンドが愚痴を(こぼ)すが、アリアは微笑みを浮かべるだけだ。手を出すことはしない。


 彼はその背に、入口にいた番兵を背負っていた。細身のリンドより大柄で重そうなその身体を運ぶのは容易でないだろう。

 しかし、アリアはもっと非力だ。短剣、片手剣、短槍程度であればそれなりに扱える彼女だが、それは飽くまで身体に負荷をかけずに振るう(すべ)を磨いた結果だ。筋力で振り回すような真似はできない。


 故にこの場において、彼女が手を出したところで大した助けにはならないのだ。

 態々(わざわざ)こんな人間に手間を掛けたくないという思いも、無いでは無いが。


 しかしそれでも、リンドはその手間を取るのだ。

 目覚めると厄介ならその場で始末してしまっても良いが、彼は牢まで運ぶと言った。


 アリアは今リンドに付き従っている立場だ。彼がそう言うのであれば、彼のやり方に従う。

 手は出さないが、魔法で助力はする。

 階段に鉄の板を生成し、番兵の身体を滑り落とした。


 それをリンドがまた背負って、牢に放り込む。その隣の牢のオリバーが締め落とした男も、同じくそこへ入れた。

 それから彼は、番兵たちを入れた牢の錠に彼らが持っていた鍵を順に差し込んで試す。


「やるべきことは済んだかい?」


 未だがちゃがちゃと鍵を試しているリンドに声を向けながら、隣の牢でオリバーが欠伸する。


「交渉はまだかよ。暇でしょうがねえや」


 胡坐(あぐら)をかいた姿勢で文句をつける彼は、その視線をアリアに向けた。


「それにしても、これまたすげえ美人さんだこと。この間連れてたお嬢さんといい、王子サマは女も選び放題ってか。羨ましいねェ」

「……」


 反応を返さないリンドを余所に、アリアが口を開く。


「あなたはリンドの正体を知っているのですね」

「もちろん。俺とリンド王子とは、正々堂々剣を交えた仲だぜ? 何でも知ってるさ」

「フレアを人質に取ってただろ……」


 ようやく鍵を掛けられたリンドが呆れ交じりの声を出すが、オリバーは「そうだっけ?」と(とぼ)けて見せる。「偽英雄」を前に、これだけ大きな態度をとれる人間も珍しい。

 純人至上主義者がアルバートに媚び(へつら)わないのは当然と言えば当然のことだが。


 しかし、ただの町の商人にしては随分な切れ者だ。


「先ほど『元商人』と仰いましたけれど、旅商人なのかしら?」


 軽い好奇心から探りを入れると、オリバーはにっと軽薄な笑みを浮かべた。


「おっ! 俺のこと気になったかい?」

「ええ、とても」


 微笑み交じりに御座なりな言葉を返すと、彼は「そうかいそうかい」と繰り返しながら大袈裟に腕組して頷く。

 アリアの雑な演技に合わせているようにも見えた。


「仰る通り、俺は各地を回りながら商売してたんだ。王都や旧都、港町の方にも行ったな」

「港町、か」


 と、リンドがその単語に反応する。


「それなら、バリスタって家も知っているのか」

「ああバリスタね。もちろん」


 問いに、オリバーは即答した。


「港町で取引するなら、まずバリスタと繋がるのが一番だからな」

「……そうか」

「バリスタに知り合いでもいるの?」


 アリアが問うと、リンドは首を横に振る。


「いや。ただ本当に有名なのか、気になっただけだ」

「そう……」

「リンド王子とは無縁の場所だからな、港町は」


 オリバーがそう言う通り、アルバートは港町を事実上放置している。

 それ故に「自由の町」などと呼ばれることもあるらしいが、有り体に言ってしまえば無法地帯だった。


 オリバーの言葉を聞いて、リンドがちろっと彼に視線を向ける。

 ただその理由は、港町の話とは無関係だった。


「その『王子』って言うの、やめろ」

「何でだよ。王子サマだろ、お前?」

「事実かどうかは関係無い」


 そう返すリンドに、オリバーは呆れ交じりの息を吐いた。


「そういうところは、まだまだ子供(ガキ)臭いなァ。事実は受け入れて、文句くらい聞けよ。こっちはアルバートのせいで大損害被ったんだぜ?」

「商人への影響というと、魔法素材かしら?」


 アリアが言うと、オリバーが「その通り」と首肯する。


「五年前の王城の資材の大放出。あの時俺も、鉄をたっぷり仕入れたんだ。でそれを旧都で知り合いの鍛冶士に売ったんだが……、その鉄使った武具を純人教団が買った。―――あとはもう、分かるだろ?」

「教団がアルバートに刃向かって文字通り無防備になった、といったところかしら」

「ご名答」


 オリバーは辟易した様子で息を吐き出す。


「お陰で装備を売った鍛冶士は散々責められて消息を絶った。鉄を売った俺も追い回されて稼ぎどころか信頼も完全に失った。商人としては、死んだも同然よ」

「それでアルバートを恨んで純人教団に?」

「そうすりゃ教団を(おとしい)れた罪の償いにもなるって話だったしな。そしたら教団でも商人時代に磨いた才能が生きて、あっという間に鍛治町の団員率いる幹部さ。……ま、調子乗って人攫いに手ェ出したのは失敗だったけどな。リンド王子に目ェつけられて、牢獄行きになっちまったからなァ」


 どこか他人事のようにそう言って、オリバーはちらとリンドの方へ目を向けた。

 対するリンドは、素っ気なく言葉を返す。


「そもそも教団の過激集団に属したのが間違いだろ。盗みや人攫いで組織を回しているなんて、アルバートと何も変わらない」


 するとその言葉にオリバーは、訝しげな顔をした。


「……もしかして、お前知らないのか?」

「何を」


 と返すリンドの様子を見て、彼は確信したようだった。「そうなのか」と一人納得したように呟く。

 その態度が気に入らなかったようで、リンドはちろっと視線でオリバーを射た。


「何の話だ」

「ああ、いやさ……」


 とオリバーは勿体付けて間を置いてから、それを口にした。


「アルバートと変わらないのは当然だよ。だって、今の純人教団にはアルバートの息が掛かってるんだから」

「それは興味深いお話ですね」


 と思わずアリアも反応した。


「ぜひ、詳しくお聞かせ願えませんか?」

「いいともさ。と言っても、別に長々語るようなことは無いけど」


 彼女の声に、オリバーは満悦の顔で答える。


「純人教団には団長がいるが、今の団長はアルバートの一人と繋がってる。団長は(ほとん)どその男の言いなりで、だから今教団の支配者は実質そのアルバートの男なのさ」

「具体的に誰なんだ、その『アルバートの男』って言うのは」


 リンドが問うと、彼は内緒話するように口元に手を添えて言った。


「境界の街の守護者、ダート・アルバートよ」

「あら、そうだったのね」


 アリアはふふと笑みを漏らす。


「でも、それなら納得ね」

「現王ギルトを潰したいわけか」


 恐らくリンドの言う通りなのだろう。

 その話に、オリバーは肩を竦めた。


「偽英雄同士の小競り合いに巻き込まないでほしいなァ。俺が今狙われてるのだって、多分ダート・アルバートがそのことを暴露(ばら)されたくないからだろ?」


 それからぱんと手を打って、彼はリンドを見た。


「ま、そんなわけでリンド王子には、責任持って俺を守ってほしいなァ」

「王子付けるのをやめたらな」


 とリンドは不愉快そうに返す。


「それと俺の聞きたいことを話してくれるなら」

「まだ俺に話させるの? やだやだ」


 言ってオリバーは頭に手を回して寝っ転が―――ろうとして、その胸倉を掴まれた。

 リンドは彼を捕まえた左手をぐいと引いて、彼を鉄格子の傍へと引き寄せる。


「おや、乱暴だね」


 とオリバーは、にへらと軽薄に笑む。


「でも荒っぽく装ったって、甘々な兄ちゃんじゃこれっぽっちも―――」


 不意に、牢獄にずんと重い空気が()し掛かる。

 余裕の笑みを浮かべていたオリバーも、その表情を消していた。

 だらだらと汗かくその顔は、恐怖に引き()っていた。


 対するリンドは、平生と変わらず無表情。

 だが今この場においては、冷酷に映ったかもしれない。


 そんな光景を前に見えず聞こえない退魔の力を感じながら、アリアも壁に寄って長いスカートの裾を少しだけ握っていた。


 やがてその力は、解かれる。

 決して長い時間では無かったはずだが、体感として短いとは言い難かった。


「……」


 それを間近に感じたオリバーは、しばらく放心した様子で言葉を発しなかった。

 リンドがその手を放しても、どさと尻餅ついて短い呼吸を繰り返していた。


 しかしそのうち、ははと乾いた笑みを漏らした。


「―――こりゃ(すげ)ェや。二度目だけど、びびっちまった」


 それから、意外にも素直に彼は詫びた。


「甘いってのは取り消すよ。悪かった。この(みじけ)ェ間に、兄ちゃんも成長したってことか」

「……まだ途中だ」


 とリンドは呟く。

 そして、もう一度問うた。


「俺の質問に答えろ」


 否、それは命令だった。

 その命令に、オリバーは降参とばかりに両手を挙げて応じる。


「分かったよ。質問どうぞ」

「この町でまだ純人教団の残党が悪さしているらしい。鍛冶屋倉庫以外に、拠点はあるのか?」


 リンドが問うと、オリバーは「ああ」と少々辟易したような息を吐いた。


「その件か。ついこの間も鍛冶屋組合の連中に訊かれたけど、残党なんていねえよ」

「いない?」


 とリンドは首を捻る。


「それはつまり―――」

「偽物だよ、偽物」


 とオリバーは言葉を先取った。


「そいつらは教団のフリしてるだけの小悪党だ。だのに鍛冶屋組合の連中、聞く耳持ちやしない。兄ちゃんなら、信じてくれるよな?」


 向けられた言葉に、リンドはしばし考えるように間を取った。

 それから、また言葉を紡ぐ。


「……それは信じることにする」

「さすが! 分かってる―――」

「その上でもう一度訊くが、」


 とリンドは、オリバーの声を遮った。


「教団が使っていた場所は、他に無いのか」

「……俺らが作った巣穴に、居座ってるかもってか」


 オリバーは不快そうにそう呟いて、それから腕組して考える姿勢になる。

 その目は記憶を探るように右から左へと流れ、或いは思案を進めるように左から右へと流れた。


 やがて、彼はその結果を口にした。


「―――『ラギア』って言ったかな。その鍛冶士の所へ行ってみなよ。純人教団(おれら)の拠点は鍛冶屋倉庫が主だったけど、その倉庫の鍵はラギアと取引して得たものなんだ」


 そう話してから、彼はリンドを真っ直ぐに見据えて言葉を継ぐ。


「あいつは誤魔化そうとして色々言ってくるかもしれねぇが、俺はラギアと直接交渉して鍵を手に入れたんだ。それが真実だ。―――俺を信じてくれるよな?」

「……」


 リンドは黙ったまま、しばらくオリバーと見合っていた。

 しかし不意にくるりと方向転換すると、そのまま牢から離れていく。


「あ、おい!」


 とオリバーに呼び止められて、彼はちらと肩越しにそちらを振り返る。

 そして告げた。


「今日中に片が付かなければ、飯を持ってくる」

「何だよ、一食かよ……」


 とオリバーは文句を付ける。

 それから、静かに言葉を付け加えた。


「……頼むぜ」


 それには答えず、リンドは地下牢から階段を上がって去っていく。

 アリアもそれに従って、牢獄を後にした。

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